第七話 キャッチザムーン(後編)
シギン王は死んだ。闘技場はまだ燃えたままだ。
キリアもまた死んでいる。オーディンブレードは手加減というものが出来ない。
俺は疲れた身体を引きずると、倒れたままのシオンと月影のそばに歩いて行った。
月影の脈を見る。まだ生きている。グングニールの爆発の影響をもろに受けたらしい。どうやら、あの瞬間にシオンをかばったらしい。
キリアが死んだ今、シオンだけが蘇生と回復の呪文を持っている。
俺はシオンをつついた。
ピクリとも動かない。シオンの頭の横が少しくぼんでいるのが見えた。
脳に損傷があるのか?
ああ、俺に治療の呪文が使えれば。だがそれは無いものねだりというもの。
どうすればいい?
急がないとじきに闘技場の外から月の民の残りの軍隊がやってくるだろう。彼らが俺たちを助けてくれるとは俺には思えない。
考えている内に、俺の頭が痛み熱を持ってきた。
くそ!
俺は戦士だ。考えるのはキリアやシオンの役だ!
酒・・酒は無いか?
酒で頭を冷やさねば。
酒で・・・そうか!
俺はふと思いついて、観客が投げ込んでいたガラクタを漁った。
シギン王の死体も漁って見た。ここにも無い。
俺の目当ての物は無かった。
背後で音がした。
俺は振り返り、そして逃げようとしていたボーンブラストを掴まえた。
ひい、とボーンは小さく声を上げた。
「殺さないでくれ。ドーム」
「今日は十分過ぎるほど死んだ。ボーンよ。お前は持っているだろう」
「何を?」
「酒だ。酒を持っているだろう」
「俺は酒なんか・・」
「シギンが飲んでいるのを見た。今は持っていない。
ということはお前に酒を預けたに違い無い。
こういう奴は勝利の瞬間に酒を用意するのを忘れることは無い」
俺はボーンの身体を調べ、案の上、隠していた酒瓶を見つけた。
一口飲んで見て俺は目を向いた。すごく旨い酒だ。超の付く高級品だ。
「行っていいぜ。ボーン」俺はボーンブラストを突き放した。
「助けてくれるのか? ドーム。殺さないのか?」
「ああ」
俺はそれだけ言うと、足を引きずってシオンのそばに座り込んだ。
ボーンブラストはたちまち姿を消した。
シオンの口元に酒瓶の口を持って行って、俺は考え直した。こんな旨い酒をシオンにだけ飲ませることは無い。
それに俺はひどく疲れている。月の民と月の王と神の武器を相手に一人で戦ったんだ。少しぐらいは御褒美を貰ってもいいだろう?
シオンの口に少しだけ酒を含ませると、俺は酒瓶を自分の口に押し当てて飲み始めた。
ごくんごくん・・
横目で見ていると、シオンのまぶたがぴくぴくとした。
ぐびぐび・・・
シオンの鼻がふんふんと動く。
ごぶごぶ・・
確かに旨い酒だ。以前にこの月で飲んだ酒など、まったくこの酒の足下にも及ばない。強い酒なのに滑らか。たとえるならば四月の春の始めの風のように爽やかで、かつ濃厚な香りが後から来る。それなのに最初に鼻にガンときて、それから喉の奥がかあっと熱くなるという二面性も持っている。
旨い。最高だ。
どれ、もう一口。
突然、脇からシオンのごつい手が伸びて、俺の口から酒瓶をむしり取った。
ああ、酒。酒。俺の酒。
「俺にも飲ませろ」シオンは一言そういうと、一気に酒瓶を空にした。
確かにシギン王の言った通りだ。
元々反魔法場が弱っていたというのもあるが、シギン王のマントに包まれると、反魔法場の中でもシオンは魔法を使えた。ありがたいことにロードを職業とするシオンは僧侶の呪文を使える。
俺はてっきり闘技場の反魔法場が消えたと思い込んでいたのだが。いや、それなら、ボーンを脅してシオンにまず回復呪文をかけて貰えば良かったのだ。いかんいかん。俺は戦士で魔法に疎いから、そういう思考に向かなかったのだ。
すぐに、キリアと月影が蘇った。
「ああ、ああ。ドーム。どうなったのだ?」キリアがぼんやりと聞く。
「グングニール。例の球が壊れたショックでじいさんは気絶し、シギン王がじいさんを殺した。そのシギンを俺が殺して、シオンがじいさんを蘇らせた。わかったかい?」
事実とは少し違うが、まあ、いいだろう。わざわざ波風を立てることは無い。
「ああ、そうか。そうじゃったな。わしはまた気絶したわしをシギンめが人質に取り、お前がわしごとシギンを殺したように思ったのじゃが、いかんいかん。これは邪推じゃの」
「なあ、キリア、それは被害妄想の気が過ぎるぜ」
俺は笑い、皆が笑い、それですべては済んだ。
まったくキリアじいさんと来たら。やたら勘だけはいいのだから。
闘技場の向こうで何か音が聞こえる。どうやら、月の民の残りの軍隊が到着だ。
それともボーンブラストの奴が案内したのか?
「どこに逃げよう?」俺は聞いて見た。
闘技場の反対側。巨人たちが入ってきた方も当てにはならない。通常、こういう施設は闘技者が逃げないように作ってあるためだ。敵と鉢合わせになるのが落ちだろう。
月影がシギン王達が座っていた見物席を指差した。
「騒ぎが起こった時に奴らの何人かが椅子にしがみついていた。
シギン王がその動きを押さえていたが抜け道か何かあるに違い無い」
月影は滅多に喋らないが、別に言葉を扱うのが苦手というわけではない。
俺たちは敵の声に追われるように見物席に上がるとそこを調べた。
貴族用の見物席の中央にあるのがシギン王の座っていた玉座だ。月影が手早く玉座の継ぎ目を調べた。
「下に空洞がある。どこかにこれを動かす仕掛があると思うのだが」
闘技場の中にバラバラと人影が飛び込んで来た。煙と炎の中を探しながら、じきにその中の一人がこちらを指差して喚き始めた。
しまった! 玉座の仕掛を探している暇が無い。
シオンがうなり声を上げると玉座にしがみついた。太い腕に力を込める。
シオンのごつい顔に、太い腕に、これも太い血管が浮かび上がる。歯を食い縛り赤い顔でシオンがうなる。大蛇のような筋肉がシオンの皮膚の下で蠢き、力こぶが盛り上がる。
玉座がきしみを上げた。
武装した兵士が大勢観客席に上がって来た。
俺は疲れた身体を引きずって剣を構えて待ちかまえた。
シオンが玉座を外す時間を稼がなくては。月影が俺の横に立って手裏剣を構えた。階段の下で兵士が俺たちの姿を見て騒いでいる。
何人かが盾を構えて、その間に石弓を持った兵が並んだ。
しまった。こいつらは祭典に参加していたような手柄目当ての貴族の兵じゃない。前の旅の月の宮殿で出会ったような訓練された近衛兵だ。遠くから弓で撃たれ続けたら避け切れない。
背後で重い音がした。
そして、俺の横をとんでもなく大きな玉座が飛んで行き、見物席への階段を上りかけていた兵士たちの中へと飛び込んだ。これほどの重量では盾も役に立たない。何人もが玉座に巻き込まれて潰れるのが見えた。
玉座を投げたのはシオンだろう。まったくこいつはどれだけ力持ちなんだ?
「行くぞ! ドーム」
玉座のあった跡に大きく開いた抜け穴の中からキリアが呼んだ。
抜け道はシギン王の私室へと繋がっていた。というよりは代々の王の隠し部屋なのだろう。ここは。
抜け道の中にキリアが超高熱爆裂呪文ティルトウェイトを放ち、追っ手を足止めした。
ここなら一発の呪文でしばらくは時間が稼げる。通路は焼け赤熱している。冷えるまでは後を追うことはできない。じきに魔術師が呼ばれて冷却呪文を使うだろう。
思い出したようにキリアが叫んだ。「紙と描く物を探すのじゃ」
王の私室には当然羊皮紙とペンは常備されていた。それに何かを書き付けると、キリアは呪文を唱えてテレーポートへと送り出した。
「今のはなんだい?」とシオン。
「実はな船の中に隠し部屋が作ってある。そこに魔法奴隷が一人待機している。
今のメッセージを受ければ」
それ以上は聞く必要は無かった。王の部屋に設けられた窓の外に何かが見えたのだ。俺たちは窓に集まりそれを見た。
月の都市上空に浮かぶのは笑いを浮かべた炎の魔神ゴーモーノーンだ。
「じいさん!」そこにいた三人が声を揃えて叫んだ。
「幻影じゃよ」と事もなげにキリア。「だが、これで都市はパニックじゃろう。今の内じゃ。ドーム」
「船に帰るのか?」俺は尋ねた。
「いや、まだ、目的の本が見つかっていない」とキリア。
聞くんじゃ無かった。
俺は溜め息をついた。シオンは肩をすくめた。無言の月影までもががっくりと膝を付いた。
泣く子とキリアには勝てない。説得は無理と見て、俺たちは部屋を探し始めた。
シオンが王の部屋の祭壇から本を一冊見つけるのと、俺が奥の部屋の扉を見つけたのは同時だった。
何かの泣き声がする。
この声は・・・俺の体に衝撃が走った。スーリの声だ。
俺は扉を引いた。開かない。
剣だ!
俺はオーディンブレードを構えて、振り降ろした。
くそ。恐ろしく頑丈なドアだ。オーディンブレードはドアに小さな穴を開けただけだ。
それとも俺の力がもう限界なのか?
その穴からスーリの声が聞こえた。「あなたは誰。にいさんはどこ?」
スーリだ。確かにスーリの声だ。
「スーリ。俺だ。ドームだ」俺は・・・叫んだ。ああ、スーリ。
「ドーム? ドーム? そんな人、知らないわ。あなたは誰。にいさんはどこ?
にいさんはここから出してくれないの。あなたは出してくれる?」
そうか・・スーリは真っ白な状態なんだ?
「スーリ。俺はドームだ。今ここから出して上げる。ドアから離れて…」
キリアたちが本を抱えて、俺のいる部屋に入って来ると、俺が剣を構えているのを見て
驚いた。
「ドーム。一体どうした?」とキリア。
俺は剣を振り降ろした!
今度こそ!
スーリを見つけて俺の元気が回復したためか、今度はドアの継ぎ目がすっぱりと切れた。
ドアがゆっくりときしみ音を上げながら、向こう側に倒れる。
「ああ、やっと出れたわ。ありがとう。ドーム」とスーリは言った。
「ああ、やっと出れたわ。ありがとう。ドーム」と二人目のスーリは言った。
「ああ、やっと出れたわ。ありがとう。ドーム」と三人目のスーリは言った。
「ああ、やっと出れたわ。ありがとう。ドーム」と四人目のスーリは言った。
「ああ、やっと出れたわ。ありがとう。ドーム」と五人目のスーリは言った。
「ああ、やっと出れたわ。ありがとう。ドーム」と六人目のスーリは言った。
「ああ、やっと出れたわ。ありがとう。ドーム」と無数のスーリが言った。
ドアの向こうから何人ものスーリが顔を見せた。どれもそっくり同じだ。わらわらとスーリがドアを通って出てきた。歩き方も歩く姿もまったく同じだ。
これは・・・違う。俺は悟った。姿はスーリだ。どれも・・・。
だが、その表情が、その言葉が、正体を明らかにしている。
俺はスーリを本当の意味で失ったことを理解し絶叫した。これは、人形だ。スーリの抜け殻だ。
人を真に形作るのは身体では無く魂なのだ。
マーニーアンが前に俺に言った言葉が頭の中に蘇った。
「月の民を作っている原型が暴走しているのだ。ゴーモーノーンの攻撃は月の基本的なメカニズムまで破壊したに違い無い。
これでは」
キリアが呆れてつぶやいた。
「じきに月はスーリだらけだ。一冊だけだが本は手に入った。行くぞ。ドーム。脱出だ」
「キリア。俺はスーリを連れて行く」
「どのスーリだ。全部のスーリか?」キリアが睨む。
「シギンの言ったことを聞いただろう。ドーム。これは人形と同じだ。お前の愛するスーリを手に入れるには四百年は経験を積ませねばならない」
「でも」
「すまぬ。ドーム」キリアが言った。
俺は急に眠りこんでしまった。
目を開けると、一面の星空が見えた。
そして視界の半分を埋める白い壁。どこかで見た風景だ。ここは・・・。
そう、月の裏側。お椀型をした月の外側だ。
「目が覚めたか。ドーム」シオンだ。「睡眠呪文にしては良く眠っていたな。随分と疲れていたってことだ」
「スーリは?」
「置いて来たよ。ドーム。本当にお前の欲しいのは、あのスーリたちなのか? ドームよ」
俺は、その言葉をしばらく考えて見た。それから首を振った。
器は確かに同じだ。だが、わずかに話をしただけでわかる。あれは俺のスーリでは無い。
俺のスーリは死んだのだ。
「それよりキリアの本は手に入ったのか? それにどうしてここに?」
シオンは酒瓶を差し出した。あの酒だ。
「俺の酒は手に入った」
それは質問してないぞ。シオン。
シオンの背後に大きな酒樽が見えた。どこで手に入れたのだろう?
ときどきだがシオンは酒の在処を見つけるのに天才的な勘を見せる。
まあ、いい。その酒、半分は俺のものだからな。
「じいさんは本を見つけた。今、読んでいる。ここには」
シオンは肩をすくめた。
「スーリ達に道を聞いた。街の中を通って船に帰るよりは、抜け道を通ってここに出た方が良いと判断してね。意外と月の地下は薄い。すぐに裏側に出たよ。
ここへの抜け道は潰した、追手が来るのは随分と先だろう。
じいさんは連絡を送った。じきに船がテレポートしてくるそうだ」
シオンは野蛮人だ。それなのに、どうしてこれほど短く話を要約できるんだ?
まあ、いい。俺はもう一口だけ酒を飲むと、じいさんの元に行った。
じいさんは本の一部を広げている最中だった。
「見よ。この図を。これが月の図だ」
そこには、お椀の格好をした月の図が載っていた。
お椀の内側の中央に月の都市の姿が描き込んである。
お椀の外側のちょうど真ん中に塔の姿が書込んである。
キリアが説明を続ける。誰に聞かせると言うわけでも無しに。
「月の内側の都市から、月の地殻を貫通して、外側に祭典の模様が送られる。
我々の大地から収集された魔力と一緒に。その魔力は塔を通じて虚空へと送られる。ここまではわしの推測通りじゃ」
キリアは本のページを捲るとその中の一か所を指で示した。
「ふむ、そして、この魔力線が集束するところが根源の神が存在する所と言うことになる。これは単純な内率と幾何の問題であるから、これを計算すればよい」
「じいさん。俺たちの大地から魔力を収集するって、どういう意味だい?」俺は聞いた。
キリアは王の部屋から持って来た紙に何か数字を書きながら言った。
「虚空には魔力が満ちておる。それが全ての魔法の源じゃ。
しかし、それらは薄過ぎる。薄めた酒でお前たちが酔うことができないようにな。
ところが上手いことに、これらの魔力は自然に、我々の大地や冒険者、すなわち、真の質量へと集まる性質があるのじゃ。
根源の神々は、この力を収集して使っておる。
判ったか? ドーム。わしらの大地が大事な理由が」
俺に判ったのは、薄めた酒では酔えないということだけだ。確かにそれは良くわかる。俺は酒を薄める奴は許せない。そのことでいったい何度、ギルガメッシュの酒場で文句を言ったことやら。
キリアはしばらくたって計算を終えると、その数字をじっと見つめて、またその下に計算を書き付け始めた。
俺は数学はわからないなりに、その数字がどちらも同じ数を示していることを見て取った。キリアは検算というものをしているのだ。
やがてキリアはがっくりと頭を垂れた。
「じいさん?」とシオン。
「キリア?」と俺。
月影は片方の眉を上げて疑問を示してみせた。
「遠すぎる」キリアがぼそりとつぶやいた。
「キリア?」俺は重ねて聞いた。
「遠すぎる。ドームよ。根源の神々は馬鹿では無かった。もし自分達の居場所がばれても誰も来れない様に、恐ろしく遠くに居所を設定したのじゃ。
遠すぎる。
わしの虚空船の能力を倍にしたとしても、行きつけるのには二千年はかかるだろう。わしの残りの寿命ではそこに到達するのは到底無理じゃ。
わしの探索は終りじゃ。根源の神々は、わしの手の届かぬ存在じゃった!」
大声で何やら喚くと、キリアは手を広げて周りの月の表面に呪文による爆発を当てた。クレータの縁が赤く輝き、大地が抉れ、振動した。
キリアの八つ当りだ。
そして、ぺったりと座り込むと、キリアはそれきりうなだれた。
俺は慰める言葉も無く、ただ、星空を見上げていた。
じっと見ていると星がなんだか俺に近付いて来るように見えた。天空遥かに豪々と音を立てて、星は世界を巡っていた。俺の心は地上を離れ、回転する銀河の中心に位置していた。
それは月の裏側に放射されている魔力のせいかも知れない。ここにたどり着いた者だけに与えられる啓示。根源の神々の意思。
世界は驚異に満ちている。
とどまることなき星の巡りは、
尽きることの無い冒険を、
常に新たな驚きを、
そして輝ける希望を約束する。
今や光り輝く世界は俺の心の内に在った。
は!
はは!
俺の立てた笑い声は、キリアを驚かせたようだ。
怪訝な顔をしてキリアは、星空を見つめている俺を睨んだ。それから自分も顔を上げてじっと星空に魅入った。
ゆっくりとキリアの顔に理解の色が浮かぶ。月影もシオンも・・・。
『求め続ける者はいつの日かそれを得るであろう』
何者かの声が聞こえるような気がした。
俺は言った。
「老いて死ぬには、まだまだ早いぞ。キリア!」
俺の言葉にキリアも頷いた。
「そうじゃな。ドーム。世界がわしらを待っている」
マーラー発光と共に俺たちの虚空船が到着した。
さあ、行こう!
世界は俺たち冒険者の物だ。
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