第七話 キャッチザムーン(中編1)
反魔法場の中では帰還呪文ロックトフェイトを始めとする呪文は役に立たない。
おまけに、有り余る体力も、これほど太い鎖に繋がれていては役には立たない。
牢獄の壁に鎖で繋がれて、俺はしみじみと、あの狂える太陽の巨神の境遇がわかった。
牢獄には俺とシオンとキリアと月影が仲良く並んで繋がれていて、さらにその横の鎖には骸骨が一つぶら下がっている。古い古いお仲間ってわけだ。
それを眺めながら、はてな、と俺は思う。
最近、俺たち以外の冒険者が月に出かけたと言う話は聞かない。
あれが月の民の犯罪者の骨だとすれば・・・どうして消滅していないのだろう?
スーリは死んでから、すぐに骨も残さず消滅した。そうでなければマーニーアンに蘇生呪文をかけて貰っていただろう。
キリアは俺の質問にあっさりと答えた。
「シナリオから外れていないからじゃよ。ドーム。つまりは飾りじゃ。骸骨の一つもぶら下がっていない牢獄など誰が恐がる?」
なるほど、俺は納得した。さすがにキリアは頭がいい。
なのにどうして、俺たちはこの有様なんだ?
畜生!
ボーンの野郎。
やがて牢獄の扉が開き、シギン王と何人かの取り巻きが入って来た。
「気分はどうかね? 諸君」シギン王が尋ねる。
「咽が乾いてね。酒を一杯貰えんかね?」シオンが答える。
ああ、酒がもらえるなら俺にも頼む。それもできるだけたくさん。
「水で我慢して貰おう。ボーン君から聞いた話では君たちの咽をうるおすためには、この月の全ての酒樽が必要みたいだからな」
ついで奴は笑った。
「そうなっては明日の祭典で我々が飲む分が無くなってしまう」
「では・・・明日なのか?」キリアが顔を上げて、言った。
「そうだ。明日、祭典は行われる。君たちこそはその主役だ。良かったよ。期日に間に合うように着いてくれて」
シギン王は俺の方へと向き直った。
「特に、ドーム君。君には期待しているよ。できる限り残虐な死に方をしていただきたい。君の死体にはたっぷりと血を吹き上げて貰わねば、私の気が済まない」
「スーリは蘇っているんだろう?」俺は尋ねた。
「ああ、蘇ったよ。スーリは依然として、モルゴド神の祭司長だし、私の妹だ」
奴はぐっと俺の方へ顔を近付けた。目の中に何か嫌な炎が揺らめいている。
「だが、私との記憶は一切を失っている。あれではスーリの姿をした他人だ。私とスーリが一体、何年を共に生きてきたか知っているのか?」
「どういうことだ?」
「私とスーリはすでに四百年、ここで生きている。いや、生きていた」
「!?」
「そうだとも。君より遥かに長く生きている存在を君は殺した。単に剣を振るしか能の無い存在でよくも。私の命を。このお返しはするぞ。冒険者全てにな。貴様たちが終わったら、次はお前たちの街を焼き払ってやる」
「そんなことをすれば、貴様はすぐに消えるぞ」
シナリオに反した影の存在は消える。確かそうだったはず。
「それは・・どうかな?」シギン王は笑った。
シオンの向こうで鎖に吊されたまま、話を聞いていたキリアが叫んだ。
「判ったぞ。やはり、その服は…」
「さすがは、賢者キリア。そうとも、これは冒険者の髪で作った服。
この服の魔法質量があれば、シナリオ外の事を少々行っても、消滅することは無い」
シギン王は答えた。
「君たちを片付けたら、あの大地をも、私は奪って見せよう。街の人間すべてを殺し、冒険者すべてを牢につなぎ、新しい秩序を打ち立ててやる。
君たちには感謝もしているのだよ。あの無能な前王を失脚させてくれて。
どうせ、あいつは王の器では無かったがな。たまたま、運良く、前にこの月を訪れた冒険者を掴まえて殺したことで、王の座についた愚か者よ。
その王は今はそこの鎖に繋がれているがな」
シギン王は先ほど俺が見つめていた骸骨を指差した。なるほど、生きている間は王で、死んだ後は牢獄の飾りか。
「ああ、そうそう。ドーム君。前にスーリが伝えて来ていたよ。地上にはドームって言う、しつこい馬鹿がいるってな」
怒りが俺の目を真っ赤に染めた。
怒りに任せてシギン王に向けて放った拳は伸び切った鎖に止められた。
ズシン・・・と鎖の繋がった牢獄の壁が揺れたが・・・そこまでだった。
くそ!
腕に繋がれた手錠の辺りがぬるりとした。手錠にぶつかった皮膚が裂けて血が流れているのだ。骨が折れ無かったのは幸運だ。鉄の焼ける匂いが立ち込めた。
熱い。
熱い。
右腕が・・熱い・・・。
自分の右腕に目を向けた俺は、鈍く赤く光る右腕のあざを認めて驚いた。ちらちらと中で石炭が燃えるかのように、あざが光を放っている。
シギン王が合図をすると取り巻き連中が、俺の右腕の周りに呪文や変な格好の杖を向けた。無論、俺の手の届かない所からだ。
やがて、奴らは口々にわめき始めた。
「シギン王。確かにこの者の右手には何らかの魔力があります」
「切り落すべきでは」
「祭典の邪魔になるかも」
「で、我が民達に、今度の王は臆病な王だ、折角の祭典の生けにえを傷付けている、と言われるのか?」
シギン王は冷たく言い放った。
「その魔力は、反魔法場の中でも働くのか?」
「触媒があれば可能です。反魔法場と言えども万能ではありません」
はっとキリアが目を逸し、口の中で呪文を唱えた。
何も起きない。
「鎖自体に反魔法場が仕込んであるのだ。無駄なことは止めよ。キリア」
シギン王がキリアに言った。
そうか・・この取り巻き連中が魔法を使っていたから、キリアは反魔法場が解除されたかと思ったのだ。
シギン王はそれ以上キリアに注意を向けることなく続けた。自分の行動に絶対の自信を持っている者の態度だ。
「では、この者達の持物の中に触媒があるのか?」
「ありません。すでに先ほど、この者達が眠っている間に試して見ました。彼らの持ち物の中には触媒はありません」
「あの剣は?」
「オーディンブレードですね。それも、試して見ました」
「では問題は無い。このままで祭典は行う」シギン王は宣言した。
「良かったな。ドーム君。戦士が大事な右腕無しでは寂しいだろうからね。では、諸君。明日までの短い命を存分に楽しんでくれ。
そうそう、シオン君だったね。君には後で水を届けるように言っておくよ」
シギン王は立ち去った。
牢番が立ち上がって、牢の鍵をかけようとした時に何者かが入って来た。
ボーンブラストだ。
「いい姿だな。ドーム。それに他の方々」ボーンは言った。
「ボーン。この野郎。何故、裏切りなど」俺はわめいた。
「裏切り? おいおい、勘違いして貰ったら困るな」ボーンは笑いながら言った。
「俺がお前達の仲間だったことなんか、一度も無い。単に冒険で一緒になったという事だけだ。
ドーム。シオン。お前達が俺をいつも馬鹿にしていたことは知っているぜ。
ろくに敵も倒さないのに、分け前だけは取るってな。
それにキリア。あんたもだ。
俺が苦労して聖別したアイテムをいつも、礼一つ言うでも無く持って行きやがって。
月影よ。お前さんも俺を冷たい目で見ていたな」
それは違う。月影は誰に対しても冷たい目で見るんだ。
「ボーン。だからと言って、お前は長年一緒にやって来たわしらを見捨てるのか?」とキリア。良いところを突く。これが逆の立場だったらキリアは俺たちを見捨てるだろうか。
うう、恐ろしい想像をしてしまった。それは考えたくもない。
「金がいるんだ。お前たちを売った金で、俺は金持ちになる」
「金なぞ、何に使う? 酒もろくに飲めないお前が」とシオン。
「そうだよ。シオン。貴重な金を無駄に酒なんかに使いやがって」
ボーンブラストの顔が歪んだ。これほどの凶相をこいつが作れるとは驚きだ。
「ビショップを職業とする者の最後がどうなるか知っているか?」
「最後!?」と俺。
「そうだ。最後だ。戦士は最後は敵に殺される。魔法使いもだ。だがビショップだけは違う。教えてやろう」
ボーンはここで一息ついた。
「ビショップの最後はな・・・アイテムの聖別に失敗して、呪われたアイテムを装着することから始まる。ボルタックの店で呪いを解除して貰う金を稼ごうにも、そうなれば、誰も冒険のパーティには組み込んでくれない。
そうして、街のお荷物になって生きている内に何時の間にか消えてしまい、新しい冒険者がそいつの席に座ることになるんだ」
全員無言だ。何を言いたい? ボーン。
「俺がいつもこの薄汚い手袋をはめているのは何故か判るか?
この手袋が俺にいつもどんな苦痛を与えているか、判るか?」
「ボーン。まさか…」
そうか、そうだったのか。
「そうさ。戦闘の時に隅に隠れているのは何故か、判っただろう?
どうして戦えないか、判っただろう?
お前達に役立たずと罵られながらも、冒険に出ていたわけが判っただろう?
金が出来れば、俺はこの呪いの手袋ともおさらばだ。
もう、役立たずじゃない。
俺のために死んでくれ。お前たち」
俺は無言でボーンに蹴りを放った。
惜しい!
後、少しで命中したものを。
忍者の月影なら、見事に決っただろうな。
事情は判った。だが、それでもボーンが裏切りを選んだのは事実だ。
キリアが真剣な面持でボーンを説得にかかった。
「ボーンブラスト。お前の状況は判った。だが、月の民を甘く見るな。奴らは、冒険者を倒すことだけが存在理由であり、生きがいなのじゃ。やつらは約束を守らないぞ。ボーン。わしらが死ねば、次はお前じゃ」
それに対して、ボーンはせせら笑った。
「往生際が悪いぞ。じいさん。シギン王は信用できる。明日の祭典では、俺はシギン王の隣に座ることになっている。
お前達は…特別席だ。せいぜい、俺を楽しませてくれ」
ボーンブラストは笑いながら出て行った。
・・・人間というものは恐い。
長い年月の間に俺たちの取った態度がこんな結果を引き起こすとは。
キリアの隙の無い計画も、裏切り一つで水泡と帰した。
ああ、せめて最後に酒の一杯が飲みたかった。
俺は鎖に繋がれたまま、大きな溜め息をついた。
祭典は都市の中央部、つまり宮殿地区の巨大な闘技場で行われた。
闘技場は一部が焼け崩れている。どうやら、この間の騒ぎで炎の魔神ゴーモーノーンがやった痕らしい。
周りを大勢の月の民と、軍隊が囲んでいる。
闘技場の中央には・・・木の台が並んでいる・・・首切り台だ。
シオンと俺は暴れたが結局は睡眠呪文カティノをくらって、台に繋がれた。
目が覚めた時には丈夫な鉄の首枷で身体を押さえられている。暴れてみたがびくともしない。参ったな。たぶんこれ、魔法で鍛えられた金属だ。
キリアはいつも口癖のように言っている。世界は俺たち冒険者の周りに産まれる幻に過ぎないと。だが、この鉄の首枷は俺の力でもびくともしなかった。どう見ても幻には見えない。
群衆は大歓声を上げていた。無理もない。この間、彼らの都市を、彼らの家族を、焼いたのは俺たちの仕業なのだから。この群衆たちも幻には見えなかった。たとえ相手が幻でも死ぬときは死ぬ。
俺は少し落ち込んだ。だが、そこまでだ。
シギン王が例のマントを翻しながら、闘技場の一番上の見物席に立った。
その横にボーンブラスト。
一際、群衆の歓声が大きくなる。
俺たちの髪の毛も、やがてはあの王のマントに組み込まれるのだろう。
一人の男が、俺たちの前に立って声明を読み上げた。
「古の掟により、この闘技場での祭典には、自らの命を掴む機会が与えられる。
お前達の内の代表が我々の代表と戦い、勝利した場合にはお前達は解放される。
さあ、代表を選ぶが良い」
本当か?
とても信じられない話だ。月の民はそこまでお人好しなのか?
きっと裏があるに違いない。
当然、この反魔法場の中では魔術師のキリアは代表に出来ない。やるなら俺かシオンか月影だ。
俺は戦士だが、問題は剣を持たせて貰えるかどうかだ。
まさか間違っても俺の愛剣オーディンブレードを持たせてくれることは無いだろう。
月影は忍者なので、素手での戦闘が得意だ。
シオンはロードだから・・・。
「お前が代表だ」男はシオンを指差した。
処刑人達がシオンの鎖を外す。後ろに控えた魔術師たちが魔法の準備をする。なにせ野蛮人シオンは大男だから、下手に暴れられたら魔法をかけるつもりだ。
反魔法場の中では魔法を行うことは無理だが、魔法の結果、つまり超高熱呪文ティルトウェイトなんかの高熱などは反魔法場の外から流し込むことが可能だ。以前にキリアがその方法で、安全地帯にいたはずのモンスターを焼くのを見たことがある。
如何にシオンでも、鎧も無い状態で魔法攻撃を食らえば、一たまりも無いだろう。
シオンは首枷の付いていた自分の首を揉むと、闘技場の中央に出た。
月に来るときに着ていた鎧はすでに剥されているのでシオンは腰巻ひとつだけだ。
野蛮人シオンの通り名の通りにシオンはごつい。
身長二メートルを越えるその身体は鍛え抜かれた筋肉の塊だ。
あれだけ酒ばかり飲んでいて、どうやってこの体格を維持できるのかは謎だ。
おかしい・・何故、奴等は反魔法場の中ではまったくの無力なキリアでは無く、シオンを選んだ?
歓声が一際高まった。闘技場の反対の端にある扉が開き、敵の代表とやらが出てきた。
でかい。
シオンもでかいが、こいつはシオンの倍はある。巨人族だ。
月にも巨人族がいるとは知らなかった。それも三人も。
俺は自分の疑問の答えを知った。求めよさらば与えられん、と言うわけだ。
ああ、もし願いが適うのならば、俺は自分の剣を求める。
オーディンブレードよいま何処に?
巨人達は闘技場の中央に出ると、手にした巨大なハンマーを柄の方を下にして地面に突き立てた。
もう一人が抱えて来た大岩を置くと、巨人達は巨大なそのハンマーで岩を砕き始めた。
群衆の歓声がどっと上がる。
力の誇示だ。こうして頼もしい月の巨人達が、地上からの憎い冒険者を抵抗させることもなくひねり潰すというわけだ。シギン王は見せ場を心得ている。
・・・この調子では、俺たちの首をはねる時は自分で斧を揮うかも知れない。
貴族用の見物席の上で、ボーンがシギン王に酒を注ぐのが見えた。
畜生。俺にもその酒飲ませろ。
「こら。汚いぞ。巨人三体相手に、こちらは一人か」
俺は喚いて見たが、進行役のその男は冷たい目で俺を睨んだだけだった。
「俺のメイスを返してくれないか?」シオンが頭を掻き掻き、男に尋ねた。
「これはあくまでも公正な戦いだ。従って、武器の使用は認められない」
男はにべも無い。
「公正な戦い?」シオンが男を睨んだ。
「ほう。そうかい。
公正な戦い。
ほう。そうかい。
その言葉。忘れるんじゃあないぜ」
野蛮人シオンは、その容姿に似合わぬ知性の持主だ。だからロードを職業としている。
酒飲みだが言葉はいつも丁寧だ。野蛮人だが物腰は柔らかなんだ。だけど一度だけ、俺はこいつがぞんざいな口調で喋ったのを見たことがある。
ギルガメッシュの酒場で新人の冒険者がシオンの酒の中に唾を吐き込んだ時だ。
その後の、騒ぎと来たら・・・。
それ以来、ギルガメシュの酒場でシオンに喧嘩を売る奴は一人もいない。
この男の命運は尽きた。シオンを怒らせちまった。この絶対的に不利な状況に関わらず、俺はそう思った。
背後で音がした。俺はなんとか頭を巡らせて、後ろの光景を目の隅に捕らえた。
オーディンブレードだ。青みがかった刀身はすぐにわかる。それにシオンのメイス。キリアのダガーもだ。その脇に紐でまとめてられているのは月影の持ち物らしい手裏剣だ。
何をするつもりだろう?
俺は首切り台に繋がれたままの状態で男を見上げた。男と目が合った。
「祭典では、冒険者は自分の武器で止めを刺されるのがしきたりだ」男は言った。
なるほど。少なくとも俺は自分の剣と一緒に死ねるわけだ。
大きなドラの音が響いた。闘技の開始の合図だ。俺は改めて目の前の光景に注意を戻した。
巨人の前ではシオンは子供同然の大きさだ。圧倒的な体格差。巨人達が仲間と目を見かわして笑った。誰がこの子供をひねり潰すかで相談しているのだ。
話が決ったらしい。巨人の一体が前に出た。シオンも前に出る。
「大した物だ。あの男。おびえていないぞ」
俺の顔の横に立っている進行役の男がつぶやいた。
巨人が両手を伸ばしてシオンの両肩を掴んだ。そのままシオンを目の前に持ち上げる。
「ちょろちょろと逃げるかと思ったが・・諦めたか?」また、男がつぶやいた。
お喋りが好きな男だ。じきにその口も閉じるだろう。
巨人が両腕に力を込めた。巨人の丸太ほどもある腕に力こぶがぐぐっと盛り上がる。シオンを握り潰すつもりだ。岩でも砕けるほどの力だ。いやひょっとして鉄床でも握りつぶせただろう。
だが、シオンを潰すのは無理だ。
シオンの強靭な筋肉は鎧並だ。並の刀と剣技ではその筋肉にあっけなく弾かれることを俺は知っている。
シオンの盛り上がった筋肉は岩を連想させるが、その堅さは岩など遥かに越えるのだ。おまけに骨はときたら鋼鉄も恥いるほど強靭なのだ。
俺はシオンが酒に強いのも気に入っているが、シオン自体の強さも気に入っている。
いつまで立っても、期待したような結果が見られないことに観客が騒ぎ出した。シオンを握り潰せないことに焦った巨人がシオンを更に持ち上げた。
地面に叩き付けるつもりだ。
ゆっくりとシオンの両腕が上がり、巨人の両腕を下から掴んだ。そのまま、抱え込むような形で巨人の腕を固めた。
シオンの顔が赤くなる。巨人の顔も赤くなった。巨人の顔にどっと油汗が浮かぶのが、ここからでも見えた。
シオンが小さく唸った。ゆっくりと巨人の腕がシオンの力に負けて背後に回り始める。シオンの手に握られたところが膨れ上がり赤黒く変色していく。
ゴキン・・・群衆の歓声の中でも、その鈍い音ははっきりと響いた。
確かに月にはもう長い間冒険者が来ていない。だから月の民が勘違いするのは当然だ。
冒険者は毎日ダンジョンの中でモンスターと死闘を繰り返して来ているってことを忘れてはいけない。日々の鍛錬と冒険でどこまで肉体が強くなるのかを。
巨人の折れた両腕から身体を引き離して、シオンは地面に降り立った。その右腕が大きく後ろに引かれ、ハンマーを思わせる拳がうなりを上げて巨人の膝に叩き込まれた!
あっさりと巨人の膝が折れた。いや、折れたなんて生易しいものでは無い。シオンの拳の当った周りの肉がぶよぶよに伸びて膝の裏側に引っ込んだ。骨だけじゃなくて、筋肉も何も完全に粉砕されている。
これがシオンだ。怒ったシオンはブラックドラゴンをも素手で潰す。
巨人が大声でわめくと、ちぎれかけた足の方へ倒れ込んだ。これで、巨人の頭がシオンの拳の届く範囲に入ったことになる。
巨人が何かを叫んだ。
仲間への助けを求めたのだろうか?
それとも、シオンへの命の嘆願?
どちらにしろ無駄だ。大きく振り降ろされたシオンの拳が巨人の頭蓋骨を粉砕する。
砕かれた頭は歪み、巨人の目や耳から、血の混じった脳みそがどっと吹き出した。
「な」進行役の男が絶句した。「なんという力だ・・・あんなに強いのにどうして棍棒を欲しがったんだ?」
俺はその答えを知っている。以前にシオンに聞いたことがあるからだ。
・・・シオンは手が汚れるのが厭なのだ・・・
崩れ落ちた巨人の死体の前で、シオンは手の匂いをかいで、厭そうな顔をした。
残った巨人達が我に返り、顔色を変えた。もう形振り構っていられない。慌てて、自分たちのハンマーへと飛びつく。
ハンマーを持って振り返った巨人達の顔に、ちぎり取られた巨人の足がぶつかった!
その隙をついてシオンが突進する。呆然としている巨人の足を掴むと、ぐっと引っ張った。
巨人がバランスを崩してひっくり返る。
そこにシオンの両腕が下から巨人の首に回されると、あっさりと咽を締め潰した。ごぼごぼと音を立てて、殺された巨人の口から血の混じった泡が吹き出る。これならクラーケンに巻き付かれる方がまだ救いがある。
最後の一体になった巨人はパニックになった。
ハンマーをシオンのいると思われる、仲間の死体の上に滅多やたらに振り降ろす。それも当り前だ。身体こそ自分達の半分の大きさも無いのにシオンの力は巨人を遥かに凌ぐと判ったのだから。目の前にいるのは小さな怪物。死の使いだ。
シオンは巨体に似合わず結構素早い。締め殺した巨人の下を抜けて、すでに最後の巨人の背後に回っている。観客が棒立ちになって騒ぐ。ガラクタが闘技場へと投げ込まれたがそこまでだ。
シオンがそこにあった大岩のかけらを持ち上げると、巨人の後頭部目掛けて投げつけた。轟音とともに岩と巨人の頭の両方が砕ける。
続けて、シオンは岩の欠片を観客に投げ始めた。シオンは激怒すると見境が無くなる。
そうだ、やれ! シオン。
どうせ、こいつらは俺たちを生きて返す気は無いのだ。
シオンの暴走を見て、闘技場のもう一方の端で待ちかまえていた魔術師達が声高く呪文を唱え始めた。
・・・馬鹿だ・・・こいつらは。
長い間の平和ですっかりと甘くなっているのだろう。呪文は相手に気付かれないように静かに唱えるものだ。さもないと。
シオンの投げた岩が魔術師達を襲った!
ひとたまりも無く、魔術師達が挽き肉と変わる。俺はたまらなくなった。
こら、シオン。俺の首枷を解け!
そんな面白いこと、一人でやらずに、俺にもやらせろ!
見物席でシギン王が立ち上がった。
何か光る物がシギン王の周りを回っている。俺はもっと良く見ようと目を細めた。シギン王は両手を前に突き出し、シオンへと向けた。
魔法か?
観客をパニックにしようと観客席に次々に大岩を投げ込んでいたシオンも、どうやら間違いに気付いた様だ。
シオンが手にした岩をシギン王へと投げたのと、シギン王がシオンを指差したのは同時だった。
シギン王の周りを回っていた光る物がシオンの投げた岩を粉砕すると、そのままシオンへと吸い込まれた。
鈍い衝突音。
シオンが崩れ落ちた。
信じられない。たとえ鎧無しの裸とは言え、シオンを一撃で倒せる武器が存在するとは。
俺とオーディンブレードなら可能かも知れないが。シギン王は俺じゃないし、あの光る何かもオーディンブレードじゃない。
シオンから離れたその武器を俺の目ははっきりと捉えた。金属か何かの丸い球だ。そのままシギン王の手元に舞い戻る。
兵士たちが観客席から駆け降りて来ると、ぐったりしたシオンを引きずって来て元の首枷に繋いだ。そして繋いだ後の首枷を心配そうに確かめる。
この首枷が魔法で鍛えられたものならば、さすがのシオンの怪力でも首枷を外すのは無理だ。
もっともシオン本人は気絶したままだ。もしかしたら死んだのかも知れない。俺の力でも首枷を外すのが無理ならば、忍者の月影や魔術師のキリアでは首枷を外すことはできない。
万事休す。
どうすればいい?
このままおとなしく。死ぬしか無いのか?
俺は戦士だ。死ぬならば、自分の剣を持って戦場で死にたい。
キリアが止めなければ、ここに着いた時に死ぬまで暴れてやっただろうに。
ああ、せめて、戦士の魂たる剣を抱えて死にたい。
剣?
そう、我が愛剣オーディンブレードだ。
ゆっくりと俺の頭の中で、何かが形を取り始めた。
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