第七話 キャッチザムーン(前編)


 誰かが俺の部屋に近付いてきた。

 俺は浅い眠りからたちまちに覚醒すると、枕の下に置いてあるオーディンブレードを鞘から抜き放った。

 キリアの言葉によると、いにしえより戦士は剣を枕に眠るものだそうだ。

 断わりもなくドアを開けてキリアが飛び込んで来た。息を切らせたまま一気に喋る。

「ドーム! 出発じゃ」

「どこへ?」

 俺は剣をしまうと、朝の一杯のエールを飲もうと、部屋の隅の酒樽へと歩いた。

「勿論、月じゃよ。遂に奴らの準備が出来たらしい」

 俺は足を止めた。キリアはいつもの様に、俺たちのために虚空船の中に最高級の酒を用意しているに違いない。だとすればわざわざ、この安物のエールで胃袋を満たすことは無い。俺が飲まない分、大酒飲みのシオンが飲むだけだから。


 こうして、俺たちの月への再挑戦は朝の酒の一杯から始まった。


 野蛮人シオン、忍者の月影、それにビショップのボーンブラストはすでに船に乗り込んでいた。もうすでにシオンは貰った酒樽を小脇に抱えて飲み始めていた。キリアがその光景を見て溜め息をつく。わかっているさ、じいさんの考えていることは。

 でもな。俺たちは酒飲みなんだぜ? 他にやることなんかないさ。

 月へ向けて瞬間転送呪文マーラーで宙へ飛び出した船の上で俺たちは作戦会議を開いた。

「月に到着するまで、全部で二日の行程じゃ」キリアは言い放った。

「二日?」俺とシオンは尋ね返した。

「変じゃないか? じいさん。この前の時はもっと掛かったはずだぜ」

 シオンが質問した。

 こいつの魂胆は判っている。俺と同じだ。虚空船に乗っている時間が短くなれば、その分だけ酒を楽しめなくなる。

「この前の旅で、月の軌道と正確な距離が判ったのでな。今回はマーラー転送の回数が減らせる」とキリア。

 なるほど俺は納得した。いや、飲める酒の量が減ったことには納得していない。

「だが待てよ。それじゃあ、どうして直接月の表面に出ないんだ? じいさん」

 シオンが食い下がった。

「摂動現象じゃよ。シオン。大地と月の間の引力の関係で、常に相互の距離にはわずかだが『ずれ』が存在する。それに移動中の物体からマーラー転送で移動するのは危険なのじゃ。位置がずれて、岩の中には出たくあるまい?」

 確かにそうだ。ダンジョンの中からときたま見つかる人の形をした岩は、岩の中へテレポートした、哀れな冒険者の成れの果てだという噂がある。

 ・・・ああは成りたくない。

「さて、ドームにシオンよ。お前達は残り二日の間、飲んだくれるつもりじゃろうから、その前に作戦を説明しておく」

 キリアがテーブル上に地図を広げた。虚空船の操縦は奴隷達が行っているので、俺たちは暇だ。おとなしく地図を覗き込む。

「きゃつらからの挑戦状が来た。これがその書面じゃ」

 続けてキリアは羊皮紙を広げた。わけの判らない文字が並んでいる。

「古代神聖文字だ。内容は・・・月の祭典への招待状だ」

 月影が書面を見つめて何か頷いている。こいつはこの文字が本当に読めるのだろうか?

「月の祭典? どうして奴らが俺たちに招待状を?」俺はつい尋ねてしまった。

 しまった。これでキリアは余計な事まで延々と喋り始めるだろう。このじいさんのお喋り好きときたら。

 俺の予想通りキリアは話し始めた。

「刺客を送り込んでわしらを殺すことが無理だと判ったからじゃ。何せ、シナリオ摩擦効果のお蔭で月を離れることができるのは特殊な役割を持った僅かな者だけだから。それで、わしらが抵抗できない餌を用意して待っておるのじゃ。奴らは・・・」

「『わしら』じゃなくて『わし』だろう? キリア。俺は月なんかどうでもいいんだぜ」俺は言った。

「つれないことを言うでないぞ。ドーム」キリアはにやにやと笑った。

「今度の月の祭典には、どうやら奴らの所蔵する根源の神々に関する秘密の書物が閲覧されるらしい。それと王族秘蔵の旨い酒がじゃ」

 酒! 極上の月の酒! うん、それは確かに、抗いようの無い誘惑だ。

「どうして、それがわかったんだ? じいさん」これはシオンだ。

「招待状を持ってきおった奴を念のために拷問したのでな。確かに本当の事を言っておった」

 キリアは良心の呵責のかけらも無く言った。俺がキリアを恐いと思うのはここだ。

 確かに冒険者と云うものは、一歩間違えると強盗まがいの事をやっている。モンスターの中には人間やエルフよりも知性豊かな者もいるのだから。それらを問答無用で殺し金品を奪う。冒険者の本性はそれだ。それでも一線だけは越えないものだ。いくらなんでも街中で出会った相手を無差別に攻撃したりはしない。

 しかし・・キリアは根源の神に関することになると手段を選ばない。俺たちを道具のように扱う恐れも大きい。俺はこのことを肝に命じた。今度の月での旅で使い捨てにされないように。

「すると、そこまでの餌を用意するからには、奴ら、月の民はきっと飛んでもない罠を用意して待っているんだろうな?」シオンが陰気につぶやく。

「そうじゃ、シオン」とキリアがお構い無しの口調で答える。「奴らの要塞都市を見たじゃろう? あれが奴らの方針じゃ」

「なあ、キリア。どうして奴らは直接俺たちの街を攻撃しないんだい?

 その要塞のティルトウェイト投射器とやらで・・」

 これは俺の懸念だ。

「簡単じゃよ。ドーム。

 冒険者を殺すのが目的の月の民じゃが、それは飽くまでも月に来た冒険者のみじゃ。

 大地を直接攻撃するなどと言う、月の民の存在理由を完全に無視した行動は取れん。恐らくそれをやれば、月の都市ごとシナリオ摩擦効果で消滅する結果になるじゃろうよ」

「ふ~ん」

 俺は熱くなってきた頭で何となく納得した。酒だ。酒だ。酒持って来~い。

「だが、俺たちを攻撃するのはためらわないだろう? じいさん。どうやって近付く?」

 シオンは飽くまでも論点から離れない。

 俺はシオンが少しうらやましい。ロードを職業とするシオンは頭が熱くなること無く、小難しい質問が出来る。しかし考えごとをすると頭が熱くなるのは、脳が一生懸命働くためだとばかり思っていたんだがなあ。キリアじいさんの言うシナリオ摩擦効果のせいだとはなあ。

 俺は何事につけても単純な考え方の方が好きだ。

「奴らの目的はわしらを無傷で生け捕って、今度の奴らの祭で生けにえにすることじゃ。

 月に冒険者が来ることは何百年に一度あるかないかの出来事なのだよ。シオン。

 その冒険者は月の祭典で祭儀と共に殺される。

 それをこなすことで、次に冒険者が来るまでの各人の地位が決るわけじゃ。

 すでにわしらを取り逃し、あれだけの被害を出した前の王は処刑されておる。

 まあ、あの王は前回の冒険者を偶然捕まえて王の地位を得たわけで、到底、王という器では無かったそうじゃがの」

「その情報はいったいどこから?」とシオン。

「使者の頭の中から搾り取ったものじゃ」キリアがにやりと笑う。

 ・・・本当に俺はキリアが恐い。拷問か。それも普通じゃ思いつかないようなひどい拷問だ。足の指を何か重いもので潰すとか、そいつの内臓を取り出してそいつ自身に食わせるとか、そんな拷問じゃ追いつかないような凄い拷問に違いない。

 うう。酒だ、酒。

「そこでじゃ。

 奴らの狙いが生け捕りにあるのなら、こちらはその隙を付くまでじゃ。

 船の脇についているものを見てご覧」

 キリアに促されて俺たちは船の舷側に行って見た。

「なんだ? 何も無いぞ? じいさん」俺は言った。

「もっと良く注意して見ろ。ドーム。お前の目はどこに付いておる?」

 俺の目? そりゃ俺の顔についているに決まっているじゃないか。

 キリアは船の脇にぶら下がっているボートを指さした。

「ボートは全部で六つ。それぞれ、幻影スクロールが備えてある。これに魔法奴隷を乗せて、わしらの身代りに送り込むのじゃ」

 俺はボートを睨んだ。

「わしらの船に化けたボートが六隻、上空から不意打ちをかけたら、どれほどの混乱が起きるか想像がつくかな?」

 キリアは笑った。

 なんだって? 六隻の船が空から襲撃だって?

 キリアじいさん。戦争をおっぱじめるつもりかい。

「じいさん。魔法奴隷は所詮、影の存在だ。俺たちから離れれば、質量共鳴が切れて、消えるぞ」

 またシオンだ。俺は良い加減、難しい話にうんざりして来た。

 ・・・しかし、何度もキリアに説明されたので、少しは俺にも判る。

 キリアの言う所によると、この世界で実体を持っているのは、カント寺院やギルガメッシュの酒場などの一部の建物とギルガメッシュの酒場で飲んだくれている冒険者二十名だけなのだそうだ。その他の建物や風景、人物は全て俺たち冒険者がいるときだけ存在するという。すると・・・確かに俺たちからボートが離れた瞬間に、ボート自体が消えてしまう計算になる。

 キリアはためらわずに答えた。

「大丈夫じゃとも。シオン。奴隷には冒険者の髪の毛を織り込んだ服を着せてある。これならば、わずかとは言え、必要なだけの存在質量は確保できる計算じゃ」

 なるほど冒険者の体の一部を奴隷に持たせるのか。俺は感心した。

「では、彼らがパニックになって、上空の船を全て撃ち落とすことにしたら?」

 今まで黙っていた月影が発言した。

 こういう局面で和を守って沈黙する冒険者は長生きできない。無口な月影でもそうだ。計画がおかしければその場で文句を言う。

 自分の命は自分で守るものだからだ。

「ところがわしらは、その中におらんのじゃよ」またキリアは笑った。

 きっと秋の夜長に徹夜して全ての計画を練り上げたのだろう。

「幻影のボートは月に到着するまで五日かかるように調整してある。実際のわしらの船は二日で到着する。つまり月の連中が想定する到着よりも早くわしらは到着することになる。

 この船には星空の幻影をかける装置が積んである。つまりわしらの姿は誰にも気づかれないわけじゃ。そして月の都市から離れたところに着陸する。

 それから都市へは歩いて、侵入する」

 キリアは地図を指差して、続けた。

「マーラー呪文による転送はどうしても発光がつきものだ。

 空間を湾曲させるときに、魔法反極場が辺りの物質をわずかに巻き込むためでな。結果として、それらの物質は光となって反極場を脱出する。これがマーラー発光と呼ばれる現象じゃ。

 月の民の刺客を見つけられるのもこのお蔭じゃ。

 だが、その呪文の効果範囲を全て幻影で包めば、マーラーテレポートは何者にも探知できなくなる理屈だ」

 そこまで言うと、キリアは片目をつぶって見せた。

「実に簡単な事じゃ」

 嘘だ、と俺にはわかった。このアイデアを思い付くまで、キリアは眠れぬ夜を何日も過ごしたはずだ。まったくもう、このじいさんと来たら見栄っぱりなのだから。

 それにしても・・・

「なあ、キリア」俺はついきつい口調で言ってしまった。「影の存在とは言え、奴隷達をおとりに使って、心が痛まないか?」

「ふむ。ドームよ。確かにわしも少しは心が痛む。だがのう」

 キリアは俺を見据えて言った。

「もし、ここに敵がいて、お前に向けてウォーハンマーを振り降ろしたとする。

 お前の身体か、お前の剣のどちらかを犠牲にして、その打撃を受けるとしたら、お前はどちらを選ぶ?」

「剣は戦士の魂だ。犠牲に出来るものでは無い」

 俺は冷たく言い放った。

 壊れた身体は呪文で治るが、折れた剣は直らない。答えは簡単だ。

「むむ・・これはわしの例えが悪かった」キリアは険しい顔でつぶやいた。「では、お前が小脇に抱えとるその酒樽とお前の身体とではどうかな?」

 ふむ。確かに今度のキリアの例えは良い所を突いている。

 俺は少し考えると、正解を見つけた。

「ええと・・まず、酒樽の中の酒を飲み干して、それから酒樽を身代りに使う」

 勿論、これが正解だ。旨い酒を無駄に地面にこぼす奴がどこにいる?

 キリアはほとほと呆れたのか、それ以上、何も言わずに向こうに行ってしまった。それから、ボーンブラストや月影たちと地図の上で何やら議論を開始した。

「俺の答え。どこか間違っていたか?」俺はシオンに尋ねた。

「そうだな」シオンは腕を組んだ。前腕の辺りに鋼鉄の筋肉が盛り上がる。

「問題のポイントはウォーハンマーが振り降ろされる前に、酒樽を空に出来るかって事じゃないか?」

 ああ、そうか・・・それは盲点だった。

「十分に練習を詰めば、可能だろう」俺は酒樽を指差した。「もちろんつき合ってくれるな?」

「後でな」

 シオンはそう言うと、キリアたちの作戦会議に戻った。

 ちぇっつ。酒より作戦会議を好む酒飲みがいてたまるか。酒飲みというものは、親が死んだら親が死んだことを口実に酒を飲み、自分が死にそうなときは自分が死ぬことを口実に酒を飲む。そういうものだ。

 そうだよな?

 まあ、善いさ。キリアは何もかも考えているようだ。俺は大船に乗った気分で、酒に浸ることにした。


 月への着陸に関しては、キリアの計画通りに進んだ。


 俺たちの乗る虚空船を中心に魔法奴隷が乗った六隻のボートが舷側を離れる。

 彼らは魔術師達だが、冒険が上手く行かずに払い切れない借金を抱えるなどして、身売りをした連中だ。本来が魔術師や僧侶なのだから、こんな危険な役を行うよりは街への帰還呪文ロックトフェイトを使って街へ逃げ帰れば良さそうに思えるだろうが、実はそうは行かない。

 ロックトフェイト呪文は瞬間転送マーラー呪文の変形だが、その到着点は正確に街の中心と定められている。マーラー呪文の様に位相を定める手間もいらない呪文だが、帰れる点は厳密に決められていて、その周りにはウィズ保険組合や、ウィズ取り立て人協会なんかの代理人が待ちかまえている。

 主人の元から許しを得ずにロックトフェイトで逃げ出して来た魔法奴隷は、その場で有無を言わさずに殺される掟だ。ここは冒険者の世界なのだから、仲間を見捨てる者に対する処罰は厳しい。ましてや奴隷が主人を見捨てるなんて許されないことだ。

 だからこそ、彼らが生き残る道は只一つ。

 すなわち、月の都市で生きて我々と落ち合うこと。

 俺は少し暗い気分で彼らのボートを見送った。

 如何に影の存在とは言え、長く生きている連中は俺たち冒険者同様に記憶や感情を持っている。カント寺院尼僧長のマーニーアンに到ってはまったく普通の冒険者と見分けがつかない程だ。

 彼らと俺たちのどこが違う? 

 単にシナリオから離れた行動が出来るかどうかだけだ・・いつの日か、そういつの日か、キリアにこの事で話をして見よう。

 俺たちの見守る中、相当離れた所に、俺たちの虚空船そっくりの姿が現れた。

 一・・二・・三・・・全部で六隻。

 ボートに備え付けられている幻影のスクロールの効果だ。

 この俺たちの乗っている船はすでに星空を模した幻影で囲まれている。内側からでは判らないがそうらしい。六隻似たような船が飛べば、その内一隻は本物と考えるのが人の常だが、実は本物は目に見えないという仕掛けだ。なるほどキリア。人の盲点をつくのが上手い。

 俺たちの船が一番先行する。見る見るうちに六隻の幻影船が背後に置き去りにされる。じきにそれに気づいた月の民たちは大騒ぎになるだろう。罠の動作を確かめ、目を皿のようにして幻影船を見つめ、そして到着はまだ先として力を蓄えるために眠る。そこに俺たちがこっそりと着陸するわけだ。

 二日間はじりじりと進んだ。キリアの幻影のできは超一級品だ。誰にもこの船のことは気づかれていない。

 こうして船は幻影に包まれたまま、月の都市から少し離れた場所へ向けて降下を始めた。

 俺たちはそっと月の都市のそばのクレーターに着陸した。

 月の都市へ向けて最初の一歩を踏み出した瞬間、船の四方から青い光の柱が伸びて来て、船の真上で結合した。

「いかん! 反魔法場じゃ」

 キリアが一声叫ぶと船の方へと戻りかけた。

 それを合図にしたかのように、周りの建物に隠れていた月の民の軍隊が姿を表した。

 凄い数だ。これほどの人間が月にいようとは想像もしなかった。

「動くな。動けば攻撃する」

 軍隊の中から一人の男が歩み出た。

 黒い毛織のマントを来た、背の高い、鋭い目をした奴だ。

 どことなく見覚えのある男だった。何か・・良く知っている人間に似ているような。

 俺は厭な感じがした。

 オーディンブレードの柄に手をかけたまま、キリアに目を走らせる。キリアは首を微かに横に振った。抵抗するなという合図だ。

「私を覚えてはいないだろうな。君達の前の訪問の時は、前王の取り巻きの一人だったからな。改めて紹介させて頂こう。

 月の新王シギン・グレイブ・アサラムだ」

 奴はじろりと俺を睨んだ。

「スーリの兄と言った方が通りがいいかな?」

 俺の背中に冷たい物が走った。


 オーディンブレード。目覚めよ。俺は柄を通してオーディンブレードに話しかけた。

 オーディン神と出会ったあの日以来オーディンブレードは眠り続けたままだ。

 いくら俺が呼びかけてもオーディンブレードは起きない。

「君達をできる限り歓迎しよう。抵抗しない限りはね」シギン王は言った。

「どうせ選択の余地は無いのじゃろう」キリアが奴を見つめながら言った。「一つ、このおいぼれに教えてくれんかな?」

「なんだね?」

 俺の剣の届く範囲からは慎重に距離をおいて、奴はキリアの方へ向き直った。

「どうして、わしらがここに着陸すると判った?」

「ああ、そのことか」シギン王は鷹揚に俺たちの方へ手を振った。「君たちに我が新しき友人を紹介しよう」

 ボーンブラストが歩み出て、シギン王の横に立った。

「つまりはそういうことさ」ボーンブラストはにやりと笑った。

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