第三話 天空の盃(前編)
変だ。
変だ。
何が変かって?
そう。その通り。キリアじいさんだ。
じいさんは最近何か変だ。この間のダンジョンでも倒した敵の宝箱をいそいそと開けて、中を覗き込んでいた。
どこが変かって?
いつものじいさんは必ず他人に宝箱を開けさせるんだ。まあ盗賊か忍者にやらせるな。罠にかかりたくなければ冒険者は普通はそうする。冒険者は難しい問題を専門家に任せることの大事さをよく知っている。
ところがそのじいさんが真っ先に宝箱を覗いてどうしたと思う?
マーラーディアダムを見つけて叫んだんだ、これはわしが貰うぞってな。
俺は不信に思って、野蛮人シオンに打ち明けてみた。するとシオンもこう言った。そう言えば最近ボルタックの店の品物も妙に品薄だな。なんでもボルタックの話じゃ、キリアが魔法アイテムを買い漁っているって話だぜ。
それをそばで聞いていたビショップのボーンブラストも言った。この間、キリアが他のパーティに加わってダンジョンに行くのを見た、なんでキリアは、あんなに金が必要なんだ、って。
キリア。いったい何をやっている?
そういうわけでおせっかいにも俺たちはキリアに会いに行くことにした。
ギルガメシュの酒場でキリアは上機嫌に高い酒を飲んだ。勿論、これは俺のおごりだ。
うー、もったいない。キリアじいさん、そもそも酒はそんなに好きじゃなかろう?
とにもかくにも俺が話を切り出すことにした。
「キリア。あんた、なんだか最近変だぜ」
「わしのどこが変じゃと?」
「どうしたんだい。じいさん。凄い勢いでいろいろなアイテムを買い漁っているそうじゃないか」とはシオン。
「他の冒険者のパーティにも加わっていたな」とはボーンブラスト。
ボーンブラストはボーンと言う名前に似合わないひどく太った男だ。
俺は実はあまりこいつが好きでは無い。戦闘の邪魔にしかならないから。実を言えば俺はビショップという職業自体があまり好きでは無い。俺は心が狭いのかなあ。
ビショップというのは魔術師と僧侶が一緒になったような職業だ。魔法では魔術師に遠く及ばないし治療では僧侶に遠く及ばない。だがそれでも一つ特筆すべき特徴がある。本来はボルタックの店でしかできないはずのアイテムの鑑定ができるのだ。
ボルタックの店は冒険者の間ではボッタクリの店と呼ばれるぐらい何でもかんでも値段が高い。当然ながらアイテムの鑑定も目の玉が飛び出すぐらいの値段がする。その結果として、新人冒険者が全財産を投じて迷宮で手にいれたアイテムを鑑定してもらい、クズアイテムと判って号泣するという光景が見られる。
かと言って、正体が不明のアイテムをそのまま装備する馬鹿はいない。呪いのアイテムだった場合、下手をするとそのまま冒険者の一生は終わってしまう。いわば未知のアイテムってのはいつ爆発するかわからない爆弾のようなものだ。
だからビショップというのは本来は冒険パーティの懐に大きく役立つ存在なんだ。ただし冒険の最中にはまったくの役立たずだが。このあたりがパーティ編成の難しいところだ。
「ちと、旅に出ようと思ってな。少し長旅になるので、装備を揃えていたのじゃよ」
キリアがにやにやしながら言う。
「御主達も一緒にどうじゃ?」
嫌な予感がした。
俺はちょっとだけ考えてから、愛用のオーディンブレードを静かに鞘から抜くと、キリアの股ぐらのところへと差し込んでおいた。刃は上だ。いつでもキリアの大事なところを切り裂ける。いや、本気じゃない。そんなことをしたらキリアはまあいいとして、キリアのパートナーのマーニーアンが泣くから。 泣くかな? いや、やっぱり泣くだろう。どっちにしろ、そうなるかどうかはキリア次第だ。
テーブルで隠れて俺が何をしたかは誰にも見えないはずだ。キリア自身にも。俺は剣士。剣の扱いにかけてはプロだ。
じいさんはにやにや顔を崩さずエールのジョッキをそっとテーブルに置くと、両手をテーブルの下に隠し込んだ。何かを口の中でつぶやいている。
「旅? どこにいくんだい?」シオンが身を乗り出すようにして尋ねる。
ここのところ俺たちは同じダンジョンにばかり潜っているので、シオンも退屈しているらしい。それもそうだろう。
シオンは身のたけ二メートルちょっとはある大男だ。もうちょっと成長したら大男ではなく巨人の範疇に入ってしまう。野蛮人シオンと呼ばれるのは、その野蛮人の様な風貌と雨風に晒された古い岩のような身体のせいだ。職業は僧侶と戦士の高位複合職であるロード。
こいつはごつい姿に似合わず、仲間思いの優しい心と高い知性を持っていることを俺は知っている。でなければロードになれるわけがない。なにせシオンは敵にさえ、苦しめずに一撃で倒すという慈悲を実践していることで有名な男なのだ。これはなかなか誰にでも出来ることではない。特に腕力の点で。
そんなシオンでも、やはり戦士としての性は隠すことはできない。基本的に荒事が好きなのだ。
こつん。じいさんの手がオーディンブレードの刃に触れた。
じいさんがはっとして俺の方を見つめた。俺は言った。
「運がいいぜ。キリア。オーディンブレードは今、眠っていてな。もし起きていたら、あんたの手首ごと切り落されていたぞ。それと一言言っておくが、妙な動きはするな」
「ドーム。悪い冗談はよせ」とキリア。やや、顔が青ざめている。
「冗談じゃないぞ。キリア。この間の俺たちの旅を考えていたんだがな。睡眠呪文カティノの匂いがするぞ」
「やっと気付きおったか。ドーム。ちと鈍いぞ」キリアは悪びれない。
まったくなんて爺いだ。俺は深い溜め息をついた。この間のことだ。じいさんと飲んでいて急に眠くなったと思ったら、次に目が覚めたときは虚空を渡る船の上だった。酒に薬でも入れてあったのかと思ったが、魔法で眠らされていたのか。普通は低位睡眠呪文は高レベルの戦士である俺には効かないが、キリアは超がつく高レベルの魔術師だ。そんな障壁は易々と突破してしまうのだろう。
しかし、このじいさん、自分の行いを反省するという気は無いのか?
「キ・リ・ア」俺はじいさんを睨んだ。
「どこに行くのかはっきりと言え。それから、俺たちを誘うのなら、魔法は無しだぞ」
俺はキリアの前に指を突き出しながら言った。もちろん左手の指だ。右手は剣をしっかりと握りしめたままだ。キリア相手に油断は禁物。
「わかった。まあ、そう怒るな。ドーム。シオン。ボーンブラスト。まあ、こういうわけじゃよ」
キリアじいさんは話しを始めた。
今でもしまったと思っている。みんな退屈していたので、何だかそのときはキリアじいさんの話がとても魅力的に思えてしまったんだ。
船は以前に太陽に旅したときの物より、もっと大きく、そして新しい装備に満ちていた。なるほど、キリアが一生懸命に金を稼いでいたわけだ。これほどのものを建造するには、とんでもない大金がいる。
今回は俺の他に野蛮人シオン、ビショップのボーンブラスト、それに忍者の月影が同行している。
前回の旅の顛末を聞いた結果、まあ、安全そうだというので参加したのだ。
冒険者というのは始終無暗に冒険しているように見えるが、生き残る冒険者というものは物事を甘く見ることは無い。それなりの勝算が無いと駄目なのだ。
今回は眠らされずに済んだので、船が離陸する瞬間を見ることが出来た。船の両舷に並ぶマーラーディアダムが穏やかな光を発すると、周囲の光景が歪み、一瞬にして黒い星空に置き代わった。そのとき船の周囲では一際奇麗な発光が見られる。そのまま時を止めて、絵にして取っておきたいような光景だ。
この虚空を飛ぶ船は中央に立てられたマストの方向、つまり上方向に向かってマーラーテレポートで移動する。今回は船の中央にガラスの様な材質で大きな覗き穴が作られている。その周りに俺たちは集まった。この覗き穴には船の下方、つまりは今通り過ぎた場所が見えることになる。眼下の遥か遠くに何かしら円盤の様なものが見えた。それは青と茶のまだら模様で、小さく頼りなく、その周囲を何か霧のようなものが覆っていた。
「見よ。あれがわしらの住んでいる所じゃ」キリアが指差して言う。
シオンがうなり声を上げて言う。
「俺たちの住んでいる大地があんなに小さく見えるとは、最初のテレポートで随分遠くに来たものだな」
「ところが、そうでもないのじゃ」キリアがこぼれんばかりの笑みを浮かべて言う。
俺は頭が痛くなって来た。キリアがこう言う顔をするときは決って、難しい訳のわからん、頭の痛くなるような、酒無しでは耐えられないような講義が始まるのだ。
酒!
そうだ忘れてた。約束の酒はどこだ?
「わしらはそれほど離れたわけじゃ無い。答えは簡単じゃ。わしらの住む大地が元来とても小さいのだからじゃ」
「?」
今の『?』は俺じゃない。シオンのものだ。シオンは俺よりも遥かに賢いのだが、それでもキリアの話にはついていけないらしい。
俺は少し安心した。難しい話がわからないのは俺だけじゃない。それに悪いのはいつでもキリアじいさんだ。じいさんの頭の中は普通の人間にはとても耐えられないような謎の話で満ち溢れている。朝から晩まで調べ、考え、頭の中で煮詰める。カント寺院のマーニーアンと始終議論をし、街中の賢者と言われる連中と話をし、行く先々にある本という本を読破する。その結果キリアじいさんの頭の中にできあがるのがぐつぐつと煮えたぎるマグマのような奇想天外な理論の数々だ。
じいさんときたらそれを薄めることもなく周囲にまき散らすからいけない。思考のマグマを浴びせられるこちらの身にもなってくれ。
悪いのはキリアじいさん。俺はごく普通の戦士で、それほど頭は良くないが、かといって丸っきり駄目だというわけでもない。強烈すぎるキリアが悪い。
うん。それでいい。それでこそ、世界は正常というものだ。
「シオン。いいかな?
わしらの住む大地は実はギルガメッシュの酒場やボルタックの店、カントの寺院を中心とした極めて小さな領域のみが実体なのじゃ」
「しかし、キリアじいさん。俺はメイルストロームやリルガミンの街に行くのに長い旅をしたことがあるぞ」
シオンが素朴な疑問を発する。確かにそうだ。俺も旅をしたことがある。徒歩でも馬でも結構時間がかかった。狂える王トレボーの街からリルガミンの街に旅をしたときは、あまりにも長い間酒を飲んでいなかったせいで乾き死にするかとも思ったぐらいだ。幸い、どんな街にも、酒場だけはある。
「シオン。よく考えてごらん。どの町にもギルガメッシュの酒場とかがあったじゃろう。ボルタックの店も。その他の施設も全部。ほとんど変わらぬ構造。ほとんど変わらぬ名前。なぜならそれらの街は全てわしらの一つの街からの投影。同じものが表面だけ姿を変えた物なのじゃ。御主は旅をしたと思いながら。ほら、見えよう? あの周辺を覆う霧の中を延々と歩いておったのじゃ。どうどう巡りをしながら」
じいさんは腕を振った。足元のガラスが濁り、只の床に換わる。どうやら覗き穴では無くて、床下を映すようにした魔法の鏡の類らしい。
じいさんは運ばれて来た椅子に腰を下ろして話始めた。俺も船の奴隷に頼んで最高級の酒を船の倉庫から二樽持って来て貰った。一つは俺の分で、もう一つはシオンの分だ。じいさんはジロリと俺を睨んだが酒については何も言わなかった。いわばこれが船賃の代わり。俺が船に乗るほうびとして貰えることになったものだ。
あれ?
変だな?
船賃は乗客の方が払うべきものだよな?
「まあ、聞け。皆よ。この世界は根源の神々によって作られた。それは間違いない。その根源の神々はどうやらわしらの世界を、モデルとなる別の世界の形に似せて作ったらしいのじゃ」
「どの世界をモデルに?」珍しくボーンブラストの発言だ。
「忍者や侍の故郷らしい。彼らの間に伝わる古文書の記述にあった世界に似ておる」とキリア。目の隅で月影がうなずくのが見えた。こいつだけはいつでも戦える姿勢のままだ。自分のために用意された椅子には座らずにその横に立っている。用心深いにも程がある。周囲を虚空に囲まれたこんな船の上でいったい誰に襲われるというのか。
キリアじいさんは続ける。
「そこではやはり同じ様に太陽が輝き、月が出る。だがわしらの世界の様に手抜きでは無いようじゃ」
「手抜き?」とは俺。
しまった。思わず質問してしまった。じいさんの講義が終らなくなるぞ。俺は早くこの議論を引き上げて、シオンと飲み比べをしたいだけなのに。
「手抜きじゃ。さっき見たろう。ドームよ。大地は本来あれだけの領域しかない。
太陽はわしらの目に見える範囲でのみ輝き、わしらの目の届かぬところに行けば消える。わしはまだ若かったときに、世界の果てまで行って、太陽が消える様を見たのじゃ。そのとき以来、わしは根源の神を探しておる」
「手抜きだろうがなんだろうが、俺は酒さえ飲めればいいがなあ」と俺。
本当に、心からそう思う。大事なのは旨い酒。馥郁たる香りを楽しみながら、荒馬のようなキックを楽しむ。そんな酒がいい。楽しい飲み仲間と馬鹿話をしながら酒が飲めるなら、それ以上のものが必要か?
冒険者の人生はそれだけで完璧なのに。
「お前はいつも幸せな奴じゃのう。ドーム」とキリア。
「あんたはいつも不幸せなじいさんだなあ。キリア」とは俺。キリアももう少し人生の良い面に目を向ければいいのに。
少しだけ、間が空いた。
「とにかく・・」と気を取り直してキリア。
「どうやら、この世界のモデルとなった真の世界では、太陽はそれ自体の質量による重力圧縮が引金となって、核融合が行われているらしい。そして大地はそのまわりを回っている」
「太陽が中心なのか」とシオン。
さすがにシオンはキリアの話について行っている。バカはロートという職にはつけない。本物のバカはロードという職につく前に墓に入る。そこまでバカじゃない場合は、俺のように戦士のままでとどまる。
キリアがシオンの言葉に頷いて言う。
「わしらの世界は大地、そうギルガメシュの酒場辺りが中心となっておる。もし大地そのものが動いていたら、帰還呪文ロックトフェイトなんかの位置算出は危険なものになる。
運動ベクトル、位置エネルギー、時間ずれに対する対処などがな。それらを完全に計算せねば、飛んだ先には建物の壁があった、などということになりかねん。そんなことになれば、帰還呪文では無く自殺呪文と呼ばれるようになるじゃろう」
「そのために太陽の方が外を回っているのか。そして大質量の太陽を回すのは物理的にも魔法物理的にも大変なので、もっと質量の小さい巨神をまわしているのだな。いや、待て。おれは何を言っている。キリアよ。それではまるでギルガメシュの酒場を中心に置くために太陽の巨神が空を巡っているように聞こえるじゃないか」
「だからワシはそう言っておる」キリアは揺るがない。「すべての間違った理解を排除した先にあるものはどんなに奇妙に思えても真実じゃ」
ああ、シオンよ。シオン。お前もか。お前だけは友達だと思っていたのに。
知性の神はこの二人が好き。そして俺は、小難しい話が大嫌い。
酒。酒を飲まなくては、この状況に耐えきれない。
「で、それがどうして今度の旅になるんだい?」とはシオン。
そう言いながらもシオンは、もう一樽の酒を飲み干している。難しい話が酒のつまみになる奴なんて、冒険者の風上にもおけない。俺はそう思う。
シオンは俺の抱える酒樽を物欲しそうに見ているが、誰がやるもんか。
「判らんか? 賢いシオンよ。太陽が夜に消えるならば、どうして月は夜も光っている?」
「あ!」 シオンが声を上げる。
「あ!」 ボーンブラストが声を上げる。
「あ!」 俺が声を上げる。いや、なにに気づいたわけでもないが、声を上げないと悪い気がしたんだ。
一人、月影だけが無言だ。こいつの無口にも程がある。
「そうじゃ、太陽が夜に消える。つまり、太陽の役目をしている根源の狂える巨神が寝てしまった後も、月は光る。それは・・・」
それは・・俺たちが息を飲んでキリアの言葉に聞き入る。キリアは得意の絶頂だ。
「それは・・・・何者かが月に光の呪文ロミルワの魔法をかけているからじゃ」
キリアの推理が正しいかどうかは、すぐに判るだろう。月はもう間近だ。
最初は小さかった月が、船がテレポートするたびにだんだん大きくなっていく。もう流石に船が着く頃だなと思っても、まだまだテレポートは続いた。あり得るべき大きさを越えてもまだ月は大きくなり続けた。
月は大きい。途轍もなく。
何故、我々の住む、今は遥か彼方になってしまった大地よりも大きいのだろう?
月の一部に光がきらめくのを見て、キリアが半狂乱になった。発見の熱狂。知識への渇望。未来への希望。そんなところか。
近づいてみると月はあばただらけに見えた。まるで大量のティルトウェイト呪文が暴れた跡見たいだ。この月はかって、あの太陽の巨神とでも戦ったのかも知れない。でなければこれほどの巨大なあばたが出来るわけがない。
月の輪郭が周囲にせりあがってきて初めてそれが円盤ではなく巨大なお椀の形をしていることに気づいた。圧迫感がとんでもない。俺たちはお椀の内側に向けて落ちていく。そんな感じだ。俺たちの背後にはすでに見えなくなった大地があるはず。どういうことだろう。月は大地を捕える形でお椀の内側を見せているのか。
「それは間違っておらぬよ。ドーム」キリアが説明した。
「我らの住まう大地は何というか説明はし難いが『望む力』というのを集めている。それは魔力に似てはいるが根本的に異なる力じゃ。大地はそれを集め、放射する。恐らくじゃがこの月はその力を集めておる。そのための形なのじゃ」
頭上の月が光り始めた。満月の始まりだ。一番大きなクレーターの真中辺りで強烈な光輝が生まれる。そこがどうやら光の魔法ロミルワの発生地点らしい。
「皆、何かに掴まれ。船を反転させるぞ」キリアが怒鳴った。
船はぐるりと回転すると、今や眼下となった月の表面目掛けて降下を始めた。
月に関しては様々な事を予想していた。だけど、これだけは予想していなかった。
俺たちは月人の宮殿へと着陸し、下にも置かれないもてなしを受けたのだ。
光の発生源は荘麗な宮殿。いや、都市だった。クレーターの底に作られた都市。
そこには黒とクリスタルを基調とした建物がところ狭しと並んでいた。輝きと漆黒が混ざり合い、まるでそれ自体が生命かのように蠢きあう。燦然とした輝きの中を、さらに光が走り、駆け、消えてまた復活する。都市自体が芸術品になるとしたら、まさにこれがそうだ。
俺たちは全員、眼下の光景に見とれた。
建物の連なりは果てしなく見えたが、ついに一番大きい建物の前に俺たちは着陸した。つまりはそれがこの都市の宮殿であった。
風の精霊を使役しての、船の水平飛行は初めての体験だった。
どうやらキリアは船に新しい装備をつけたらしい。いや、それとも前からこうだったのか。前の船は虚空で蒸発したのでどんな装備があったかはしかとはわからない。
俺たちの接近はとうの昔に判っていたらしい。宮殿の前にいるのはどうやら王様らしい人物と、その取り巻き、そして広場を埋め尽くす護衛兵の山だった。その中央にしずしずと降りて行くキリアの操船技術はたいしたものだった。
まあ、もしかしたら船の着陸の際に月人たちの二、三人は潰したかも知れないが、それはこういうことにつきものの事故ということで、俺は気にしなかったし、キリアも気にしなかったし、他の誰も気にしなかった。
キリアは俺を伴い、船を降りた。人垣が割れ、王らしい人物への道が開かれた。
近付いて見ると王は赤ら顔の髭面の小男だった。豪華な衣装に身を包み、さらには全身にきらめく宝石を飾っている。
もちろん俺は一目でこいつを嫌いになった。
キリアが腰をかがめて敬意を表すると、喋り始めた。
「王よ。ウィザ王国学術顧問キリア・イブド・メソ。我が王よりの友好を込めて御前に参りました」
ああ、キリア。一体、いつから顧問になったんだい? それに王っていったい誰だい? リルガミンの街には王なんていないぞ。
しかし、俺は口を挟まなかった。キリアは理由も無く嘘を付くような人物では無い。何か重要なわけがあるのだろう。もっともキリアはいつだって重要な理由を持っているし、それも一つじゃなくていくつもいくつも持っている。だから始終嘘をつきっぱなしで、俺は騙されっぱなしだ。
やれやれ。
「よくぞ、来られた。大地の人よ。われら月の民は、そなたらを歓待するぞよ。ささ、お仲間も呼んでわが宮殿でくつろいで貰おう。珍しい話も聞かせて貰おう」
王様はいやに上機嫌だ。初めて見たに違いない異邦人を警戒するではなく歓待するだって?
俺は鼻がむずむずした。トラブルの予感。俺のこの予兆は当たるんだ。
「旨い酒もあるぞ。マゾンと言うてな、この月での一番の酒じゃ」
鼻のむずむずが止まった。この男を少し好きになりかけている自分を発見して驚く。
うん。いや、違う。好きなのは人物じゃない。酒だ。だからそれほど悩む必要はない。
こうして、俺たちは月へと降り立った。
船の中には留守番の奴隷だけを残し、俺たちは宮殿へと立ち入った。この宮殿は外も壮麗だが、中身も壮麗だ。真っ白な大きな壁はどこも豪華なタペストリーがかかり、暖かい雰囲気を醸し出している。調度の類は寧ろ少なかったが、たまに飾ってある装飾品などは実に豪華で見事なものだった。無駄に広い部屋と廊下は、そこを通るものに畏怖を与えることを計算しつくしてある。壁の白と、そこに落ちる光の具合は、それを建築したものが一流の建築家であるだけではなく、一流の芸術家であることも示していた。建物の中を壮麗に飾り立てた馬車が走り、俺たちを奥の部屋へと案内すると、慇懃な態度の王宮執事が現れ、晩餐会の予定を告げた。
あてがわれた部屋の中でキリアは言った。
「ドーム。わしと一緒に晩餐会に出てくれ」
「ああ、いいよ。他の連中は?」
「無論、行くとも。ああ、ボーンブラスト、シオン、月影。ちょっと来てくれ」
キリアは三人を連れて部屋の隅に行くと何やら相談をしていた。
はてな?どうして俺だけ仲間外れにされる?
まあ、良い。酒だ。キリアと話をしているより、酒を飲んでいるほうがずっと良い。しかもこれは今まで飲んだことの無い珍しい酒だ。
マゾンだと、どんな酒だろう?
咽がぐびりと鳴った。我ながら意地汚いなあ。まあ、止める気はないが。もしかしたら部屋の中に酒の棚でもないかと目を走らせる。
「ああ、待たせたな。ドーム。行こうでは無いか」
キリアがいそいそと先に立った。そのまま、振り返らずに言う。
「ドーム。この宮殿には全体に反魔法場が掛かっている。注意してくれ」
そのままスタスタと歩き出した。
俺は驚いた。
そしてキリアがどれほど、根源の神に恋い焦がれているのか、やっと本心から理解できた。
その昔、ギルガメシュの酒場で乱闘が続くので、酒場じゅうにアンチマジカルフィールドが張られたことがある。この反魔法場は形成されるとその内部での魔法の使用ができなくなる。
剣士が暴れても机が壊れるぐらいだが、魔術師が暴れては酒場が丸焼けってこともあるからだ。魔法が一切使えなくなったために忍者などに魔術師が暗殺される事件が続いて、結局、ギルガメッシュの親父はアンチマジカルフィールドは諦め、代わりに酒場の壁を強化することで解決することにしたという経緯がある。
魔法使いにとってアンチマジカルフィールドほど恐ろしい存在は無い。どれほど強力な魔術師でも、このフィールド内では赤ん坊同然だ。そのフィールド内に自分から足を踏み入れるなど、普通はあり得ない。ましてやキリアほどの熟練の魔術師ならばなおさらだ。
それは例えるならば、戦士が自らの両腕を切り落とすようなものである。
キリアは今それをやっている。キリアほどの魔術師ならば、見ただけでアンチマジカルフィールドを見抜いたに違いないのに。それでもキリアは自ら進んでここに入った。根源の神の手がかりを欲して。
それにもっと大事なことがある。宮殿全体にアンチマジカルフィールドが張られているのは、何かがおかしい。普通ならば部屋一つ分が魔法無効化されるぐらいだ。宮殿全体に反魔法場なんて、その維持だけでいったいどれだけの魔力が必要になるか想像もつかない。
相手が友好的か敵対的かわからない内に、これだけの準備をする。それは裏返すと、月の民は最初から敵対的であることを意味しているのではないか。
俺は気を引き締めた。これは絶対に罠の匂いがする。うう、鼻がムズムズする。
月人の晩餐会の有様については、実は良く覚えていない。ただ、マゾンと呼ばれる酒は旨かったのは良く覚えている。とろりと舌を転がり、微かに甘く、咽に強烈なキックが来る。飲むたびに異なる風味が感じられ、頭が冴えるような気分になる。ここで酔っぱらうのはまずいなとは思ったが、止められない。俺はしたたかに飲んだ。
月人の女たちは俺たちが珍しいのか、周りに寄って来ては好奇の目で眺めていた。見た目は俺たち冒険者と変わらない。貴族達はと来たらやたらに握手し、詰まらぬ会話を繰り返していた。俺はあっちにふらり、こちらにふらりと大部失態をやらかした様だが、詳しいことは覚えていない。だけど周りに笑いが絶えることは無かったと思う。一度だけ「野蛮な蛮族め」という声を聴いたようにも思うが定かではない。
その間キリアは王様の周りの取り巻き連中とずっと話をしていた。かなりの熱論になっていたようだが、じいさんの礼儀正しさは最後まで崩れなかったようだ。
気がつくと晩餐会はお開きになっていて、キリアと俺だけになっていた。それと何人かの剣を装備した警備兵たち。キリアがテーブルの上で寝ていた俺を起こすと、部屋へと帰った。
部屋にはシオン達はいなかった。俺は寝室へと入り込みベッドに倒れ込んだ。キリアが俺の両頬を張り飛ばし、俺の頭に水差しから水をかけた。
「ドーム。しっかりしろ。動けるか?」
「眠らせてくれよ。キリア。随分と飲んでしまった」とは俺。本当にべろべろだあ。髪はびしょ濡れにされてしまったが、大丈夫、これぐらいなら俺は寝ることができる。
「ドーム。そんな場合じゃない。逃げるぞ。このままでは今夜中にわしらは殺されるぞ」
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