第二話 鏡の中に


 鏡の話が出たのは、例によってギルガメッシュの酒場でキリアじいさんと、これはロードをやっている「野蛮人シオン」という男と酒を飲んでいた時のことだった。

 ロードってのはあれだ。僧侶の役もやる戦士ってとこだ。俺とシオンでこのパーティの前衛、つまり盾役を務めている。


 シオンは実際には通り名から想像されるような野蛮な男では決してない。

 シオン自身は、敵を苦しめさせずに常に一発で片をつけるという、まさに冒険者の慈悲を実践している男だ。シオンはそれができるだけの太い腕を持っている。太いのは腕だけではない、顔も身体も太くて厚みがある。まるで野蛮人の様だ。おまけに顔も野蛮人の様なひどい面をしている。つまりは、それが通り名の由来ってわけだ。

 やれやれ、もうちょいと身だしなみに気をつければ別の通り名もついたろうに。ぴかぴかの鎧に黄金色の髪を合わせれば、それなりによく見えるはずなのだがなあ。なぜかこいつの髪はいつもくしゃくしゃだし、こいつの鎧はいつも泥だらけだ。だがまあ、それはたいしたことじゃない。冒険者は顔より腕だからな。

 それにシオンは酒がとてつもなく強いところが俺は気にいっている。朝まで延々と俺と飲み比べができるのはシオンぐらいのものだからなあ。


・・・ああ、どこまで話したかな、そう、鏡だ。


「オレは鏡が嫌いだ。オレの顔を映すと割れるからな。危なくてしょうがない」とはシオン。

「気弱な鏡の破片がその鋼のような肌にカスリ傷でも付けられるといっておるのか?」と、これはキリアじいさん。じいさんは結構口が悪い。

「本当はな、鏡の中にオレがいるのが厭なのさ。もう一人の自分がこの世にいるなんて耐えられない。」

「その顔ではな」とは俺だ。「もし世界中の鏡にお前の顔が映ったら野蛮人の国ができあがっちまう」

 相当ひどい言いようだが、シオンはこのぐらいのことでは怒りはしない。奴自身、自分という者を良く知っている。どのみちダンジョンの中で俺たちが頼るのは奴の腕力だ、顔じゃない。

「この世ではないぞ。鏡象世界はナル空間に設定された従属運命界で、こちらの世界のエネルギー交換則を成立させるために存在しているのじゃ。」とキリア。

・・・相変わらず、キリアじいさんの話は良く判らん。

「だが、まてよ。ダンジョンを含む従属運命界は世界の基本構造を成り立たせる重要な要因じゃ。ということはもしかしたら」

そこまで言うと、キリアじいさんは押し黙った。手の中のカップを見つめるじいさんの目がキラキラ輝いているのを見て、俺はふと不安になった。

 じいさんがこんな顔をするときは大概、修羅場へと至る大騒ぎの前兆だからだ。




・・・旨い酒が手に入ったからと、呼ばれて行ったじいさんの部屋には大きな鏡が二面、向かい合わせになっていた。

「じいさん、これは一体なんだい」

 うん、この酒はなかなか旨い。いったいどこから手に入れたんだろう。

「合わせ鏡という物じゃ。魔法など使わなくても、この方法なら簡単に鏡像世界に繋がるのじゃよ」

「鏡像世界?」

「鏡の中の世界じゃ」噛んで含めるようにじいさんが言う。まるで一言でわからない俺がいけないかのような口調だ。いや、キリアなら本気でそう思っているに違いない。

「いや、鏡はわかるんだが、その繋がるってのはどういうことだい」と俺は続けた。「鏡ってのは光を反射するただの道具じゃあ・・」

「ドーム・・・」

 キリアが溜め息を付きながら俺の名前を呼ぶ。

 俺は、このキリアの本当に困ったような名前の呼び方が嫌いだ。自分がまるで出来の悪い小僧の時分に戻ったような気分になるからだ。

「お前は戦士だから、きちんとした教育を受けていないのは判るが、どこでそんなデマを聞いて来たんだ?」

 わかったよ。キリア。口を挟んだ俺が悪かった。頼むから、そういう言い方は止めてくれ。

「他の世界はいざ知らず、この世界では鏡はそれ自体が一つの世界として成り立つ。光の粒子が反射されるところでは、光の速度の変化のせいで実に容易にエネルギー交換則は歪む。そのために鏡の向こうの世界が必要なのだ。エネルギーの平均化のためにな」

 俺はマグからもう一口飲んだ。うん、これはうまい酒だ。あまりにうますぎて、キリアの話に相槌を打つ間もない。

「まあ、鏡に映る光景は実際にはこちらの世界の反映でしかないが、それはあちらにバラ撒かれたエネルギー擬集体が、こちらの世界の光の粒子に反応したにすぎん」

 じいさん。いったいどこでこんなうまい酒を手にいれたんだろう。もう一本あったら帰り際にくすねていこう。もしかしたら樽酒かもしれない。弱ったな。どうやって大樽を俺の服の中に隠そう。

「ドーム?」

「・・ああ、すまん。キリア。これ、良い酒だな。お代わりを貰えるかな?」

 じいさんが派手に肩をすくめる格好をするのは、嫌味な癖だと俺は思う。まあ、酒がうまいからいいが。

「とにかく、そう言うわけで、鏡の世界の向こうには偽の世界がある。正確にはこの世界の落した影の世界がな」

「そこにはどんな奴がいるんだ。うまい酒はあるのか?」

「悪魔が棲んでおるよ。ドーム」

 なんだ、悪魔か。ではうまい酒はあるまい。いや、悪魔も酒は飲むのかな。もしかしたら悪魔的にうまい酒ということもある。

 そこでようやく俺は部屋の中の鏡の意味を考えた。


 繋げる? 通路を作る?


「じいさん、まさか。あちらに行こうと言うんじゃ。・・・達者でな」

「行くんじゃない、来るんじゃ」じいさんのニヤニヤ笑い。

「?」


 不思議に思った俺の前に、じいさんは手近のテーブルからキーキー鳴くものが入ったカゴを取り出した。中身は・・・グレムリンだ!


 グレムリンは小悪魔という表現がぴったりの、子犬サイズの悪魔だ。悪魔の幼児なのだとも言うし、小人の悪魔版なのだとも言われる。小さくて、群れを成し、そして厄介なことにいつも腹を空かせている。雑食というより、やや肉食よりなのが嫌らしい。こちらが元気一杯なときはさほどの脅威ではないが、弱っているときは近づかれたくない相手でもある。


「昨日、小さな鏡で実験してな、こいつを捕まえたのじゃ。合わせ鏡で生まれる通路は悪魔の通り道でな、悪魔ならば根源の神の居所を知っているかも知れない。なにぶん、神と悪魔は親戚じゃからのう」

「で、この鏡は? グレムリン用としては随分と大きいじゃないか」

「根源の神に関する情報だぞ。小物では駄目なのじゃ。大物でなくては。ところが小悪魔ならともかく、普通の悪魔には知っての通り魔法が効き難い。そこで戦士たるお前に来てもらったのじゃ」

 ええっと、つまりこういうことか。大きな合わせ鏡で大きな通路を作り、大きな通路から大きな悪魔が現れたら、俺が苦労してそいつをボコる。へばったそいつをキリアが捕まえて、それから拷問でも何でもするとそういうわけかい。

「では、シオン達も呼べば良いじゃないか。俺一人では荷が重いぞ」

「市内での悪魔召喚は厳禁されておる。シオンは変に頑固だし、もしやウィズ評議会に通報するかもしれん。ここで話を大きくするわけにはいかんのじゃ」

「マーニーを呼べばいい。マーニーはカント寺院の司祭長なんだから悪魔にとっては天敵なんだろ」

「馬鹿を言うな。ドーム。マーニーをこんな危険なことに付き合わせるなんてできるものか」

 なるほど。さしものキリアでもこれがものすごく危険だとは理解しているんだ。そして俺ならひどい目に遭わせても心は痛まないと。

「俺は厭だ。悪魔に噛まれてドレインされるなんて冗談じゃない」

「もう、遅い」

「何!?」

「時間じゃ! 来るぞ!」

 キリア、と非難の叫びを上げようとした。だが、それより早く何かが鏡から飛び出した。反射的に剣を抜く。オーディンブレード。古の神の力の宿る剣。

 鏡の通路を通って現れたのは・・・本当に冗談じゃない!

 アーチデーモンだ。地下迷宮の中で出会ううちでは最高位のデーモンだ。お洒落な貴族風の服に身を固め、七色に輝く羽飾りのついた帽子を斜めに被っている。すらりと伸びた肢体。綺麗な肌をした美男子の貌。美しき殺戮者そのもの。

 いくら鏡を通ると言っても、地上に出現する悪魔なんて、せいぜいグレーターデーモンクラスだと思っていたのだが。いきなり超大物かい!

 どうやらじいさんの捕まえたグレムリンはこいつの親戚かなんかだな。

 文句を言いたかったが、そんな暇は無い。アーチデーモンは鏡の面をまるでそこに何も無いかのようにするりと抜けると、俺たちの前に立った。それからじろりと俺たちを見ると、篭の中でキーキーわめいている小悪魔に話しかけた。

『クルガ アト デライム?』

 どうやら怪我は無いかと尋ねているのだろう。こうして近くで見てみると、アーチデーモンは、どこやらの国の貴公子と言った姿をしている。豪華な衣装に、見事な装身具。そしてもしそれが人間ならば、美しいと言ってもいい顔だち。ただし言葉を話しながらもその唇は動いていない。まるでその顔の上で時が止まったかのような。そして俺はその顔の下に何があるのかは良く知っている。

『セアトン ビア』

 小悪魔の答え。キリアには何を言っているのか判っているのだろう。悪魔語も出来るはずだから。

「ドーム。こいつはわしらを殺す気じゃ」と、すかさずキリアが通訳する。

 いや、それなら別に通訳しなくても俺にもわかる。冷たく、なおかつ燃える炎のような殺気が張り詰めているから。

 殺しにかかる前にわざわざ、殺す、と言ってくるだけの余裕がアーチデーモンには当然ある。こいつの強さは並では無い。その昔、ワードナーの地下迷宮でさんざん戦った相手だ。

 アーチデーモンは肩に巻き付けていた紐飾りをするりと解いた。紐飾りなんかじゃない。これはこいつの大好きな武器だ。

 炎の鞭。炎そのもので形作った悪魔好みの魔法の武器。これで打たれればそれだけで、焦げた皮膚ごと肉が剥がされる。攻撃力よりもむしろ苦痛を主眼においた武器だ。

 炎を上げる鞭が宙に弧を描くと、俺の方に飛んで来た。


 なぜだあ?

 なぜ、キリアじゃなく俺の方を攻撃する?

 真っ先に狙うなら、魔術師だと一目で判るキリアの一択だろ。

 その訳はすぐにわかった。俺たちの立っている場所は鏡も含めて魔法陣の中だ。悪魔はこの中から出られないってわけじゃないが、それには時間がかかる。くそっ。キリアめ。変な柄の絨毯だと思っていたが、こんな仕掛とは。悪魔が出現した後に、じいさんは覆いを取り払って罠の全貌をあらわにしたわけだ。

 もちろん、じいさん自身はすでに魔法陣の外だ。

 しかしそれならむしろ好都合、俺は後ろに飛んで悪魔の火炎鞭を避け、魔法陣から出ようとした。

 ドン!

 ん?

 俺の背中は何か堅いものにぶち当った。

 もしや?

 やはりそうだ。魔法陣自体に張られている結界は悪魔封鎖場では無く、強力な空間遮蔽場だ。これでは悪魔どころか人間も出られない。

 キリア!

 俺の無言の叫び。一体何を考えているんだ?

 そんな俺の考えを読んだかのようにキリアの声が届く。

「ドーム。そいつを倒すのじゃ。それまで結界は開けんぞ」


 キ!

 リ!

 ア!


 ぎりりと歯ぎしりの音が頭の内側に響く。俺は怒りと共に誓った。これが終ったら、キリアを殺す。

 俺は怒り狂ったが、どの道、デーモンを倒す以外にここから出る方法が無いことだけは良く理解できた。アーチデーモンも戦う事には異存が無いようだ。

 俺は愛用のオーディンブレードを構えて前に出た。

 よし! この怒り、てめえにぶつける。もちろん八つ当たりだ。

「ティルトウェイト」

 奴は俺をあざ笑うかのように鼻先で呪文を唱え終った。超高熱爆裂攻撃呪文。ティルトウェイト。

 なにい?

 いつの間に。反則だあ!

 俺の鼻先に核融合の前兆である青白い火花が現れ、それはすぐにおなじみの火球へと膨れ上がった。

 まずい。近過ぎる。これでは避ける間もなく俺の頭は吹き飛ぶ。

 ところが、膨れ上がりかけた火球は、穏やかなオレンジ色に退色するとみるみる内に小さくなって消えた。

 キリアの声が得意げに響く。

「魔法吸収場じゃ。呪文の類は使えんぞ」

 キリアが手元に丸いガラスの容器を持っているのを、ちらりと目の隅に捉えた。中で何かが光っている。どうやら、吸い取ったエネルギーを蓄えて置くための物だ。

 キリアも馬鹿じゃない。俺を犠牲にする気は無かったようだ。

 いや、キリアは単に獲物を確実に捕えたかっただけか?

 とにかく、こうなれば、後は腕力が全てを決する。アーチデーモンにもそれは理解できたらしい。大体、この手の悪魔は頭が良い。少なくとも戦士である俺よりは頭が良い。だから人間の言葉も理解できるはず。

 奴の振るう鞭をオーディンブレードは見事に受け止めた。炎により構成されたこの鞭は通常の武器では受けられないのだが、オーディンブレードは別だ。古えの神の力を持ったオーディンブレードは魔剣に属する武器だ。魔法の武器には魔法の剣。十分に対抗できる。

 俺はそのまま刀身を炎の線に沿って滑らせる。炎の鞭が揺らぐとささくれた火の塊へと変じる。削られた炎のかけらが魔法陣の描かれた絨毯の上に散る。うまくいけば絨毯が燃えて魔法陣が破壊されるかとも思ったがそうもいかないようだ。この絨毯、炎に触れても焼け焦げ一つ付かない。キリアは何事にも手を抜くことは無い。この絨毯にも色々な防護場が張ってあるのだろう。

 ずたずたにされた鞭を捨てて、アーチデーモンは掴みかかってきた。恐ろしく素早い。この俺が剣を振るう間が無かった。

 これだからアーチデーモンは嫌いなんだ。実に攻撃の幅が広い。魔法に武器に肉弾戦。なんでもござれだ。

 剣を相手の身体との間に挟むのが精いっぱいだった。そのまま、相手の身体を剣の背で押す。それに逆らうかのように、奴はぐっと、その整った顔を俺の方に押し付けて来た。まったくの無表情だ。汗一つかいていない。

 これが人間の女性ならばキスをしようとしているようにも見えるが、奴が何を狙っているのか、俺には判っていた。

 奴に取ってはすべての結末を一瞬でつけるチャンス。だが、その瞬間は俺にとってもチャンスなのだ。

 まだか、まだか、俺はタイミングを計った。

 今だ!

 アーチデーモンの顔が上にぐっと持ち上がり、顎の下から耳の線までがぐわっと開く。人間の顔に見えるのはアーチデーモンの上あごについた単なる模様。よく見れば、その瞳が動いていないことが判っただろう。アーチデーモンはリザードマンの悪魔。人間の顔の下に、本当の顎が、本当の牙が、そして本当の殺意がある。

 大きく開いた口の中に、白いそして尖った歯並びがあらわれ、俺の肩に噛み付こうと迫って来た。噛まれればすべての体液を吸いつくされて死ぬ。

 俺が狙っていたのはこの瞬間だ。

 身体を右にかわし、投げ出す。剣を持っていた右手は地面に支えに出し、瞬時に剣を左手に持ち替える。剣先は奴の咽元だ。

 俺の頭のすぐ上で、派手な音を立てて巨大な顎が閉まる。特殊な吸血能力を持った地獄の咢。

 剣の先が、その喉に触れた。奴の両耳の横が開き、そこにある本当の目玉がぎょろりと俺を睨む。

 勿論、この姿勢では、咽とは言え、非常に堅い皮膚を持つ奴の身体を貫ける訳がない。奴もそれを知っているから、体勢を崩してまでも避けなかった。

 俺も奴もわかってはいるのだ。この態勢で奴の身体を貫けるわけがないと。

 もし、これが、普通の剣、だったならば。


 オーディンブレードが普通の剣では無いことは確か話したな?


 オーディンブレードは俺が何をやるかをちゃんと知っていて、力を蓄えて待っていた。たとえキリアの魔法吸収場の中でも、剣の中に封入された魔法は殆ど影響を受けない。

 オーディンブレードは自分の意志を持っていて、しかも何時も血に飢えている。だから俺はこの剣が好きなのだ。

 剣はそれ自体の意志に従って動き、奴の咽にやすやすと食い込んだ。魔剣の本領を発揮し、その傷の奥へと自ら滑り込む。

 傷ついた咽から吹き出る悪魔の血は燃える地獄の業火だ。俺の身体にかかった悪魔の血が青い炎をあげて燃え上がる。

 熱いが、そんなことを気にしている暇はない。俺は立ち上がると、声も出ずによろめく奴に、渾身の一撃を食らわせた。



 普通、ダンジョンの中で悪魔を倒すと死体は消えるのが当り前だ。悪魔は死ぬのではなく、自分の世界に帰るだけなのだと言うことを昔どこかで聞いたことがある。

 地上に呼び出されて倒された場合は例外らしい。奴は消えず。おまけに傷はすぐに塞がり始めた。絨毯の上に飛んだ血は燃え上がり、やがて消えた。悔しいことに絨毯にはやはり焼け焦げ一つ付かなかった。俺はあちこち火傷しているのに。

 どうしようかと俺が考える前に、キリアじいさんは魔法陣の中に入って来て、魔法停滞場が組み込んであるロープで手早く縛ってしまった。

 ふむ、これで解決。

 やれやれ。なんとか経験五レベルドレインは免れた。奴に噛まれていたらそうなっただろう。悪魔のキスは、相手の人生の多くを奪い取る。

 まったく、キリアじいさんと来たら、根源の神の問題が絡むと人の迷惑もかえり見ない。これでは、じいさんが手に入れた酒は、この俺が全部飲み尽くさねば割りに合わん。


 すべてが終ったらキリアを酷い目に合わせようと考えていたが、いい運動をしたせいか気が晴れた。本当に俺は単純な人間だなあ、と今さらながらに思う。

 まあ、いいさ。俺は戦士だ。戦うことが命さ。


 俺が仕事の後の一杯をやっている間に、キリアじいさんは魔法陣の力を使ってアーチデーモンとグレムリンに魔法の誓いをかけた。この魔法の下で一旦成立した誓いは破ると恐ろしい結果を引き起こす。両者の解放を条件にじいさんは根源の神について尋ねた。

 その質問に対して、アーチデーモンはこう答えた。人語でだ。

「根源の神については私には何もいえん。それを知っているのは、我らの偉大なる王、根源の悪魔だけだ」

 その返事にじいさんは感銘を受けた様だ。さしものじいさんも、根源の悪魔については一度も考えたことがなかったのだろう。神と悪魔は表裏一体と言っていたのに。

「それは、考えても見なかった。で、その根源の悪魔はどこにいる?」

やっぱり。こうなるのか。

「それを教えたらわしらを解放してくれるな? だが、一つ言っておくぞ。いかなる人間も我らが王に言葉を強いることはできん」

「解放を約束しよう。根源の悪魔への質問方法はわしが自分で考える」

「では、教えよう。そ・・こ・・だ!」

 慌てて振り向いた俺は、鏡の中に巨大な足の爪を見た。


 そうだとも。根源の神の一人があれほど巨大ならば、根源の悪魔もまた巨大な道理だ。

 これも慌てたキリアじいさんと俺の隙を縫って、二匹の悪魔は鏡の中に飛び込んだ!

 誓いは確かに守られている。彼らは魔法の誓約から解放されている。しかも彼らを縛っていたはずの魔法のロープはいつの間にか切断されていた。

 鏡の中の巨大な足、いや、爪がぐっと近付いてくる。

 その邪悪な身体のまわりに強大な地獄のオーラが感じられた。もし、あの足が鏡の通路を抜けたら、それだけで、街は消滅する。

 考える間もなく、俺は剣を構えて、鏡へと飛んだ。

 オーディンブレード! 頼む!

 オーディンブレードの一撃が鏡を割るのと、奴が鏡に到達するのはほぼ同時に見えた。




 意地でも、じいさんの酒蔵は空にする。

 そう決心して酒を飲み続ける俺を冷たい目で見てじいさんは言った。

「もう少しで根源の神の秘密が・・」

「キ、リ、ア」息を搾り出す様に俺は言った。

「あんな、強力な悪魔をどうやって制御するんだ。無理だよ。あのアーチデーモンの言葉は正しい。あのまま世界を滅ぼす気だったのか?」

「だが、悪魔は昔から嘘を言うものじゃぞ」

「いや、あの悪魔の言葉は正しい。人間が根源の悪魔に言うことをきかせるなんてできはしないよ。いいな、じいさん。今度ばかりはあんたのやりすぎだ。今後、根源の悪魔にはもう関わるな。約束してくれ、今、ここで。さもないとじいさん」

 俺は次の言葉を言いよどんだ。どうすればキリアは俺の言葉に込められた覚悟を理解してくれる?

 キリア相手に策をめぐらすだけ無駄だ。俺は率直に一言だけ言った。

「あんたを殺す」

 魔法使いである以上は、一度立てた魔法の誓約を破るわけにはいかない。そんなことをすれば如何なる精霊も今後一切の召喚に応じなくなるだろう。

 俺は油断なくキリアを見張った。もし、じいさんが呪文の類を口にしたりすれば容赦無く切るつもりだ。遠距離なら魔法の勝ち。だが、近距離なら剣の勝ちだ。この距離ならどんなにじいさんが強くても殺すことができる。

 オーディンブレードは先ほど吸った悪魔の血で魔力に満ちている。後は俺の決心が鈍らなければ、何とか今日一番のこの仕事を終わらせることができるだろう。

 じいさんは俺の親父も同然だ。だが、人には決して譲れないものがある。

 キリアじいさんの目がこずるく動き俺を探った。色々な事を考えているのだろう。どうやればこの場をごまかせるのかを。どうやれば、俺を懐柔できるのかを。どうやればいま再び根源の悪魔に近づくことができるのかを。頭の中で、その策を探っているに違いない。

 じいさんは俺の目の中の真摯な光を、引き結んだ口の皺を、そして剣にかけた微動だにしない腕を見て、俺の言葉が本気だと知った。それから目を伏せると、こう言った。

「約束しよう。もうあれには関わらない」

 ふうっと俺の肩から力が抜けた。

 やれやれ。じいさん。本当にあんたは、いつも俺を困らせてくれるぞ。



 ふむ。でもまあ、キリアじいさんのことだ。いつかまた、何か抜け道を考えだすことだろう。でも、今は、ここの酒蔵を空にすることだけを考えよう。

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