幕間劇1 ドームの場合


 あまりにもお腹が空いたので、少年は夜中にこっそりとベッドを抜け出した。

 カーマス孤児院の夜は暗い。厳しい舎監たちは夜間の灯りは極力抑えて予算を浮かすことに専念していたからだ。

 少年に取ってはこれは好都合だ。闇に紛れて厨房へと向かう。狙いはパンだが、ハムの塊でもあればもっと良い。だがハムの類は監視が厳しく、盗んだことがバレれば壮絶なお仕置きが待っている。いや、それを言うならば夜に勝手に忍び歩きしているところを見つかっただけでも、子供たちの間で独房と呼ばれている狭い部屋に数日間は監禁されることになる。

 だがそれが何だと言うんだ。少年は諦めなかった。今は空腹を満たすのが先だ。リスクを抑えて前進するのを止めたら状況は何も好転しない。

 闇の中に紛れるようにして、廊下を進む。舎監たちのいつもの巡回まではまだまだ時間はあるが、ここが第一の難所となるところだ。院長の部屋は分厚い扉で区切られているとは言え、深夜まで起きていることが多い院長がいつ何時、その部屋から顔を覗かせるか判らない。こればかりは運だ。少年は腹を決めた。

 ドアを半分越えたところで、自分の名を呼ぶ声がして少年は心臓が飛び出すほどに驚いた。これから起こることへの想像に無言のままその場に固まったが、すぐに声がドアの向こうからしていて、しかも院長の声だと理解した。

 院長が誰かと電話をしているのだ。少年の名を出しながら。これはもう嫌な予感しかしない。

 扉の横の壁の部分だけ普段から音が通ることを少年は知っていた。そこだけ壁が薄いのだ。そこに耳を当てて、少年は息を凝らした。

 院長は緊張した声で誰かと話をしていた。何度も誰かの名前が出て、その安否を気遣う言葉が入る。他にも「ソシキテキゴウ」や「コウゲンイッチ」、そして自分の名前が出て来るのを聞いた。最後に「ゾウキイショク」と「シンゾウ」という言葉が入ってから声が消えた。

 自分がいまここに居ることを知られることは非常にまずいと知り、少年は足音を忍ばせてベッドに戻った。

 今年で十五歳になる。自分が今なにを聞いたのか、そしてそれが意味することを理解するだけの頭はあった。

 その通り。少年に対して遠まわしな死刑宣告が下されたのだと。


 謎の名前の手がかりは、すぐに判った。昼食の後、一時間だけテレビを点けることは許されていたが、その中に少しだけ映ったニュースでその名前が出ていたからだ。

 世界第七位の個人資産の持ち主が心臓移植の手術待ちのために一週間後に入院する。臓器の提供者はまだ決まっていなかったが、それが誰になるのかは少年にはすぐに判った。

 それを確信に変えたのは、その日から妙に優しくなった舎監たちであった。いつもの理不尽な暴力がぴたりと止んだのだ。


 三日後、少年は監視役の舎監の頭を殴りつけ、孤児院を脱走した。


 何度かのヒッチハイクの相手が拳銃を取り出そうとしたとき、少年はためらわなかった。もしその車の荷台にシャベルが積んでいなければ危ないところであったろう。咄嗟に振るったシャベルは相手の腕に当たり、拳銃を叩き落とすついでにその骨を折った。

 男はしぶしぶとだが、少年の指名手配について話した。自分の首には賞金がかけられている。それもかなり巨額のものが。それは次のようなものであった。


 大金持ちの両親が、その昔誘拐された息子を探しだした。残念なことに少年は孤児院を抜け出していて、途方にくれた両親は息子を見つけ出すのを手伝ってくれる人を探している。だが逃げた少年は狂暴性があり、なぜか両親の下へ戻りたがってはいない。多額の賞金も用意した。誰でもいい。助力を求む。ただし、息子には傷一つつけてはいけない。


 そんな内容であった。テレビや新聞には少年の顔写真が大きく載った。


 もちろん少年も手をこまねいていたわけではない。事の次第を書いた手紙を五つの新聞社に送り、さらに二つのラジオ局に送った。だが、どの新聞社も何も掲載せず、手紙を送ったラジオ局の一つは火事になって大勢が死んだ。

 少年が逃亡生活の間に出会ったほとんどの人は少年を捕えようとしたが、ごく少数は少年を信じ、助けようとした。

 そのすべてが事故で死ぬことになったとき、少年は人目を避け、荒野へと逃げた。ときおりぶつかる人家では顔を見られないようにしてこっそりと食料を拝借した。

 廃屋の中で眠り、そこにも捜索の手が及ぶと、荒野の中に穴を掘ってそこで眠った。

 食料が尽きると、犬のエサを盗んで食べた。

 人間は徹底的に避けた。悪人ならば敵に回るし、善人ならば巻き添えで死ぬ。関わらないことだけが唯一の救いであった。


 それでも希望はあった。

 臓器移植の相手、心臓を欲しがっている相手が死ねば、少年は解放される。弱った相手が病死するのを待つ。それまで逃げ続ければよい。

 容易いとは思っていなかったが、不可能だとも思っていなかった。


 まだその時は。


 半年粘った。少年の賞金額は桁が一つ跳ね上がった。一人の人間が一生遊んで暮らせるどころか、一族郎党まとめて遊び暮らせるほどの額だ。

 心臓を欲しがっている相手は何度かの移植手術を受けたが、少年の追跡が止まないところを見ると、うまくいっていないのだろうと当たりがついた。

 少年の追跡者も増えた。広い荒野の隅々まで、無数の警官、賞金稼ぎ、ハンター、野次馬、一攫千金を目指す一般人で埋め尽くされていた。警察のヘリが何かと理由をつけては空を飛びかい、夜は犬を連れた男たちが後を追う。

 その内の一団。プロの賞金稼ぎたちはひどく執拗であった。銃で武装し、犬の鼻を頼りに、集団となって少年を追跡した。

 奥へ。奥へ。より深い荒野の奥へと少年は逃げた。ときおり見つかる小さな水場で喉をうるおした。食料は手にはいらず、少年は痩せていった。眠るという贅沢も許されなかった。岩場を這い回り、蛇を避け、暑い陽射しにあえぎ、それでも逃げるのを止めなかった。

 罠を仕掛け、男たちの何人かにケガをさせた。犬も何匹か始末した。それでも彼らは追跡を諦めなかった。少年を追跡するために賭けたものが大きすぎて、諦めるという判断ができなくなっていたのだろう。

 最後の避難所に犬の吠え声が迫り、逃げようと飛び出しかけたとき、ライフルで撃たれた。少年の肩から血が噴き出す。腕が半分千切れかけている。

「馬鹿野郎!撃つな!死んだら懸賞金はないんだぞ」

 リーダーと思われる男の一人が叫んだ。

「ぼうず。逃げるな。ケガの手当てをしてやろう。ここには食い物も飲み物もあるぞ」

 男は手を延ばして来た。

「そのままじゃすぐに死ぬぞ。俺は何人も見てきたから知っているんだ。ぼうず。死にたくはないだろう?」

 だがその手を取っても、遅かれ早かれ少年は死ぬ。殺されるのだ。それは救いの手ではなく死への誘いなのだ。


 少年は後ずさり、そして・・・


 暗闇が周囲を包んだ。

「なんだこれは!」男たちが騒いだ。

 暗闇の中で、少年と男たちだけが光っていた。荒野も、男たちが乗って来た車も、そこにあったはずの青空さえも、綺麗さっぱりと周囲から消えていた。さきほどまでの焼け付くような太陽の日差しの代わりに、ただ闇だけがそこにあった。

「ようこそいらっしゃいました」

 ぴっちりとした執事服を着た男が一人、少年の横に立っていた。

 痩せた小男でかなりの歳に見える。それが最初の印象だった。

「あなたは」少年はそこまでしか言えなかった。

 急速に体から力が抜けていく。肩からの出血が止まらない。袖口から滝のように血が落ちる。暖かで、熱くて、命そのものの血。少年が決して手放したくはないもの。

 いや、違う。なぜか血は止まっている。引き裂かれた肩から鼓動に合わせて噴き出していた血が今は出ていない。いや、先ほどまで胸の中で暴れていた心臓の鼓動が感じられない。

 自分は死んでしまい、いまは死の世界にいるのではないか。そう思って少年はぞっとした。

「ここはどこだ!」少年の背後でならず者たちが喚き始めた。

「お静かに願います」

 執事服の男がそう言うと、ピタリとならず者たちの声が止まった。どの男も喉を抑えて暴れている。

 ちらりとそちらへ視線を泳がせてから、執事服の男は言葉を続けた。

「時間がありませんので急ぎ決めていただかねばなりません。

 あなたには二つの選択肢があります。

 あなたの前には挑戦が待ち構えています。前に一歩でればそこは未知の世界です。あなたの傷は再び出血しそのままでは後一分もしないうちに死ぬことになります。しかしそこには微かとは言え希望の光はあります。しかしながら例え生き延びたとしても、そこでの暮らしは常に死と隣り合わせの厳しいものとなります。

 あなたの後ろには運命が迫ってきています。後ろに一歩下がれば元の世界です。彼らはあなたを捕え、その出血を止めるでしょう。しばらくの治療の後、あなたの心臓はかの老人に捧げられることになります。これは避けえぬ運命です。しかしその期間の間はもう苦しむことなく静かな生活が送れるでしょう。

 前に進むか、後ろに下がるか。挑戦と運命。あなたはどちらを選びます?」

 少年はその執事風の男を見つめた。

「お早くご回答を願います。もう時間がありません。挑戦と運命。戦いと平和。どちらがお望みですか?」

 わけも判らぬまま、少年は心を決めた。

「挑戦を。どのようなものでもいい。小さくてもいい。希望があるなら、それをくれ」

 執事服の男は頷いた。

「では前へ。運命に抗うというなら」

 そう言うと暗闇へと手を伸ばし、そこにあるはずもなかった扉を開いた。

 扉から光が溢れ出す。

「良き冒険を」




 ワードナの迷宮の深階層は気が抜けない。ちょっとでも油断すると全滅の危機がまっている。もっとも、このパーティはベテラン揃いだからかなり安心ではあるが。

 そう思うことこそが油断なのだが、ファイサルは深くは気にしない。戦士とはものを考えない生き物だ。

 冒険パーティの先頭を務めるのは盗賊だ。地下迷宮の大抵の場所には罠がある。それもほぼ毎日のように新しい罠が張られるので、罠を見破る能力というものは冒険者のパーティには必須だ。それをやるのは大概が盗賊の仕事で、敵の接近を察知するのも一番早い。

 パーティの盗賊役のホビットが、足を止めると耳を澄ませた。小さな足で床を伝わる振動も感じ取る。この感じは悪い兆候だ。声は出さずに、そっと身振りで情報を後ろにいるメンバーに伝える。

 前方、百歩の距離。曲がり角の向う。人間型の敵。多数。

 ファイサルは静かに剣を抜くと、身構えた。注意深く歩く。鎧を着ていて音を立てずに歩くのは、意外と大変なのだ。特にファイサルのように大きな男は。

 大人数の悪魔の大軍と出くわすのはご勘弁を。ファイサルはそう考えたが、神へ祈ることはしなかった。たとえ心の中でのこととはいえ、悪魔の中には神への祈りを聞きつけるものがいる。そもそもこの俺が神に祈るなんて皮肉もいいところじゃないか。誰にも言えない秘密に包まれてファイサルは苦笑を漏らした。

 背後で魔術師のキリアが意識を研ぎ澄ましているのを感じる。殺気というものとは違う。他人にも感じ取れる集中力とでも言うべきか。このメンバーの中ではキリアの魔法が一番大きな火力を持っている。そしてキリアの横、パーティのやや後方中央に位置するのが僧侶だ。ケガの回復などは僧侶が行うので、一番大事に守られている。

 細かいことは彼らに任せて、とにかく戦士のファイサルは切り込めばいい。この単純さが、ファイサルは好きだった。

 曲がり角が近い。すでにファイサルの耳にも曲がり角の向うで誰かが怒鳴っているのが聞こえている。この怪物がうようよしているワードナの地下迷宮最深部で怒鳴り声を上げるとは、命知らずもいいところだ。

「だからお前に聞いているんだよ。ここはどこだ?」

 曲がり角から盗賊がそっと覗いていることにも気づかずに、髭面の男が叫んでいる。その前に倒れているのは、まだ若い少年だ。肩から血を流している。

 まずいな、と盗賊は思った。血の匂いをこれだけ垂れ流しにしていたら、早晩何かの肉食怪物が襲いに来る。

 見たところ、まともな武装もない連中だ。鎧すらつけていない。だが魔術師かと言えばそうでもない。魔法の触媒となる杖も球の類も持っていないからだ。

 では、ワードナ迷宮の深部で普通の人間たちがいったい何をしている?

 生贄として送り込まれてきた連中なのだろうか?


「流れ物だな」

 盗賊の頭の上で、同じく彼らを覗いていたキリアがささやいた。

「流れ物?」

「どこか他の世界から紛れこんだ物、人、うわさの類じゃよ。ここではよくあることじゃ」

「それよりありゃ何してんだ。子供虐めて遊んでいるのか?」

 キリアの頭の上で同じく覗いていたファイサルがつぶやいた。声に怒りが籠っている。

「いけねえ。ひどいケガじゃねえか。ありゃほっとくと死んじまうぞ」

 他のパーティが止める間もなくファイサルが飛び出した。

「おい、何してる、大の大人がよってたかって」

 そこまでしか言えなかった。ファイサルの出現に驚いた男たちが、拳銃を撃ったからだ。

「なんだこりゃ」

 顔の前で盾の呪文に捕まって止まった弾丸を、ファイサルは面白そうに眺めた。

「魔法の礫みたいだな。

 おいおい、まさかお前ら、駆け出しの魔法使いか?

 ここどこだか判っているのか?

 ワードナ迷宮のそれも地下深くだぜ」

 半狂乱になった男たちが続けざまにありったけの銃を発射しだした。発射音が轟く。

「馬鹿野郎。でかい音を立てるな。寄って来るぞ。悪魔やドラゴンが」

 ファイサルにかかっている魔法の盾を撃ち抜けなかった弾丸が周囲の床の上に力なく散らばる。

「ほい」ファイサルは軽く気合をかけると、両手で抱えた大剣を振った。

 剣風が去った後にはもはや誰も立ってはいなかった。剣の平で叩かれて、あえなく吹き飛び、ことごとく壁に激突して気絶している。

「なんだ弱いやつらだな。さてと」

 ファイサルは少年の方に屈んだ。

「まだ生きてるな? おれがいいと言うまでは死ぬなよ」

 ファイサルの後ろから現れた僧侶が何かを呟く。それと共にあっと言う間に肩の傷がふさがるを見て、少年が目を丸くする。千切れかけていた腕が復元し、痛みが消え、飛び散った血が体へと戻る。

「今のは何?」

 傷が癒えた腕を振り回しながら、驚きを含んだ声で尋ねる。

「治療魔法」僧侶はそれだけ答えた。

「急いだ方がいい。いまの音聞いて、いろいろ近づいて来る」

 小柄な盗賊が断言した。

「すごい数」

「やばいな。じいさん」とファイサル。

「わかった。今回の冒険は中断じゃな。マーラーで逃げよう。」

 キリアがマーラーテレポートの準備を始めた。

「で、ぼうず。お前の名前は?」

 ファイサルの手が伸びた。少年の頭を掴むとその髪を乱暴にくしゃくしゃにした。少年は何だかそれがとても気持ちが良いと感じた。分厚く鍛えられた手のひら。長年剣を握り続けてタコだらけだ。

「なまえ」

 考えた。思い出せない。

「流れ物は記憶を失うことが多い」キリアが口をはさんだ。「思い出すまで何か適当な名前をつけてやれ」

「そうさな」ファイサルの目が細くなった。

「トール・・ドゥル・・そうだ、ドームってのはどうだ?」

「ドーム?」少年が聞き返した。

「ドームだ。呼び名は短かい方がいい」ファイサルが断言した。

「運命か。それはちと重い名前だな」キリアが感想を述べた。

「多少重い名前の方が男にはふさわしいってもんさ」とファイサル。

 またドームの髪をくしゃくしゃにする。

「俺のことはファイと呼べ。見ての通りの戦士だ」

 ファイサルの顔に笑顔が浮かんだ。この無骨な男のどこにこれほどの笑顔が潜んでいたのかと感じさせる。太陽のように暖かい笑顔だ。

「よろしくな。ドーム。ん? 何を笑っている?」

「誰かに言われたんだ。運命に抗うのかって。結局、待ち構えていたのは運命なのかって。それがおかしくて」「それは違うぞ。ドームって名は運命に従うって意味じゃないぞ。ぼうず。お前自身が運命を作るって意味だ」

「急いだほうがいい。もうヤバイ」少しばかり緊張の籠った声で盗賊が割って入った。

「こいつらはどうする?」ファイサルが倒れている男たちを顎で示した。

「何者かは知らんがここに置いていくしかないな。これだけの人数だと、テレポートの範囲に入りきれん」とキリア。すでに周囲に青色をしたマーラーテレポートフィールドが発生している。

「まあ、しかたないか」ファイサルは肩をすくめた。

 青く光るテレポート場と共に一行が消えると、再びダンジョンに静寂が戻った。だがすぐにそれは破られる。悪魔たちが、ドラゴンたちが、石化獣たちが、腹を空かせて怒り狂って近づいて来る。

 もう、すぐ、そこまで。

 転がっている男たちの一人が目を覚ますと、己に近づく運命を悟って悲鳴を上げた。




 冒険の後にギルガメッシュ酒場でやる一杯は格別だ。ドームとシオンは満足げに椅子に深く腰を下ろした。キリアが斜め向かいに座り、同じくエールのジョッキを手に取った。

「まったくお前たちと来たら、今日も飲むのか」キリアが溜息をついた。

「何を言うキリア。今日は記念日だぞ」とドーム。「飲まなくてどうする」

「記念日じゃと? いったい何のじゃ」

「お師匠様の命日だ」ドームは沈んだ声で言った。

 ああ、とキリアがつぶやく。

「お前のお師匠様って、確かファイサルって人か」

 尋ねたのはシオンだ。ごつい体を窮屈に縮めて、椅子に座っている。

「俺の剣と酒のお師匠さまだ」

 たとえ死んでも蘇生するこの世界では、死とは復活の儀式に失敗して灰になったことを意味する。あるいは地下迷宮の奥深くで死に、誰も死体を回収できなかったことを。もちろんこの場合は前者だ。

 失われたものは決して戻ってはこない。

「じゃあ飲むしかないな」シオンが言った。

「飲むしかないだろ」ドームが言った。

「しかたあるまい」しぶしぶとキリアも賛成した。

 三人の意見が一致した。

「酒だ。酒。給仕、ここにエールをジョッキで三杯持って来い!」

 シオンが怒鳴る。ギルガメッシュ酒場は上品な酒場ではない。怒鳴らないと注文は届かない。

「四杯だ!」ドームも怒鳴った。それから付け加えた。「お師匠様の分だ」

 ジョッキがテーブルに置かれると、ドームは両手にそれぞれジョッキを持った。

「ファイサルに! そしてファイサルの思い出に!」ドームが叫ぶ。

「ファイサルに! 乾杯!」

 ジョッキが叩きつけられる。まだ空中にエールの泡が飛び散っている間に、シオンがぐいと飲んだ。

 キリアも飲んだ。

 ドームも飲もうとして気がついた。右手のジョッキがすでに空になっている。誰も飲んでいないはずなのに。慌てて左手のジョッキに口をつけようとすると、そちらも空になっていた。

 大きな、ごつくて暖かい手がドームの頭の上に置かれると、派手に髪をくしゃくしゃにしたと思ったら。次の瞬間そこには何も無くなっていた。

 自分のジョッキを飲みほしたシオンがドームの手の中の空のジョッキに気が付く。

「なんだもう二杯とも飲んだのか。ドーム。本当にお前は酒に関しては手が早い」

「お師匠さま」ドームはそっとつぶやいた。涙が一滴、目から零れ落ちてジョッキへと入った。酒の代わりにそれをドームはぐいっと飲んで見せた。


 剣の腕は師匠に追いついたと思う。だけど酒の腕は、まだまだお師匠様の足下にも及ばないな。ドームはそう思った。

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