2-8

 包帯からはみ出した白い髪を、静かに撫でる。


 ネイは本当に、銀鉄の国の人だったんだ。まだ昼なのに薄暗い、小さく厚ぼったい部屋の粗末なベッドに横たわる親友の、身動き一つしない小さな影に、ラッセは首を横に振った。確かに、ネイの肌は、銀鉄の国に暮らす人々の特徴だとラッセが聞かされた通りの血の気が無い色をしている。そして、不自然だと思っていたネイの黒髪は、染料で染めていた。こめかみの傷を治療する際に髪を洗い、染料が取れてしまった色の無い髪を、ラッセはもう一度、傷に障らないようにそっと、撫でた。しかしながら。身動きしないネイの、閉じたままの瞳を、首を傾げながら見やる。ネイの瞳の色は、銀鉄の国の人々とは違う。いや、皇国にも、ネイのような深淵よりも深い黒色の瞳を持っている人はいない。ネイは、何者なのだろう? これまでに何度も浮かんできた疑問を、ラッセは眠ったままのネイに無言でぶつけた。もちろん、眠っているネイからは何の返事も返ってこない。薄い掛け布の上に投げ出された細い腕に巻かれた包帯の生成色に少しだけ口の端を上げ、ラッセは開けっ放しの扉から入ってくる光を確かめた。腕と、身体のあちこちに刺さっていた矢の傷は、殆ど癒えている。後は、こめかみの傷だけ。もうそろそろ、こめかみの傷に当てている、薬の染み込んだ布を取り替える頃合いだろう。立ち上がって見えた、ネイが眠るベッドの奥に置かれた腰棚の上に無造作に置かれた浅い木箱とそこから垂れた赤色に、ラッセは小さく息を吐いた。


 ラッセがネイと共にいるのは、教王の都の中心部、唯一神を奉ずる聖堂をまとめる教王庁の片隅にある、教王直属の施療院。奇跡と、現実的な治癒を求め、各地から難しい病気や怪我をかかえる人々が集まるというその場所の、主に聖堂騎士団所属の騎士達が療養に使うという小部屋で、ネイは治療を受けていた。施療院所属の修道士達が気遣ってくれてはいるが、彼らは、各地からやってくる病人や怪我人達の世話で忙しくしている。ラッセにできることは、ラッセがしなくては。腰棚の上の小さな薬瓶を手にし、その横に置かれた衣装箱の中の緋色に、ラッセは小さく息を吐いた。この衣装は、つい昨日、教王猊下が直々に持ってきたもの。聖堂騎士団の一員に――ネイもラッセもまだ年齢が足りないので、見習い騎士として――任命するという、戸惑いしか覚えない言葉と共に。


 あの宮殿にいるより、ここで騎士になった方が、良いかもしれない。ラッセに、聖堂騎士の証である、七芒星が刻まれた円い留め金を手ずから渡してくれた教王猊下の柔和な笑顔を思い出し、口の端を上げる。だが、ネイは? 衣装箱の中の、二人分の緋色に、ラッセは小さく首を横に振った。ネイは、銀鉄の国の人。教王猊下に、どちらかと言えば怒りの感情を持っているであろう、人。だからネイは、この緋色のマントをまとうことを拒否するだろう。そうなったら、ラッセはどうする? 怪我が深すぎるのか、時々虚ろに目を開いてそして閉じるだけのネイを見下ろし、ラッセはもう一度、首を横に振った。ネイがきちんと目を覚ましてから、考えよう。

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