1-8

 再びの、馬車の揺れに、気怠く目覚める。


 熱は、だいぶん引いている。腹の辺りが熱いのは、イーアがずっとその辺りに陣取っているから。そのイーアが持つ銀色の留め金の、裏側に傷が無いことを確認してから、ラッセは自分の懐に戻っていた小さな塊をそっと、握った。


 ラッセの留め金は、父が何故か大切にしていたもの。自分の留め金を確かめ、そしてイーアが持つ留め金を見やり、首を傾げる。では、ネイが持つ、留め金は? イーアの父が持っていたのと同じ理由、『戦利品』では無いだろう。今日もはしゃいでいるギードの横で馬車を操るネイの、不自然な黒色の髪を、ラッセは見るともなしに見つめた。ネイの髪は、おそらく染めたもの。銀鉄の国に暮らす人々の特長である薄い髪色を、隠すためのもの。銀鉄の国の人々のもう一つの特徴である、幽鬼のような血の気が無い肌をも持っているから、ネイは、魔女の、いや銀鉄の国の、人。騎士の証である留め金も持っているから、おそらく武人、いや騎士見習い、なのだろう。……今でも、皇国に征服された銀鉄の国に『騎士』がいるとすれば、だが。ラッセと同い年くらいなのに、ネイは独りで、旅をしている。子供をさらう悪者から、子供を助け、本来の保護者の許へと送り届けながら。何故、そんなことを? 疑問が、ラッセの頭をぐるぐると回っていた。


 魔女の、いや銀鉄の国にも、疑問が多すぎる。あの冷え冷えとした『宮殿』という空間で習い覚えた知識と、断片的な父の言葉が、同時に脳裏を過ぎる。銀鉄の国は、人々を害する神を祭る者達の国、唯一神を拒否した国。だから、人々を守る唯一神を奉じる教王と、ラッセの祖父である皇王が成敗した。それが、あの宮殿で覚えたこと。しかし、父は。


「皇王と教王が押しつけた唯一神を拒否したから、銀鉄の国は滅ぼされた」


 父が大切にしていた銀鉄の国の留め金を見つけ、父を詰問したラッセに答えた父の、苦々しげな表情を思いだし、ラッセは涙をどうにか堪えた。父は何故、歴史と神学を、ラッセに教えてくれなかったのだろうか? その疑問も、ラッセの頭でぐるぐると回り始めた。


 その時。


 突然の大きな揺れに、無意識に、腹の辺りにいるイーアを庇う。


「ネイっ!」


 御者席のギードの叫びと、次々と幌に突き刺さる矢の音に、ラッセは一瞬で上半身を起こし、何が起こったのか分からない顔のザインをイーアと共に抱き締めて馬車の床に突っ伏した。


「中にいる奴、出てこい!」


 数瞬で静まった馬車の中が、急に明るくなる。顔を上げると、後ろの幌を切り破いたらしい布が絡む斧を持った髭面の後ろに、がたがたと震える子供に短刀を突きつけた髭面が見えた。御者席の方からは、小さく叫ぶギードの声しか聞こえてこない。ザインとイーア、怯える二人を両腕に抱きかかえるようにして、ラッセは殊更ゆっくりと、馬車を降りた。


「これは驚きだぜ」


 濃い血の匂いと、御者席の方から聞こえてきた濁声に、ゆっくりと、御者席の方をみる。おそらく道の間に張られた縄の罠にやられたのだろう、首を失い頽れた驢馬の血が、地面と馬車を濡らしているのが見えた。手足をばたつかせるギードを抱きかかえて庇うネイの肩に突き刺さった、太い矢も。


「仲間を作っていたとはな」


 そのネイとギードに構えた弓矢を突きつけた汚い鎧の男が、馬車の横に立つラッセを小馬鹿にしたような瞳で見やる。その男の油断を見て取ったかのように、ネイの腕を振り払ったギードが腰の短刀を抜き、男に向かって飛びかかった。


「なっ!」


 子供の不意の攻撃に、ラッセの背中にいた髭面二人の視線も頭らしい汚い鎧の男の方へ向く。それを背中で感じ取ると、ラッセは両腕から離したイーアとザインを馬車の下へ足で押し込み、同時に子供に刃を向けていた方の髭面に横からの拳を放った。


「うぐっ!」


 緩んだ髭面の腕から飛び降りた子供も、ザインやイーアと同様に足だけで馬車の下に隠す。右から現れた斧を避け、命中させる物を失い髭面の腕から飛び出しそうになったその斧を髭面の拳を叩いて分捕ると、ラッセは慣性のままに、髭面二人にその鈍い刃を振り下ろした。


「ネイっ!」


 髭面達が動かなくなったことを確かめてから、再び、御者席の方を確かめる。ネイが持つ、血に塗れた銀の刃と、その刃ごとネイが抱き上げたギードの、鮮血に塗れた姿に、ラッセは立ち竦んだ。


「ギード! しっかりしろっ!」


 おそらくネイの前で喉を切り裂かれて倒れているならず者から受けたのであろう、ギードの腹から零れ落ちる血を、ネイは自分の上着をギードに巻き付けることで止めようと試みる。だが、ギードの傷が深すぎることが分かると、ネイは唇を噛み締め、そしてベルトのポーチから、ラッセに飲ませたのと同じ小さな薬瓶を取り出した。


「一粒だけなら、痛みと熱を鎮める。でも、三粒以上、は」


 それだけ言ったネイが、ただ静かに、小さな粒を、色を失ったギードの唇に乗せる。


 ギードの呻きが絶えるまで、ラッセはただただ呆然と、ギードを抱き締めるネイを見つめていた。

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