3 実母はいつの間にか消えていた

 祖父母に会えなくなったのは多少残念だったが、あの従姉達に会わなくていいのはありがたかった。

 それからというもの、俺はオコンネル子爵家の跡取りとして相応しい教育を自宅でひたすら受けることに時間を費やす様になった。

 無論その間、養母のアクセサリとしてのお供も欠かせなかった。

 だが一度この女が自分をどう扱っているのか、ということが判ったら、できる対応は一つだった。

 少なくともこの家で暮らしていくには、良い子をやっていなくてはならない。

 逆に、良い子をやっていれば、この家の中でのある程度の自由は保証される。

 そういう意味のことをだいたい七つになる頃には理解していた。

 この家で「してはいけないこと」も。


 その最たるものが、実母に関することだ。


 俺は実の両親が俺を育てられなくなったから可哀想に思った養母が夫を説き伏せて引き取ってやった、ということにされていた。

 少なくとも彼女が友達に自慢する話の中ではそうなっていた。

 だが俺はそれを信じていなかった。

 確かに実の父――父さん、と俺は呼んでいた――は、俺の記憶にある限りでは手放す頃にはずいぶんと辛そうな顔をしていたが、それ以前は俺に優しかったのだ。

 それに育てられないと言っても、父は元々祖父母のサンバス男爵家の跡取りだったのだ。

 祖父母の様に領地に引っ込んでいるのではなく、帝都に家を置いて社交や職務に手をかけていた。

 父は医師だった。

 それだけで食べて行く方ではなく、

 子爵家ほどではないにせよ、充分に裕福な家なのだ。

 実母の姿はいつの間にか見えなくなった。

 だが記憶の中にぼんやりとある彼女の姿は、ほっそりとした穏やかな笑みが印章的だった。

 儚げ、と言ってもいいだろう。

 だがそれがいつの間にか屋敷の中から姿を消していた。

 いや、屋敷の奥に居たのかもしれない。

 ともかく俺の目に触れない場所に実母は移っていたのだろう。

 父はその母のところに通っていたのか、俺の前に姿を見せなくなった。

 そんな日々が長く続いたある日、屋敷の中が酷く重苦しい雰囲気になった日があった。

 使用人達がもの凄く気を遣って俺に接していた。

 だが何が起きたのかについてはともかく言葉を濁した。

 父は戻って来なかった。

 そして更に少し経った時、伯母夫婦がやってきて、俺を家に引き取ると言い出したのだ。

 そこには酷く憔悴した父も居た。

 それまで見たことの無いほどげっそりとして、髭も伸ばしっぱなし、目もどんよりと赤みを帯びていた。

 父は別れ際、俺の前に跪いてこう泣いた。


「育ててやれなくて済まない」


と。


 俺を引き取る理由に関して、伯母はあっさりこう言った。


「貴方のお母様が亡くなったので、引き取ることにしました」


 俺はその時初めて母の死を知った。

 あの穏やかな女性はもう居ないのか、と何処か実感が湧かなかった。


「だからお前ははこれからオコンネル子爵家の跡取りとして、私達を父上母上と呼ぶんだぞ」


 伯父もそう言った。

 前にも言ったが、俺は両親を父さんとかパパ、母さんとかママとか、そういう言葉で呼んでいた。

 それとは違う固い響きに、ああ何か世界が変わってしまうのだな、と俺は思った。

 そしてさらりとこう言った。


「言うことを聞かないと、お前の母親の様に死ぬことになるだろうな」


と。

 子供の記憶力を舐めるな、と後で俺は思ったものだ。

 その時の声音にぞく、とした俺は、ひたすら今から行く家ではじっとしていよう、と思った。

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