ぐうたら姫の後宮生活 番外編

橘 葵

第1話 大納言家

 私の母は父と離婚後、私を連れて実家に戻っていた。

 兄が家を継いだが出世のために自らの妹である私の母を上司に差し出したのだ。


 父は下級貴族だったが出世のために大物貴族たちの悪事を一手に引き受けていた。その見返りに有力貴族の姫を妻に迎える話がでたが既に妻と子がいると分かると話は立ち消えなった。妻子がいることが邪魔になった父は母を追い出すように離婚した。

 しかし、実家の兄は母が出戻ってきたことで自分の地位が脅かされるのではないかと心配して一切表に出さない生活をさせた。


 そのころの母は私を抱きしめてよく泣いていた。


「ごめんね。ごめんね」


 母は何度も私に謝る。母を苦しめる者すべてを許すまいと思いながらも幼い自分に出来ることなどなくただ母の腕の中で守られていた。


 幼子を抱えては生活も出来るはずもなく兄や兄嫁のいびりに耐えながら細々と暮らしていた母にまたしても兄は伝手を使い左大臣家へ侍女として差し出した。

 数枚の着物と私を連れて訪れた母を見て左大臣の北の方は子供がいるとは聞かされていなかったようで驚いたらしい。

 後から聞いたことだが母の兄に高額な謝礼金が支払われていたようだった。


 丁度、後宮に入っていた一の姫が子供を産んで少し経った頃で人手が欲しかった左大臣は母を乳母として後宮に入れることにした。


 既に乳母は一人いたが体調を崩しがちだったので私の母が後任として入ることになったが母が後宮に入る前日、その乳母はなくなった。


 毒殺だった。


 事態を重く見た左大臣と一の姫はこれ以上乳母を置くことは止め、またしても行き場を失った母は屋敷を出なければいけなかったが、その話を聞いた左大臣家の下の姫が母親と子供を欲しいと言ってきたため母と私は急遽別の屋敷に行くことになった。


 左大臣の北の方から伝えられ、お詫びにと身の回りのものを持たせてくれ送り出してくれた。そして母は私が四歳になる直前、大納言家の門をたたいた。




〇〇〇


「もうすぐ子供が生まれるの、その子の遊び相手になってほしいわ」


 温かい空気に包まれるような笑顔が印象的な北の方、由比様との初めての対面だった。そして幼いながらも自分に仕事が与えられたのだと理解した。


 母と私には部屋が与えられ、母は由比様の手伝いをすることになった。

 北の方の子供が生まれて初めて目にしたときは、私が守らなければと幼心にも感じた。


「あやひめさま」


 私の顔を見ると嬉しそうに手を伸ばす。その手に自分の手を近づけるとぎゅっと握ってくれるのが嬉しかった。


 乳母は別にいて赤子は一日中寝てばかりいる。自分が出来ることは傍にいて泣き出したら乳母を呼んでくることくらいだ。それでもお礼として飴やお菓子がもらえた。それも嬉しくていつも綾姫様の傍にいた。


 由比様は私に読み書きが出来るようにと勉強する環境も整えてくれ、先輩侍女について礼儀作法も教わった。


 母はというと由比様の仕事の香作りの手伝いをしていた。

 時々、由比様のお使いで出かけることがあったが、そんな時はお土産を買ってきてくれた。

 ささやかながらも幸せな毎日が続いた。


 私が九歳になった年、母は病に倒れた。

 由比様は母の為に高価な薬も用意してくれたが母はあっけなく亡くなってしまう。


 母が亡くなった夜、私は屋敷の一番端の釣殿で膝を抱えて泣いていた。

 母がいるからこそ自分もこの屋敷に住まわせてもらっていると感じていた。その母が亡くなれば自分はここを出ていかなくてはいけない。

 母の実家はあまりいい印象がないがそこしか身寄りはなかった。

 雲に覆われた朧月夜を眺めながらも自分のこれからを必死に考えた。


「こんなところにいた。香奈だろ?」


 童姿の男児が立っていた。

 涙を袖でゴシゴシ拭いて立ち上がる。


「香奈です」

「探しただろ。勝手に出歩くなよ」

「坊ちゃま、そのように言わなくても……」


 童姿の男児の後ろの侍従がいた。

 どこかに連れていかれるのか。それとも追い出されるのか。ぎゅっと唇を噛んだ。涙が溢れそうになる、耐えろと自分に言い聞かせる。

 次の瞬間、侍従に抱えらえていた。


「ついて来い」


 童姿の男児が歩き出す。その後ろを侍従に抱えられたまま続く。

 北の方が住まう対屋に連れてこられた。


「母上。連れてまいりました」


 室内に入ると由比様に抱かれた綾姫様がいた。

 侍従に降ろされたがどうしていいのか分からない。これから何を言われても受け入れるしかない。

 床を見ていると涙が床にぽたぽたと落ちた。それを見ていると更に涙が溢れてきて小さな水たまりを作った。その水たまりを眺めている人物が香奈のほかに二人いた。

 綾姫と先ほどの童姿の男児だ。背格からご子息の良智様だ。


「涎か?」

「かな、よだれがでている!」


 良智様が声を上げると両手を叩いて楽しそうに綾姫様が一緒に声を上げた。


「涎ではありません!」


 香奈は慌てて袖で涙を拭くと、綾姫様が袖を引っ張ってきた。


「座れって言っている」


 良智様から言われ座ると目の前にお膳が置かれた。


「お腹が空くと変なことを考えるだろ。食べろ!」


 良智様はそういうと大きな饅頭を半分にして私に渡して、残りの半分をさらに半分にして綾姫様に渡していた。

 綾姫様が美味しそうにほおばっているのを見て自分も一口食べた。


「美味しいです」

「よかった。もっと食べろ」


 お膳からもう一つ饅頭を取って渡してくれた。

 母が亡くなってからほとんど食べていなかったから饅頭を三個も平らげてしまった。綾姫様はいつの間にか香奈の傍で饅頭を握りしめて眠っていた。


「母上。綾には香奈が必要です」


 良智様が由比様に言っているのを聞いて急に現実に引き戻された。

 由比様の反応が気になるが顔を見るのが怖い。


「貴方はそう思うのね」

「はい。母上もそう思われているのではないのですか」

「そうね。綾は香奈の顔を見ているとご機嫌なのよ。香奈はどうかしら?」


 そっと顔を上げてみる。

 そこには初めてここに来た時と同じ笑顔があった。


「ここにいてもいいのですか?」

「綾の遊び相手でしょう。どこに行くつもりだったの」

「ありがとうございます」


 涙が溢れて止まらなかった。そんな私を見て良智様は饅頭をもう一つ手に握らせた。


「涎が出ているぞ。もっと食べろ」

「涎ではありません」



〇〇〇


「姫様。そのようなところで寝ないでください」


 少し大きくなった綾姫様を引きずるように部屋の奥へと押し込んだ。

 近くにいた侍女が気づいて慌てて寝所の準備をしてくれ綾姫を寝かせることが出来た。


「香奈も寝なよ。誰も怒らないよ」

「私はお部屋の外で控えています」


 寝所を用意してくれた侍女からも少し休んだらと言われたが、侍女として弁えなければいけない。姫様が眠ったのを確認して部屋の外に出た。

 昼下がりの渡殿で睡魔と戦う。瞼が重く少しでも気を許せば閉じてしまいそうになる。


「眠たかったら昼寝でもすればいいのに」

「良智様」


 数年前に、元服をして宮中に参内するようになると一段と輝きを増した。

 薄緑色の直衣を着て優しく微笑む姿は宮中でも人気を博していると噂が香奈の耳にも届くくらいだ。


「綾は寝ているだろ」

「北の方様からの指示で剣術も訓練に入りましたので疲れて寝てしまいました」

「その剣術は香奈もやっているのだろ。寝ていても誰も文句は言わないよ」

「ですが、私は侍女ですから、姫様に何かあってはいけません」

「僕がここで番をしているから寝なよ」


 良智様から言われて柱にもたれ掛かるとすぐに眠ってしまった。時々こうして香奈の事を気遣ってくれる。


「……そちらの方面で調べるように」


 目が覚めるといつの間にか良智様の膝枕で眠っていて、顔の上に良智様の着物がかけられていて香奈を隠してくれていた。

 良智様が庭先にいる人物と話をしていたので寝たふりした。

 足音が遠ざかる。


「もう、起きても大丈夫だよ」

「すみません」


 膝枕にしていたのを謝った。


「これくらいいいよ。香奈にはいろいろ協力してもらっているからね」


 何度か良智様から言われて文の受け渡しをしていた。

 秘密裏に動いていることがあると言っていたが、詳しく聞くことはしなかった。きっと何か事情があるのだろう。


「本当はとても優秀なのにそれを隠して、もったいないです」

「そうだね。でも、これも処世術だよ」

「北の方様の教えですか?」


 由比様の考えには少し難しいところがある。

 一般的に貴族の姫は部屋の奥深くに籠って箏や歌を嗜む。一日中部屋から出ないこともあるのだが、綾姫様は由比様の教育方針で早朝から武術や屋敷の管理に必要な知識を学ぶための勉強をしている。その為、午後になると疲れて寝てしまうのだ。事情を知らない者たちは綾姫様のことを悪く言うものもいるが、そんなことはない。母上様である由比様の教えをしっかりと学んでいる。


「綾も香奈も同じだろ。すべてはこれから起こるかもしれない出来事に対処するためだよ」

「良智様はいつか本当のお姿をお見せになるのですか?」

「動くのを待っている人がいる。その方の立場が明確になったら僕もこんなことは止めるよ」

「私はこれからどうすればいいでしょうか」


 良智様がこれから起こるかもしれないと言うのは本当にあるのだと思えた。それなら由比様のように予め準備をしておく必要がある。

 私のとってあの日、屋敷の片隅で隠れるように泣いていたのを見つけてくれてここに残れるように言ってくれた。あれ以来、良智様の言葉は自分にとって絶対になった。もちろん、主人である綾姫様の言葉も大切だが。


「香奈は母上の教えをしっかり綾と学んでおいてほしい。そうすればきっとうまくいく」

「毎日の訓練は役に立つ?」

「いずれ分かるよ」


 何が何だが分からないが良智様が言うのなら安心だ。

 なにせ、綾姫様にまで偽りの姿を見せ続けられるくらいに徹底している。

 偶然知ってしまった良智様の本当の姿は私には不思議と腑に落ちたので特に誰かに話こともなかった。その為、良智様は誰もいないときは本当の姿を見せてくれる。


「そういえば、香奈と話が合いそうな公達を見つけたよ。今度、紹介するよ。二人はきっと気が合うと思うんだ」

「良智様、私は侍女ですよ。公達とお話なんて……」

「香奈も元は貴族だったよね。それにずっと、綾の傍に居なければいけないなんて考えなくていいよ。それとも誰か他に想う人がいる?」

「いません。毎日、綾姫様と一緒に修練をしていてクタクタで、どこに出会いがあるのですか」


 突然、恋の話になりアタフタするが、こういう話が出来る相手はなかなかいないので楽しくもあった。

 良智様が立ち上がった。そろそろ偽りの姿に戻るのだ。少し寂しい気もするが私だけが知っている姿を目に焼き付けた。


「そういえば、今度祭りに行くんだよね。いつ行くの?」

「初日は人出が多いと聞きましたので二日目に行くつもりです」

「気を付けてね」

「はい」

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