第12話 校舎裏にて

 校舎裏をふたりで歩いていると、グラスにはぶつくさ言われた。

 なぜそんなに下から、上目遣いで人の顔をやたら覗きこもうとする?


「せっかく素材はいいのに、いつも顔色悪いですよね」

「……そう?

 まぁ、耳に痛い話なんだけど。

 幼馴染がいたんだよ、この前、身ごもった」

「え」

「端的には、貴族の妾になったわけ。

 あの子は自分より先に大人へなっていくのに、俺ができることはこんなにもちっぽけで。

 それを院の子どもたちに、見透かされてしまうのが、たぶん怖い。

 軽蔑されたくない」

「誰もそんな風に想ったりなんか」

「わかってる。ただ……みっともない真似は、できないから。

 そう覚悟するしかないよなって。

 ちょっと――遅すぎたけど」

「好きだったんですか、その、女の子」

「……、異性として見ていたわけじゃないけど、やっぱり誰かの成長や変化を見送る側って、少なからず、寂しいってか、戸惑うことはあったんだと思う。

 ただ、そうなると同じ年で、なにも背負わずにいる自分が、やるせなくなる。

 進学だって、ゲタはかせてもらって、もう色々と背伸び尽くしなんだけどさ。

 院の存続のためには、金だけじゃない、身寄りのない人間の子どもでも、社会に居場所は残っている……生きてて許される、誰かに愛される権利があるんだって、役人や大人たちに認めさせなきゃいけない。

 あの子たちには孤独より、誰かと生きていく幸せを、勝ち取ってほしいよ。

 そのためにはまず――俺の手で、俺自身が有用なんだって、この場所で示さなきゃならない」

「息苦しくないんですか、そういうの」

「苦しい、なんで?」

「院の子たちのためって、あなたは自分をすり減らして。

 自分の人生とか、どうなってるんです?」

「社会には、支配者としての吸血鬼か、その下につく人間かしかいないよ。

 奴らは平然と人を見下すけど、それは自身らが社会において優秀だから認められている、尊大なまでの自負の裏返しだ。

 吸血鬼の社会に必要なことであれば、それを果たすだけの矜持がある。

 じゃあ薄汚い人間の大人は、寿命の短いわ身体の燃費も悪いくせ、自身の権利を声高に叫ぶことばっかりは一丁前だよ。そういう小狡い連中の積み重ねが、他人からどう見られたものか。そうやって、自分らの子どもの将来まで圧迫するんだ。

 吸血鬼にもまれに孤児はいるけど、それは人間と引き離された、中層以上の養護施設で育てられている。

 吸血鬼と人間と、性能はあからさまなまでに、吸血鬼が上だ。

 きみみたいな名高い工房や商家の継承者ならまだしも、この街で人間に血袋以上の価値なんてない。あいつらにはな――それでも、それでも俺は……あの子たちには、俺やクレオのような負担や苦労をさせたくないよ。

 子どもたちがただそこに育っていく、それだけのことを、大人が押さえつけるようなことは、あっちゃいけない」

「それは、答えになってないです」

「なに?」


 マキビは立ち止まり、斜め後ろを歩いていた彼女へ振り返る。


「あなたが壊れるのが、その子たちには一番迷惑なんじゃないですか。

 だったら――だったら、あなたは、自分が本当は何をしたいのか、考えなきゃ」

「――、できることは、全部やってる」

「吸血鬼じゃないことは、それだけで劣ってることじゃないはずです。

 だったら今ここにいる私や、なんならアイドニちゃんはどうなんです」

「!」

「そういう、ことですよ」

「……、すごいな。まったくその通りだ」


 胸を張って、自身がここにいることを恥じない強さ。

 人間が人間のままにして、吸血鬼と同じ学び舎にいることは、制度として認められている。なにも、マキビがやらなくたって、ほかの人間は、今日も吸血鬼と机を並べることを、真剣だ。――たとえ身体的にはいくら劣っていても、学園のできてから、480年近くどの年度においても、吸血鬼よりよほど熱心に勉学へ喰らいついてきた。

 その営みが示している。


「大体血袋って何です。

 そもそも――ソーマを供給する人間のいなくて、吸血鬼の社会は成り立ちません。

 私ら人間が恥じることなんて、なにもないでしょう?」

「あぁ……、そうだったな。

 君の言う通りだよ。ごめん、ちょっと後ろ向きが過ぎた」

「いいえ。こっちこそ、出過ぎたこと言って。

 お節介、でしたよね」


 マキビは首を横に振る。顔の傷痕はそのままだったが、もう深刻な顔はしていない。

 ずっと――この学び舎で、自分は一人で頑張っているつもりでいた。

 滑稽な勘違いだ。ここには彼女の言うよう、彼女自身やアイドニ、ほかにも学を志す人間たちが集まっている。そのことから俺は、目を逸らしてしまっていた。

 一刻も早く……時に外法を用いても、それが院の子どもらに還元されればいい、そう考えていたけど、苦労しているのは自分だけじゃない。

 それだけのことを、今さらになって、また気づかされる。


「ちゃんと名乗ってなかったな。

 マキビだ、姓は院の名前、ルーブラムになる。よろしく」

「グラス・ガーヴナンです――知ってましたっけ?

 えぇ、ガーヴナン甲冑機工房の、です」

「この街で、知らないやつはいないだろうね。

 ああ、でもいいんだ。

 ありがとう、おかげで久々に頭がすっきりした」


 今はそれだけ、伝えておきたい気分だ。

 行き詰るまえ、前世の知識のない自分には、選べなかっただろう、誰かに打ち明けることさえ、きっと躊躇った。

 ……自分が持たない視点を齎してくれるひとは、大切にしておきたい。


 黒猫が壁と雨樋を伝って、鵯越の馬みたいに駆け下ってくる。

 眺めていたら、マキビの頭上に降ってきた。


「なっ――いきなりッ?」


 ダイブしてきた黒猫を、顔面で受け止める羽目に。


「だ、大丈夫ですか!?」

「あ、ぁあ」


 黒猫は飛びついたマキビの顔に体毛を擦り付け、安定した足場を探すように、彼の首周りをかけ巡り、やがて脳天へと鎮座する。


「……なんだこいつ」

「猫は高いところが好きって言いますけど。

 学内にいる野良ちゃんでしょ。

 部室棟のどっかにいて、ときどき生徒たちに餌付けされてる」

「そう、なんだ。

 マジで急になんなの」

「なんだか、すごく弱ってる。

 マキビさん、上です!」

「っと――」


 校舎裏、この辺は研究室の一部が軒を連ねていた。

 上級生の首が、窓から出張る。マキビは苦い顔を作った。


「下級生っ!

 そのクソ猫をこっちに渡せ!

 ぶっ殺してやる!」

「えぇ……先生、呼んできて」


 これはトラブルになると予想できたマキビは、グラスに頼んだ。

 彼女は頷いて、建物の表側へ回る。


「あまりかっかなさらないで。

 ひとまず、降りてきていただけませんか?

 でないと、お話にもならない」

「いいからそいつ寄越せ!

 耳ひっかかれた!!!」


 赤の瞳が、殺意を持って、マキビと黒猫を睨みつける。

 ふいにバランスを失った黒猫が、マキビの前面に転がって、彼は両腕で抱えるように受け止め直した。

 ……消耗しているのは、事実らしい。


「そいつはうちでやってる実験に使っていたのに、逃げ出した!」


 上級生の男子生徒は、窓枠に指をかけると、直後パルクールでもするように、壁面と平行にある敷地の柵とを伝って、華麗な滑落をしてみせる。吸血鬼人外らしい、見事な空間把握能力だ。


「いったいなんの実験でしょう?」

「そんなことは、お前には関係ない」

「吸血鬼の血を分けることなら、それは学内でも禁則事項のはずです」

「!」


 ――図星のようだ。男はにじり寄る足を止めた。


「わかっていますよね。

 吸血鬼が、人型以外に血をわけることの意味。

 あなたは自らの好奇心で、同族の尊厳を貶しているんだ」

「うるさい!

 そいつさえ死ねば、もう関係ない!」

「どのみち、虫の息です」

「なにがあった?」


 グラスとともに、当直の教員がやってきた。

 上級生は黙って、マキビの手元の黒猫を見つめる。

 マキビは彼の隣へ向かい、耳元で囁いた。


「あなたが仕出かした禁則には、目を瞑ってあげます。

 この場の当直は、やり過ごしたいでしょ?

 どうせ誰も気づきませんし、信じませんよ――動物に、吸血鬼の血を与えて実験しただなんて。もし聞いていただけないようなら、この猫の死体を、然るべきところで解剖してもらうだけです。

 いったい誰の血が、どのように使われたのやら?」

「っ――、てめぇ!」


 しかしここで、肝心の黒猫が、急に暴れだすや、マキビの首に飛び掛かる。


「は――?」


 ……そこから先のことは、憶えていない。

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