キツネ目の男 グリコ森永事件の最期の真実

長尾景虎

第1話 グリコ森永事件

未解決事件シリーズ

『キツネ目の男 グリコ・森永事件すべての真実!

~圧倒的な取材・「真実」は小説を超えた!あの事件の全記録。構想・研究・取材三十年!!~』

     ~昭和末期の未解決事件『グリコ・森永事件』

      「警察VS.かい人21面相(キツネ目の男ら) 犯人と戦った男たち!」~

                ノンフィクションと小説

                 total-produced&PRESENTED&written by

                  NAGAO Kagetora

                   長尾 景虎

         this novel is a dramatic interpretation

         of events and characters based on public

         sources and an in complete historical record.

         some scenes and events are presented as

         composites or have been hypothesized or condensed.


        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ





          あらすじ

構想・研究三十年……元捜査員や、事件記者たちの証言・極秘資料をもとに、 グリコ・森永事件の知られざる舞台裏を「実録ドラマ小説」で描く。

犯罪史上、最も特異な展開を見せた「グリコ・森永事件」。1984年3月、江崎グリコの社長を誘拐し現金10億円と金塊を要求した犯人は「かい人21面相」と名乗り、 その後も森永製菓やハウス食品など食品メーカーを次々に脅迫。

「どくいりきけん たべたら死ぬで」と書いた青酸入りの菓子をスーパーにばらまき、 「大量消費社会」を人質にとる前代未聞の事件となった。

さらに犯人は、140通を超す脅迫状や挑戦状を企業やメディアに送り付け、事件は国民を巻き込んだ初めての「劇場型犯罪」となった。

三十年に及ぶ構想・研究や、元捜査員や事件記者たちへの取材に加え、残されていた記者の取材メモや、入手した警察の内部資料などをベースに、事件を初めてドラマ小説化。

"ミスター・グリコ"と呼ばれ、事件を37年間追い続けてきた読売新聞の加藤譲記者ら、実在の新聞記者たちの目を通して事件の深き闇を描く。

実録ドラマ小説で描くグリコ・森永事件の知られざる舞台裏。

読売新聞や毎日新聞の記者たちによるスクープ競争や、大阪府警捜査一課特殊班の極秘捜査が繰り広げられる中、事件は最大の山場を迎える。しかし、結局事件は未解決に…。

「かい人21面相はどこへ行ったのか?」さらに、ドキュメンタリーで、新たな犯人像、そして未解決の真相に迫る。 独自の取材によって、事件から37年後の「新事実」、そして未解決の「真相」が明らかになる。





日本の犯罪史上もっとも特異な展開を見せた「グリコ・森永事件」の謎を、元捜査員や事件記者たちへの取材記録などを元に描いたドラマ。同事件を37年間追い続け“ミスター・グリコ”と呼ばれた読売新聞の記者らの目を通して、事件の深い闇に迫る。

                                おわり




「人物表」

(本編の主人公)加藤譲   ……… 読売新聞記者(当時) 

        吉山利嗣  ……… 毎日新聞記者(当時)

(犯行グループ関係者)キツネ目の男……… 毛利(仮名)?

  リーダー格の男  ……… ヤクザ組織の元・組長 青麦(仮名)

  京大中退のインテリヤクザ ……… 若林(仮名)行方不明(リーダーと同一人物か?)

  ビデオの男  ……… 巨人軍野球帽の防犯カメラの男 ?(名無し)+二人(実行犯)

犯人の中の女(母すべての子供の親・元刑事の妻)…福本ひなこ(仮名)

  テープの女学生(14)……… 福本奈々美(仮名)行方不明

  テープの男児(6) ……… 福本良夫(仮名)行方不明

  テープの男児(4) …… 福本(松田)悪次郎(言語・知的・学習障害)(仮名)

              ひきこもりでネット荒らし。行方不明?

                          他

  寝屋川アベック …… 兼続雄則(仮名)犯人グループに脅され運搬役に

          …… 益山茜(仮名)犯人グループに人質にされる

  捜査員(警察関係)… 辻正義警部(大阪府警捜査一課)

          …… 鈴木邦芳(大阪府警刑事部長)

…… 前和博警部

          …… 岡田和磨警部

          …… 徳田みどり巡査(婦警)

          …… 松田大海警部

          …… 四方修(大阪府警本部長)

          …… 平野雄幸(大阪府捜査一課課長)

          …… 山本昌二(滋賀県警本部長)

          …… 今江明弘(滋賀県警捜査一課長)

…… 大野三佐雄(滋賀県警捜査一課)

          …… 田口肇警部

          …… 間塚孝鑑識担当

…… 藤原亨(警察庁捜査一課長)

他(*年齢役職は事件当時)



 この作品は実在の人物の氏名や役職など一部、架空の仮名などにもなっています。

実在した事件を扱っていますが、作品中の一部に、フィクションも混じっています。

 その点は、ご了承ください。






序章


   はじまりのはじまり



『グリコ森永事件』(1984年~1985年)…………何故、今、グリコ森永事件なのか?

……元捜査員や、事件記者たちの証言・極秘資料をもとに、 グリコ・森永事件の知られざる舞台裏を「実録ドラマ小説」で描く。

犯罪史上、最も特異な展開を見せた「グリコ・森永事件」。

1984年3月、江崎グリコの社長を誘拐し現金10億円と金塊を要求した犯人は「かい人21面相」と名乗り、 その後も森永製菓やハウス食品など食品メーカーを次々に脅迫。

「どくいりきけん たべたら死ぬで」と書いた青酸入りの菓子をスーパーにばらまき、 「大量消費社会」を人質にとる前代未聞の事件となった。

さらに犯人たちは、140通を超す脅迫状や挑戦状を企業やメディアに送り付け、事件は国民を巻き込んだ初めての「劇場型犯罪」となった。

犯人たちから送られた挑戦状と脅迫状・計144通。寄せられた情報・2万8000件。投入された捜査員・約130万1000人。捜査対象12万5000人。捜査線上に浮かんだグループ130団体。犯人が残した遺留品・300種・約600点…………戦後最大の事件である。

元捜査員や事件記者たちへの取材に加え、残されていた記者の取材メモや、入手した警察の内部資料などをベースに、事件を初めてドラマ小説化。

"ミスター・グリコ"と呼ばれ、事件を37年間追い続けてきた読売新聞の加藤譲記者ら、実在の新聞記者たちの目を通して事件の深き闇を描く。

実録ドラマ小説で描くグリコ・森永事件の知られざる舞台裏。

読売新聞や毎日新聞の記者たちによるスクープ競争や、大阪府警捜査一課特殊班の極秘捜査が繰り広げられる中、事件は最大の山場を迎える。しかし、結局事件は未解決に…。

「かい人21面相はどこへ行ったのか?」さらに、ドキュメンタリーで、新たな犯人像、そして未解決の真相に迫る。 独自の取材によって、事件から37年後の「新事実」、そして未解決の「真相」が明らかになる。

日本の犯罪史上もっとも特異な展開を見せた「グリコ・森永事件」の謎を、元捜査員や事件記者たちへの取材記録などを元に描いたドラマ。同事件を37年間追い続け“ミスター・グリコ”と呼ばれた読売新聞の記者らの目を通して、事件の深い闇に迫る。

 だが、事件は二〇〇〇年に時効になった。

 その事件を、何故、今なのか?

 無論、グリコ森永事件を題材にした映画『罪の声』著作・原作・塩田武士氏・講談社によるところが大きい。原作小説も話題になった。映画は、演技派俳優が勢ぞろいし、W主演は小栗旬氏と星野源氏であった。

 二〇一一年にはNHKスペシャルで未解決事件ファイルfile.01『グリコ森永事件』が放送された。だいぶ、話題になった。(三部構成)

二〇二一年で、グリコ森永事件から三十七年、である。

 だが、塩田氏の原作小説は面白いものの、所詮は小説であり、四十代前半の経験不足が目立つ。想像力いっぱいで創作したのだろうが、テーラーの素人男性と、社会部ですらない〝飛ばし記事〟ばかり書いてきた記者が、ほんのちょっと調べただけであんなにわかるわけがない。あんなに犯人グループに肉薄したり、首謀者リーダーにたどり着いたりするなら、警察機関が時効前に犯人グループをとっくに逮捕している。警察の捜査力を舐めすぎだ。

 原作小説ならまだ、グリコ森永事件に詳しい描写・説明(といっても、銀河(ギンガ)と萬堂(マンドウ)のギン萬事件だが)があるからまだ読める。が、映画は、グリコ森永事件を少しだけ〝なぞる〟だけで、付け焼刃感が半端ない。

 女流作家・高村薫氏の『レディ・ジョーカー』のほうが優れている。

あの映画や原作小説だけをみて、「『グリコ森永事件』とはそうだったのか」……。では捜査員やすでに鬼籍にはいられた元・関係者が報われない。

所詮、四十代前半の作者には、グリコ森永事件も学生運動も、明治維新や大政奉還、戦国時代の織田信長や秀吉とほとんどかわらない感覚なのだろう。

 とはいえ、この作品もそれらを踏襲するような形になる。

 この作品は小説、というよりドキュメント+小説、というケースである。架空もある。

 この戦後最大の未解決事件を、激写する。時代作品の群像劇、であろう。

 未解決の事件とは、その時代のおおきな闇である。

 新しくは『世田谷一家殺人事件』、『八王子スーパー殺人事件』『警視庁長官狙撃事件』、さかのぼれば『三億円事件』『朝日新聞阪神支局銃撃事件』『グリコ森永事件』『ロス疑惑事件』『オウム真理教事件』……さまざまな闇が残ってきた。

 中でも、『グリコ森永事件』は1984年に、当時の江崎グリコ(現・グリコ)社長の江崎勝久氏が誘拐されて始まり、食品会社を恐喝して、大金を要求し、マスコミや警察に脅迫文や警告文を送り付けた。青酸ソーダを商品に混入させ、かい人21面相を名乗り、今でも三十代以上の世代にはおなじみの未解決事件である。

 もちろん、犯人グループは、しょせんは悪人集団であり、義勇賊でもなんでもない。

 無知な人は、「犯人グループは一円も受け取っていない」「(ゆえに)怨恨事件だ」という言い方をする。株価操作や怨恨も確かにあっただろうが、裏取引で、食品メーカーから億単位の金はとったはずである。

 犯人グループの目標額の十三億円に迫ったかどうかはわからない。

 だが、少なくとも悪人集団であり、犯行声明が面白いからと、ルパンのように見ては火傷をする。犯人グループは公開されていない書状では、やくざや暴力団体がつかう恐喝文句や殺害予告など、恐ろしいほどの文章も寄せている。けっして怪盗ルパンでも、義勇賊かい人21面相でも……ない。ただの汚い暴力と脅しと恐喝の暴力食品テロ集団でしかない。

 犯人グループを〝怪盗ルパン〟のように見てはいけないのだ。

 もっと、汚い、暴力的な、犯罪集団であり、汚いやくざと同じだ。

 警察に挑戦して、警察が敗れたからと英雄視してもらっては困るのだ。

 なお、すべてのはじまりの江崎グリコ株式会社社長の江崎勝久氏(当時42歳)の誘拐事件あたりから、戦後最大の未解決事件『グリコ森永事件』に迫ってみようではないか。




   グリコ


1984年3月18日日曜日、午後8時50分頃、事件は起きた。

京都市内のホテルで行われた老舗菓子問屋社長の長男の結婚式に、江崎グリコの江崎勝久社長(当時42歳)は出席していた。そのあと夕方4時頃に帰宅。外出することなくその後は、家族との団樂の時を過ごしていた。

国鉄の甲子園口駅から徒歩5〜6分の閑静な高級住宅街の一角に、当時の江崎邸はあった。

約1100平方メ—トルの敷地面積、ここに、江崎社長の母親(当時70歳)がひとりで住む木造平屋建ての母屋があり、洋風2階建ての一年前に改築された江崎勝久邸の2棟があった。降り出した冷たい雨が日暮れから底冷えの寒さをもたらした。そんななか、夜陰に乗じ、玄関わきの生垣を乗り越え、敷地内に侵入するふたつの影があった。

その影は、母屋の勝手口の前までやってくる。と、ガラス戸の引き手付近をライターの炎であぶる。ガラスを割り、その隙間から手を差し入れ、ドアロックを外した。

ライターの炎でガラスを十分にあぶったうえで水をかけると、一瞬にしてヒビが入り、音を立てずにガラスを割ることができるのだ。この手口は窃盗犯がよく使う。だが、彼らは手際という点で違っていた。ガラスが飛び散らないようにガムテープを貼ってから、ライターであぶり割るのだが、プロの窃盗犯には見られない執念深さで、ベタベタと貼っていたの である。

二つの影は母屋に侵入した。勝手口から土足のまま炊事場に駆け上がり、奥の四畳半の居間に迷わず向かっている。そこでは江崎社長の母親がひとりテレビを見ていた。

午後8時50分からはじまる「新 夢千代日記」(全10回)の最終回である。

NHKの『ドラマ人間模様』で放送された「新 夢千代日記」は、山陰のひなびた温泉町で 芸者置屋を営む薄幸の夢千代と、都会から流れてきた記憶喪失のボクサーや、貧しいながらも 懸命に生きる人々とが織り成す人生の哀歓を描いた群像劇テレビドラマである。

主役の夢千代は吉永小百合演じる。彼女の役は、母親の胎内にいるとき広島で被曝した胎内被曝者で、原爆症を発症して余命3年を宣告されていた、という設定だ。

最終回のオープニング。続いて、日本海に面した山陰本線の余部鉄橋に列車が差しかかったところで、冬枯れの鉛色の空が画面いっぱいに広がる。「日記」を読む吉永小百合の切ない声が印象的だ。

「12月28日、雪……」

テレビドラマの本編がはじまってしばらくしたころ、白い毛糸の目出し帽をかぶったふたりの男が踏み込んできた。

「静かにせい! 隣の鍵を出せ!」

突然の暴漢の出現に動転しながらも、母親は「鍵はありません」と答えると、ほかの男(体格がいい方)が声を荒らげた。

「嘘を言うと殺すぞ! 隣の鍵を出せ、出せ!」

「隣の鍵」とは、江崎勝久邸の勝手口の合鍵のことだ。

いまさっき通ってきた炊事場に目当ての鍵があるとわかると、用意していたビニールテープで母親の両手両足を縛り、さらに赤色のガムテープで母親にさるぐつわをはめた。

目出し帽の男たちは、次に、裏庭を回り込んで江崎邸の勝手口から合鍵を使って侵入した。夫婦の寝室(二階にある)を目指し駆け上がった。風呂から上がったばかりの夫人(当時35 歳)と長女(当時7歳)が、寝室で、同じように「新 夢千代日記」を見ているところだった。

ライフル銃のようなもので脅しながら、男らは、ふたりをガムテープで後ろ手に縛り上げ、 トイレに押し込んだ。トイレは寝室に続いていた。背の低いほうの男が、このとき、長女の名前を正確に呼んだうえで 「静かに」と命じている。

犯人らは続いて、廊下を小走りに駆け抜け、寝室とは反対側にある浴室のドアを乱暴に開けた。小学生の長男(当時11歳)と幼稚園児の次女(当時4歳)、そして江崎社長の3人が浴室にいた。裸の江崎社長の胸に、犯人らはライフル銃のようなものを突きつけた。

「静かにせんかい! 撃つぞ。早く出ろや!」

脱衣所に犯人らの殺気に気圧されるかのように出て、バスタオルを腰に巻く。と、向かいの子供部屋に追い立てられ、後ろ手に手錠をかけられる。その後、社長は、引きずるようにして外へ連れ出された。

男ふたりが江崎社長を連れて表玄関から外に飛び出す。それを見て、待機していた3人目の男はスポ—ツタイプ赤色の2ドアの車を静かに近づけて、横づけした。ドアが開けられ、江崎社長を助手席側から後部座席に押し込むや車は急発進した。

人気のない夜の住宅街を駆け抜ける車。その車の中で、江崎社長は劃用の化繊の袋を頭からかぶせられた。さらに、外から見えないよう大きな布のようなもので全身を覆われている。このあと監禁場所となる水防倉庫から土嚢用の袋はあらかじめ持ち出していたものだった。

江崎社長が連れ去られてしばらくのち、寝室横のトイレに押し込まれていた夫人は行動を起こした。後ろ手に縛られていたガムテープを必死に外し、長女のガムテーブを部屋にあったはさみで切り落す。と、階段を駆けおた。一階の食堂の電話から11〇番通報をした。

応答に出た兵庫県警通信指令部の警察官に叫んだ。

「二人組の男が入って来て、テープでくくられた!」

午後9時36分だった。

その後、夫人が浴室に駆け込む。と、茫然自失の状態で長女と次男は浴室内にたたずんでいた。父親が目の前で乱暴に連れ去られたうえ、風呂から出るなと恫喝されたことのショックで硬直していた。

長女は前後して、ベランダに飛び出し叫んでいる。助けを求める長女の声を聞いた隣の住民から「裹で、ドロボーという悲鳴が聞こえる」と11〇番があり、続いてセコム阪神支社からも11〇番が入った。

「マイアラームシステム」の非常ボタンを家人の誰かが押し、異常を知らせる信号を受信したセコムの警備員が江崎家に電話した。そうしたら、「『強盗です、助けて!』という女性の声が飛び込んできたため、警察へ通報した」のである。

「マイアラームシステム」とは防犯装置で、窓ガラス一枚割れただけで警報が鳴り響き、警備会社に異常を知らせるものである。母屋には設置されていなかった。が、江崎邸には導入されていたのを犯人らは知っていたのである。この装置を作動させないために、犯人グループは、最初に母屋に侵入し合鍵を手に入れたのであった。

11〇番通報が相次ぎ、通報を受け、兵庫県警西宮署のパトカーが江崎邸に到着した。それは午後10時7 分である。事件発生から2時間後の午後11時45分、さらに、兵庫県警の捜査ー課長や鑑識課長、刑事部幹部らが江崎邸に入った。

江崎社長の身体はすでにこのときには監禁先の水防倉庫にあった。

江崎社長を拉致するや、犯人グループは甲子園球場近くの西宮インターから名神高速道路に乗り、大阪方面に向かうと吹田インタ—チェンジで降りている。で、一般道を20分ほど走り、淀川とはほぼ平行して流れる慧川の水防倉庫に到着した。

水防倉庫は、車一台がやっと通れる雑草の生い茂った小道のわきに寂しく建っている。普段から寄り付く人などなく、閉じ込めておく(誘拐した江崎社長を)には格好の場所であった。

車から引きずり降ろされて、水防倉庫の床に乱暴に転がされると、江崎社長は言っている。 「なんでこんなことするんや?!一

「カネや! 当たり前やないか!」

すべてのはじまりはこれだった。



内部犯行説


当初、大阪府警は、江崎家の内部事情に通じた者の犯行とこの事件を見立てた。

「マイアラームシステム」が江崎邸にしか設置されておらず、母屋が無防備なのを知っていた。そのうえ、母屋の勝手口のガラス戸に貼ったガムテープの痕跡が、「(実践経験の乏しい)素人の犯行」を示唆していたからだ。

当時を回想しながら、元捜査幹部は、こう言った。

「ガラス戸をライターであぶる場合、プロなら2〜3カ所にテープを貼るだけで、あんなに厳重に貼ったりしない。テープが焦げていたことからも、かえって焼き切りに時間がかかったことがわかる。素人ゆえの念の入れようが、内部犯行説の根拠のひとつとなったわけだ。内部の争いに端を発した怨恨が動機と考えれば、防犯装置を作動させることなく侵入できたことの説明もしやすかった」

で、今、さらに見立てを傕信めいたものにした。それが、大阪府警と兵庫県警による江崎社長への最初の事情聴取だった。

拉致されてから4日目、江崎社長は、監視役の犯人らが水防倉庫から姿を消したあと自力で脱出。そのあとに、大阪府警に保護されている。

そのあとに、捜査本部が設けられた高槻署で、最初の事情聴取を受ける。だが、このとき疑念がひとつ生まれることになった。

大阪府警から、事情聴取が、事件の発生現場を管轄する兵庫県警にバトンタッチされたところ。兵庫県警はグリコの取締役会長で江崎家の忠実な番頭でもあった大久保武夫の強い要望を聞き入れた。江崎社長と大久保の、ふたりだけで話をする時間を与えた。

そのあと、急に、江崎社長の口が重くなった、と大阪府警の捜査幹部たちは考えるようになった。ふたりは短時間ながら密かに打ち合わせをし、何かを隠すことにしたのではないか。

またマスコミもこの疑念に追随した。そのことで、内部犯行説はおぼろげながらも、世間に、信憑性をもって広められることになる。江崎社長が水防倉庫から脱出して約2 カ月後の5月14日、グリコ本社で開かれた記者会見は、 率直な質問というよりは詰問調であったし、しかもその記者の舌には毒があった。

――社長が何かを知っていて隠しているのではないかといわれているが…?

「そういうところは一切ない。言うべきことは警察に全部言っている」

——社長と弟さんが不仲だという説について

「なぜそういう話が出てくるのかわからない。私と弟を知っている人はだれもそうは言わない。また、社内のトラブルが原因と報道されているが、それもない」

——犯人は内部事情に詳しい者だとの説がある

「そう思われるフシもあるし、そうでないとも考えられる。両方が考えられる」

――犯人は青酸ソーダを混入するという脅迫状で、十日ごとに犯行を広げるといっているが

「可能性は否定できない」

——犯人が約束を果たしていないと言っているが、何を要求されているのか

「何を意味するのかそれさえわからない」(『読売新聞』1984年5月15日付)

兵庫県警捜査一課の特殊班班長として江崎社長に関するすべての捜査を担当した北口紀生 は、人柄がにじむ口調でこう言った。

「マスコミのつくり上リ上げた無責任なイメージで、被害者が叩かれたという意味でも珍しい事件やった。たしかに江崎社長は無口なほうだが、捜査に非協力的ということはなかった。誰でもそうでしょう、いきなり土足であがりこんできたような相手に気軽にしゃベる人おりますかいな。人間関係できたら何でも話してくれましたよ」

約40日間にわたって江崎邸に泊まり込み、北口は、24時間態勢で4人の専従捜査員とともに交代で捜査にあたった。犯人が接触してきたときの電話録音や逆探知などに家族を警護しながらも、備えていたのである。江崎邸の一室を提供してもらい、そこを捜査本部の分室とした。

「江崎社長の事情聴取にしても、必要に応じてやってました。たとえば、合同捜査本部から 『この点がわからないから、社長にいっぺん聞いてくれ』と連絡があると、直接、私が本人に聞いていた。そういうとき、江崎社長は『ちよっと、待ってください。ちよつと考えますわ』いうてやね、2階の自分の部屋で一生懸命考えてメモを作ってきたり、こんな資料がありますと提供してくれていた。だから、聞き込みに回っている刑事が、突然、会社に社長を訪ねてやね、いろいろ質問しても相手も忙しいわけや。もう、うるさいな、という態度になるのは仕方ないことですわ」

北口は「ワシに噓ついたらあきまへんで」と言っては、どこへ行くにも同行した。地方出張も含めて、すべてである。もっとも気の毒に北口が思ったのは、江崎社長の弟で、グリコ栄養食品副社長だった江崎正道が、事件と関わっているかのように報道されたときだった。事実無根のことを書かれ悲憤慷慨する江崎家の人々に、こう(気休めと知りつつ)言った。 「報道機関は事実を捏造することはないが、何かしゃべると尾ひれがついて、興味本位の報道となる。それが嫌なら、何も言いなはんな。捜査の妨げになるから取材に応じるな、と言われてると言っていいですから。警察の責任にして結構ですから」

トレードマークの、両手をあげてゴールインする選手の巨大な男のグリコの看板は、大阪道頓堀のランドマークとして知られている。また、人気の女優や若いアイドルを起用する斬新なコマーシャルなど、グリコのその宣伝センスは業界でも群を抜いている。だが、一方で、どこか一部上場企業にしてはあか抜けない社風を感じさせる。マスコミ対応にしても長けているとは言いがたいものがあった。

江崎利一(創業者)は、1980年に死去するまでの61年間にわたり経営トップとして君臨する。が、その強烈な個性と圧倒的なカリスマ性からくるひとつの特異な記念日がグリコにはあった。古い社内報には長く続いたその日の行事が載っている。

「来る十二月二十三日は社長の輝やく第六拾七回の御誕生日です。他社には珍らしい我社独得なる祝日です。此の様な行事は会社並に江風会の一致した行き方でもあります 当日は朝より仕事を休み会社を挙げて社長の偉業を讃へると共に、其の長生を祝し社長と共 に延びて来た会社の苦難時代を回顧する日でもあります。……心から社長の御誕生祝をお迎へ しませう」(『グリコ 新聞』、19 4 8年12月15日付)


グリコの社員組合の名称が「江風会」であった。創業記念日ではなく、創業者の誕生日を休業日とした。そのうえで、「社長の偉業を讃へ」「会社の苦難時代を回顧」するイベントまで催すというのは、関西の丁稚文化のある企業にあってもかなり変わっている。

この独特の社風が、捜査員だけでなくマスコミの想像力をかき立てた。その結果として、内部犯行説と怨恨説を生み出した。それが捜査を混乱させていたのである。犯人たちはのちに明らかになったのは、グリコとは縁もゆかりもなく、『役員四季報』や「有価証券報告書」を参考にして脅迫状を書いていたということだった。当時の『役員四季報』には全役員の自宅住所と自宅の電話番号が記載されていた。まだ、個人情報保護という観点はなく、個人情報は駄々洩れであり、これを見て、犯人たちは脅迫状を送り付けて、指示を電話で出していたのである。

迷走させてきた捜査状況の原因となった内部犯行説が、ようやく打ち消された。だがそれは、事件発生から1年半以上も経ってのことだった。捜査が行き詰まりをみせ、捜査結果をこれまでにさかのぼって総点検するなか、江崎社長が誘拐される11日前の「84年3月7日」、犯人のひとりが、江崎社長の住民票を西宮市役所で取得していたことがわかったからだ。

警察庁の元幹部が語る。

「市役所の保管倉庫に、江崎家の住民票を取得するのに使った申請書が残されていたわけです。申請者名は『江崎勝久』で、『運転免許用』のために取得となっていた。

これを脅迫状や 挑戦状と同じ9ポイント細丸ゴチック活字で印字してあったので、犯人が入手するのに使った申請書で間違いなかった。彼らが住民票を見ていれば、内部事情に詳しくなくても、家族関係は把握できるし、子供の名前も正確に呼ぶことができる。

この前提に立てば、事件の少し前、母屋の裏庭の水銀灯のコンセントが外れていた理由も理解できた」

庭石や松などを配置した庭園風が母屋の裏庭で、母屋と江崎邸の敷地の境には、水銀灯があった。強い力で引き抜かないと、この水銀灯のコンセントは外れないものだった。が、事件の2週間ほど前にそれが外れていたことがあった。犯人は水銀灯の消えた暗闇の中に身を潜め、偵察していたに違いない。入浴時間や就寝時間など江崎家の生活パターンを観察していたのである。

江崎社長の母親がテレビを見ていた居間は、裏庭に面していた。そのため、日曜日にこの部屋の電気が消えて寝室に引き揚げる時間などから確認した。平均視聴率17・2パーセントの「新 夢千代日記」を見ていることを把握したのだ。

その襲撃の日は、最終回の放送が始まる午後8時50分前後。その日を犯行の決行時刻とした。また、母屋から江崎邸へと人が向かう際に必ず合縫を使っているのを見て、偵察していた裏庭で合鍵に注目。だから、合鍵のありかを真つ先に聞き出したのだ。

その後の捜査で、犯人が潜んでいた裏庭への侵入経路も、明らかになっている。当時、母屋と背中合わせに建っていた隣の住宅が更地になっていた。その少し前に、取り壊されたのだった。犯人は、この更地の敷地内から 2メ—トルの塀に佛子をかけ忍び込んでいたのだ。

これらの事実を伝えられた江崎社長は、ひどく動揺した。そして、早速、番犬(ジャーマン・シエパード)を購入。放し飼いを庭ではじめたほどだった。

住民票の申請用紙が出てくれば、当たり前だが、指紋の検出がなされなければならない。

しかし捜査本部は失敗した。採取に失敗していた。

「指紋を取る前に、申請用紙をコピー機にかけてしまったのです。指紋は、指についた脂肪分の跡なのでコピー機にかけると、その熱で線が分解しバラバラになってしまう。当時は、そういう問題意識を持ち合わせていなかったので、指紋を採取できなかった。もちろん、すぐに改め、森永製菓への脅迫状などは透明なフィルムをあててコピーするようにした。そうすると指紋が切れることなく保護できるのです」(警察庁の元幹部)

犯人検挙に直結したかどうかはわからないから、それは別にしても、少なくともこの指紋の採取に失敗したことは、事件解決への可能性をひとつ潰していたことになるだろう。

初動捜査における聞き込みにしても、なんでか、じゅうぶん尽くされたとは言いがたいものがあった。母屋の裏庭からだけでなく、別の場所から少なくとも二度、犯人は下見をおこなっていた。だが、その事実を、地取り捜査を担当した捜査員は、把握していない。

指紋採取の失敗といいこの事実といい、未解決に終わった事件を検証するにあたって象徴的な事実である。




かい人21面相


歳月の経過がいまや事件の痕跡を消し、記憶も風化しつつある。

だが、事件に巻き込まれ、不幸にして人生の歯車を狂わされてしまった被害者や、被害企業の経営者たちの恐怖と苦悶の記憶は、いまも消えることはないだろう。彼らは、トラウマとして事件のことが思い出され、なかなか寝付けない夜もあったであろう。

江崎社長の拉致からはじまり、「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と一連の犯行を、終結宣言するまでの約1年半のあいだ、「かい人21面相」と自らを呼ぶ犯人グループは、標的とした企業への脅迫状を送り付けた。それに加え、警察やマスコミに宛てた挑戦状も147通も書いている。その分量もさることながら、無教養な粗暴犯にはその内容は書けない文面であった。下卑た言葉を使いながらも、芝居がかったセリフを好み、面白おかしく警察を揶揄した。ときには歌やかるたまで詠んでみせた。

かい人21面相と名乗る犯人グループ。少なくとも何十人もいるわけがない。組織としてまとまり、少数精鋭であればいて五人から六、七人だろう。そのリーダーは、似顔絵が公開されているキツネ目の男だろうか? わたしは違うとおもう。キツネ目の男が、リーダーなら警察にマークされるような奇行をして、似顔絵まで描かれるだろうか。

わたしはキツネ目の男がリーダーではなく、リーダーは別にいたと思う。キツネ目の男は、現場のレポ役(連絡係)か、部下ではなかったかと思う。リーダーは別にいる。キツネ目の男は、ただの部下だ。犯人グループはせいぜい六人……その他に、まるで塩田武士氏の小説のようだが、元・警察関係者の男の妻がいて、犯行の時のテープの子どもの声の女子学生と男児ふたり(そのうちのひとりは言語障害)がいたのではないか。(当時は三十から四十代の女性と、その息子の男児一人……と警察筋からはみられていた。が、NHKによる取材で音響研究所の鈴木松美先生の研究で、三十から四十代の女性とは別に、十代の女学生と、男児はひとりではなく、ふたりいた、とわかった)

多分、リーダーの男はそうとう頭が切れる人物で、文才があり、まるでコピーライターのような才覚もある男。この男が、すべての脅迫状や挑戦状をひとりで書いていた。

人物表では、リーダー格の男と、京大中退のインテリが別人のように書いたが、実は同一人物ではなかったか? リーダーとキツネ目の男、そして実行部隊の男三人。と、元・警察官の母親(30~40代)とその子供の女学生と二人の男児(ひとりは言語障害)……

リーダー格の頭の切れる男が文章を書いていた。

その文面から読む性癖は、怒りに火がつくと見境がなくなり、偏執的なまでに攻撃性を剝き出しにする。反面、妙に律儀な面があり、異常なほどプライドが高く細かいことにこだわる。犯人グループの詳細な分析に関しては、後述する。

ドラマ『月光仮面』の原作者で作家の川内康範が、犯行を中止すれば私財1億2000万円を提供すると『週刊読売』で呼びかけたときには、こんな返事を書いている。



川内はん え

わしらも 月光仮面 見たで

おもろかった

(略)

あんた 金プレゼントする

ゆうたけど わしらいらん

わしら こじきやない

金ほしければ 金もちや 会社から なんぼでもとれる

金のないもんから 金とる気ない

金は じぶんのちからで かせぐもんや

せっかくの へんじ あいそなし やったな

からだに 気つけや

わしらの 人生くらかった

くやしさばかり おおかった

わしらがわるくなったのも

みんな世の中わるいんや

こんなわしらにだれがした

あすはわしらの天下やで


かい人21面相(1984年11月22日12時〜18時・伏見郵便局管内から投函)

藤圭子のヒット曲、「圭子の夢は夜ひらく」の中に出てくる「私の人生暗かった」を「わしらの人生くらかった」ともじったものだろうと思われる。安保の年の七十年にリリースされたこの曲は、 暗い歌声の藤圭子と社会を恨む厭世的な歌詞が、全共闘(全学共闘会議)の学生たちにウケたのだという。

警察庁の元幹部は、当時を回想して、言った。

「僕は、あの歌詞を見て、これは全共闘世代が書いてるんだろうなという意識を持った。学園紛争が盛んなころ、全共闘の学生がさかんに歌ってましたから」

1968年から翌年にかけ全国の大学に広まった全共闘運動に、キツネ目の男が関わってい たか? もしくはその上司・リーダーである頭の切れる男は、あるいはその時代の空気を吸っていたのか? とすれば、事件当時の年齢は三十五歳から四十歳。現在は、七十代ということになるのか。

社会を恐怖のどん底に陥れ、警察の失態をあざわらい、日本事件史上初の『劇場型犯罪』で、世間の関心が事件に釘付けになると、挑戦状で得意げにはしやいでみせた。

そんな犯人の自己陶酔ぶりがよく表れているのが、マスコミにあてた次の挑戰状だろう。



かい人21面相ファンクラブの みなさん え


わしら 大とうりょうなみに なったで

 8チャンネルが ホットバンツ やない

 ホツトライン つくってくれた

TELしようか おもたけど 

5人も ギャル おったら はづかしゅうて でけへん

わしら ひかえめな たちやねん

(略)

わしら 正月 おんせんで かるた つくった

ファンのみなさんに おしえたろ

新春 けいさつ かるた

あ あほあほと ゆわれてためいき おまわりさん

い いいわけは まかしといてと一課長

う うろうろと 1日まわってなにもなし

え ええてんききょうはひるねや 口—ラ—で

お おそろしい かい人のゆめ みとおない

か からすにも あほうあほうとばかにされ

(略)

まだまだあるで

おしえて ほしかったら ゆうてくるんやで


かい人21面相 (1985年1月25日8時〜12時・寝屋川郵便局管内から投函)




グリコだけでなく、森永製菓やハウス食品など菓子メーカーや食品メーカーをも脅迫し、地獄を見せた犯人グループ。執拗に脅すことで相手を屈服させ、カネを脅し取ろうとした。それがかい人21面相のリーダー。そして、多分、リーダーではなく参謀であったであろう、キツネ目の男。そのキツネ目の男の謀略と、ものすごく頭の切れるリーダー役の男に率いられた犯人グループ。彼らもまた、同じような社会環境で育ち、家族的結束で繫がっていた。だから彼らは、仲間割れや裏切りを起こすことなく、2000年2月13日の完全時効を迎えることができたのであろう。

江崎社長の拉致ではじまり「くいもんの会社いびるのもおやめや」 と犯人が終結宣言を出すまでの、約1年半に及ぶグリコ森永事件の全過程をたどり直していく。

これまで見落とされてきた事実を掘り起こし、知られざる事件全真相を明らかにすることで、キツネ目の男と頭脳派のリーダーの素顔、そしてこの男に率いられたかい人21面相のメンバーについて可能な限り、明確に描いていくことにしよう。

だが、『グリコ森永事件』のこの事件ではメディアにも問題があったと思う。

挑戦状を大きく取り上げすぎた。反権力、反大企業のヒーローを犯人たちは気取り、その明るいテンポの挑戦状が、犯人たちの悪を薄れさせた。

たいした犯人でもなく、表に出ない書状では恐喝のプロのような醜悪な脅しの文章が並ぶ。所詮は悪玉でしかないのに、初の『劇場型犯罪』で、犯人グループはくさい演技で注目を浴び、警察の失態も手伝って、かい人21面相は英雄気取りであった。

愉快で狡猾な義賊のような、〝怪盗ルパン〟のようなイメージをつくりあげ、反社会的な暴力のテロ集団を持ち上げすぎた。

こんな連中の犯罪を許した社会の罪もおおきい。

また、カネ目当てで動いたのもある。しょせんはワルでしかない。

江崎氏の母親を脅したとき、母親が「カネならいくらでもやるから」というのに、「カネなどいらん!」といったとか。カネが欲しいから、悪の限りをつくした。

脅迫での金を受け取りにこなかったから捕まらなかっただけであり、しょせんはワル……義賊でもなんでもない。目的は大金である。

だが、成人男性の江崎社長を誘拐したのは?? 身代金目的なら長女の子供のほうが楽ではなかったか。だが、江崎社長を誘拐したからこその恐喝である。

裏取引に応じる企業が出ないと、金がとれない。

しょせんワルでも、企業を恐喝して、金の受け渡し場所に現れれば、逮捕されるくらいはわかっていただろう。ワルではあるが、馬鹿ではない。

江崎社長が自力で軟禁場所から脱出したのは幸運だった。

あのまま軟禁されていたら、用心深い犯人グループは殺害して、遺体を遺棄していただろうからだ。自力で脱出できたのは、ラッキーであった。

だが、犯人グループは軟禁場所の水防倉庫から姿を消していた。そのまま放置された江崎社長は、十五時間後、脱出した。

扉には南京錠がかかっていたが、別の扉があり、壁を叩いている間に、錆びたナットが外れて、脱出できたのだという。

事件発生から四日後の三月二十一日、午前二時十五分。江崎社長は水防倉庫のすぐちかくにある国鉄(現・JR)大阪貨物ターミナルに逃げ込み、助けを求めた。

社長を発見した職員の、談である。

「酔っぱらいのようにフラフラ歩いてきた。近くにくるまで、助けてくれと声をかけなかった。髪はバサバサ、足は裸足で、緊迫感があり、ただごとではないと思った。古びたオーバーにぬれたズボン、顔には傷があり、手には荷造り用の紐をぶら下げていた。口の周辺にはガムテープの跡があり、『助けてくれ』『殺される』『逃げたとわかれば娘が殺される』と言っていた。トラックに載せて移動中は、外から見られないように身を伏せていた。あれは狂言ではない、あれほどの演技はできない」

 警察につくと、江崎社長は「知っていることはすべて話す」と約束、警察の用意したうどんとパンをむさぼるように食べたという。三日三晩、水も食べ物も口にしていなかったらしく、その食べ方は異様でもあったともいう。

なお、ここからは『グリコ森永事件』の物語を描いてみたい。




なお、すぐにわかることなので書くが、この物語の小説パートの参考文献はNHKの未解決事件ファイルfile.01『グリコ・森永事件』(DVD)と、漫画版(漫画・中祥人 構成・星井博文 協力・NHK「未解決事件」取材班)集英社である。

 ちなみに全体のベースは、『キツネ目 グリコ・森永事件全真相』岩瀬達哉著・講談社などである。盗作でも、剽窃でもなく、引用である。裁判とか勘弁して下さい。


 

    劇場型犯罪



この物語の小説ドラマパートの主人公は、元・読売新聞記者の加藤譲(ゆずる)氏である。

 その当時の実在の人物で、ドラマパートにおける主人公。ドラマはこの記者の目を通して進んでいく。NHKのドラマでは俳優の上川隆也氏が演じていた。

 長身に、眼鏡、彫りの深い顔立ちで、顎髭の、背広の似合う男だ。

 二○○○年二月十三日午前○時○○分……『グリコ・森永事件』完全時効成立……

 オフィスの一角で、誰も居ない暗闇の中、照明の明かりを浴びながら、どっしりと椅子に座った加藤氏は、がくりと頭をもたげ、その後、椅子に背をあずけた。

加藤は腹部に急激な収束感を感じた。続けて胃がきりきり痛んだ。嘔吐感だ。足首から先が自分のものではなくなったかのように、震えた。脚が笑うように不安定な動きをしており、自分でまっすぐ立っていられない。

怒りに声は震え、加藤は支離滅裂なつぶやきを発していた。

時効から逃げなければと焦れば焦るほど足はもつれ、うまく歩けなくなるばかりだ。

その瞬間、加藤は心臓に杭をうたれたような感覚に襲われ、立ち尽くした。

「あれもこれも……」山積する仕事を考えると、頭痛がしてくる。

恐怖に押しつぶされて、息ができない。

「とうとう、時効か。……これで『グリコ・森永事件』もおわりか。……」

 加藤は苦笑するしかない。

 だが、俺はこの事件をおわらせない。例え一人になっても、事件を追い続ける。

 犯した罪の精算に、おわりはないんや。

 それにしても………

 加藤は当時のかい人21面相からマスコミに届いた手紙のコピーを眺めた。

 こんなこといってもしゃあないんやが。今読み返してみても、文章がようできとる。

 加藤は大阪の道頓堀のグリコの看板を見に行った。

 繁華街だけあり、夜遅くでもまだひとがいる。遠い目をして、見上げた。

 すべては、江崎グリコの社長・江崎勝久さんが犯人グループに誘拐されて、はじまったんや。加藤は当時を回想した。

 十六年前……加藤譲も記者として脂がのってきたころでまだ若かった。

 大阪の読売新聞の大阪府警察記者クラブにいた、加藤……

 昭和59年(1984年)、全国の国民を巻き込んだ戦後最大の事件『グリコ・森永事件』。

 江崎グリコ社長の誘拐を皮切りに、森永製菓、丸大食品、ハウス食品、不二家などを次次と恐喝……〝大量生産、大量消費社会〟を人質にとる前代未聞の事件。

 百三十万人もの警察官を導入しても、警察の広域重要事件としては初の「未解決事件」となった。初の劇場型犯罪といわれた『グリコ・森永事件』とはなんだったのか?

 昭和59年(1984年)3月18日、大阪府警察記者クラブ〝読売新聞ブース〟。

 加藤譲記者は、夜中に、舞い戻ってきた。電話で呼びだされたのだ。

 加藤は部屋に入るなり、「わあっ、空気悪っ!」と顔をしかめた。この時代はみんなタバコを吸っており、部屋中、タバコの煙だらけだった。

見るといつも穏やかな表情を崩さないキャップの顔色がどす赤く変わっている。加藤の背筋に冷たいものが走った。加藤が、身動きもできずにいる間に、徳永キャップがすぐさま立ち上がった。

徳永の顔色が見る見るうちに蒼白になっていくのが、加藤にもはっきりみてとれた。

重苦しくなった胸に、早鐘のような鼓動が一つ打つごとに蓄積していく。

そんな空間の静寂に抵抗するように、加藤は大声を出そうとしたが、声は喘いで途切れ、顔色が紫色になり、全身から汗が噴出した。

がっしりした身体に艶のある無精ひげをもち、大きく黒目がちの瞳の徳永は、見た目では五十代前半くらいだ。

部屋の光景は見慣れたものであった。

「よお、加藤、久しぶりの休みだったのに。こんな夜中に悪いなあ」

「さすがは〝事件の加藤〟さんやね。事件が休ませてくれへんのやなあ」椅子の部下が笑う。

「事件に〝愛されてもうた男〟と呼んでくれる?」

 加藤は冗談をいう。当時の読売新聞大阪府警察記者クラブ捜査一課担当キャップである。

「それより、拉致されたんは江崎グリコの社長いううんは確かなんか?」

「確かや」大阪府警察記者クラブキャップの徳永が答える。「今さっき社長の自宅にライフルをもった覆面の男たちが襲撃してきて、社長は裸のまま拉致されたらしいわ」

「……裸んまま?」

 加藤はにやりとした。〝大スクープ〟の臭いがした。窓を開ける。と、強い風が吹く。

「おいおい、原稿が飛ぶやろ!」

「これは大スクープの事件ですがな。大事件でっせ。俺が必ず抜いたるで!」

 だが、なかなか情報が下りてこない。新聞の一面にスクープ記事を載せるために、輪転機を止めて、時間をかけていた。もう、数時間過ぎていたが情報がこない。

 部下は弱音を吐くが、徳永は叱り、「加藤を見習え」という。

 電話をかけていた加藤は、情報を手にしていた。「ほんまでっか? ありがとさん」

「なんか、わかったかあ。加藤?」

「〝高槻の電話ボックスでグリコへの脅迫状が見つかった。犯人からの要求は……〟」

「要求は? もったいぶんなや」

「十億円と金100kg……」

「なんやて?!」一同は驚いた。「十億円と金100kg……って。いうたら、200kg以上やぞ。どうやって犯人は受け取ってもっていくつもりやねん?」

「そんなん知りまへんわ! せやけど、疑問は後にしまひょ。身代金目的の誘拐事件で決まりや! もたもたせんで。整理部抑えとって正解やったな。すぐに記事送るで!」

 そして、早朝……どの新聞よりも読売新聞の記事が具体的な情報であった。

 加藤も徳永も、自分たちの新聞記事をみて、悦に浸った。

「どの新聞よりもうちの新聞が一番具体的や。ようやったな、加藤。今後も頼むで」

 加藤はにやにやしていた。

 ………こんなんごっつうネタがあったら休んでられへんなあ。『犯人逮捕』の大スクープは俺が必ず一番に抜いたるでえ!

ふと、時計に眼を落とした。意外な気がした。緊張感を欠いた声だった。気がつくと妙にあたりが静かだった。いつもだと今の時刻、この大阪府警は警官たちの声で沸き返ってるはずなのだ。それが今日は一人もいなかった。遠くの方では声はしているから、この加藤を見て、警官たちは距離を置いたのかもしれない。ということは随分と前から加藤はここにいるということになる。



三月二十一日……誘拐から四日。いまだに、犯人グループからの要求はなかった。

「なんで、何の要求も動きもないねん?!」

「いらいらすんなや! 加藤を見習え」

「せやけど……キャップ。大の大人の江崎社長を連れて、犯人グループはいつまでもいられへん。リスクが高いし、警察も活発や。もう、社長は……」

「あほ、いいなや。不謹慎や」

 加藤も、デスクで鉛筆の尻を囓り、焦っていた。もう、社長は……殺されたんやろか?

 すると、仲間の記者が大慌てで飛び込んできた。

「大変やあ! 江崎社長、見つかりましたあ!」

 江崎社長は、大阪北部にある安威川沿いの水防倉庫に監禁されていた。江崎社長は犯人の隙を突いて自力で脱出。近くの国鉄に助けを求め、その後、警察に保護された。

 加藤と部下は、水防倉庫を見に行った。人気のない、寂しい場所である。

「残念でしたねえ、加藤はん。まさか、江崎社長がこげな所に監禁されよったとは。事件の大スクープは残念でした」

「あほか。まだ、犯人は捕まっとらんがな」

「せやけど。江崎社長も保護されましたし。すぐに事件解決でしょう?」

「まだ、わからんでえ。もう一度、目撃情報集めるでえ。犯人グループを誰ぞか見てるかも知れん」

「またでっか。はいはい」

 確かに、これで事件が解決するかにみえた。しかし、実際にはこれからが事件のはじまりであった。犯人グループからマスコミや警察に向けて〝挑戦状〟が送りつけられてきたのだ。またしても、記者クラブのボックスに、仲間の記者が血相を変えて飛び込んできた。

「大変じゃあー! 挑戦状や!」

 息を切らして、記者は飛び込んできた。

「挑戦状? 誰からや?」

「そんなん犯人グループからに決まってますやん! 毎日新聞とサンケイ新聞に挑戦状が届いたんや!」

「毎日と、サンケイ? 何でうち(読売新聞)にはきてへんねん?!」

「そんなん知りまへんわ。とにかく、〝挑戦状〟や! みてください。コピーとってきましたんやで」

 四月八日、犯人から新聞社に〝挑戦状〟が届く。

 その内容は、あまりにも衝撃的な内容であった。


 けいさつの  あほども  え


 おまえら  あほか

 人数 たくさん おって なにしとるねん

 プロ やったら わしら つかまえてみ

 ハンデー ありすぎ やから ヒント おしえたる

  江崎の みうちに ナカマは おらん

  西宮けいさつ には ナカマは おらん

  水ぼう組あいに ナカマはおらん

 つこうた 車は グレーや

 たべもんは ダイエーで こうた

 まだ おしえて ほしければ 新ぶんで たのめ

 これだけ おしえて もろて つかまえれん かったら

 おまえら ぜい金ドロボー や

 県けいの 本部長でも さろたろか

       かい人21面相


 加藤と、部下らは居酒屋+飯屋みたいな馴染の赤提灯のカウンターで飯をほおばりながら話した。こんなもん(挑戦状)、誰が考えても怨恨や、そう思った。

「これはグリコへの怨恨……恨みで決まりでしょう?」

「また、楽なほうに考えるう。加藤さんはどう思います?」

「わしもその線が濃厚やと思うでえ。しかし、こんな挑戦状送って、これがマスコミに載ったとして……いったい誰が得すんねん?」

「……せやなあ」

 その時、加藤のポケベルが鳴った。「ん! すまん。おばちゃん、電話かりるで」

 そして、愕然となった。「……なんやて?」

 仲間に知らせる。「すぐいくで! グリコが……燃えとる!」

 勘定をツケにと頼むと、加藤や仲間(部下)らは駆けだした。

 江崎グリコ本社のある工場の一角、150平方メートルが全焼。また、グリコの子会社の車も何者かに放火された、という。

 警察は情報を遮断したが、マスコミは「これでグリコへの怨恨で決まりや!」と、一斉に江崎グリコ怨恨説を展開した。テレビも新聞も、犯行は「グリコへの怨恨」でもちきりになった。書けば売れるから、と、マスコミもテレビも〝グリコ一色〟になり、過剰な報道合戦がヒートアップする有様であった。

 加藤は、取材先の大阪府警察捜査一課の特殊班の係長・辻正義の自宅に〝夜回り〟に来ていた。もう夜遅くであった。だが、辻は、加藤のコップにビールをつぐのだった。

「ホンマ、毎日毎日、振り回されっぱなしや。犯人グループは、こっち(警察)をよう振り回してくれとる。ホンマ、疲れるわ」

「疲れがたまっとるみたいですなあ?」加藤は心配する。

「まあな。寝とらんからなあ。大変なことになっとるわ」

「うちらもですわ。ですが、こんなごっつうネタあるんやから休んでられへんですわ」

 辻はまだ若い四十代くらいの眉目な男で、結婚していて、子供も妻も居る。

 まあ、警察官が〝女遊び〟をするわけにもいかんから、この当時の警察官は、すぐに見合いとかして身を固めていた。辻さんも例に漏れずであったのだ。

「せやけど!」辻の眼がするどいものになった。「マスコミもいい加減にして欲しいわ」

「なにがでっか?」

「犯人グループからの〝挑戦状〟を載せるな、とは言わへん。せやけど、おおきく扱いすぎるんと違いまっか! あれ載せて、喜んどるの犯人だけやで」

「加藤さん、こんばんは。今夜も〝夜回り〟? 記者さんも大変ですね」

 奥さんがビールとつまみを盆でもってくる。

「奥さん……こんな夜更けにすいません」加藤は奥さんが去ったので続けた。

「犯人の動機はやはりグリコへの怨恨で決まりやろ? 江崎社長の口が重いんもそのためとちゃうか?」

「それはどうやろな」

「え?」

「江崎社長の口が重いのはマスコミ不信やと思うわ」

「マスコミ? ……俺らへの?」

「当たり前やろ。マスコミがあれだけグリコへの怨恨や内部犯行説を書きまくれば、誰かてマスコミ不信になるがな」

「マスコミは書くのが商売やし。それは……」

「ただでさえ、警察とマスコミはツーカーの仲やと思われとる。これで益益、江崎社長の口が重くなる」

「ツーカーやないやろ!? マスコミは情報求めてこうして健気に〝夜回り〟までしとるやないかい!」

「〝健気〟か」

「せやでえ」

「マスコミは犯人の〝ロボット〟か? あの犯行声明の報道で、喜んどるの犯人だけやどぞ。加藤さんがそれをわからんわけはないやろ?」

「そんなこというたかて。それより……なんで、大阪府警は江崎社長の聴取やらんのや?」

「やらんのやない。兵庫県警がさせてくれへんねん。ホンマ、警察という組織はあかんなあ。どっちも手柄たてたいやさかい。これで、犯人逮捕、やて。百年たっても無理やわ。三億円事件の二の舞やでえ」


 加藤は帰宅の帰り道、鉄道の列車に揺られた。

 ……そんなこというたかて、マスコミが報道せんかったら事件がわからんようになるやないかい。いちいち、報道の意義とか考えていたら……マスコミの仕事なんぞやってられへんがな。みんな、情報に飢えてるねん。みんな、グリコ事件が知りたいねん。

 近くの女子高生達が、グリコの話題をしていた。列車の中刷りも新聞も『グリコ事件』一色。「こんど、どんな挑戦状がくるんやろ? 犯人はちかくにいたりして? 楽しみやわ」

 ……そう。楽しみや。今度、犯人は……楽しみ?

 加藤はぞっとした。事件を楽しんでいる自分に、ぞっとした。

 あかん! 楽しみにしたらあかんがな!

 今のままだと確実に報道は過熱する。それに国民は熱狂し、情報は錯綜……結果的にますます警察の捜査は混乱する。犯人は国民が面白がるのを望んでいるんやないか? もしそうやったら、犯人の望むまま報道し続けてホンマにええんか?

 五月十日。とうとう読売新聞にも挑戦状がきた。

「来ましたよ! うちにも挑戦状来ましたよ!」

「おおっ、来たか!」

 加藤はびくついた。グリコの記事で悩んでいるときであった。

 だが、挑戦状を読んで、一同は青ざめた。

 

 グリコは  なまいき  やから わしらが ゆうたとおり

 グリコの  せい品に  せいさんソーダ  いれた

0.05 グラム いれたのを  2こ

なごや おか山の あいだの  店え  おいた

死なへんけど にゅう院する

グリコをたべて びょう院え   いこう

10日したら 0.1 グラム  いれたのを 8こ

東京  ふくおか の あいだの 店え  おく

また10日 したら 0.2 グラム  いれたのを  10こ

北海道  おきなわ  の  あいだの 店え  おく

グリコをたべて  はか場え  いこう


……グリコは生意気や。グリコのせい品に青酸ソーダをいれた。グリコを食べて病院にいこう。グリコを食べて墓場にいこう。………

「なんや、こりゃ! 日本中に青酸ソーダ入りのお菓子をばらまく、って書いてありますよ」

「〝無差別殺人予告〟や! けったくそ悪い。犯人は完全に遊んどるがな。こいつら遊んどどる! マスコミが情報欲しいのをわかっといて送りつけとるんやがな!」

「だが、マスコミに載せないっちゅう選択肢はない」

「せやけど……」

「新聞が情報をつぶして、報道しないなんて。逆に、報道や言論の自由への挑戦や。マスコミに載せない選択肢なんてないでえ。加藤はん?」

「せやけど、載せたらグリコのダメージもおおきいで? 大阪の象徴や。それがどないになるか……その覚悟はあるんか?」

「加藤らしくもない」

「ですが、ホンマに犯人の望み通りに載せて、それでマスコミや警察の情報を、犯人グループに知らせるだけやあらしませんか? まるで犯人の〝いいなり〟の〝ロボット〟や」

「犯人たちの標的が、企業から国民にかわった以上、載せないという選択肢はない。この情報を隠蔽して、かりにだれかどこぞかの子供が死んでみい。責任問題やぞ?」

「しかし……」

「しかし、も屁ったくれもないんや。加藤!」

 こうして、テレビも新聞も雑誌も『グリコ事件』の報道が過熱した。どこもかしこも、グリコ、グリコ……である。全国の店舗からグリコの商品が撤去され、グリコの工場のパートの女性も一斉解雇。株価は大暴落。グリコの売り上げの損失は八十パーセント数百億円……

 大企業の江崎グリコは瞬く間に、経営の危機にまで陥れられる。

 マスコミや警察に、犯人たちから青酸ソーダが送りつけられ、それが本物と断定された。恐怖が辺りを包んだ。

加藤は強烈なフラッシュの光を眉間に喰らった気がした。ドミノ倒しの駒が倒れるように、冷たい血が全身の血管に広がって、手帳を握った手から、電流に似た震えが全身に走った。

加藤は、太い氷の棒に、背中から心臓と貫かれた気がした。無防備なところに突き刺さってくる強烈な一撃であった。

加藤の吐息に震えが混じった。黄土色に変わった部下の顔が、目に見える気がした。

加藤は微かな望みを捨てきれず、頭を巡らせた。

加藤は、もどかしさを隠し切れずに、下唇を噛んだ。誰にもわかってもらえない。そう思うと、寒くもないのに全身の芯から震えが湧き上がってくる。

眠れない夜。つぶった目の網膜の奥から闇が広がっていき、何者かの足音が耳に近づいてくる。全身は氷のように硬直したままだ。加藤の身体は強ばり、思考は停止していく。

「まさに『劇場型犯罪』やな」

 加藤は青ざめた顔のまま呟いた。「マスコミが過剰な報道をして、劇場をつくり、犯人グループと警察がその劇場で、派手な芝居をうつ。犯人の名演技で、警察が翻弄され、俺たちマスコミが面白おかしく煽る。観ているのは国民全員………まさに『劇場型犯罪』のはじまりや」

 ……もう幕は下りんでえ。これからは犯人の動きが勝負や。だが、必ず、この犯人グループは逮捕されなきゃあかんがな! 事件解決がなければ、社会が混沌化してしまうやないか!





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