死神「天使」
こうちょうかずみ
第1話 Coin Toss
「トゥットゥルトゥ、トゥットゥルトゥ」
深夜の線路沿い。終電を逃してとぼとぼと、私は帰路についていた。
毎日毎日残業続き。疲れたなんて言える余裕はもう通り越してしまった。今の私をなぐさめられるのは、コンビニに寄って買ったビール一缶だけ。
「トゥットゥルトゥ、トゥットゥルトゥ、今日も残業悲しいな。トゥットゥルトゥ、トゥットゥルトゥ、お酒を片手に楽しいな」
さっきから変な歌が口をついて出てくる。情緒もなんだかおかしい。
ああきっと私は疲れている。
そんなことを考えられるほど頭は冴えているのに、どうにも心が噛み合わない。どんどん楽しさが増していく。
「トゥットゥルトゥ、トゥットゥルトゥ、残業なんてクソくらえ。トゥットゥルトゥ、トゥットゥルトゥ、独り身満喫何が悪い」
私のテンションは最高潮。ついにおぼつかない足でくるくると回り出した。
「トゥットゥルトゥ、トゥットゥルトゥ、ゆかいなダンスは目が回る。トゥットゥルトゥ、トゥットゥルトゥ、今日も一日お疲れさん!」
そのときだった。
レジ袋を持った手を高く突き出したばっかりに、チャリンチャリンと袋の中からおつりが飛び出してきた。コロコロと転がったおつりは見事に線路のフェンスを通り抜け、砂利に落ちて消えた。
「え、あぁー」
思わず私はその場にしゃがみこんだ。
たった数十円。
でもついていない、その出来事は私を現実に引き戻すには十分だった。なんだかちょっと気持ち悪くもなってきた。
そりゃ酒飲んだ状態であんなくるくる回っちゃ駄目だよね。
はぁとため息をついたそのとき、きらりと視界の端で何かが光った。
「ん?」
ふっと顔を上げると、そこにはさっき落としたお金が一枚あった。
白い掌に乗った五円玉――。
「わぁっ!」
思わず情けない叫び声が出た。
さっきまでそこには誰もいなかったはず。
しかしそこには一人、青年が佇んでいた。色白の肌に透き通った髪、それに――。
私は目をじっと凝らしてみた。
夢?いや間違いない。
青年の背中には確かに白い翼のようなものが生えていた。まじまじと見つめられても青年は気にするそぶりもない。ただ五円玉の乗った手を私に向け続けている。
「あ、あぁ拾ってくれたのね。ありがとう」
翼の件は気になるが、とにかく拾ってくれたのは確か。私は五円玉を受け取った。
五円玉。ご縁がどうとかよく言うけど、まさかこんな天使みたいな人と出会うだなんて。
私は財布を取り出そうと肩にかけたバッグに手をかけた。するとまたチャリンチャリンと音が響いた。
「あ」
地面には先程まで手元にあったはずの五円玉の姿があった。
私ながら全く懲りない。
身をかがめようとすると、さっと白い手が遮った。天使くんが拾った五円玉をまじまじと見ている。するとどういうわけか突然、天使くんは五円玉をパチンと投げ上げた。
くるくると五円玉が宙を回る。そして器用に左手の甲でキャッチした。
「これ、もしかしてコイントス?」
天使くんは私を見てうんと頷いた。そしてコインを隠す右手をじっと見つめる。
ははん、なるほど。私に当てろって言うんだな。
唐突に始まったコイン当てゲームに、私は乗ってみることにした。
「よし、じゃあ表」
天使くんがゆっくり右手を開くと、そこには「五円」と書かれた文字はなかった。
「あーはずれか。もう一回!」
私のリクエストに応えて、もう一度天使くんはコインを投げ上げた。
「じゃあ次は裏」
手が開かれると今度は「五円」の字がはっきりと見えた。
「うわ逆。今度こそは」
次も、その次も、天使くんは一回も落とすことなく、コイントスをした。
そして私ははずし続けた。
ここまで来ると、ついてなさすぎて逆にすごいな。
私は時計をちらりと見た。気が付くと結構時間が経ってしまったようだ。
ただのコイントスに、ここまで駄々をこねて付き合ってもらったが、さすがにこれ以上は申し訳が立たない。
「よし、じゃあ次で最後!」
その言葉に天使くんは一瞬動きを止めた。しかしすぐに寸分違わぬきれいなフォームでコインを投げ上げた。ぴたっとコインが手の中に収まる。
「表!」
私が宣言すると、天使くんはゆっくりと手を開いた。
しかしそこには「五円」の文字はなかった。
それどころか、コインには何の模様も入っていなかった。
ただ穴が開いているだけ。
異様な光景に私が固まっていると、天使くんは静かにコインを裏返した。
するとどういうことだろう、こちらの面にも何も描かれていない。穴だけがぽっかりと開いている。
「な、何?どういう――」
すると天使くんは突然スケッチブックを取り出した。
一体今までどこにあったのだろうか。天使くんは何かを素早く書き上げると私に見せてきた。
『私は死神です』
死神?
私はその言葉の意味を飲み込めないでいた。
だって目の前にいるのは天使の恰好をした青年で。さっきまでコイントスをしていて。
天使くんはさらにすらすらと何かを書き、私に見せた。
『私の役目はあなたの魂を送り届けること』
天使くんはなおも続ける。
『あなたは最期の時、楽しんでいただけましたか』
最期?
私はこのときようやく理解した。
私の目の前にいるこの青年は死神なのだと。
私は死ぬのだと。
死。いつかは必ずやって来ると分かっていたはず。でもいざ目の前にやって来ると、なんと現実味のないものなんだろうか。
私は思わず体をさすった。
触れる。それにあったかい。まだ死んでない。
私は改めて目の前の青年を見つめた。やはりどこからどう見ても天使にしか見えない。
これが本当にあの死神なのだろうか。いや本当も何もフィクションでしか見たことないのだけれど。
「私を騙していたの?」
私の問いかけに死神は何も答えなかった。ただスケッチブックを私に見せ続けている。私はスケッチブックの文字をもう一度見た。
『最期の時、楽しんでいただけましたか』
楽しかったか?それは楽しかったよ。なんか今考えてみるとコイントスとかしょうもない遊びだったけど。でも、あの時確かに忘れてた。仕事のイライラとか疲れとか。ただ単純に楽しく遊んでいた。このときがずっと続けばいいなって――。
そのとき私ははっとした。私が放った言葉を思い出して。
「もしかして『最後』って言ったから?」
死神は私をじっと見つめた。そうだと言わんばかりに。
私が最後って言ったから、だから終わりにしたんだあのゲームを。
コインをまっさらにして。
「じゃあもしも私がずっと終わりにしようって言わなかったら、どうしてたの」
死神は私の問いにすらすらとペンを動かした。
『ずっとコイントスをしていた。あなたが満足するそのときまで』
死神は私をなおもじっと見た。その目はあたたかかった。
私は彼を見てふふっと笑った。
天使みたいな死神。こんな歪な人に見送られるなんて。本当に死って何がどうなるか予想もつかないな。
私はほいと手を差し出した。
「手土産にくれない?さっきの元五円玉」
すると彼はスケッチブックをささっと畳んで、私の手にコインを乗っけた。
コインがきらりと反射する。気が付くと辺りは明るみ始めていた。
私はぎゅっとコインを握った。
「あなたが私の最期の人で良かった。死神天使さん」
天使の翼が静かに煌めいた。
そして日が昇ったとき、そこには缶ビールだけがからころと音を立てていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます