辺境伯と貿易商との晩餐
「どうぞ、こちらよ」
「失礼します」
サンプソン辺境伯に案内された部屋には、僕達を迎え入れるための用意がなされていた。
だけど。
「サンプソン閣下、失礼ですが
僕はサンプソン辺境伯におずおずと尋ねる。
というのも、僕の調べでは彼女は二十六歳の独身だったはず。
夫はおろか、恋人すらいなかったはずなんだが……。
「フフ、実はちょっと他にも
「そうですか……」
さて、困ったぞ……。
僕は元々、ヘカテイア教団の一団がこの街に侵入していることと、彼女がその教団に取り込まれていないかの確認、それにあわよくば、こちら側に引き入れるために来たんだけど……。
「では、食事の終わった後にでも、別にお時間をいただけますでしょうか? その、いらっしゃる客人を抜きにして」
「ええ、構いませんよ」
僕がそうお願いすると、サンプソン辺境伯はクスリ、と微笑みながら了承してくれた。
それなら、この食事の時間はシアと楽しむことに集中しよう。
そうして、僕とシアは並んで席に着いた。
すると。
「おや? 私以外にもお客様がいらっしゃったのですな」
「っ!?」
遅れてやって来た一人の男を見て、僕は思わず息を呑んだ。
くそ……既にこの街に食い込んでいたか……。
「ギル……?」
シアに声をかけられ、僕は我に返る。
いけない、ここで変に悟られないように、冷静に振る舞わないと。
「あはは、何でもありません。ですが……ありがとうございます」
「?」
僕がシアの微笑みながらお礼を言うと、彼女は不思議そうな表情で首を傾げた。
でも、シアのおかげで冷静さを取り戻せたんだから、本当にファインプレーだよ。
「フフ、こちらはブリューセン帝国で貿易商をされている“ブルーノ=バッハマン”さんよ」
「バッハマンです。どうぞよろしくお願いします」
「ブルックスバンクです」
僕は何食わぬ顔で、バッハマンと握手を交わす。
だけど……はは、“バッハマン”ね。小説に登場するまではそんな名前を名乗っていたんだな。
「さあさ、みんな席に座ってくださいな。楽しく食事をいたしましょう」
サンプソン辺境伯の合図により、僕達は
「ふわあああ……! こんなお料理、初めて見ました……!」
「フフ、これはブリューゲル帝国の向こうの国の、さらに向こうにある“
「はい! 本当に美味しいです!」
シアの賞賛の言葉に、サンプソン辺境伯は顔を綻ばせる。
……いや、これはシアの可愛らしさによってだな。その証拠に、さっきからシアに料理を勧めてばかりだし。
「ところで、ブルックスバンク様……いえ、小公爵様は、マージアングル王国最大の貴族だそうですな」
「よくご存知ですね。一応、この国で公爵位があるのはブルックスバンク家だけですから」
「おお、そうなのですな! これは、サンプソン閣下のお屋敷で小公爵様とお会いできたのはにまさに
はは……確かに僕と繋がれば、王国内でも活動しやすくなる。身を乗り出して嬉しそうにするのも当然か。
だけど、残念だったな。
僕は、
「あはは、そうですね。また機会があれば是非。それより、僕も先程握手をした時から気になっていたのですが……その右手、かなり変わった
「ああ、これですか?」
そう言って、バッハマンは右手を広げて見せる。
「実は最近運動不足でしてな。その解消のために、剣術でも始めてみたのですよ」
「ほう、剣術ですか」
「ええ。小公爵様もかなりの剣
「そうですね。僕にはどうしても、守りたい
「ほう……」
僕の言葉を受け、バッハマンはチラリ、とシアを見やった。
今すぐにでもランスで串刺しにしてやりたいが、ここは我慢だ。
「あらあら、二人で楽しそうに話をしているのね」
「いやはや、決してサンプソン閣下を忘れていたわけではありませんよ」
サンプソン辺境伯が
二人の会話や態度を見る限りでは、まだ取引相手という関係を逸脱しているようには見えない。
とはいえ、まだ油断はできないが。
そして、何事もなく夕食が終わると。
「では、私はこれで。小公爵様も、また是非ともお会いできればと思います」
「はい。僕は王都の屋敷におりますので、お越しの際はお立ち寄りください」
まあ、屋敷に入った瞬間、モーリスの餌食になるだろうが。
バッハマンは、商人らしい笑顔を浮かべながら、馬車に乗って帰って行った。
「ギル……ひょっとして、バッハマン様をご存知なのですか?」
シアがス、と僕に身体を預けると、そっと耳打ちした。
あはは、さすがはシア。僕のことをよく見ているな。
だけど、あの男の特徴的な左眼の傷と欠けた左耳の中年の男。
――ヘカテイア教団司祭、“フィレクト=エルカバン”。
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