幸せに微笑む姉と、唇を噛む妹

「……ギル、よろしいのですか?」


 立ち去ったクラリス王女の背中を眺めていた僕に、シアがおずおずと尋ねる。

 シアからすれば、クラリス王女に王位継承権を与えるようにと進言したのは僕だから、ひょっとしたらクラリス王女を支持するのだと思っていたのかもしれない。


「はい。国王陛下がおっしゃったように、王太子を誰にするかはクラリス殿下が王立学院を卒業する六年後までの間。僕は、その間に彼女がこの国の女王となるに相応しいか……いえ、シアが暮らすこの国を任せるに相応しいか、見極めないといけませんから」


 そう……暗愚な王に国を任せたことで、シアがほんの少しでも不幸な目に遭う恐れが……シアが悲しむ恐れがあるなら、僕は自分を呪うだろう。

 ならば、絶対にそのようなことがないように、僕は細心の注意を払って誰にするかを選ばないと。


「ギルは、いつも私を最優先にしてくださるのですね……」


 シアが口元を緩めながら、僕の手をその白く細い手でそっと握った。


「もちろんです。あなたは、僕の全て・・・・ですから」


 彼女の手を握り返し、僕はサファイアの瞳を見つめながら、ニコリ、と微笑む。

 もちろんシアは、僕のこんな想いを知ってくれている。でも、僕は何度だってそれを彼女に伝えたいんだ。


「ふふ……私も、ギルが私の全て・・・・なんです。ですから、私のことで縛られずに、あなたの思うとおりにしてくださればと思います」


 そう言うと、シアが慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

 ああ……本当に、あなたという女性ひとは……。


「もちろんです……だから僕は、僕が・・望むこと・・・・を最優先でしているのです」


 僕にとって……シアの幸せこそが一番望むものだから。


「ギル……私は本当に、世界一幸せです……」

「僕もです……あなたが僕の隣で、幸せにしている……それが、たまらなく幸せなんです……」


 もはや僕には、晩餐会の会場であるホールの賑やかな声も、音楽も、何もかもが届いていない。

 ただ、あなたの甘美な声だけが、僕の心に響いています……。


 シアはそっと僕の胸に身体を預け、目を細める。

 そんな彼女のプラチナブロンドの美しい髪を、僕は優しく撫でた。


 その時。


「小公爵様! お姉様!」


 僕とシアが、最も嫌悪する女が現れた。

 もちろん、シアの妹である偽物の聖女のソフィアだ。


「……シア、別の場所へ行きましょう」

「はい」


 僕はシアの手を取り、別の場所へ移動しようとする。


「ま、待ってください! しょ、小公爵様、私が何かお気にさわるようなことをしましたでしょうか……?」


 僕のそんな態度に、不安そうな表情を浮かべ、エメラルドの瞳を潤ませて尋ねるソフィア。

 ああ……僕はこの上なく機嫌が悪い。


 シアのあの背中の傷跡を初めて見てからずっと、オマエに絶望を味わわせたくて仕方がないんだよ。

 シアが許してくれるのなら、ここで今すぐにでも報いを受けさせるのに。


「ギル……」


 僕の考えを読み取ったシアは、ギュ、と僕の手を握り、ゆっくりとかぶりを振る。

 ……ソフィアへの復讐を果たす権利があるのはシアだ。こればかりは、僕の独断ですることはできない。


「ソフィア、私とギルは二人きりでこの晩餐会を楽しんでいるの。邪魔をしないで」

邪魔・・? ……お姉様、この私を邪魔・・だとおっしゃったのですか?」


 いつもの聖女然とした柔らかい微笑みは鳴りを潜め、ソフィアは眉根を寄せてシアを睨みつけた。

 おそらく、この女にとってシアにこんなことを言われたのは初めてなんだろう。


「ふうん……お姉様、ひょっとして小公爵様がお優しいから、勘違い・・・なされたのですか?」

「…………………………」

「ですがお姉様、小公爵様は背中のこと・・・・・を知らないから、婚約者に対して優しくしているだけですよ? もし知ってしまったら、どうなるんでしょうか?」


 ソフィアはクスクスとわらいながら、シアの顔をのぞき見る。

 ああ……本当に、今すぐその醜悪なつらをズタズタにしてやりたい。


「……知っているわ」

「……え?」

「ギルは、私の背中のことを知っていると言ったの。ギルはね……私の背中を見て、抱きしめてくれたの、身体を重ねてくださったの。この背中を含めて、ギルは私のことを愛していると言ってくださったのよ」

「っ!?」


 シアの言葉が信じられないとばかりに、ソフィアは目を見開き、僕とシアの顔を交互に何度も見た。


「ああ、僕はシアの背中を見せてもらったよ。本当に……オマエには反吐が出る」

「っ!? ち、違うのです! これは……そう! 私も聖女の力は万能なのだと、嘘を教えられてしまったのです! だから!」


 吐き捨てるように告げた僕の言葉を受け、ソフィアは顔を真っ青にしながら必死に弁明する。

 はは、本当に馬鹿だなあ。騙されたなんて話、この僕が信じるわけがないし、何より、実験台にしようとしたこととシアの背中を切り刻んだことは事実だろうが。


「シア、この女の戯言をあなたに聞かせたくありません。行きましょう」

「ギル、ほんの少しだけ待ってください」


 そう言うとシアは向き直り、凛とした表情でソフィアに対峙した。


「ソフィア……私はあなたのせいで、ずっと苦しみ続けたわ。それこそ、死に戻って・・・・・しまうほどに・・・・・・

「な、何を言って……」

「でもね? そのおかげで、私は奇跡・・をつかんだの。ギルと出逢えた……ギルと結ばれたという、これ以上ない最高の奇跡・・を」


 そう言い放つと、シアは心の底から幸せそうな、そんな表情を見せた。

 そうだね……僕も、同じ気持ちだよ。


「すいませんギル、お待たせしました」

「あはは、いえ……では、行きましょう」

「はい!」


 僕とシアは、微笑み合いながらその場から立ち去る。


 憎悪に満ちた表情を浮かべながら唇を噛む、ソフィアを置き去りにして。

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