“ギル”と“シア”
「それでは、最も素晴らしい結果を残した、ニコラス王太子殿下に盛大な拍手を!」
狩りが終了し、大会本部前の広場ではアイトワラスを仕留めた(ことになっている)王太子への賞賛の拍手が沸き起こっている。
そんな中、僕達は幕舎の中でゲイブも交えて一緒に食事をしていた。
「フェリシア殿、僕達も広場に行ってみますか?」
「……いいえ、結構です」
そう提案すると、フェリシアは口を尖らせながらかぶりを振った。
第一王妃のところから戻って来た僕は、事の顛末をフェリシアに説明したんだけど、やはり彼女は納得できないようだ。
僕としては、王太子と第二王子に正式に謝罪させ、二度と失礼なことを言わせないようにすることのほうが大事なので、まあよしとする。
「ゲイブも狩猟大会の間、フェリシア殿のことを守ってくれてありがとう」
「ハハハ! 何をおっしゃいますか! 公爵夫人となられるフェリシア様をお守りするのは、当然のことですぞ!」
そう言って、ゲイブは豪快に笑う。
モーリスやアンもそうだが、フェリシアによく仕えてくれている。
今まで使用人達からすら虐げられてきたフェリシアからすれば、それがどれだけ彼女の心を救ってくれているか……。
すると。
「私がこのような結果を残せたのは、ひとえに
――パチパチパチパチパチ!
そんな王太子の言葉と共に、ソフィアへの拍手が鳴り響く。
はっきり言ってしまえば、聞いているだけで不快だ。
「……少し黙らせてきましょうか」
そう言って、僕は席を立つと。
「わ、私も、どうにも怒りが収まりません……!」
フェリシアも席を立ち、眉根を寄せながら胸の前で小さく拳を握りしめた。
いや、そんな姿を見てしまったら、尊すぎてあの二人への怒りとかどうでもよくなってしまうんですけど。
「あはは……ですが、僕とあなたの姿を見せるだけで、かなり効果があると思いますよ?」
「そうなんですか?」
「はい」
まあ、普通の感覚だったら恥ずかしくて穴があったら入りたくなるだろうしね。
ということで、僕とフェリシアが広場へと顔を出すと。
「っ!? ……きょ、今日はもう疲れたので、そろそろ失礼する……」
僕達が来るまでは笑顔で手を振っていたのに、王太子は急に気まずそうな表情を浮かべながら自分の幕舎へと戻っていった。
一方で、ソフィアはといえば、そもそも王太子が、僕が倒したアイトワラスの死体を持ち帰って自分の手柄にしたことは知らず、今も周囲の者達に笑顔を振りまいている。
「あはは! さすがにこれは、道化もいいところですね!」
「ふふ! こ、これでは私も何も言えなくなってしまいました!」
僕とフェリシアは、そんな滑稽なソフィアの姿に、お腹を抱えて大声で笑った。
◇
「ふふ……ギルバート様との夜のお散歩は、楽しいです」
僕達は、昨日見つけた池へと向かって、散歩に出かけている。
今夜は昨日と違ってしっかりと夕食を食べたため、フェリシアの持つバスケットの中は水筒とお菓子が入っている程度だ。
「それにしても、王太子殿下があの後大急ぎで会場を後にして王宮に帰ったのには笑いましたよ」
「ふふ……恥ずかしいと思うのであれば、最初からあのような真似をなさらなければよろしかったのに」
僕とフェリシアは、そう言ってクスリ、と笑う。
なお、王太子はそそくさと帰っていったが、アイトワラスの死体はそのまま広場に置き去りにされている。
双頭の竜であるはずなのに頭が一つ欠けていることに関しては、誰一人として指摘する者はいなかった。
まあ、そんなこと言ったりしたら、それこそ大問題になって、下手をすれば家の存続の危機にまで発展してしまうからね。
貴族は皆、長い物には巻かれるのだ。
そんな会話をしているうちに、僕達は昨日の池の
「ギルバート様、どうぞ」
「ありがとうございます」
ティーカップを手渡され、僕はお茶を口に含む。
うん……フェリシアの淹れてくれたお茶は、本当に美味しい。
「それで……表向きには僕の狩りの成果はゼロでしたが、その……」
「ふふ、ギルバート様が一番すごかったことは、私が知っています。何より、あなたは無事に帰ってきてくださいましたから……」
昨日ここで誓ったことについて、おずおずと話を切り出すと、フェリシアは頬を染めながら笑顔でそう言ってくれた。
「ですから、ギルバート様の
「コホン……で、では……」
僕は居住まいを正し、フェリシアを見つめる。
そして。
「その……あなたのことを、僕だけの愛称で呼んでもいいですか……? それと、あなたにも僕のことを、愛称で呼んでいただけると嬉しいです……」
僕は、彼女にそうお願いした。
うう……顔が熱い……。
「愛称、ですか……」
「はい……どうでしょうか……?」
僕は、フェリシアの顔をおそるおそる
「わ、分かりました。ただ、
「! もちろんです!」
恥ずかしそうにうつむきながらそう答えてくれたフェリシアに、僕は思わずガッツポーズをした。
さて……そうなったら、どんな愛称がいいか……。
僕は顎に手を当てながら思案するけど……うん、やっぱりこれだな。
「では、“シア”でいかがでしょうか?」
「“シア”……ありがとうございます!」
ホッ……どうやら気に入ってくれたようだ。
「では次は、フェ……シア殿の番で……「そ、その! シアの後に“殿”はいりません!」……あ、あー……じゃ、じゃあその……“シア”」
「ふあ!? は、はい……」
うわあ……シアって呼び捨てにするの、結構心にくるものがある……。
もちろん、幸せな意味でだけど。
「で、では今度こそ、シアの番です。僕の愛称をお願いします」
「は、はい……」
シアも人差し指をその柔らかそうな紅い唇に当てながら思案する。
「……“ギル”様、でいかがでしょうか……?」
「……シア、あなたも“様”はいりません。なので、もう一度やり直しです」
「あう……で、でしたら、その…………………………“ギル”」
…………………………ぐはっ!
な、なんだこの破壊力は……。
危うく嬉しさと尊さで、心を抉られるところだった。
「シア……シア……」
「あう……そ、そんなに何度も呼ばないでください……」
「いいんです。僕もあなたも、慣れるために必要なことなんですから」
「で、でしたら私も! その……ギル……ギル……」
「うう……嬉しすぎて胸が苦しい……」
「わ、私もです……」
それから僕達は、何度も何度も、お互いの愛称を呼び合い続けた。
呼び合うたびに、最高の幸せを感じながら。
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