この美しい月夜に溺れる前に、俺たちは月下で出会うだろう。

星乃カナタ

本編

 最後に星の降る夢を見たのは、果たしていつの事だっただろうか。……古い夜。一つの公園での景色が高校生活あのころはよく思い出していた。

 子供の頃、親に連れて行ってもらったあの夜の公園で見た景色が。


 ─────そして今日は、久しぶりにソレを見た。


 燦爛と輝くその夢を見た後に、気持ち悪く目が覚める。

 …………夢を見たのちに訪れる、急速に現実へ引き戻す感覚が俺を襲った。ブー、ブー、と隣では携帯が振動している。


「もう朝、か」

 まるで疲れが取れていない。


 せっかく何十時間も寝たというのに、疲れは取れる気がしないどころか……悪化しているようにも錯覚する。

 本当に勘弁してほしいと思う。


 カーテンの先からは俺の心境と真反対の、明るい陽光が差し込んでいた。

 ……本当に、砕け散りそうだ。こんな最低な状況に自分は陥っているというのに、まだ自分はどこか、自分に対して遠い存在。


 水の中に溺れていて、沈んでしまって、理解が遠い夜の世界。


 ◇◇◇


「今回もダメ、そうだよなぁ」


 お祈りメールだけが陳列する携帯に映った受信箱に目を俯かせる。今日も何だかんだあって、ただただ面接をして終わってしまった。

 酷くつまらない現実には反吐が出る。


 遊びたい。

 高校生の頃に戻りたい。


 そんな事はいつでも思い返す事が出来る。だがその願望は望んでも、叶えきれない理想像だ。


 過去に戻る事なんて出来ないのだから、現状に我慢するしかないのだ。


 だが、そうはいっても。この世界はあまりにも非情である。

 天を見上げると、ビルに入る前は紺碧だったパレットが紅色に染められていて、少し哀愁が漂っていた。


「ねぇお母さん、公園よろうよっ!」

「えー、なえちゃん。お母さん今日は疲れちゃったから、また明日ね。明日はお休みだから」

「えぇ~」

「明日はきっとお父さんも休みだから。遊んでもらおうね~」


 面接に惨敗した帰路。

 並木道を歩いていると、そんな親子の会話が耳に飛んでくる。それで気付いた。明日は、土曜日だ。

 ……すっかり、感覚を失っていた。


 慣れないスーツ姿はピチピチで、加えて下ろし立ての革靴が影響しているのか靴擦れが起きて足がヒリヒリする。


 現代社会において、就職するというのは非常に難しい。

 新たな感染症が全世界で大流行し、界隈の需要、メタは色々と変化した。そして世界的な不景気に地球は陥り、勿論日本も例外ではなく……。

 第二次就職氷河期と呼ばれる世界に変貌してしまったのだ。


 会社からしたら、新入社員を雇っても……病気の影響で上手く稼げず給料が払えないからな。仕方がない所もあるのかもしれない。

 まぁ、その代わりにインターネット関連の需要が急増した。


「動画配信者、か。……オレも、思いきってやってみようかな」


 ソレで成功している人間を見ると、いつも喉から手が出る程羨ましく思う。……成功している人間とは、やはり天才なのだろうか。


 オレも天才になりたい人生だった。


 オレはただの人間だ。

 大学を卒業しても、未だ職に就けていないカスだ。

 ……努力しても、何も報われないゴミだ。


 どこかのヤツが言っていた。

『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。』という台詞を。

 正直、これを見ると吐き気がする。


 それは、努力しても報われる『天才』が言い放った言葉だ。

 確かに、成功している天才たちは人並み以上の努力をこなしているのかもしれない。……その可能性も否めない。


 いや、そうだろう。


 そうじゃなきゃ、救いようがない。

 なにせ、天才とは違い自分が死ぬほど焦がれて、努力しても届かない。─────それが『凡人』という器の限界だからだ。


 一応、才能があるヤツだって努力してるんだぜ? と言ってほしいのだ。


 そうすれば、「そりゃあ、才能があるやつでもそれだけ努力しなきゃダメなんだから。才能のない俺には、そんなの不可能だよ」と言い訳が出来るからな。


 努力に貴賤きせんはある。

 努力に質の差があるのも分かる。


 されど、分からない。……凡人は、例え何億倍と努力しようと……センスのない人間にとってソレは無価値なのだ。

 そして何故か『天才』たちは、その事実に気づかない。



 言わば『天才』─────とは。

 才能を持たない人間の辛さを理解出来ない愚者である。



 俺は、そう思うがな。

 吐き捨てる様にそんな事を考えていると、不意に眩暈が訪れた。……疲れているのだろう、やはり、きっと。あんな短時間の睡眠で、疲れが取れるワケがないのだ。


 仕方がないので、俺は近場にある公園に足を運んだ。


 ◇◇◇


 不意に足を運んだ場所だったが、内部のベンチに座った時にその事実に気が付いた。……この公園『星覧せいらん公園』。星が燦爛と見られる事からそう名付けられたそうだ。


 そして昨夜、夢を見た記憶の彼方に眠る聖地が此処であるという事実を。今しがた気付いたというわけ。

 そして。


「ったく、嫌な偶然だな」


 偶然というか、運命というモノはあるのだろう。

 夜は寂しい。……だからこそ、コレも酷く冷たく感じる。俺は隣のベンチに座る女から受け取った缶コーヒーを口に当てて流し込む。


「そうね、久しぶりに君の顔を見たと思ったら……随分と疲れていそうだ」

「そりゃそうだ。今んところ面接がな、四十八社落ちだ」

「おお。そりゃ凄い」

「こんなモンで褒められてもな……」


 俺は俯かせていた顔を起こし、目の前の黒髪ストレートな女性を直視した。ああ、懐かしい。……その女の名前は『鈴代すずしろ鈴音すずね』。俺の高校時代にいた人生で最初で最後の彼女だった人間だ。

 最も、今は……元カノだが。


 高校三年生。大学受験に本腰を入れたかった俺は彼女に別れようと提案したのだ。彼女は悲しそうな顔をしながらも、それを受け入れてくれた。別に彼女が嫌いだったワケじゃない。


 ……でもその時は、ふざけている場合じゃないなって思って。

 その青春を捨てて、未来に対して投資した。



 ─────それで、その結果が……コレだ。



 はは、笑えねぇよマジで。


 彼女もスーツ姿だから……まだ就職活動中か、会社からの帰路だろう。


古谷ふるだにはダメそうだな、全く。スーツ姿なのに、全然覇気がない。……私みたいな超絶完璧清楚系美少女を二年間付き合った挙句、ふっておいてこのザマとは」

「はは、本当にな。俺はこのままだと、まじでクズになりそうだ」

「私の冗談は無視かよ」


 ……久しぶりにコイツと話せて嬉しい反面、少し気まずい。こいつの圧倒的なコミュニケーション能力さは健在だが、あまり良い気にはなれない。

 だがそれは、彼女も同様な様だった。


 ここには甘い甘い青春も、ラブコメも、存在しない。

 重苦しいため息を吐いて、彼女は苦笑する。


「とまぁ……こんな事を言ってみた私だが、残念だけど─────私も色々と疲れちゃってね」

「疲れた、とは?」

「うーん。あんたと違って一応私は優秀だから? 就職は出来たんだけどな。……上司との関係が上手くこなせないんだ」


 思わず、口が開きっぱなしで呆気ない声を漏らした。



「はっ? ……え、お前が?」



 まさか、高校生の頃はコミュニケーション能力最強とも言えた鈴代すずしろ鈴音すずね。彼女が人間関係、コミュニケーションに関して困っているとは思いもよらなかったからだ。


「そうなんだよ。私もまさか、自分がコミュニケーションで困り事が出来るとは思いもよらなかったんだがな」

「……そうか。上司、ねぇ」

「ええ。まぁ、なんていうんだろうな。……頭は滅茶苦茶いいんだけど、どっかズレてるていうか? なんていうか。協調性がないというか」

「はっ、……そりゃ。頭が悪いヤツの間違いじゃねーの?」


 嘲笑気味に返す。

 もしも本当にその上司が頭良いのだとすれば、普通は他の人間に合わせようとすると思うけどな。社会で協調性というのは必須事項だろうに。

 ……鈴代も、こいつはコイツで大変そうだ。


「大変なんだなぁ、お前も」

「まぁね。でもそれは、そっちもだろ?」

「そうかもな」


 ははは、と二人で笑った。

 自然と顔が上に向く。……もう暗い闇に包まれたその景色を凝視すると、瞳孔が開こうとしているが分かる。

 ああ。ああ。


「「月が汚ねぇな─────」」


 ……ふと、ドキンと胸が高鳴ると同時にそれぞれが、それぞれを見た。その同時に上がった、全く同じ言葉。

 これもまた、偶然ってやつなのだろうか。


 切ろうとしても切れない腐れ縁というのだろうか。


 自然と二人で視線を交錯させると、純粋な笑いが起きた。


「まじかよ。……えぐっ! 被るとか、有り得ないだろ?」

「ぷーぅははは! 昔から古谷は気が合うヤツだと思ってたけれどど、まだその感覚が健在だったとはな」

「はっ! 伊達にお前の元カレしてねーよ」

「ふふーん。流石だな」


 彼女のストレートの髪が、ゆらゆらと夜風に靡いてゆく。

 そして現代社会に汚された月明かりの下で、俺たちは意気投合した。昇っていた月が汚されて黒点になるよりも前に、俺たちは月下で再開したのだと。今更に実感する。


「だが鈴代。月は汚ねぇけど、周りの星は綺麗だよな?」

「─────ああ、そうだな。星は綺麗だよ。まるで世界の縮図みたいだ」

「……そりゃあ、見苦しいな」

「ふははっ、まぁね。そうかもな」


 彼女は腕を組んでコチラが座っているベンチへと近づいてきた。グイグイ来る。……懐かしい。過去に戻った様な感覚だ。

 頬が緩むのが、直感的に分かる。


「おらっ! 疲れてるんなら、わっしが癒してやるつーのっ! ついでに、私も癒せや!」

「おいコラ。待て、強引過ぎるぞテメェ⁉」

「別にいいだろーいっ!」

 彼女が抱きついてくる。


 鈴代すずしろ鈴音すずね、彼女お得意のボディーランゲージだ。くそう、あざとくやりやがって! 歯を食いしばって、相手を見つめる。悔しいが、ドキドキしてしまう。


「うへへっ、久しぶりに古谷の匂いを嗅いでやったぜ……」

「──────────っ!!!!!!」


 助けてください、襲われてますぅ~~!?!?!? そう叫びたいと思いつつ、鈴代の頭をぽんと優しく叩いた。


「いでっ」

「これはお前への罰だ」

「えぇ⁉ 私、大して何もしてないんだが」

「いやいや……どう見ても、してるだろがい」


 本当に……二十三歳になって俺たちは何をやっているのだろうか。だけど、こういう瞬間は悪くない。……疲れに疲れたその泥が、一瞬にして流れ落とされていく。


「ふはぁ、まぁ……こんな瞬間も悪くないかもな」

「そうねぇ。そうかもね」

「そうだよな!」


 そんな時だ。彼女の携帯がブーと、音を鳴らした。ブザー音。電話……だろうか。こんな時間に? 一体、誰からだろうか。そんな疑問が出来た。そしてソレと同時に、嫌な予想が脳をよぎる。


 こんな深夜に掛けてくるとか。


 ─────もしかして、彼氏からか?


 彼女は急いで立ち上がり携帯を耳に傾け、何か喋り始めた。やはり電話らしい。……でもなんだろうか、この胸騒ぎは。

 酷くドキドキする。動悸が激しく、加速する。


「あっ、……はい。はい。あーー、そうですね。わ、分かりましたー」



 ◇◇◇



 少しして電源が切れた。


「……誰からだ?」


 思わず、変に高ずった声で俺は疑問を声にした。その声にびっくりしたのか、彼女は目を見開いてえへへと答える。


「いやぁ、私はここら辺の会社に勤めてるんだけど。……転勤の話があってね、地方都市に行くことになったのを、改めて伝えられちゃったんだ」


 そして、俺の考えていた事とは予想外な報告が飛んできた。

 ……転勤? しかも、遠くへ? 彼氏とかからの電話じゃないと知って安堵するのも束の間、彼女から出てきた言葉は非常に重いモノだった。


 てことは─────もう、偶然。コイツと、ここで出会う事も、二度とないのだろう。


 元カノな筈なのに、俺の心は悔しいと告げている。

 なんでだよ。って、決まってるじゃねぇか。

 高校で別れを提案した時からずっと、未練が残ってたからに決まってるだろう。……その瞬間を捨てて、未来を信じた自分の愚かさをどれだけ後悔した事か。


「転勤、て。……断れなかったのか?」

「いやぁ、言ったでしょ。上司と上手くいってないって。だから上手く断れなかったんだよ」

「そ、そうか。で、地方都市っていっても。どれぐらい遠くに行くんだ?」

「えーと。確か、東北かな?」


 てことは……距離は大体三百キロ以上だろう。


「…………そう、か」

「うん。出来るだけ早く来いって言われた。もう、全く忙しいよね。うちの会社は」

「そうだな……」


 気まずくなりながら、俺は右こぶしに力を込めた。


 分からない。分からない。分からない。

 本当に、分からない。

 それに、これだけ執着したのはいつぶりだろうか。


 ─────ああ、ダメだな。俺はよ。

 どれだけ現実的に生きようと、やはり理想像に向かってしまっている。……俺から別れを切り出したってのに、またコイツと恋人になりたい。なんて愚かな願望を持っている。



 古谷ふるだに和也かずや



 それが世界で最も醜い、人間の名……、俺の名だ。

 明らかな気まずさ。先程の軽い雰囲気はどこかに消し飛んでいて、笑うどころか呼吸すらしずらかった。

 熱は冷めない。


 いつの間にか、ウイルスにでも掛かったと勘違いするぐらい頭はオーバーヒートと、暴れていた。

 ─────俺の熱は冷めない。まだ昼に生きているかのようだ。


「な、なぁ。鈴代すずしろはさ。今、彼氏とかっているのか?」

「ん? 残念ながら、……いないね。というか古谷以外、彼氏とか出来た試しがないよ」

「そうなの、か」


 何をおかしな事を聞いてるのだろうか。

 俺は頭が痛くなりつつ、昔と今を重ね合わせる。……何一つ変わらない雰囲気の彼女が愛おしい。


「ま、じゃぁ。これで……さよなら、かな? もう会えなさそうだし。古谷も就活で忙しいそうだしさ」

「え、あっ……」


 こんな地獄にいるのがさぞ苦しかったのだろう。そう言って、彼女は俺に背を向けて歩き出してしまった。

 喉が枯れる。喉が痛い。目が揺れる。拍動が摩耗する。


 ……ダメだ。ここで別れたら、きっと。

 古谷和也は一生、後悔する事になるだろう。─────前のまま、変わらない。なんて、出来ない。嫌だ、それならば死んだ方がマシだ。


 焦がれるほど懐かしいあの頃の感覚が、俺の記憶を呼び覚ます。



「なぁ鈴代すずしろ─────。今夜って月が綺麗だよな?」

「……え?」

「いやぁ、な? 別れを提案した俺が何言ってんだよ……って話だけどさ。やっぱり俺はお前の事を諦めきれないんだ。お前との高校生活を思い出すと、泣いて泣いて死にたくなってくる。後悔でいっぱいなんだよ。お前と別れてしまったって事が─────さ」


 彼女はコチラを振り向いてくれたのは分かった。

 だが、それ以外は分からない。

 だって俺は恥ずかしくて、顔を俯かせてそう言ったのだから。


 ……全く、本当に度胸がなくてダサい男だな俺は。


「俺は、お前の事が─────好きだ。鈴代すずしろ鈴音すずね。あんたのコトが、だから……俺ともう一度、付き合ってくれないか? もしお前が転勤して遠くに行っちまうなら、迷惑覚悟で俺もついてきたい。仕事は、あー、まぁ死ぬ気で何かを探すから、さっ」

「はは、なにそれ。馬鹿げてるでしょ……」


 彼女の声がうすらうすら聞こえてくる。

 それは失望の声か、侮辱の声か。

 そう思った。


 俺もこんな情けない言葉を聞いたら、さぞ失望するだろう。



「そんなの、うんって言うしかないじゃん……っばかぁ!」



 されど。彼女は俺に再び抱きついてきた。蘇ってくる。社会に飲まれ、淘汰され、失われた青春の過去が。残像として生き返る。


 ああ、ああ、ああ、─────なんて美しい月夜なのだろうか。


 抱きついてきた彼女の目元は濡れていた。

 理由を問うことはない。

 きっと、オレも同じだと信じたい。……俺も二十三歳にもなって、ベンチに座りこんで彼女を抱きかかえて泣いているなんて……ダサイ成人にも程がある。


 だけど、きっと、この今の行いは─────間違っていない筈だ。

 後悔したくないから、自分で選んだ道なのだから。


 空という海。月夜に溺れる前に。

 月下で邂逅さいかいした男女。

 その縁を忘れずに内に、月が沈むその前に、俺たちは再び誓った。  


 星の降る夢。即ち流れ星が落ちるその瞬間に願い事を思えば、それが叶うという伝説がある。 

 そんなのは眉唾だと思ってはいたけれど───案外、そんな事はないのかもしれない。


「俺は君が好きだ」

「私も……だぞっ! ってね」


 ◇◇◇


 こうして後に俺は彼女の転勤先でマンションを借り、同棲。そんな中、頑張って仕事を探し出して安定の道を切り開き……資金を集め。二年後、俺は鈴代すずしろ鈴音すずねと結婚する事になる。

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この美しい月夜に溺れる前に、俺たちは月下で出会うだろう。 星乃カナタ @Hosinokanata

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