第133話 花言葉
「さぁて」
「なぁなぁ早く開けようぜ?」
自室に戻ったアンジェリーナ、そしてギルは、クリスからもらった四角い包みを前に目を輝かせていた。
クリス、図鑑って言ってたよね。
一体何の図鑑なんだろう。
胸の音が高鳴る。
ぺりぺり、ぺりぺり、と慎重に包装をはがし、そしてついに中身が見えた。
黒をベースとした重厚な表紙の真ん中に、大きく花の写真が載っている。
タイトルは――。
「『世界植物大全』」
アンジェリーナは一度深呼吸し、そして静かに図鑑を持ち上げた。
ずっしりとした重みが両腕に伝わってくる。
中身を見る前から、すでにその凄さがわかるようだ。
「え、え?植物大全ってなに?」
一人、その凄さに気づいていないギルは、興奮するアンジェリーナの前で狼狽えていた。
しかし、今のアンジェリーナがそんなことに気づくはずもない。
バンと図鑑を置いた拍子に、ギルの体がビクンと跳ね上がった。
よし、行こう。
アンジェリーナは覚悟を決めて、ページをめくった。
「「わ、わぁー!!」」
二人が同時に声を上げる。
そこにあったのは、たくさんの植物の写真だった。
次のページも、その次のページも、どのページも写真だらけ。
しかも、一つ一つに細かく解説が書かれている。
その圧巻な様に、アンジェリーナは息を飲んだ。
何これ、すごい。
こんなに写真が載っている本、今まで見たことがない。
それも植物に特化して、この厚さ。
本当に世界中のすべての植物が載っているんだ。
アンジェリーナはさらにページをめくった。
「おい、何だこれ!すっげぇでかい木!」
「ほんとうに!これは――南アデニの熱帯雨林?」
ギルが指さしたのは、全長100メートルという巨木だった。
その幹はゴツゴツとしており、ツタやコケで覆われ、その一つ一つが、この木の生きてきた歳月を物語っている。
「これは、何だ?8000メートル以上の山で咲く花!?」
「こっちは、マイナス100℃以下の大地に群集するコケ!」
「樹齢2000年以上の木もあるぞ!?」
興奮して声が上ずる。
アンジェリーナとギルは、二人して食い入るように図鑑を覗き込んでいた。
「すごいね、ギル!」
「おう!」
そのとき、二人の目が合った。
そこでギルは気づいたようだ。
いつの間にか、二人の距離がとても近づいていたということに――。
「う、わ、わぁ!?」
派手に叫び声を上げ、ギルが大きく後ろへ仰け反った。
「何?どうしたの?」
アンジェリーナの冷ややかな視線がギルに突き刺さる。
普通いきなりそんな奇行に出たら、誰だって不審に思うものだ。
「え、いや?何も?」
必死のはぐらかしも、アンジェリーナに効いている素振りは全くない。
だって、声裏返ってるし。
きっと、その様子があまりに露骨で面白かったからだろう。
アンジェリーナの心に、小さな被虐心が芽生えた。
「――ギル、昨日もそうだったよね?」
「え」
アンジェリーナはすっと席を立った。
「私が登場してからなんか様子がおかしくなって。目は合わせないは、おかしな挙動をし出すは」
「そ、そんなこと――」
否定しつつも、ギルは一切目を合わせてこない。
嘘が付けないにもほどがある。
アンジェリーナはさらにギルとの距離を詰めた。
「ねぇ?どうしたの?あれ」
「いや、それは――」
「なに?」
「え、だから」
「ん?」
アンジェリーナはギルの顔の下に潜り込み、上目遣いでギルを見つめた。
必死にアンジェリーナの視線から逃げながら、ギルの頭はパニックになっていた。
この状況をどうにか打破したい。
だが、護衛として、アンジェリーナを無理に押しのけることもできない。
かといって、このままじゃあ心が持たない。
「う、うぅ」
うめき声を上げた、ギルの答えは――。
「勘弁してください」
半泣き状態のようなか細い声で、ギルはしゅんと後ろ向きにしゃがみこんでしまった。
かすかに震える背中を見て、アンジェリーナは思った。
うん。ちょっとかわいそうなことしたな。
でも、この反応最高。
からかいがいのある6歳年上の男に、アンジェリーナはにんまりと笑顔を浮かべた。
――――――――――
「ていうかさ、植物図鑑なんだったら、あの花とかも載ってんじゃねぇの?」
「あの花?」
「ほらあの花」
「――あ」
ギルが指さした先、そこにはクリスから贈られたもう一つのプレゼントがあった。
ドレスの色とお揃いの、綺麗な薄緑の花。
「そういえばそうだね。あれ、あの花の名前ってなんだったっけ?ワッハ――?」
「“ワッハ・アルジーニ”」
「そうそれ!よく覚えてたね」
アンジェリーナは図鑑をひっくり返し、裏表紙からページを開いた。
「それは――って文字がたくさん!」
「索引だよ。ここで花の名前からページを見つけるの」
そう言って、アンジェリーナは無数の文字列を順になぞっていった。
ワッハ・アルジーニ。綴りはわからないけど、たぶん後ろのほうだよね。
ワッハ、ワッハ――。
「あった!」
アンジェリーナはすぐさま指定されたページをめくった。
「お、おぉ!本当にそれじゃん」
二人が目にしたページには、確かに、“ワッハ・アルジーニ”という名前の花が載っていた。
淡い緑色も、大きく丸い花も、見たままそっくりである。
アンジェリーナはすぐに説明を読み始めた。
『ワッハ・アルジーニ。原産地アラビアル。砂漠のオアシスにのみ群生する、貴重な花である――』
「え!?アラビアル!?」
そこまで読んでアンジェリーナは声を上げた。
その様子に、横のギルがビクッと体を震わせる。
「なになにどうした?」
「ねぇ、ギル。これ、アラビアルにしかない花なんだって!」
「――だから?」
アンジェリーナの必死の訴えに対し、ギルはぽかんとしたまま首を傾げるばかり。
この人、何がそんなにすごいことか、全く理解していない。
「だ・か・ら!――ギル、アラビアルの位置わかる?」
「え?」
興奮と苛立ちをどうにか抑え、アンジェリーナははぁとため息をつくと、すたすたっと本棚へ走り、また机に戻ってきた。
「これ、見て」
「これずいぶん古くねぇか?」
アンジェリーナが広げてみせたのは、黄ばんだ大きな地図だった。
というのも、ポップ王国は鎖国。
極力外の情報を入れないよう、国外の地図は禁書と同等に扱われてしまう。
ゆえに、アンジェリーナが持ってきたこの地図もまた、王城内の禁書庫に眠っていた代物なのだ。
「ほら、ここがポップ王国。ユーゴン大陸の一番東にあるでしょう?」
「あ、本当だ――ていうか、ポップ王国でかくない!?俺、初めて知ったんだけど」
「まぁ、広いといっても、東側は荒野地帯だから、ほとんど人住んでいないんだけどね」
気を取り直して、アンジェリーナは地図上で指を滑らせた。
「ポップ王国から西へ抜けて、ポーラ共和国からもっと西へ。それからいくつか国を挟んで――ここが、アラビアル王国」
目的地に到着。
アンジェリーナは、地図をトントンと叩いてみせた。
今日初めて地図を見た者にとっては、十分すぎる体験だったのだろう。
ギルは目を輝かせ、地図上の旅を楽しんでくれたようだ。
「すげぇ。世界ってこんなに広いんだ。このアラビアルって国も、相当広いな」
「うん。ポップ王国の4分の1くらいの大きさかな。でも国のほとんどが砂漠なんだよね。砂漠って、荒野よりも水が少なくて、より厳しい環境なんだよ。そこで大事になるのがオアシスなんだけど――」
「つまり、オアシスはアラビアルにとって、すごく貴重な存在ってこと?」
「そういうこと」
ははーんと唸り、ギルは改めて図鑑に目を落とした。
「ていうことは、あの花、もしかして手に入れるの結構大変?」
「やっとわかった?私がどうしてあんなに驚いていたのか!」
ようやくアンジェリーナの気持ちがわかったのか、ギルは信じられないという面持ちで、目を丸くした。
「え、じゃあクリス、どんだけ頑張って仕入れたんだよ。地図だからよくわかんねぇけど、これってだいぶ距離離れてるよな。そりゃあ届かねぇよ」
ギルは呆れたようにはぁとため息をついた。
確かに、アラビアルからプレゼントを取り寄せるだなんて、正気の沙汰じゃない。
距離とか入手困難とか、そういう問題もあるけど、第一謎なのは――。
クリス、そんな外国のものをどうやってポップ王国に持ち込んだの?
「ん?おいこれ、説明書きの下にも何か書いてねぇか?」
「え?」
そう言われて、アンジェリーナは再び図鑑に目を向けた。
確かに、説明書きの下に、独立してもう一つ項目がある。
「花言葉?」
「はな、ことば?」
そこには、花言葉という欄があり、どうやらすべての花に記載されているようだった。
「なぁなぁ、花言葉って?」
「え?あー、“その花が象徴する概念”のことかな?実際に見てみたほうがいいと思うけど――どれどれ?」
アンジェリーナとギルは図鑑に顔を近づけた。
ワッハ・アルジーニの花言葉は――。
『花言葉:内なる勇気・真実の愛』
「内なる勇気――ふふっ」
「真実の愛――ちっ」
「え?」
「え?」
書かれていたのは二つ。
それぞれ着目したのは別の言葉。
全く異なる反応を見せた二人。
アンジェリーナとギルは意味がわからないという顔で、互いを見つめていた。
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