第46話 不穏な挨拶
翌日朝早く、イヴェリオは禁断の森の前に来ていた。
半年近く通っているが、いつも夜のため、日の当たる時間帯の森はなんだか新鮮だった。
「お待たせしました」
中からソフィアが出てきた。
普段は無地の白いワンピースを着ていることがほとんどだが、今日は刺繍入りだ。
「正装なのか、それ」
「はい。正式な民族衣装です。似合ってます?」
「あ?ああ――まぁ」
ソフィアがにやにやしている。
これは完全にこちらをからかっている顔だ。
「よし、じゃあ行こうか」
「はい――」
「ん?どうした?」
出発しようとした矢先、森の出口でソフィアはなぜか立ち止まった。
どことなく顔を強張らせ、何かをためらっているような。
しかしソフィアはいつものように微笑んだ。
「いえ、何でも」
そう言って、ソフィアは森の外へ一歩を踏み出した。
――――――――――
「ソフィアと申します。お会いできて光栄です」
城内談話室、イヴェリオとソフィアはオルビアに対面していた。
「ほう、そなたが――。ようやくお目にかかれたのう」
オルビアは柔和な笑顔を浮かべた。
一見穏やかに思えるこの対面。
しかしその裏にはどんな思惑がうごめいているのか。
一瞬でも気を抜いたらだめだ。
完全にペースを持っていかれる。
一体オルビアはどんな手を使ってくるのだろうか。
何がなんでもソフィアを私から引き離そうとするはず。
イヴェリオはぐっと顔を引き締めた。
「なるほど、こやつが惚れるだけのことはある。そこらの令嬢をとっても全くひけをとらん」
オルビアはなおもニコニコと、ソフィアに笑いかけている。
相変わらず目は笑っていないが。
でも何だろうか、本当に少し機嫌がいいような。
「さて、ここで時間を取っていても仕方がない。何か、話があるそうじゃのう」
来た。
イヴェリオは背筋を正してあごを引き、まっすぐにオルビアを見つめた。
「父様、今日はお許しをいただきたく、二人で参りました。こちらにおります、ビスカーダの森の民、ソフィアと結婚させてください」
そう言ってイヴェリオは頭を下げた。
それに続いてソフィアも深々と頭を下げる。
下を向いていて見えないが、後頭部に鋭い視線を感じる。
普通に考えて、王族、それも次期王となる王子が、原住民の娘と結婚するなど身分違いにもほどがある。
必ず私とソフィアを引き離そうとするはずだ。
さぁ、どう来る。
「分かった。その結婚許そう」
「――――へ?」
事態が呑み込めない。
イヴェリオはゆっくりと顔を上げ、オルビアの顔をまじまじと見た。
今、この人、何て言った?
「何をそんなぽかんと口を開けておる。はしたないぞ」
「え、あ、いや、申し訳ございません?」
頭が混乱する中、イヴェリオは必死に状況を整理しようとした。
確かに今、父様、「許す」って言ったよな。
許す?結婚を?
ソフィアとの!?
そこでようやくイヴェリオは何が起こったのか理解した。
「え!?許してくださるのですか!?」
イヴェリオは思わず立ち上がった。
その様子にオルビアはごほんと一つ咳ばらいをした。
あ、と冷静になって、ソファへ座り直す。
オルビアは紅茶を一口飲んで、話し始めた。
「お前が結婚を渋って何年になる?その間どんなに舞踏会を開き、国中の令嬢を集めたとて、お前は一向に、女嫌いの姿勢を崩さなかった。ところが、たった半年前に出会ったそちらのソフィアさんには一瞬で心を許してしもうた。お前が外で女性に会っていると聞いて、それはそれは驚いたんじゃよ」
オルビアはカチャンとカップを置いた。
「イヴェリオ、わしは嬉しいんじゃ」
「え?」
オルビアは穏やかな顔つきでイヴェリオを見た。
「お前が女嫌いになったのはわしのせいじゃ。幼少期にトラウマを植え付けて、わしはそのことをずっと悔やんでおった。だから今回、お前が自分の意志で婚約者を選んだことはとても喜ばしいんじゃよ」
なるほど、オルビアは自分のしたことを悔やんで、その償いもあると――。
いや信じられるわけないだろ。
イヴェリオは心の中でツッコんだ。
何を今更。
本当にそう思っていたなら、もっと早く行動で示していただろうに。
それにそもそも私が生まれた時点で妾を追放するべきだっただろ。
そうしていない時点で、後悔とか償いとか言う資格はない。
そんなイヴェリオの心の声が聞こえたのか、はたまたイヴェリオが冷めた目でオルビアを見つめていることに気づいたのか、オルビアは苦笑いを浮かべた。
「まるで信じていないという様子じゃのう。悲しいことよ。実の息子のにこんなにも疑われるとは」
嘘をつけ。
悲しいなど微塵も感じていないだろ。
イヴェリオは口に出すのをぐっとこらえた。
「じゃが、実を言うと、結婚を許した理由はそれだけではない」
オルビアはまた紅茶を一口啜った。
「ここ最近、城の周りが騒がしくてのう。どうにかせねばと思っていたんじゃ。じゃから、ソフィアさんには悪いが、こいつが結婚さえしてくれるなら、誰でもよかったんじゃよ」
そう言ってオルビアはほっほっほと笑った。
仮にも初対面の人に、この人は――。
イヴェリオは小さくため息をついた。
まぁ、そんなことだろうとは思ったが。
最近、貴族階級が私の結婚を巡って殺気立っていたのは明白だったからな。
だが逆に聞いて安心した。
そういう思惑ならばある程度納得できる。
さっきの綺麗事じゃ、何か裏があるのではないかと思ってしまうからな。
「では、とにかく認めてくれるということでいいんですよね」
「ああ、いいとも」
その言葉にイヴェリオはほっと胸をなでおろした。
良かった。これで私はソフィアと。
だがやけにあっさりしているような――。
「あ、そうじゃ、忘れとった」
オルビアはまさに今、思い出したように声を上げた。
「結婚に当たって、ソフィアさんにお願いがあるんじゃった」
え?
話が終わったと思って油断していたイヴェリオにとって、それは思わぬ一言だった。
「なに、別に難しいことではない。ちょっとしたことじゃ」
オルビアはすぅっと息を吸うと、ソフィアを見つめた。
「ソフィアさんには身分を捨ててもらう」
「――は?」
イヴェリオの心に暗く黒い雲が立ちこめた。
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