第5話
翌日の朝。支給箱の中身を片付け、水で腹を満たしたエンティーは昨日と同じ水場で、大量の白い布の洗濯を任される。リュクは手伝おうとしたが、エンティーが一人で大丈夫と言ったため、彼は渋々同僚達と同じ仕事へと向かう。
白い布は、従属と呼ばれる平民のβとΩが織っている。包帯や服、髪結い紐、寝台のシーツ等様々に使われており、職人となった従属が作る上質なものはα達へ献上されている。
今回のエンティーは、従属達の使用する服の布を裁断する前に洗う作業を行っている。
「よし!」
布は全部で40枚。エンティーは袖をまくり、水につけた布を取り出し、床に置くと専用の石鹸で擦り始める。洗う事で繊維同士がしっかりと絡みつき、より丈夫になるからだ。
一枚一枚丁寧に、隅々まで石鹸で擦り、それが終わると水にもう一度に付けて再度擦り、絞る。水洗いと絞るのをその後2回続けて、石鹸の泡立ちが無くなったら終わり。
その作業を続けていると、次第に手が冷たくなり、赤くなっていく。
「寒い……」
季節は春だが、朝の水はまだまだ冷たい。
手に息を吐きかけ、握っては開くのを繰り返してみる。少し動きが悪いが、続けられるだろう。
「順調?」
籠を手にした同じ年頃の女性のβが後ろから声をかけてきた。
「あ、うん。こっちに置いてあるのは、終わってる」
振り向いたエンティーは、右側に絞って纏めて置かれている布を、手を広げて指し示す。7枚洗い終わっている。
「それじゃ、持っていくね」
「うん」
彼女は籠に濡れた布を入れ、満帆になると物干し竿が設置された場所へ向かった。
「続きをやらないと…」
かつての平民のΩの普段の役割は、βの鬱憤を晴らすための道具だった。暴力、暴言。果てには性処理。その重圧、負荷によって精神的に追い込まれ、自殺する者が急増した。
エンティーが汚れず生き残れたのは、シャングアの祖母メルエディナの尽力によるものだ。彼女は運命の番を含む7人のΩを娶り、心から愛している。その中に、平民のΩが1人いる。彼女の境遇を聞いたメルエディナは、何も知らなかった自身を恨み、Ωの劣悪な環境に激怒し、彼らの保護と人権活動を行っている。そのおかげで、エンティーは歴代のΩに比べればマシな生活を送っているが、陰湿な暴力は根深く残っている。15歳の初めての発情を期に、さらに負荷が増した。薬を服用し、発情期を入念に確認するのは、前から教わっていたので覚悟は出来ていた。しかし、貴族のΩからはより忌み嫌われ、年上の平民のβからは卑猥な発言や体を触られる等の行為が始まった。
貴族のβを見かける場所は最近まで限られてきたが、昨日から居住区まで迫られたところを見ると、かなり危険な段階まで進んでいるのが嫌でも分かった。
けれど、ここでリュクや同僚のβ達に頼る訳にはいかない。ここで目を付けられたら、彼らの将来に傷が残ってしまう。将来の夢を潰されるかもしれない。
どんな被害を受けようとも、我慢するべきだ。
そうエンティーが思った時、
「いたっ!」
頭に何かが当たった。
血が出るような激しい痛みではない。手で触り、確認してみると、黒い泥だった。
ここは、土がある中庭から少し離れている。泥が飛んできた後ろを振り向くと、顔面に直撃する。
「よっし! 直撃ー!」
「一発で当てるなんて、凄いじゃん!」
複数の子供の声だ。
エンティーは泥を手で拭い、なんとか前を見ると、そこには銀の装飾品を付けた12歳くらいの少年が5人いた。
子供の貴族を見るのは初めてだったエンティーは戸惑い、わざわざ持ってきたと思しき桶から泥を取り出し、丸めると彼の方向へ投げ出した。
白い布が汚れてしまうと思い、エンティーは咄嗟に覆い被さる。
「よし! 一気に攻撃だ!」
「死ね!」
その声を皮切りに、嬉々として泥団子がさらに投げられ始める。
周囲で仕事を行う平民βが気づいたとしても、貴族を止めてくれるわけもなく、エンティーは耐えるしかない。
辞めてくれ、と声を上げる事も出来ない。
美しい白の世界が、泥で黒く汚れていく。
早く終わってくれと、エンティーは痛みを感じながら耐え続ける。
「何をしている」
低く、静かな怒りの籠った声が聞こえた。
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