第22話 微笑

「か、かんにんぐ……?」


 シエタは一瞬、言葉の意味を理解しかねてどきまぎとする。ギーギルから発せられた問いは実に単純明快だったが、聞き逃したことにして話を終わりにしたいものだった。ところが彼女は対面の席から立ち、ゆっくり近づいて来る。また一歩、また一歩、一歩、一歩――!!


「――クククッ、さっき、どうしてあの授業に何度も出てるのか、不思議に思ったでしょ? 教えてあげる。なんだ。入学したばかりの子は、あの授業をよく受ける。僕が目をつけてる子も来ないか、待ってたんだぁ……。会えて良かったよ、シエタさん」


「………!!」

 シエタはつい、動揺してしまう。あまり狼狽えてはならないことは頭で理解していたが、半分パニックになっていた。やがてギーギルは、シエタの耳元まで口を寄せて、囁いた。


「気を付けなよ…、君のこと、いろんな奴が目をつけてるよ。僕もね」

「いろんな人が……?」


 尋ねると、ギーギルは顔を離す。彼女の襟には、「4」の数字のバッジともう一つ、「目」のシンボルのバッジが付けてあった。それを見てシエタは、図書委員会のミャノが「本」のシンボルバッジを学ランつけていたことを、思い出した。

 では、「目」は何を意味するのか…


「――なーんてね! ククッ、驚いた?」


 ギーギルはツインテールと肩を揺らして、くすくすと笑った。急に弛緩した空気を吸ったシエタは、ぽかんとして、ギーギルを見上げる。


「僕、“試験委員会”って委員会に入ってるんだ。入学試験の監督なんて面倒ごと押し付けられて、君がいた試験会場の監視してたんだ。それで、シエタさんが第三試験の第9問にたどり着いたのを見たんだよね」


「第三試験の、第9問……って、あの何もない問題?」


 シエタはあの無理難題の事を思い出す。平然を装って答える口とは裏腹に、心臓の鼓動が加速していく。

 目の前にいる相手は案の定、「試験委員会」だった。シエタが最も遭遇を避けるべき人種である。逃げ出したい彼女の心中を知ってか知らずか、ギーギルはにこやかな笑みのままだ。


「そー。まあ僕はみんなの後ろから覗いてただけだけど、見た限りじゃあ、あの問題を解いたのは君だけだったよ。だからさ、君のこと面白いなーって思ってさ。今日は会えて良かった。ククッ」


 ギーギルの笑顔を見て、シエタはつい、ほっと胸を撫でおろす。

 “本当にカンニングがバレたのはないか”と思った彼女の背中には、じっとりと大粒の冷や汗が浮いていた。

(…っていうか私しか解けなかったんだ…)

 そして、そんな事実に少し得意な気持ちになるシエタ。

 彼女は単純であった。


「それじゃまた会おうね! 僕はそろそろ時間だから、行かないと」

「あ、はい! またどこかで」

「うん。次も試験会場で会えるかもね」


 笑えない挨拶をギーギルは残して、立ち去ってしまった。半分呆然自失になったシエタの元に、やがてライザが、水滴のついたグラスを持って戻ってきた。


「シエター、オレンジジュース持ってきたよ。って、あれ? あの先輩は?」

「行っちゃった。ちょうどさっき、時間だからって」

「はえ、そっか。残念……、魔具の本のことでも聞いとこうかと思ったのになー」

「本?…あ、そっか。宿題か」


 本と言えば、図書室であるが、これから本探しにライザを誘ってみるのもありだろうか、とシエタは考えた。正直、クランス校の評価システム上、きちんと宿題をやる意味があるのかは不明だったが……


「シエタ、あとで本探しに行かない?」


 と、ライザが先に誘ってきた。シエタも誘おうと思っていたところに誘われて断る理由はなかったので、彼女は元気よく頷いた。


「うん!」



 ところ変わって、某女子寮。

「ククッ…はあー、面白かった」


 ギーギルが鍵を回し、自室へと入る。陽に照らされた部屋の中は、人工のランプが点いていなかった。そんな環境の中でベッドに座し、膝の上に本を広げて読書に耽っている者が一人。黒い前髪が枝垂れるように目にかかり、スリットのようになっている。ギーギルの入室に対して、その者はゆっくりと首を動かして、メガネ越しに、寝起きの細い視線を向ける。


「……お帰り」と一声。

 ギーギルはため息をついた。

「メルせん、ランプくらい点けてくださいよ。昼間とは言え、ちょっと暗いんですけど」

「別に、読めるから」

「いや、だからメルせん乱視が悪くなるんですよ、多分。……魔法のせいかもしれないですけど」

「ふん」

と、メルは鼻を鳴らした。ギーギルは彼女の代わりにランプを点けた。


「今年も魔導諸論の授業に行ったのか? 趣味が悪い奴」

「ククッ、まあそう言わずに……件のシエタ・ライトさんにも会えましたよ。ちょっとおちょくってみたら、反応が面白くて面白くて」


 名前を聞き、メルはむっと顔を顰めた。


「私はあの子は嫌いだ」

「嫌い? 苦手の間違いじゃ……」


 ギロリと睨まれて、ギーギルは肩をすくめた。


「グレンリッツ先生にお達しを受けてるのに、良いんですか? “疑惑付き”の疑惑をも僕ら次第ですのに」


 この「疑惑付き」は、入試の段階で異様な高得点を取っていたり、解答が不自然な新入生を指す者である。

 疑惑を晴らされたのなら、それは実力者であり。疑惑を明かされたのなら、小賢しい侵入者である。


「……確かにやつは怪しかった。だが、何かを覗いたり隠し聞きした痕跡も見つけられなかった。自分で疑惑を持っておいてなんだが、奴は本当にカンニングをしていたのだろうか?」

「第二、第三試験の答えだけ先に知ってた、とかじゃないですか?」

「“口結びの魔法”がある。試験問題に関する情報は口外も公開もできない。試験が終了するまでは…もし、やつが誰かの口結びを解除して問題を聞き出したなら、実力者と言って差し支えないだろうよ」


 そんな逆説的な結論に対して、ギーギルは呆れた様子だった。


「そんなにメルせんが消極的なんだったら、僕があの子のこと、見てあげても良いですかねえ?」

「……好きにしろ。だが、心鏡は使わない方がいい。あの子は恐いぞ」

「いや僕、そんなの使えません」


 なぜなら、その魔法がとても煩雑だからであった。

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