第十三章 怒りと赦しのジャッジメント・デイ
第291話 バーンズ家四男、キリオ・バーンズ(72)
※文字化け部分はそういう演出です。
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冬の夜、冷たい雨が降っている。
凍える雨が、彼と彼女と彼の体から熱を奪い続けている。
「…………」
少年は、目を閉じていた。
そこに起きたはずの事象に対し、身を丸めて目を閉じていた。
まぶたを閉じたのは、怖いからではない。目を守るためだ。
体を低くして丸めたののも、怖いからではない。彼女を守るためだ。
自分よりも年上に見える、彼女。
腹には、ダガーが根元近くまで突き刺さっている。抱きしめても、反応はない。
その様子を、キリオは雨よりも冷たいまなざしで見下ろしている。
少年は何も起きないことに気づいたか、目を開けて、顔をこちらに向ける。
「何も、起きない……?」
「フ――」
キリオは、少年を見下ろしたまま口の端を吊り上げて横を通り過ぎようとする。
「ま、待つであります!」
「私を追うかね。彼女をそのままにして」
余裕たっぷりのキリオの言葉に、立ち上がりかけた少年は動きを止める。
キリオは、少年に対してもう一つだけ教えた。
「サティを刺したそれは『無力化の魔剣』の模造品だ。君ならば、知っているね?」
「帝国で研究と開発を進めていた、アレを……!?」
何てモノを、と呟く少年の横を、キリオは今度こそ通り過ぎる。
屋上の入り口に近づくと、そこに立っている女性が見えた。
背の低い、童顔の若い女性。
しかし強い意志が認められる瞳は、世界を越えても何ら変わらない。
彼の二人目の妻である、マリエ・ララーニァだ。
「マリエ」
キリオが名を呼んだ直後、少年が大声でマリエに向かって怒鳴った。
「マリエ、その男を拘束するであります! 早くッ!」
「やれやれ、無粋なことを言う」
その叫びに、キリオは軽く片手で額を押さえる。
少年が、さらにもう一度叫ぶ。
「マリエ! その男が『ミスター』であります! 拘束を!」
二度、名を呼ばれたマリエが少年の方へ視線を向ける。
その顔に浮かんでいるのは、困惑、または戸惑い、または当惑。そう言った感情。
そして、その唇が言葉を紡ぐ。
「あなたは、誰?」
「……は?」
少年の顔から、一切の表情が抜け落ちる、
マリエは隣に立ったキリオに寄り添い、少年を警戒するような顔つきを見せる。
「あなた様、あの子は、一体?」
「この状況ならばわかるだろう、マリエ。彼こそが『ミスター』だよ」
「あんな子が『Em』の、ボス……!?」
キリオの説明に、マリエは驚きを見せる。
その声、その反応、それら全てに、少年はどんどんと顔色を蒼白にしていく。
「何、を……、何を、言って……ッ」
「マリエ、あの少年を拘束するのだ。私は父上殿をここに呼ぶ」
「はい、あなた様!」
マリエが、少年に向かって駆け出そうとする。
少年は、叫んだ。
「キリオ・バーンズ、おまえはァァァァァァァァ――――ッ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――少年キリオ視点にて記す。
何が起きたのかわからなかった。
老キリオは、確かに異能態を発動させた。それは理解している。
しかし、状況は何も変わらなかった。
自分にも老キリオにも変化はなかった。そう思えた。――そう思えただけだった。
「マリエ、あの少年を拘束するのだ。私は父上殿をここに呼ぶ」
「はい、あなた様!」
マリエが、自分と共にここまで上がってきたマリエが、老キリオに従っている。
その衝撃が、少年キリオに腹の底からの怒声を迸らせていた。
「キリオ・バーンズ、おまえはァァァァァァァァ――――ッ!」
だが叫んだところで、自分の腕の中にはサティがいる。動けない。
彼女の腹を貫く『無力化の魔剣』のレプリカは強力な効果を持った魔法の品だ。
オリジナルのように刺した相手を永久に無力化することはできない。
ただし、数日間はオリジナル同様に完全に力を奪い去ってしまう。
裏切者に無力感を味わわせて始末するにはうってつけの武器だ。
が、使ったのが老キリオで、刺されたのは妻であるサティなのが信じがたい。
「おまえは、キリオ・バーンズじゃない! キリオは、サティを傷つけない!」
マリエが迫ってくる中で、少年キリオは老キリオに向かってそう叫ぶ。
すると、老キリオの方も反応を示し、少年に蔑みの目を向ける。
「それは本気で言っているのかね、若き『私』」
「当たり前だ!」
「だとしたら、まさに片腹痛しだな。そうではないかね」
「何を――」
言い返そうとする少年キリオに、だが、老キリオが平坦な声で言葉を一つ。
「今の私と同じことを、君だってマリエにしたじゃないか」
「…………ッ!?」
ハンマーで頭をブッ叩かれたような衝撃が、少年キリオの意識を襲う。
その脳裏によみがえる、異世界での己の死の光景。
帝都の広場にて行なわれた、自分と親族郎党の公開処刑。
そして、磔にされた自分が目の当たりにした、妻マリエの死。そして、自分の死。
少年は何も言えなくなってしまう。
「私と変わらない君が、私の行ないを糾弾する。そのナンセンスさを自覚したまえ」
「キリオ様、ダメです! 応えてはいけません!」
「ああ、そうだね、マリエ。私としたことが、迂闊だったね」
叫ぶマリエの声には、老キリオに対する本気の心配が見て取れた。
だからこそ、少年キリオは奥歯を噛みしめ、
「マリエ、それがしがわからんでありますかッ!」
「気安く名前を呼ばないでくれるかしら『ミスター』? あなたは逃がさないわ!」
マリエが、拘束用の魔法の鎖を収納空間から取り出してくる。
そこに、バタバタと聞こえてくる幾つもの足音。
「ここかァ!」
やってきたのは、手に漆黒の剣鉈を持ったアキラ・バーンズ。
そこに続いて、ミフユや、シンラ、美沙子なども階段を駆け上がって姿を現す。
「父上殿!」
頼れる父親の登場に、少年キリオが叫ぶ。
アキラはその声に反応したかのように、こっちを向いて。
「キリオ」
名を、呼んでくれた。
自分のことを認識してくれている。胸の中が、歓喜に沸く。だが、それも束の間、
「あの学ラン野郎が『ミスター』なんだな!」
「な……」
生じた歓喜が霧散する。アキラの言葉は少年キリオにとって絶望的なものだった。
そして、アキラが次に目を向けたのは、スーツ姿にコートを羽織る、老キリオ。
「はい、その通りです、父上殿。彼が『ミスター』です」
「じゃあ、あいつが抱えてる女は――」
「……サティです」
老キリオが口から出したその名に、アキラや、他の皆の間を驚愕が駆け巡る。
「な、何だと……!?」
「『Em』のNO.2の『ミセス』がサティだったのです。それを、どうやら仲間割れを起こした『ミスター』が殺そうとしていたようで、そこに私が駆けつけました」
「マジ、かよ……」
状況を淀みなくつらつら語る老キリオに、アキラ達は一つの疑いも見せない。
だが、少年キリオからすれば一から百まで嘘だらけ。完全に濡れ衣ではないか。
「ふざけるなッ!」
堪えきれず、少年キリオが声を荒げた。
「父上殿、信じてはならんであります! その男こそが『Em』を率いていた『ミスター』本人であります! それがしが駆けつけたとき、その男が、サティを……!」
「あァ~ん?」
老キリオを指さして怒鳴る少年キリオだったが、アキラに言葉を遮られる。
頼れる父である彼が、自分に対し、敵意しかない目を向けてくる。
「何ふざけたコト抜かしてやがんだ、おまえよォ~?」
「な、父上殿……」
たじろぐ少年キリオに、アキラはとんでもないことを言い出した。
「あのなぁ、クソガキ。おまえは知らねぇかもしれねぇが、こいつはウチの四男のキリオ・バーンズっていうんだよ。ずっと前からな。そうだよなぁ、おまえら?」
そしてアキラに促されて、そこにシンラとミフユがそれぞれコクリとうなずく。
「そうですな。余はしっかりと覚えておりますぞ、キリオがマリエと共に、余に異世界での己の失態を告白し、詫びに来たとこのコトを。はっきり覚えております」
バカな。
そこで詫びに行ったのは自分だ。マリエと共に、己の罪を告白したのは。
なのに、何故――、
「ハハハハハ、その節は申し訳なく。何ともお恥ずかしい限りです……」
何故、老キリオの方がそれを恥じている。
シンラから許しという名の罰を賜ったのは、自分の方なのに……ッ!
「この子は本当にね。これだけ大きくなっても、ラララの家でやらかしてわたしとヒナタでWお説教する羽目になったんだから。それだってちゃんと覚えてるわよ」
バカな。
それをやらかしたのも自分だ。迂闊な発言をしてしまい、ラララを怒らせたのだ。
なのに、何故――、
「重々反省しております。それ以上は言わないでください、母上殿……」
何故、老キリオの方がそれに肩を落としている。
ミフユとヒナタからWのお説教を受けたのは、自分の方なのに……ッッ!
「わかったかよ『ミスター』。ウチのどいつも、おまえなんて知らねぇんだよ」
俯き、身を震わす少年キリオに、アキラが上から突き放すような言葉を浴びせる。
少年キリオは、勢いよく顔を上げた。涙に濡れた視線の先には、老キリオ。
「違う……! それは、その思い出は、それがしのモノだァ――――ッ!」
絶叫した少年の体に魔法の鎖が十重二十重に絡みついてくる。
「ぐ、ぅ!?」
「捕らえました!」
魔法の鎖を操っているのは、マリエ。
身に絡みついた鎖が、容赦なく少年キリオの身を締め付けてくる。
「でかしたぜ、マリエ! よぉ~し、おまえらァ!」
アキラが、マガツラを具現化させて少年キリオへと迫ろうとする。
身を拘束され、もはや少年キリオに逃げ場はない。――すぐ後ろの空間以外は。
「……『
異面体を発動させ、展開したマントが魔法の鎖を容易く断ち切る。
全身を無敵化させるその異面体は、拘束という危機に対しても効果を発揮する。
「何ッ!?」
鎖を断ち切った少年キリオに、アキラ達が驚きを見せて一瞬の隙が生じる。
そこからの、少年キリオの動きは素早かった。
「サティ、少しだけ我慢するでありますぞ」
彼はすぐさま『隙間風の外套』を身に纏ってその場で姿を消し、後方へ。
サティを抱えたまま、屋上から勢いよく飛び降りた。
「……マリエ」
屋上から飛び出す寸前、少年キリオの目は、マリエ・ララーニァを見る。
自分を見ているであろうその顔には、敵意しか浮かんでいなかった。
――絶望感を胸に、キリオはサティを抱いたまま雨の中を落ちていった。
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