第290話 『宮廷』制圧戦開始、そして、終了

 午後21時47分、他の二か所より遅れて『宮廷』の制圧戦が始まった。

 ここに投入された戦力は、シンラ、美沙子、キリオ、マリエの四人だ。


「四カ所の拠点のうち、ここが『Em』の実質的な本拠地、か……」


 拠点の一階で、シンラが呟く。

 天月市繁華街の一角にある五階建ての雑居ビル。

 見た目は、いかにもありふれた薄汚れたビルだが、全体に結界が張られている。


 一般人はこのビルの存在は見えていても、背景としてしか認識できない。

 ここに入れるのは、結界を越えられる存在だけだ。


「マリエがいなければ、入れなかったでありますな」

「お役に立てて光栄です、あなた様」


 マリエが頭を小さく下げる。

 それを、キリオはうなずき返して、ビルの中へと目をやる。


「結界を張ったのは関頼人せき らいと――、ライト・セルジオでありましょうな」

「で、あろうな。ここにあの男がいるのであれば、間違いあるまい」


 キリオとシンラは、ライトのことを知っていた。

 美沙子が、詳しい話を尋ねてくる。


「どういう男なんです?」

「ライト・セルジオはこちらでいう忍者に近い『隠密』という存在でありました」

「『隠密』……、ああ、諜報と防諜のプロですね」


 女傭兵である美沙子にも、心当たりはあるようだった。


「そうです。『隠密』もまた傭兵の一種。ただし、情報関連に特化した連中でありました。余が帝国を打ち建てたのちも、幾度も依頼したものです。ライトは優秀でありました」

「それほどの相手が、この拠点で罠を仕掛けている、と……」


 ビル内一階、奥に続く通路を見ながら、美沙子が声に緊張を孕ませる。


「大丈夫です」


 だが、そこでマリエが前に出る。


「そこに道が続いているのなら、何とかなります」


 マリエが、自身の異面体スキュラをその場に展開する。

 彼女の腕の中に現れたのは、竪琴。それを爪弾き、マリエは謡声うたごえを響かせる。


「Laaaaaaaaaa――――」

「幾度聞いても、心揺さぶられる声でありますな……」


 キリオが深くうなずいて、そのまま警戒することもなく通路の真ん中を闊歩する。

 通常であれば、ライトの仕掛けた罠が発動する。

 しかし、それは一つも作動せず、キリオは通路を最初の部屋の前に到着する。


「さすがでありますな、マリエの『奏理埜カナリヤ』は」


 マリエ・ララーニァの異面体――、カナリヤ。

 それは、謳声が届く範囲内にある罠や結界などの障害を無効化する能力を持つ。


 罠を破るだけならばキリオの異面体でも十分だが、道を塞ぐたぐいの罠には、彼の能力はあまり活きない。だからこの場面では、マリエの能力に頼るのが正解だった。


「シンラの兄貴殿、美沙子殿、行くであります」

「うむ、先陣は任せたぞ」

「ありがたき幸せ――、って、いかんでありますな。聖騎士時代のクセが……」


 髪を掻くキリオを見て、マリエがクスクス笑う。

 そして、四人は慎重にビルの中の探索を始めるのだが、しかし――、


「ふむ……」


 探索開始から30分が経過し、午後22時17分。

 一階の探索を終えて二階に上がるところだが、キリオは妙な雰囲気を感じ取る。


「わかるでありますか、シンラの兄貴殿……」

「静かすぎるな。マリエ殿が罠を無効化しているとはいえ、何というか――」

「気配がなさ過ぎる。って感じさね」


 シンラと美沙子の言う通り、ビルの中は不気味に静まり返っていた。

 五階建てのビルに、標的は三人。確かに少ないが、それでも静か過ぎる。そして、


「そうでありますな……」


 キリオはその場は同調しておいたが、実は違っていた。

 気配がないことを妙に思う二人とは真逆、キリオは、異様な気配を感じていた。


「あなた様……」

「マリエ、おまえは――」

「はい、感じています」


 うなずく彼女も、どうやらキリオと同じなようだった。


「何でしょうか、この感覚……」

「そうでありますな、何か、焦るというか……」


 何かが自分を激しく追い立ててくるような、そんな余裕を失わさせる何か。

 言語化できないのがもどかしいが、これは尋常ではないと判断する。


「ひとまず、二階を探索するであります」

「はい、あなた様」


 そして、四人は二階に上がって探索を続けるが、やはり何も見つからず――、


「兄貴殿、提案があるであります」

「どうした、キリオ」

「父上殿達をここに呼んでおきましょう。明らかに妙であります」


 躊躇なく、キリオは援軍の要請を提案する。

 シンラと美沙子が、互いに視線を一瞬だけ交わらせる。


「理由を聞こう」

「この場に『ミスター』と『ミセス』がいる場合を危惧しているであります」

「ここ、に……?」


 キリオの発言はシンラにとっても意外だったようだ。

 兄に向かって、キリオは続ける。


「先程から、それがしとマリエは妙な気配を感じているであります。しかし兄貴殿と美沙子殿は気配がないことを妙に思っておられる様子。この齟齬は明らかにおかしいでありましょう? これを杞憂と思うは愚の骨頂。最大限に警戒すべきであります」

「――わかった。父上達に協力を仰ごう」


 シンラが決断を下す。

 この時点で、時間は23時08分。二階の探索にかなりの時間を費やした結果だ。

 ちょうどこの頃、ケントが『竜胆拠リンドウキョ』でアキラを説得している。


 そしてシンラが一度リンドウキョに戻り、しばしのち。

 その場に、リンドウキョに残っていた全員が『宮廷』拠点にやってくる。

 アキラ、ミフユ、タクマ、シイナ、スダレ、リリスの六人だ。


「ここに『ミスター』がいるのか?」

「わかりませぬ。しかし、キリオによるとその可能性が……」


 アキラとシンラが話している。

 しかし、キリオはそちらにあまり意識をやれていなかった。


 ――気配が、強まっている。


「あなた様……」

「上でありますな、これは……」


 同じく、その気配を感じているマリエも、キリオにうなずいている。


「よし、これだけいるならひとッところに固まってても意味がない。分かれるぜ」


 アキラの指示により、ここからは幾つかのグループに分かれての探索となる。

 キリオは、マリエと共に一路上を目指した。他についてくる者はいない。


「間違いない、気配がどんどん強まっているであります……」

「あなた様――」


 最上階への階段を上がる最中、マリエがキリオを呼び止める。


「マリエ、どうかしたでありますか?」

「こちらをお持ちくださいませ」


 そう言って、マリエが差し出してきたのは飾り気のない指輪だった。


「これは……」


 その指輪のことを、キリオは覚えている。

 異世界で共にいた頃、マリエの誕生日に送ったものだ。魔法の品ではない。


「何故、これを?」

「お守りのようなものと思ってください。この一件が終われば、返してくださいね」

「む……? う、うむ……」


 どうして今なのか、という疑問は当然キリオの中に生まれる。

 しかし、マリエの意志のこもった瞳に、彼は口を挟めなくなる。指輪を受け取る。


 もしかしたら、マリエはこの時点で予感していたのかもしれない。

 この先に待ち受けている、逃れようのない破滅の始まりを。


 最上階から、声が聞こえてくる。

 タクマのモノだった。


「オイオイ、人が死んでるぜ。男だ!」


 男の死体が見つかった。

 この『宮廷』にいるはずの男は一人、ライト・セルジオで間違いないだろう。

 加えて、今度は四階の方からミフユの声が聞こえてくる。


「こっちには女の死体だわ! おばさんの死体よ!」


 こちらは、おそらくはユキコ・ガルセルだろう。

 そうなると、おそらく残る一人のサラ・マリオンも死んでいる可能性が高い。


「何が、起きているのでありますか……?」


 場は、一気に混迷を極めることとなった。

 バーンズ家が仕返しをする前に、すでに『宮廷』の『出戻り』は死んでいた。


 誰がそれをやったのか、キリオには皆目見当もつかない。

 ひとまず、タクマのもとに行くか、それともミフユのところへ――、


「……これは」


 キリオは、感じた。感じてしまった。

 それは、今までの気配などという生易しいモノではない、明確な悪寒。戦慄。


「行くであります!」

「あなた様、待ってください!」


 階段を駆け上がるキリオを、マリエが追いかける。

 最上階を通り過ぎ、彼はさらに大股に階段を上がって、ビルの最上階へ。

 すると、屋上に続くドアが開け放たれていた。


「くぅ、ああ、ァ……ッ!」


 ドアの向こうの空間から、誰かの悲鳴が聞こえてくる。

 その声を耳にした瞬間、キリオは、その声の主が誰なのか確信してしまった。


「――サティ!」


 キリオは、その名を叫んだ。

 声自体は変わっていても、そこに含まれる響きは同じ。間違えるはずがない。


「サティ……? サティアーナ・ミュルレ様ですか!」


 追ってきたマリエが、キリオは叫んだその名に仰天する。

 そして、二人は屋上へと飛び出した。

 屋上は雨に濡れていた。そしてキリオが見る先に、二つの人影が見えた。


 立っている男と、倒れている女。

 女は腹を刃物で突き刺されて、グッタリと力なく横たわっている。

 その姿に、キリオは絶叫して女へと駆け寄っていく。


「サティ、サティィィィィィィィィィィ――――ッ!」

「君は……」


 サティを刺したと思われる男が、キリオに気づいて小さく声を出す。

 声の響きから、男は相当な年齢らしい。

 しかし、今のキリオには関係ない。彼にとっては百回殺しても生ぬるい相手だ。


「貴殿、よくもサティを……ッ!」


 怒りのまま、勢いよく顔を上げる。

 そして、キリオはそこに立っているにっくき男の姿を見た。


 ――キリオ・バーンズだった。


 それを認識した瞬間、少年キリオの動きが停止する。

 そこに立っている男。

 高そうなスーツの上にコートを羽織った、マフィアのドンのような風情の男。


 しわが刻まれたその顔は静観で、数多の修羅場を生き延びた男の顔つきだ。

 だがそれは、自分の顔であるはずだ。自分が毎日、鏡の向こうに見る顔のはずだ。


「なるほどな。君は私か。サイディの話は間違っていなかったか……」

「貴殿、何者でありますか……?」

「見ればわかるだろう? 私は君だよ。君も私ではあるがね」


 言葉遊び、などではない。

 真実だ。少年キリオ自身が、それが真実だと確信している。


 目の前の老紳士は、確かに自分だ。

 異世界での晩年の自分を思い出させる、老いたキリオ・バーンズだ。


 何故、こんなことが。

 考えたところで、答えなど出るはずがない。それに、今はそれどころではない。

 少年キリオは冷え切ったサティの体を抱き上げて、老いた自分に叫ぶ。


「貴殿、何ゆえ、サティをこのような目に! 貴殿もそれがしでありましょう!」

「そうだね、その通りだ。私がしたことは夫として最低の行為だろう」


 老キリオは、少年キリオが向けてくる怒りを肯定する。

 その表情は自らの悪行を認める罪人のそれに近い。しかし老キリオは目を伏せる。


「だが、こうせざるを得なかったのだ。こうするしか、他に手がなかったのだ」

「貴殿は、何を言っているでありますか。サティを殺す理由が、どこにあると!?」

「サティが私を裏切ったからだよ、若き『私』」


 悲しそうに、本当に心から悲しそうに、老キリオはサティを見下ろす。


「彼女には『Em』の存在の隠蔽を頼んでおいたのだよ。大切な、私の『帝国』だ。それなのに、サティはそれを怠った。彼女は私を裏切った。私と共に歩むと誓った彼女が、私の大願を阻もうとしたのだ。だから、こうするしかなかった……」


 雨に濡れたしわだらけの頬を、涙が伝っていく。

 しかし、そんな言葉を聞いても、少年キリオには微塵も理解できない。


「貴殿が『それがし』であるのならば、そんな言い訳をするはずがないであります! それがしがサティを傷つけるなど、あるはずがない。あってはならないッ!」

「若き『私』よ、君は幼いな。異世界で同じ人生を歩んだとは思えぬほどに若く、幼く、愚かで、視野が狭いな。何より、君は『キリオの願い』を忘れたかね」

「『キリオの願い』……?」


 少年キリオの反応に、老キリオは失望したようにため息を漏らす。


「そうか、そういう反応か。で、あれば、

「貴殿は一体、何を言ってるでありますか……ッ」


 目つきを険しくする少年キリオの前で、老キリオは懐に手を伸ばす。

 そして取り出されたのは、黄金の金属符――、『金色符』。


「私の『Em帝国』は失われた。ゆえに、残された手段は一つしかない」

「何を、するつもりだ……!」


「『Em帝国』が手に入らないのならば『Fam家族』を手に入れる」

「キリオ・バーンズ、おまえは、その、は!?」


 少年キリオの顔色が、驚愕に染まる。

 老キリオの足元から目に見えない力が渦を巻いて、雨粒を巻き上げている。


「若き『私』よ。私はこれから君を排除して『無敵の運命』を手に入れる」

「やめろ、何をする気だ……」

「そして今度こそ、私は世界に、私の『正義』を刻みつけてみせる!」


 サティを抱きかかえながら、荒れ狂う力の余波に、少年キリオが何とか耐える。

 そして、彼が見ている前で老キリオが『金色符』を高く掲げた。


異能態カリュブディス――」

「やめ……ッ」


 動けずにいる少年キリオが、老いた自らに向かって力いっぱい叫ぼうとする。

 だがその声が届く前に、老キリオの力は解き放たれた。


「『不落戴冠儀フラクタイカンギ』」


 時刻が、23時36分18秒を迎えた。

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 → 第十二章 史上最大の仕返し『冬の災厄』 終


        第十三章 怒りと赦しのジャッジメント・デイ に続く ←

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