第172話 バーンズ家三男、タクマ・バーンズ
アキラの声は、平常だった。
だからこそその言葉は、タクマにとって痛烈に響いた。
「……父、ちゃん?」
「今の盤面で、おまえにできることは何もない。寝てろ」
アキラは繰り返す。
彼がタクマを見る目に情はなく、期待もなかった。道具を見る目でもなかった。
ただ、タクマを邪魔だと感じている。そんなまなざしだった。
「嘘、だろ……」
タクマは、立ち尽くす。
だが、そもそも立ち続けられる体力もなくて、彼はその場に座り込んだ。
「ヒメノ、診てやってくれ」
「はい、お父様。お任せくださいまし」
そんなタクマの前に、ヒメノが向かい合って座って、手をかざす。
「――これは、ひどいですね」
たったそれだけの所作で、彼女は今のタクマの状態を把握したようだった。
「どうなの?」
「母ちゃん……」
さすがにタクマが心配になったか、ミフユがすぐ傍らに腰を下ろしてくる。
そして彼女は、そのままタクマの失われた五指を治しにかかった。
「全く、あんたはこんな無茶して……!」
「ごめん……」
母親を前に、今のタクマでも謝るしかない。本気で悪いとは思っているのだ。
「それで、ヒメノ?」
「はい、お母様。今のタクマ君は、正直、何で正気を保っていられるのか不思議なくらいの状態です。猛烈な毒性を持った多数の薬物が体内に残留しています……」
「そうでしょうね。クレヴォスがジルーに作らせた魅了薬なんでしょ」
ハァ、と、ミフユが深くため息をつく。
「それね、ガルさんがアキラでも耐えきれないって太鼓判押してたやつよ。それなのに、何であんたはまだ正気でいられてるのよ、タクマ……?」
「そんなの、俺だって……」
わからない、とは言わなかった。
今もタクマが自意識をたもっていられる理由について、推論はないでもない。
だが、もしそれが当たっていたなら、皮肉というほかないだろう。
要はいつもかぶっている『普通のタクマ』という仮面が、守ってくれたのだ。
魅了薬と『魔血』をもってしても、タクマの面の皮は剥がしきれなかった。
そう言いかえることもできる。どちらにせよ、嬉しくなどないが。
「スダレ、シイナの居場所はわかるか?」
「わかる~。でもおマヤちゃんの居場所はわからない~」
アキラとスダレが話している声が聞こえる。
スダレでも、マヤの居場所がわからない。魔法的な手段で隠れているのか。
「そうか。わかった。とにかく、まずはシイナの安全確保だ。ケント――」
「待ってくれよ、父ちゃん」
コトを進めようとしているアキラを、立ち上がったタクマが呼び止める。
その右手は、ミフユに治してもらった。
体力も、ヒメノのおかげでひとまずは取り戻すことができた。
「寝てろ。魅了薬の影響はすぐには抜けないはずだ」
だがアキラは変わらずに冷たい物言いで告げて、ヒメノに目配せする。
「はい。今のタクマ君は、最低でも一日二日は絶対安静が必要な状態ですわ。私が治療を担当したとしても、体から毒を抜くのにもそれなりに時間がかかります」
「そういうこったよ、タクマ。俺に知らせた時点で、おまえの役割は終わりだ」
アキラの言っていることは、至極真っ当な理屈だった。
その場にいるケントやタマキも、タクマを気遣って励ましの言葉をかける。
「大丈夫っすよ、タクマさん。俺らに任しといてくださいって!」
「そーだぜ、タクマ。おまえはここで待ってろよな!」
それは、バーンズ家にとっていつもの光景とも呼べた。
前線に出ないタクマが、戦いに赴く面々を見送る。異世界ではありふれた景色。
だが――、
「……俺も行く」
タクマは、それを拒んだ。
異世界ではいつものことだった流れに、彼は、面と向かって『否』と告げる。
周りにいた家族の顔が、一斉にタクマの方へと向けられた。
「俺も行く。行って、今度こそシイナを助ける!」
「ダメだ」
それに、アキラがさらなる『否』を叩きつけた。
「何でだよ、父ちゃん!?」
「戦えないおまえが加わったところで、邪魔にしかならねぇんだよ、バカが」
強く舌を打って、アキラは吐き捨てるように言う。
その物言いは、普段の彼が家族に対して向けるものとはまるで違っていた。
彼は本気で、今のタクマを邪魔者としか見ていない。
それがありありと伝わってくるようだ。
「そもそも、おまえが戦えるなら俺達のところに来る必要だってなかっただろ? だが来た。それはおまえ自身が、自分が戦えないってわかってるからだ。違うのか?」
「ぐ……ッ」
痛いところを突かれ、タクマは一瞬言葉を詰まらせる。
だが、彼はすぐにアキラを睨み返し、反論する。
「さっきまでは、そうだったよ。だけど、もう、今は違う……!」
「へぇ、違うのか? さっきと今と。何が違うんだ? どう違うってんだ?」
抉るように次々に言葉を放ってくるアキラへ、タクマは真っ向から言い返す。
「俺はもう、シイナを好きだってことに気づいちまったんだよッ!」
傷つきたくないという恐怖より、自分が『普通』であることへのこだわりより、もっとずっと深い場所にあった。タクマの唯一無二の想い。彼という心の根っこ。
「それに気づいた以上、俺は、待ってなんかいられない。俺はシイナを助ける。俺が、シイナを助ける。だから……、だから俺は――――ッ!」
「くだらねぇことをベラベラ述べて時間使ってんじゃねぇよ、小僧」
だが、タクマの決死の訴えを、アキラはいともたやすく切り捨てる。
これには、タマキやマリクも驚きの顔を見せる。
「お、おとしゃん……!」
「お父さん、そ、それは、あんまりだよ!」
「うるせぇぞ、おまえらも。いいか、今は一刻を争う事態なんだよ。そして、それを教えてきたのは誰だ? そこにいるタクマ自身だろうが。それなのに無駄なことで時間使わせて、間に合わなくなったらどうする。マヤの居場所は不明なんだぞ……?」
アキラの言い分はまぎれもない正論であり、それに誰も言い返せなかった。
当の、タクマ本人以外は。
「それでも、俺は行くぞ」
「まだ言ってんのかよ、おまえは! 邪魔なんだよ! 足手まといなの! わかれよタクマ。異世界でもずっと裏方だったおまえに、できることなんてねぇんだよ!」
「それでもだよ! それでも俺は行く、行って、シイナを助ける!」
「助けて、どうするんだよ。おまえはシイナにとっくに見限られたんだろうが!」
抉る抉る。
アキラが容赦なく、タクマの傷口を抉ってくる。痛い。辛い。苦しい。でも、
「助けてから、俺がシイナを幸せにするんだよ!」
具体性、全くなし。完全に勢いだけの決意表明でしかなかった。
けれどそれを口にした瞬間、タクマの中で何かが変わる。
それまでおぼろげだったものが、急に輪郭を得ていくような、妙な感覚。
だが、はっきりと自分のなすべきことを自覚できた。そんな気がした。
一方でアキラは、タクマを冷たく見据えたまま言葉の刃を振りかざしていく。
「別に、おまえじゃなくてもいいんじゃないか、シイナは」
「ちょっと、アキラ……」
これには、ミフユも驚いたようだった。
だがアキラはそれを無視して、タクマに向かって言い募った。
「シイナには、もうユウヤっていうパートナーがいるんだよ。あいつなら過去を反省して、シイナを幸せにしてくれるだろうぜ。おまえなんかよりも、ずっとな」
「何言ってんだよ、父ちゃん。心にもないことを言うなよ」
タクマは、微塵も怯まなかった。それどころか口角を上げる余裕を見せる。
「あいつにゃ、無理だよ。あいつには、シイナを幸せにすることなんてできない」
「何でそう言い切れる。どこに、そう断言できる根拠がある!」
声を荒げるアキラを見返し、タクマは親指で自分を示した。
「根拠は、俺だ」
「あ?」
「この宇宙で、シイナを一番幸せにできる人間は俺だ。その俺が言ってるんだから間違いねぇよ、父ちゃん。ユウヤなんぞが、シイナを幸せにできるワケがねぇ」
朗々たる、その言葉。
堂々たる、その振る舞い。
しかし、言っている内容は間違いなく妄言で、下手をすれば失笑を買うだけ。
にもかかわらず、タクマに恥じ入るところは一つもなかった。
皆が唖然となる中で、タクマだけが、自らの言葉を信じて疑わない。
アキラが、そんな彼を探るような目つきで見つめる。
「シイナはおまえを見限ったんだぞ、タクマ。今さら好きだと叫んだところで、あいつがそれを受け入れると思うか。本気でおまえを選ぶと思ってるのか?」
「バカだな、父ちゃんは。その話だったら、もう終わってるぜ」
「何……?」
「俺はシイナを幸せにする。それで話は終わってんだよ。あとは叶えるだけだ」
その場にいる、皆が感じとっていた。
もう、タクマは揺るがない。何を言っても、彼は微動だにしないだろう。
「タクマ――」
それでも、アキラはしつこかった。
あくまでもタクマの前に立ちふさがって、なおも彼を否定しようとする。
「おまえの言い分は、結局は全部ただのおまえの独りよがりだろうが。シイナのことも考えろ。おまえがやろうとしてることは、あいつにとって迷惑になるだけだ」
「うるせぇよ。いつまでも邪魔するな」
タクマはやはり揺るがない。
そして、アキラもまだまだ譲らない。ここで彼は、最後の一撃を撃ち放つ。
「シイナとおまえは姉弟だ。姉弟での恋愛なんて『普通』じゃねぇだろうが!」
「うるせぇって言ってんだよ!」
怒鳴るアキラに、タクマはクワッと目を見開いた。
自暴自棄になったのではない。彼は、己を阻む障害に敢然と立ち向かうのだ。
「俺の『普通』を、俺じゃねぇヤツが勝手に決めつけンなァァァァァ――――ッ!」
怒号ののち、生々しい打撃音が、その場に響いた。
そこには、拳を振り抜いた形のタクマと、軽く吹き飛ぶアキラの小さな体。
何が起きたのか、誰も、すぐには理解できなかった。
ただ、倒れたアキラに向かって、喰らわんばかりの声で吼え猛るタクマを見る。
「あいつの気持ちなんて、今はわかるワケねぇよ! 迷惑だってのも知ってるに決まってンだろ! だけどそんなの、シイナを取り戻してから、かけた迷惑の三兆倍幸せにするからいいんだよ! それで、バランスはとれんだよッ!」
何て暴論。
あまりにも暴論。
そして極論。
とんでもない極論。
だけども、それを断言してしまうタクマに、アキラは唐突に笑い声を響かせる。
一緒になって、ミフユまでもが笑い始めた。
「フハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
「ちょっと、嘘でしょ、もう! フフフ、アハハハハハハハハハハハハハ!」
さすがにこれは、タクマにとっても予想外の反応で、ポカンとなってしまう。
「そうかそうか、三兆倍か、そうか! そうかぁ! うわ、面白ェ~!」
「ねぇねぇ、アキラ、どうするのよ。あんたの三倍なんだって、この子ってば!」
「な、何だよ、父ちゃん……、母ちゃんまで」
立ち尽くし、まばたきを繰り返すタクマに、起き上がったアキラが言う。
彼がタクマを見るまなざしは、いつもの、父親の目だった。
「今おまえが言った言葉な、俺がミフユを嫁にもらうときに、リリス義母さんに言ったのとほとんど同じだったんだよ。もう、本当に、そっくりそのままな」
「そうそう。こいつ、わたしのママに向かって言ったらしいのよ。今みたいなこと」
「え……?」
「ま、俺のときは一兆倍だったがな」
そこまで言って、アキラはさらに「クックック!」と笑い出す。
「タクマ。やっぱりお前もバーンズ家だよ。血を分けた俺の息子だ。今ほど、おまえとの間に血の繋がりをありありと感じたことはないぜ。あ~、笑うわ」
「父ちゃん……」
「それとおまえ、今、自分が何したか理解してないだろ?」
急にそんなことを言われて、タクマは咄嗟にはわからずに、眉根を寄せる。
するとアキラは、自分の口元を見せてくる。唇の端に、血の跡がある。
「あ……」
それを見て、タクマはやっとわかった。拳にもしっかり感触が残っている。
自分は、父を殴ったのだ。あの、アキラ・バーンズを。
「俺が、父ちゃんを……」
にわかには信じがたかった。
けれども、拳に残る感触が教えてくれる。自分は確かに、アキラを殴った。
いつもならば、震えが来る。嫌悪感から吐き気も込み上げてくるはずだ。
だけど、そんなモノは一つもなかった。気持ちだって、少しも萎えていない。
「おまえに、前に言ったよな」
アキラが、呆けているタクマの胸をポンと叩いてくる。
「人間なんて、必要なときだけ戦えりゃ、それでいい。ってよ」
「……うん」
「おまえにとってのそれは、いつだ?」
「今だよ、父ちゃん」
「なら、おまえは戦えるのか?」
「戦えるに決まってる!」
「じゃあ行けよ。そして、おまえの『普通』を取り返してこい。待ってるぜ」
アキラの言葉に、タクマはうなずく。強くうなずく。
「スダレ姉、シイナの居場所を教えてくれ。行ってくるからさ」
「うん~、わかったよぉ~。ちゃんと、おシイちゃんを捕まえてくるんだよぉ~?」
「やってみるわ」
タクマが、スダレと話し始める。
それをアキラが眺めていると、ケントが話しかけてきた。
「団長、タクマさん、もしかして……?」
「クックック、子供の成長ってヤツァ、いつだって嬉しいモンだよな、ケント」
皆まで言わず、アキラはケントの肩を叩いた。
「タクマ、何かあったら俺達を呼べよ。すぐに駆けつけるからな」
「大丈夫だよ、父ちゃん。――こいつは『俺達の物語』だ」
太い声で言い切って、タクマが部屋を飛び出していく。
その背中を見届け、アキラは感慨深そうにその目を細めた。
「シイナの方も、そろそろかしらね」
その隣で、ミフユが小さく呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます