第160.5話 ジルー・ガットランの幸い

 今日も今日とて、ジルー・ガットランは研究を続けている。

 薬物の作成はバランスの追求だ。

 均すにしても偏るにしても、結局はそこに行き着く。


 新たな薬品を作る場合は、素材の混合比率との戦いになる。

 この比率が少しズレるだけで、薬効は大幅に変わってくることだってままある。

 何なら、未知の効果が発揮されることだって起こりうる。


 既存の薬を改良する場合は、現状最適とされるバランスを崩すところから始まる。

 完成したものを一度壊して作り直すのだから、それはそれで難しい。


 そうした意味では、化学も、錬金術も、さして差はない。

 己の努力と才覚と知識と感覚により、不可能を可能へと近づけ、実現していく。

 そこに、魔法というファクターがあるかないかだけの違いだ。


 ただ、その違いこそが科学と錬金術を大きく分け隔てているワケではあるが。

 そして、ジルーは今日も研究を続ける。

 己の求める最高の効果を、己の求める最高の水準で実現するために。


「ヴァウ! ヴォウ!」

「お~っとと、もう餌の時間かぁ~、また時間が過ぎるのを忘れてたなぁ……」


 ペットの鳴き声に、研究に没入していたジルーはハッと顔を上げる。

 その反応に、腹を空かせたペット達が、餌を求めて鳴きはじめる。


「はいはい、わかったわかった」


 自分にすがるペットを撫でながら、ジルーは餌の準備をした。

 これは、極論、彼の目的には必要ない行動だ。


 ジルーのやりたいことは薬を作ることと、その効果を確かめることだ。

 それさえできれば、彼は他に何もいらない。地位も名誉も、金も安定も、何も。


 だが、それでは人として生まれた価値がないとも、ジルーは思う。

 とかく、学者や研究者という人種は、己が人であることを忘れがちだ。


 研究に没頭し、研究に邁進し、研究に己の人生の全てを捧げる。

 そういう生き方だってもちろんありだろう。

 彼自身は、それを否定はしない。ただ、自分は少々毛色が違うというだけの話だ。


 せっかく人として生まれたのだから、人が味わえる全ての楽を味わいたい。

 それが、彼の中に根付くもう一つの根源的な欲求である。


 彼がペットを飼っている理由も、そこに帰結する。

 ペット達は可愛い。いとおしくて、そして大切に思っている。


 彼が飼い主であることを、ペット達も知っている。

 だから餌の時間になると鳴いて縋ってくるし、遊ぶときは精一杯媚びを売る。


「フフ、クク……ッ!」


 餌を準備している最中、ジルーが己の足にすがるペットの一匹を蹴りつけた。


「ギャンッ!?」


 そのペットは悲鳴をあげて、床に転がる。

 これが、まだ躾けのなっていないペットなら、主に牙を剥くだろう。

 しかしそこは心配ない。すでにジルーは、調教を終えている。


「きゃうん、きゃうん……」


 蹴ったペットは、全身を縮こまらせてジルーを見る。

 その、救いを求める瞳が、主である彼に人としての充足を与える。


 そう、この場にいるペット達の生殺与奪を、自分一人が握っている。

 それが最高に楽しい。その気になれば、ペットを皆殺しにするのもいい。


 他の生物の生死を含めた全てを握る。

 これぞ、人として生まれた自分が得られる最高の楽の一つではないだろうか。


 そして彼は、それを再確認するために、たまにペットを殺したりする。

 例えば今のように。


「おまえは、餌の準備をしている僕の邪魔をしたな。したよな。したなぁ!」


 近くにあったハンマーを手に持って、彼はペットの頭を殴りつけた。

 ガツ、ゴッ、という生々しい音と共に、辺りに血がしぶく。


「ヒギャッ! ギャゥン! ギヒィ! ギァア!」


 悲鳴だ。悲鳴だ。痛い痛いと鳴いている。泣いている。

 それを止められるのは自分だけだ。それを続けられるのも、自分だけだ。


「フハハハハ、泣けよ、泣け! もっと泣きわめいて、僕に救いを求めろ! おまえみたいなか弱い命が生きるためには、僕に頼るしかないんだよ! アハッハハ!」

「ぐひ、ぎ、ぁ……」


 だが、殴っているうちにそのペットの反応が鈍くなってくる。


「おい、どうした? 何で泣くのをやめる! 泣け、もっと泣け! 泣けよぉ!」


 主の命令に従わないペットに、ジルーは顔から笑みを消してハンマーを振るった。

 やがて、ペットが血まみれになって動かなくなったところで、彼は気づいた。


「ああ、死んだから泣かなくなったのか! そうか!」


 気づいたところで、彼は「何だ」と興味をなくしてハンマーを放り捨てる。

 そして足元には、さっきまで愛でていたペットだった肉塊。


「はぁ、もう餌はこれでいいか」


 今さら餌を用意するのもめんどくさくなって、ジルーは死体のを掴む。

 彼が殺したペットは、十代半ばにも満たない全裸の少女だった。

 さっきまで、涙と鼻水を垂らしながら彼に媚びていた、今はただの冷たい肉だ。


「ほぉ~ら、餌だぞぉ~! 来ぉ~い!」


 髪を掴みあげて、ジルーは待っている他のペットに、少女の死体を放り投げる。

 すると、そこにペットたちが一斉に集まってくる。


「ガウ、ガウガウ!」

「ギャウ!」

「ウォォォォォォ~~~~ン!」


 男だった。子供だった。中年の女性だった。

 そこにいるペット達は皆、ジルーのクスリで心を壊された全裸の人間達だ。


 実験体でもある彼らが、同じペットだった少女の骸に殺到し、喰らい始める。

 ペットは十数人。餌である少女の亡骸は一つ。当然、奪い合いが発生する。


「グォア! ガァァァァ!」

「ギャンッ! ギ、ヒィ……、グギィ!」

「フフフ、みんな仲良くしなよ~」


 餌を奪い合って争うペット達を、ジルーは優しい目で眺めた。

 ペット達は犠牲だ。自分の研究に協力し、その身を捧げてくれたいとしい家族だ。


 そんな彼らを支配し、生死を握る。陣営を掌握し、支配する。

 それが最高に楽しくて、ジルーはこれからも彼らを愛そうと思った。


「そろそろ、街でも何かが起きる頃かな?」


 研究スペースに戻り、自分の椅子に座って、彼はそんなことを呟く。

 目を閉じると、そこに様々な景色が浮かんでくる。


 今現在、宙色市と天月市に流通しつつある錬金魔薬『再誕の赤リボーン・ブラッド』。

 その服用者が見ている景色を、彼は同調の魔法を使うことで覗くことができた。


 見える見える。トクベツになりたくて『再誕の赤』に手を出した阿呆の視界が。

 最初に見えたのは、喧嘩をしている誰かの見る風景だった。


 相手は、服用者が使う魔法に驚いているようだった。

 その驚きようこそトクベツの証と、この服用者は思っていることだろう。愚かな。


 次の服用者は、かなりの量を飲み続けたらしく、視界が定まらなかった。

 ジルーが作った『再誕の赤』は薬物検査に引っかからないが、その毒性は強烈だ。


 一度服用すれば強い多幸感と万能感に支配され、ネガティブな感情がマヒする。

 さらに、材料の一つである『魔血』のおかげで一時的に魔力を得ることもできる。


 だがその反動で、精神は常に高揚した状態となり、理性が徐々に失われていく。

 そして最終的には――、と、ジルーはペット達の方をチラリと見た。


 あれが、軽い気持ちでトクベツになろうとした人間の末路。

 人権も尊厳も剥奪された、獣としてあるべき姿に還った者達であった。


「クックック、面白いよねぇ、人間って……」


 異世界人ならいざ知らず、現代の日本において魔法はまさにトクベツの証だ。

 できなかったことができるようになる。

 たったそれだけのことで、人は容易く自身が神に選ばれたと錯覚する。


 トクベツという言葉ほど人を酔わす言葉もない。

 人と違う。異質である。異端である。

 社会に馴染めない人間ほど、そうであることに誇りを持ちたがるものだ。


 いや、社会に馴染んでいる人間でも本質的には同じか。

 誰も彼も、己の内側に『自分はすごいに違いない』という妄想を宿している。

 トクベツという言葉は、それを発露させるのに最適なのだ。


 ――ジルーから見れば、全員、自分のペット候補でしかないのだけれど。


「人間社会なんて、僕にしてみれば大規模な実験場でしかないよ。そこにいるのは人間っていう名前の、調教前の動物でしかないんだから」


 呟きつつ、ジルーは己の実験結果を確かめるべく、さらに服用者の視界を漁る。

 そんな中で、椅子に座って笑っていた彼が、ピクリと反応する。


「これは……?」


 彼が見ているのは、駅前の景色だった。

 そこで、一人の服用者が暴れている。大柄だが、ただの安いチンピラだ。


 そっちはどうでもいい。

 やがてはペットに仲間入りするだけの、一般的なサンプルに過ぎない。

 気になったのは、その男が絡んでいる相手だ。


 一組の男女。

 小柄な、気弱そうな女性と高級そうなスーツを着た、甘いマスクの男。

 どちらも、自分と同じ『出戻り』だとわかった。


 ジルーはその二人に興味を持ち、聴覚も同調させる。

 すると、聞こえてしまった。


『シ、ィナ、に、逃げ……』


 シーナ? ……いや、シイナ。シイナ! シイナ・バーンズ!?


「アハハァ! バーンズ、この女、バーンズ家だァ!」


 それを知った瞬間、ジルー・ガットランは歓喜した。

 バーンズ家は、彼の宿敵だ。異世界にて研究を邪魔した、最悪の一家だ。


「いるのか? 他にもいるのか? 他にもいるなら、根絶やしにしてやる!」


 これまで大規模な動きは控えていたジルーだが、相手がバーンズ家なら別だ。

 自分のことを捕らえたアイツもいるかもしれないとなれば、俄然、殺る気が湧く。


「この一週間で『再誕の赤』もだいぶ浸透した……」


 ジルーが、ペットの方を見る。


「経過観察も少し飽きたところだ。そろそろ、派手な実験をやってもいいだろう。ねぇ、そう思いませんか。『アダマンタイト』のボスさん?」

「ガウ、ガウッ! ガォウ!」


 ペットの中に混じっている、一際体の大きな男。

 今は、少女の胸にかじりつき、裸で尻を振っている彼は、弓削清晴。


 宙色と天月で最大の規模を誇るチーム『アダマンタイト』のボスだった男だ。

 今や、尊厳を破壊し尽くされた男の頭を撫でて、ジルーはほくそ笑む。


「……『再誕の赤』の臨床実験を始めるとしようか」


 自分のクスリで世界を動かす。

 まさに、自分こそは本当の『トクベツな人間』なのだと、ジルーは自負していた。

 今、彼は幸せだった。

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