第97話 金曜日/中学生、郷塚賢人の幸福すぎる地獄

 その日は、中学二年生の郷塚賢人にとって、天国であり地獄でもある日だった。

 まず、その日、彼は宙色市の中心街である空色駅にいた。


 目的は、来週に迫っているキャンプに使うグッズを買うことだ。

 提案者は風見慎良。

 バーンズ家と近しい人々で、隣の県にあるキャンプ場に行こう、という話だ。


 どうやら、シンラがアキラの母親を口説く作戦の一環らしい。

 自分の甲斐性と行動力を真正面から見せつけてやろうというのだろう。


 若ってそんな情熱的だったんだー。

 と、他人事だからそんな風にしか思わないケントである。


 なお、目的地のキャンプ場はこっちでは割と有名な場所だ。

 そこは湖岸にあって、夏でも涼しく過ごすことのできるらしい人気スポットだ。

 湖は透明度も高く、普通に泳ぐこともできるらしい。


 ケントは前世では傭兵だったこともあり、毎日がキャンプみたいな生活だった。

 しかし、今はただの中学生で、もちろんこれが生まれて初めてのキャンプとなる。

 楽しみではない、と言えば嘘になる。どころか、バッチリ楽しみだ。


 金については心配はない。

 何せ、彼は宙色家屈指の名家である郷塚家の跡取り。

 管理人に任せている部分はあるが、お金は不自由しない程度にはある。


 と、いうワケで、ド素人が見栄目的で高ェグッズを買いにきたのだった。

 ネットで買ってもいいのだが、ここは『自分で見て買った』というのが欲しい。


 きっと、通や玄人ならば自分で品を見定めて買うだろう。買うに違いない。

 そんな子供じみた単純な思い込みから、わざわざ街の中心にまで足を運んだのだ。


「ふぅん、なるほどね……。へぇ、こんなものが。なるほどなぁ」


 と、広い売り場の中でも特にブランド品がある辺りを、ブツブツ呟きながら歩く。

 もちろん軽く腕を組み、片手はあごに当てている。


 時々立ち止まり「でも、実際の使い心地はどうなのかな?」とか言うのがミソ。

 誰が見ていなくてもいい。

 ただ、こうすることで『通っぽさ』が演出できればいいのだ。


 郷塚賢人は中学二年生。

 つまりは、そういうことが『カッコイイ』と思えるお年頃なのだった。


 っつーか、アウトドア用品の良し悪しなんてわからん!

 所詮、今の彼は前世でちょっと野宿に慣れてただけのただの中二でしかないのだ。


「……そもそも何が必要なんだ、キャンプって?」


 実際の話は、そのレベルであった。


「へぇ、何? キャンプに行くの?」

「そうなんですよねぇ。でも、何を買えばいいのかわからなくて……」


「キャンプは初めてなの?」

「そうっす。生まれて初めてっすよ~。何が必要なんでしょうかねー、テント?」


「賢人君がお呼ばれされた側なら、テントはいらないんじゃないかしら?」

「え、そうなんすか? じゃあ何がいいんだろう……」


「一日を外で過ごすんだから、虫刺されとか日焼けを気にするべきじゃない?」

「あ、なるほどー。その辺はあんまり意識してなかったっす。……って?」


 そこでケントはようやく、自分の隣に立っている女性に気づいた。


「す――、菅谷、さんッ!?」


 立っていたのはズボンタイプのレディーススーツ姿の女刑事、菅谷真理恵だった。

 彼女は、ちょっと驚いたように軽く首をかしげて、ケントを見る。


「なぁに、そんなにビックリして。私に気づいてなかったの?」

「え、あ~、そんなこと……。…………。……はい、気づいてませんでした」

「正直でよろしい」


 肩を落とすケントに、菅谷はニッコリと笑う。

 彼女は童顔なので、その笑顔は綺麗というよりも可愛らしく映える。

 それがまた、ケントの心にはズドンと響く。


 ――くぅ、やっぱいいなぁ、菅谷さん。


 好みのタイプかどうかと問われると、菅谷はケントのそれからは若干外れる。

 しかし、彼は菅谷真理恵という人物自体に好意を抱いている。


 ゆえに好みのタイプがどうこう、という基準に彼女は当てはまらない。

 ケントにしてみれば、菅谷真理恵は菅谷真理恵だからいいのだ。という感じだ。


「こ、こんなところで奇遇っすね。お仕事ですか?」

「うん。ちょっとお使いを頼まれてね。今はその帰りなのよ」


 菅谷真理恵は刑事をしている。

 ケントは、郷塚家にまつわる一件で彼女と出会い、そして色々と世話になった。


 自分のために無茶をしようとした菅谷に、ケントは心から感謝した。

 そして、ぶっちゃけていえば、惚れてしまった。中二の彼が、刑事の彼女に。


 とはいえ、二人の間に何か進展があったかといえば、そんなものはない。

 さすがに立場が違いすぎるし、何より、菅谷は忙しい。刑事だから当然なのだが。


「え~っと、そろそろお昼っすね~」

「あら、もうそんな時間なのね。気づかなかったわ」


 言って、自分のスマホを見て時間を確認する菅谷。

 その様子を傍らで見守りつつ、ケントは内心、鼻息を荒くしていた。


 ――ウオオオオオ、このチャンスは逃せねェェェェェェェ!


 脳内に吹き荒れる歓喜の嵐。

 迸る緊張から、頬を汗が伝っていく。


 ここで会えたのも何かの縁だし、これから一緒に食事でもどうですか?

 ここで会えたのも何かの縁だし、これから一緒に食事でもどうですか?


 心の中の四番バッターが、菅谷を誘う文句を繰り返しながら素振りをする。

 そうだ、ここで彼女を食事に誘って、少しでも関係を前に進めるのだ。


 一気に攻めようとするな。慎重に行け。

 ただし、攻めるべき場面では逆に大胆に行け。緩急のバランスこそが肝要だ。


 よし、よし!

 脳内シミュは完璧だ。行くぞ、ケント! 今こそ菅谷真理恵を誘うのだ!


 ……3。

 ……2。

 ……1。


 GOGOGOGO! ハイ行け、今だ行け! GOGOGOGOGOGO!


「あ、あの、菅谷さん……!」

「ねぇ、賢人君、一緒にお昼、どうかしら?」

「…………」


 ケント・ラガルク、先手を打たれる! 脳内シミュ――、無駄ッ!

 しかし、


「……はい、是非!」


 ケントは輝かんばかりの満面の笑みで、これを快諾する。

 結果が一緒なら、脳内シミュの失敗など苦とも思わないケントであった。

 しかし、彼にとっての天国は、ある意味、この瞬間までだったのかもしれない。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 適当に選んだイタリアンレストランで、知り合いに遭遇した。


「あ、ケントしゃん」


 グレイス・環・ガルシアこそ、タマキ・バーンズであった。

 ウッキウキでレストランに入ったケント、タマキに気づいた瞬間、時が止まる。


 ウオアアアアアアアアアアァァッ! な、何でお嬢がァァァァ――――ッ!?


 彼の脳内で天が裂け、地が割れている真っ最中、菅谷も店に入ってくる。

 すると当然、菅谷真理恵とタマキ・バーンズもそこで目が合うワケなのだが――、


「あー! 菅谷真理恵~!」

「あなた、グレイス・環・ガルシア!?」


 互いに顔色を変えて、大声で相手の名前を言い合う二人。

 タマキは席を立ち、菅谷はその顔に険しいものを浮かべている。


「……え、あれ? え?」


 真ん中に立つケントだけが、事態を把握できておらず、二人を交互に見ている。

 え、何々? もしかしてお二人とも、知り合い? といった感じで。


「あの、お客様。入り口で止まられますと、他のお客様の邪魔になりますので」

「あ、すみません……」


 ウェイトレスに注意され、ケントは菅谷を伴って店内に入る。

 座席はまだ大半が空いているので、どこに座ろうかとケントは視線を巡らせ――、


「ここ」


 おもむろにタマキが立ち上がって、自分の座席を示す。


「ケントしゃん、ここ」

「あの、お嬢……?」


「ここ空いてるから、一緒に座ろ。ここ」

「あ、はい……」


 無表情のタマキが放つ問答無用の迫力に、ケントは抗うことを諦めた。

 そして、三人は座席を同じくする。

 タマキがいたのはコの字型のマット席で、まずケントはコの字の縦線部分に座る。


 そしてその右側に、菅谷真理恵。左側に、タマキ・バーンズ。

 つまり、ケントは位置関係的に両手に花なのだが、何ッッッッにも喜べなかった。


 何故なら、席に着いてからずっと菅谷とタマキが無言で睨み合っているからだ。

 互いが放つ圧は、中坊でしかないケントを震え上がらせるのに十分だった。


「あの~……」


 それでも何とか勇気を振り絞って、彼はこの超重力空間を解除しようと試みる。

 すると、菅谷とタマキ、両者の目が全くの同時にケントを見た。


「賢人君!」

「ケントしゃん!」

「は、はいィィィィィィ~! な、な、何でしょうか!?」


 俺、悪いことしてないよね? 何もしてないよね?

 心の中で見えない誰かに確認を求めながら、ケントは上ずった声で問い返す。


「賢人君、あなた、喧嘩屋ガルシアと知り合いだったの?」

「ケントしゃん、この粘着変態女刑事と知り合いだったのかよ!」

「え? ぇ、え? えぇぇぇぇぇ~~~~?」


 っていうか、お二人こそ知り合いなんですかぁ~? と言いたいケントであった。

 だが、気圧された彼がそれを口に出せずにいると、ついに、始まってしまった。


「環さん、私は変態じゃないし、あなたに粘着してるつもりもないわよ?」

「ウソつけー! オレが喧嘩してると毎度邪魔しに来るじゃねーか、おまえー!」


「それは、あなたが学生なのに派手に喧嘩するからでしょう? 私は警察なのよ?」

「警察なんか知らねーよ。オレの喧嘩の邪魔ば~っかしやがってさ~!」


「女子高生が男性相手に喧嘩なんてするものじゃないわ。しかも喧嘩屋だなんて!」

「あ~、うっさいうっさい! 関係ないヤツのお説教なんて知らねーよーだ!」


 ベ~ッと舌を出すタマキに、菅谷が苦い顔にする。犬猿だ、とケントは思った。

 しかし、言い合うその内容に、何となくだが二人の関係性について見えてくる。


「つまり、菅谷さんはタマキお嬢の喧嘩を止めようとしてる、ってコトですか?」

「そういうことね。この子が暴れると、本当にとんでもないんだから……」

「ヘヘ~ン! 喧嘩屋ガルシアは天月の闇に躍るストリートの伝説だモ~ン!」


 ため息をつく菅谷に、タマキは朗らかに笑った。

 この女子高生がどれだけとんでもないかは、ケントもアキラから聞いている。


 彼の記憶の中ではほんの小さな女の子でしかなかったタマキ。

 だがそれが、自分の死後、バーンズ家最強になったと聞いたときの驚愕と来たら。

 タマキの異面体も見たことがないので、未だに信じきれていない。


「ところで――」


 と、菅谷がケントに問いかける。


「賢人君は環さんを『お嬢』とか呼んだわよね、今」


 あ、ヤベ。と思った。だがすでに遅い。菅谷はケントとタマキを交互に見やる。


「その、二人は知り合いなの? どういう関係、なのかしら?」


 それは、ケントを取られて悔しいとかそういう感情――、ではなかろう。

 単に、菅谷はケントが心配なのだ。

 天月市で暴れ回るネームドヤンキー『喧嘩屋ガルシア』と知り合いであることが。


 それはケントにも理解できた。

 何せ、ここ最近の『喧嘩屋ガルシア』の暴れっぷりは本当に凄まじい。


 天月内外の格闘ジムや道場で女磨きと称した道場破りをしているという話もある。

 刑事である菅谷からすれば、タマキはさぞかし危険人物に映るだろう。


 が、そんなこたぁ、タマキ本人にはどうでもいいことらしい。

 タマキは突如として、ケントの左腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。


「ケントしゃんとオレは前世からの固い固ァ~い絆で結ばれてンだよ~。おまえなんかが立ち入れる関係じゃないもんね~! ねぇ~、ケントしゃ~ん!」


 得意げに言って、タマキは自分の身をケントの方に思いきり寄せた。

 そうすると、彼女の豊かな胸の端が彼の左腕にふよよんと当たってしまい、


「――――ッ! …………ッッ!」


 中学二年の郷塚賢人、真顔で体がガタガタ震え出す。なお、顔は真っ赤である。


「ちょっと、何をしているの、あなたは!」


 それを見た菅谷が、今度はケントの右腕を掴んでグイと引っ張った。

 だが、力はタマキの方が断然強く、菅谷は逆に引っ張られケント側へ体勢を崩す。


「あ……ッ」


 倒れ込みかけた菅谷の体が、ケントの右側に密着した。

 ケントの鼻先で、菅谷真理恵の髪がふわりと揺れる。そこに感じる、よき香り。

 シャンプーは、柑橘系のものをご使用っぽい。


「~~~~ッ!? ッッッッッッッッ!」


 中学二年の郷塚賢人、額に血管が浮かび瞳が左右にブレ始める。血圧がヤバイ。


「あ~~~~! ケントしゃんから離れろよ、この変態女刑事~!」

「あなたこそ、賢人君が明らかに困っているでしょ。さっさと離れなさい!」


 ああ、何これ、意味わからんけど幸せ過ぎる。俺、今日で死ぬんかな……。

 左右からやらかい感触といいかほりに挟まれて、ケントは自分の死期を悟った。


「環さん、あなたは賢人君にご執心のようだけど、彼は今日はキャンプ用品を買いにきただけなのよ。だから、それは邪魔しないであげてほしいわね」

「あ、そーだよ、キャンプ~!」


 キャンプという単語に反応し、タマキが諸手を挙げる。


「オレもオレも! オレも今日、キャンプで使う道具買いに来たんだー! お金はおかしゃんからもらってるんだ。なぁなぁ、午後は一緒に道具選ぼうぜー!」

「あ、ぇ、あ~、そうっすね、あ~……」


 天国の如き地獄の挟み撃ちを喰らって、ケントの意識は半ば昇天したままだった。

 そこに、彼ではなく菅谷の方が大きな反応を見せる。


「ま、待ちなさい、環さん……!」

「あ? 何だよ、変態女刑事。おまえには話してないぞ?」


「あなた、まさか賢人君と一緒のキャンプに行くの!?」

「そーだぞ。オレとケントしゃんと、あとみんなで行くんだー!」


 はしゃぐタマキに、菅谷は目を丸くしている。

 彼女の中でのグレイス・環・ガルシアは、方々に迷惑をかけ続ける要注意人物だ。


 そして、郷塚賢人は彼女にとって、未だに『守るべき弱者』であった。

 そのような認識とここまでの話の流れより、菅谷は一つの結論に至り、決意する。


「そのキャンプ、私も行くわ!」

「「はァ!?」」


 これには、さすがのタマキも愕然となるしかなかった。

 ましてやケントは、もう驚くしかなくて、驚く以外にできることなど何もなくて、


「はぁぁぁぁぁぁぁ~~~~!?」


 二度ビックリ。


「ふざけんなよー! おまえなんか来んなよー、警察の仕事してろよー!」

「ちょうど上からも夏休みを取れって言われてたから、私も参加させてもらうわ!」

「やだやだ、やーだー!」


 再び自分を挟んで騒ぎ始めた二人をよそに、ケントは天を仰ぎ、呟いた。


「……助けて、団長」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る