第88話 一寸の虫に五分の魂はあってもゴミにはない

 夕飯を食べて、風呂に入った。

 体が熱くて仕方がないので、扇風機をガンガンに回す。

 こういうとき冷房が利かないのは本気で地獄だな。


 夜も深まってくる。

 蝉の鳴き声は、聞こえなくなった。


「……そろそろか」


 アイスをなめて時計を見ると、午後の九時。

 お袋に話すだけのことだが、随分と遅くなっちまったな。――と?


 チャイムが鳴った。

 お袋が対応に出ると、玄関から「あら、ミフユちゃん」と声が聞こえる。


 来たのはミフユだった。

 手ぶらで、風呂に入ったあとらしくパジャマだ。


「どうした。何しに来たんだ?」

「見届けに来たのよ」


「何だ、そりゃ?」

「お義母様に、まだ話してないんでしょ」


「ん、まぁな」

「間に合ってよかったわ」

「……間に合って、って、何だそれ」


 少しおかしくなって、笑いが漏れた。


「アイス、いるか?」

「あ、欲しいかも」

「ほれ」


 俺は、半分なくなったアイスをミフユに差し出した。


「ちょっと、これ食べかけじゃないのよ、ジジイ」

「俺はもういらねぇから、やるわ」


「フン、本ッ当にデリカシーがないって言うかさ……」

「しっかり受け取ってるクセに何言ってんだ」


 食べかけのアイスを口に入れるミフユを見て、俺は軽く笑う。


「うまいかよ?」

「甘いわ。あと、あんたの味がするわね」

「……ぅぐ」


 そう来るとは思わず、俺は口をつぐんでしまう。


「いつかのお返しよ。バ~カ、ざぁ~こ♪」


 おのれ、メスガキ。まごうことなきメスガキめ。


「話に、行くんでしょ?」

「ん、ああ。行く。ちょっと話して、それ終わりだ。お袋ともお別れだな」


 そういう俺に、ミフユは何も言わなかった。

 もしかしたらこいつは、これからどうなるのか、薄々察していたのかもしれない。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 居間で、お袋を呼んだ。

 テレビを見ていたお袋は途端に怯えた目になって、俺の前に正座する。

 俺はあぐらをかいて、その隣にミフユが足を崩して座った。


「お袋、折り入って話がある」

「はぃ……」


 もう、この時点で消え入るような声。弱い、弱いよこいつ! スライムだよ!


「ぁの、あ、ぁ、あたし、何か御不興を買いましたでしょうか……?」


 はぁ~、すごい、やっぱすごいわお袋。

 会話開始後十秒待たずに俺、すでにイライラしてるモン。


 もう、何だろうね、こっちの顔色をチラチラ窺うそぶりといい、物言いといい。

 わざとやってんのかってくらい、的確にこっちをイラつかせる。いっそ見事。


 ああ、今日でこいつとお別れかと思うと清々する。

 話す時間も勿体ない。早々に話して、終わらせ、追い出そう。


「あのなお袋。率直に言うわ」

「は、はぃ……」


 あ~、イライラする。頭を下げつつこっちを窺う、その態度がイライラする。


「俺さ」

「はぃ……」


「明日から宙船坂になるわ」

「……ぇ」


 いや「ぇ」じゃないが。


「親父のところに行く。親父が保護者になってくれるなら、あんたは用済みだ」

「そ、それじゃあ、ぁ、あたしは……?」


 おうおう、唐突のことに面食らっちゃいるが、やっぱそこは気にするよな。

 何せ、自分の生き死にの分水嶺。明日を迎えられるかどうかの瀬戸際だからなァ。


「安心しろよ、殺しゃしねぇさ」


 そんなお袋に、俺は安心材料を与えてやる。


「今日まで、あんたは俺の世話をしてくれたからな。それに対して、無報酬じゃ俺の沽券にも関わるってモンさ。俺とあんたはお別れ。それで納得してやるさ」

「あたしは、じゃあ、明日からは……」

「シンラのところに行けよ」


 俺はそれを言いつける。お袋にとっては、願ったり叶ったりだろう展開を。


「あんただってわかってんだろ。シンラはひなたの新しい母親候補として、あんたを見込んでる。お袋だって、シンラと一緒なら何の心配もいらねぇだろ。なぁ?」

「…………」


 同じ子供の面倒を見るでも、俺よりひなたの方が格段に可愛かろうよ。

 女としても、シンラみたいなヤツに求められて、嬉しくないワケがない。


「どうだよ、悪い話じゃないだろ。むしろ最高じゃねぇか、こいつは? あんたは晴れて俺から離れられて、次の寄生先だってバッチリだ。俺は俺で、あんたから離れられて親父と一緒になれて、こっちも万々歳。まさに全方面でめでたしめでたし、これ以上ないくらいのWin-Winってヤツだ――」

「……ぃ、いや、です」


 お袋のか細い声が、調子に乗りつつあった俺の言葉を遮った。


「あ?」


 何? 今こいつ、なんつった?


「お袋、今、何て言った?」

「ひぅ……ッ!?」


 目を細めると、それだけでお袋は衝撃を受けたように身を震わせ、のけぞった。

 別に睨んでなどいない。見ただけだ。それなのにこの反応。ビビリすぎろ。


「オイ、聞き間違えたかもしれねぇからもう一度聞くが――」

「いやです。ぁ、あ、あたしは、今のままが、ぃ、いいです……」


 ……はぁ?


「何言ってんの、お袋。俺にとってもあんたにとっても、今のままの生活よりよくなるって言ってるんだぜ? 聞こえたよな? 理解できてる? できてない?」

「理解は、してます。……でも、いやです」


 今度こそ、お袋ははっきりと俺に対してNOを突きつけてきた。


「――何でだ?」


 不理解、そして湧き上がる疑問。そこに混じりこむ、どうしようもない怒りの熱。

 俺は怒りに狂わない。だが、怒りを抑えたりもしない。


「どういうつもりだよ、お袋。あんたにとっちゃあ、俺なんて怖くて忌々しいだけの存在だろうが。それから離れられるんだぜ? 命の危険だってなくなる。それなのに、何でそれを拒むんだ? どこにマイナス要素がある? なぁ、言ってみろよ?」

「う、ぅ……」


 今回は厳しく睨みつける俺に、お袋は苦しげにくぐもった声を漏らす。

 こんなとき、止めに入りそうなミフユも、今回は無言のまま成り行きを見守った。


「……ぁ、あ、あたし、は」


 やがて、ようやくお袋が青白い顔色で拒否の理由を語る。


「それじゃあ、あたしは、ぁ、あんたの母親じゃ、いられなくなるから……」


 ――――うわぁ。


「何言ってんだ、あんた。もとから母親じゃねぇだろ?」


 思わず、眉をしかめてしまったよ、俺は。

 え、何? 母親って? は? え? 何でまだ母親のつもりでいるの、こいつ?


「あのなぁ、お袋。これまでは保護者が必要だったから、生かしてやっておいただけ。その一環で、母親のフリも一応許してた。けどよ、所詮、フリはフリなんだよ」


 どうして、今になってこんな基本中の基本を語らにゃならんのか。

 本当に、こいつは何ていうか、どうしょもない人の形をしたゴミクズだなァ!


「認識して、理解して、納得しろよ、金鐘崎美沙子。おまえは俺の母親じゃねぇ。俺にとっては何の価値もない存在だ。親父がいる以上、最後のおまえの存在意義だった保護者という立場すら失われる。もうおまえはいらねぇんだよ。な? わかった?」


 最後の「わかった?」だけ優しい物言いにして告げる。

 ここまで説明すれば、いくら脳みその代わりに生ゴミが詰まってるお袋でも――、


「ぃ、や、ぃゃです。ぁ、あ、あたしは、アキラの母親……、です……」


 金鐘崎美沙子は、顔面蒼白で見開いた目に涙を浮かべ、それでもそう言った。


「…………」


 ああ、そう。そうなの。おまえ、ここまで言ってもまだわからないんだ。

 そうかい。言っても無駄かい。そこまで頭が悪かったのかよ、笑うわ。


「これから俺に百回殺されてみるか、おまえ」


 これまでとは一転し、冷たくて硬い声。

 こいつが否と言っても、俺はこれからこのバカを殺す。身の程を叩き込んでやる。

 自分からチャンスを放り捨てたんだ。だったら、その意味を教えてやらなきゃな。


「――わかりました」


 ……は?


「け、契約してください、アキラ……」

「おい、お袋?」


「ぁ、あたしと、契約してください! あたしを、これから、ひ、ひっ、百回、殺してください! 代わりに、ぁ、あたしのそばにいて、ぃ、いてくださいッ!」

「何言ってんだよ、おまえ!?」


 のどを引きつらせ、涙を零しながら、だがお袋は俺に契約を提案してくる。

 な、何だこいつ。恐怖のあまり、ついにおかしく……、


「いいじゃない、アキラ。契約してあげなさいよ」


 俺が面食らっていると、ミフユまでもがお袋に同調した。


「ミフユ……」

「あんたは傭兵でしょう? そして、あんたにとって契約は絶対のはずよ。お義母様と契約を結ぶのに、何か不都合なことでもあるの? わたしは無いように思うけど」


 ミフユに言われ、俺は言葉に詰まる。

 お袋が俺に求める契約内容はまるでメチャクチャだ。


 俺がお袋を百回殺す代わりに、俺に今までのようにそばにいてほしい。

 何だそりゃ、どういう条件だよ。

 それで何の契約を交わせっていうんだ。という、おかしすぎる内容。


 しかし、その内容を俺の都合のいいように変えたとしても、お袋は逆らえない。

 何故なら、契約を申し出たのはお袋の方。立場は俺が上なのだ。


 ――最初から、見えてる勝負。いや、勝負ですらないか。


「……わかったよ。お袋」


 俺の顔に、自然と笑みが浮かぶ。


「その契約は受けてやる。ただし、内容を少し変えさせてもらう」

「ぇ……」

「これから俺はおまえを百回殺す。おまえがそれに耐えきって、俺は明日からも金鐘崎のままでいてやるよ。それで、いいよな?」


 その条件を突きつけると、お袋の顔からさらに血の気が引いていった。

 真っ青だった顔色が、白を超えて死人の肌に近くなる。


 これから自分に訪れる地獄を、リアルに想像しているのだろう。

 だが、言い出したのはそっちなのだから、吐いたツバは呑めないんだぜ、お袋。


「……わ、かりました。それで契約、してください」


 ガタガタ震えながら、お袋は俯いて、言う。

 心底からのバカだったか、この女。

 おまえ如きが、百回も殺されて弱音を吐かないワケがない。自分を顧みろよ。


「いいぜ。これで契約は成立だ」


 おまえは優しいな、金鐘崎美沙子。

 だって、お別れをする最後の夜に最高のストレス発散の機会をくれるんだからな!


 金属符で部屋の中を『異階化』する。

 そして俺は立ち上がり、顔に浮かべる笑みを獰猛なモノに変える。


「グチャグチャにしてやるよ、金鐘崎美沙子ォ!」


 俺は、収納空間から取り出したハンマーをお袋の頭に振り下ろした。

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