第85話 ただいま、パパ

 家の表札が、違う苗字になっていた。


「……宙船坂」


 宙色市天都原区四丁目17-2。

 三極式儀典に使われている神器が置かれている場所――、『観神之宮』。


 そこは、よりによって見慣れた我が家。

 金鐘崎美沙子が離婚する前に住んでいた、親父の持ち家だった。


 そうか、離婚したんだもんな。

 そりゃあ苗字だって変わったんだし、表札だって変わるよな。


「アキラ、ここなの?」

「ああ……」


 住宅地の一角にある、どこにでもあるような古びた年代物の一軒家。

 木造の二階建てで、シンラの風見宅に比べれば、いっそ見すぼらしくすらある。


 俺はここで、生まれてから五歳までを過ごした。

 物心ついたとき、初めて見た景色が、この家の中だった。覚えている。


「団長」

「父上……」


 ケントとシンラが、俺を呼ぶ。

 気遣ってくれているのだろうが、別にそんなものは必要ない。


 ここで過ごした五年間は、俺にとってはすでに過去だ。

 今の俺は金鐘崎アキラだが、同時にアキラ・バーンズでもあるのだ。


 たかが五年間過ごした古巣に感じるものなど、そう大したものではない。

 殊更騒ぐこともせず、俺は玄関の前に立って呼び鈴を鳴らそうとする。


「押すぞ」


 別に必要などないのに、そう断って、俺はそれを押した。

 聞き慣れたチャイムの音がした。その瞬間だった。

 俺の中に、忘れかけていたこの家での五年間の記憶が、鮮明に蘇ってきた。


 ――お袋と二人で買い物に出かけて、帰ってきたときの記憶。

 ――親父と一緒にどこかに遊びに行って、夜になって戻ったときの記憶。

 ――夜、お袋と二人でいるときに、親父が仕事から帰ってきたときの記憶。


「……何だよ、やめろよ」


 次々に溢れてくる思い出に、俺は震える声でそう呟いてしまった。

 握った拳に、そっとミフユが手を添えてくれる。


 ドアが開いた。

 そこに、どこにでもいるような、でも少し人のよさそうな三十路の男がいた。

 そいつは俺を見て一瞬目を見開き、すぐに優しく微笑んだ。


「お帰り、アキラ」


 その声が、もう、どうしようもなく懐かしくて、我慢なんてできるワケがなくて。


「……ただいま、パパ」


 僕は、鼻を啜りながら、そう言った。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 感動の親子の再会! 熱い抱擁!

 なんて、別にありゃしなかったですわ。


「積もる話もあるけれど、まずはおまえ達がここに来た目的を果たそう」

「え、あ、はい」


 そういうことになった。

 何だよ、こっちは涙流してんだぞ、鼻だってズルズルなんだぞ、なのに薄情なッ!


「まぁまぁ、場所は合ってたんだから、いいじゃないのよ」


 ミフユが気楽に言って、肩を叩いてくる。

 ぢぐじょう、その声に救われてる俺がいるのが、たまらなく悔しいんだが。


「こっちだよ」


 俺達は、親父の案内を受けて家の中へと入っていく。

 あれ、こんなに狭かったっけ。

 自分の記憶の中のこの家は、もう少し広かったように思うんだけど……。


「もしかして、家が狭いと思ってるか、アキラ?」

「お、う、うん。何でわかった?」


「いやぁ、パパも同じだからだよ。パパは生まれたときからここで暮らしてるからね。小さい頃、ふとしたときに今のおまえと同じことを感じたよ」

「そうなんか? 何で、狭く感じるんだろうな……」


「そんなの決まってるだろ。おまえが、大きくなったからさ」

「大きく……」


 二年しか、経ってないはずなんだけどな。

 でも、そうか。十歳にもなってない時点での二年、か。そりゃあデカイか。


「さぁ、ここだ」


 親父が、とあるドアの前で立ち止まる。

 俺の記憶が合っていれば、そこは『開かずの間』であるはずだった。


「親父、ここが……?」

「そう。おまえ達が探していた『観神之宮』に続くドアだよ」


 他の部屋と違って、そこだけはドアに鍵がついていた。

 入っちゃいけないと言われて、興味はあったけど近づこうとしなかった場所だ。

 親父は鍵を差し込んで回し、ドアを開ける。


「……え?」

「こりゃ、魔力?」


 ドアを開けた瞬間に感じた。

 濃密な、魔力の気配。ドアの向こうに部屋はなく、地下に続く階段があった。


「歩きながら話そう。行こう」


 親父に促され、俺達は階段を下がっていく。


「僕の一族である宙船坂家は、今から百五十年ほど前、この世界にやってきた」

「この、世界に……?」


「元々は、あっちの異世界で神職についていた家柄らしいんだよ」

「な、親父のご先祖様が……!」


 異世界出身だってのか、宙船坂の人間は。じゃあ、親父も異世界人の末裔?


「あっちの世界とこっちは世界を隔てる次元の壁が薄いようでね、僕の先祖みたいに偶発的に世界の壁を越えてしまう事態が起きていたらしい。いわゆる神隠しだね」

「何と、そのようなことが……」


 親父が語る事実に、俺達は一様に声も出せずにいた。

 だが、話はまだ続く。そして俺達はさらなる驚きに晒されることになる。


「宙船坂の一族がこっちの世界にやってきた。それだけならまだよかった。ただの突発的な事故ということで諦めもついた。でもね、残念ながら事態はそんな簡単じゃなかったんだよ。一族がこの世界に来たことで、とんでもないことが起きかけたんだ」

「とんでもないこと、ですか?」


 と、ミフユがきいたところで、階段が終わる。

 薄暗い中に、魔法の照明と思しき光がチラついて、通路がまっすぐに伸びている。


「言ったろ、宙船坂の一族は、あっちの世界では神職についていた、って」

「ああ、言ったな。それが、何だってんだよ……」


「そこが、問題だったのさ。あっちの世界で、僕の一族はとある神器の守護する役目についていた。当然、その神器は一族が大切に保管していた。つまり――」

「その神器も、一緒にこの世界にやってきてしまった?」


 まぁ、そういうことになるだろう。

 しかし、それが何だというのだろうか。魔法のアイテムがこっちに来ただけ……、


「神様が宿っていたんだよ」

「……え?」


 通路が終わる。そして、またドアが見えた。

 親父はそのドアノブに手をかけて、こっちへと振り返る。


「さぁ、着いたよ、ここだ。みんな、心の準備はいいかい?」


 いやいや、わざわざ聞かんでくれよ。変に緊張するだろうが。


「これが、君達が探し続けた『出戻り』が発生する原因。神隠しによってこっちの世界に来てしまったことで、世界を遮る次元の壁に穴を空けてしまったもの。そして同時に、その穴に蓋をする儀式結界の中核をなすもの――」


 親父が、ドアを開けた。

 そこにあったものは、剥き出しの地肌と、小さな地下の泉。

 そして、その泉の上に浮いている、表面がくすんでいる鈍色の丸い鏡。


「冥界の神が宿る真なる神器――、『カディルグナの神鏡みかがみ』だよ」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 要するに、こういうことだった。


「つまり、異世界で伝説に謳われる冥界の神の本物が、こっちに来ちゃったと」

「うん、そういうことだよ、アキラ」


 ハチャメチャにヤベェじゃねぇか、それ!?


「神が世界を越えることは、人や世界を渡るのとはまるで違う。力と存在が大きすぎて、多大な影響を与えてしまうんだ。この鏡の場合は、二つの世界を隔てる次元の壁に穴を空ける事態に陥ってしまった。この穴が存在することで何が起きるか……」

「何が、起きるんだ……?」


 やたら深刻な顔つきをする親父に、こっちまで前のめりになってしまう。

 息を飲む俺達に、親父は厳しい表情のまま最悪なことを教えてくれた。


「こっちの世界で、モンスターが出現ポップすることになるだろう」

「…………は?」


 な、何を言ってるんだ、このおじさんは……?


「『カディルグナの神鏡』は、冥界の神が宿る鏡だ。この鏡には死せるものの想いを引き寄せて集め、溜め込むという性質がある。そして、モンスターはあっちの世界で無限に出現して、無限に殺され続ける。そうするとどうなるか――」

「……『鬼詛』。モンスターの死後の怨念が、この鏡に集まってくるのか!」


 な、何つー、迷惑な鏡だ……。

 いやいや、だが待て、モンスターの出現ポップには足りないものがあるぞ。


「親父、こっちの世界には魔力がない。モンスターの出現には、魔力が必要なんじゃなかったか? その辺りはどうなってるんだ……?」

「そう、アキラの言う通りだ。モンスターとはいわゆる魔物。その発生には必ず魔力が必要となってくる。だからこの世界ではそう簡単にはモンスターは出現しない」


 だよな。そのはずだよな。そう、この世界ではモンスターは出現しない。はず。


「でも、魔力の代わりになるエネルギーならあるだろう。そのモンスター自身が宿していた魂の残りカスが……。この鏡に今も蓄積され続ける『鬼詛』が」

「オイオイオイオイ、待てや、待て待て……!」


「異世界では、魔力があったためにモンスターの出現のパターンも『小規模なものが無数に発生する』という形だったんじゃないかな。でもこっちは魔力がない。だから、この鏡に溜まった『鬼詛』が臨界にまで高まったとき――」

「とんでもない大物が、いきなり現れるってのか。それこそ、怪獣みたいなのが」


 俺が顔を青くして言うと、親父はこくりとうなずいた。否定しろよォ!?


「この鏡に蓄積した『鬼詛』が極限まで高まった状態で出現するモンスターだ。それこそ、蒼白い火を噴くシンな怪獣みたいなものが出てきても何もおかしくない」


 日本滅亡案件じゃねぇか、そんなモン。ジャンル違いにも程があるわ!?


「まぁ、だからご先祖様は次元の穴を塞ぐために、この鏡と三つの祭器を使って三極式儀典を執り行ったんだけどね。だから、まだ怪獣は生まれないよ。大丈夫だ」

「あ、な~んだ、それなら……、待って『まだ』って何?」


 気づいて俺が指摘すると、親父は困ったような、ごまかすような笑みを浮かべる。


「……実はね、塞ぎきれてないんだ、穴」

「オイィィィィィィィィィィィィィィィ――――ッ!!?」


「いやぁ、儀式に不足はなかったんだよ? でも、鏡が開けちゃった穴がこっちの想定より大きかったみたいでね、ほんの少しだけ隙間が空いてるっぽいんだよね……」

「だよね、じゃなくてさぁ!?」


「それでも、あっちから流れ込む『鬼詛』は99%カットできてるはずだよ。残り1%がカットできてないのが問題なんだけどね。それの影響も出始めてる」

「……『出戻り』か!」


 親父は再びうなずいた。

 話はようやく本題へと戻る。この宙色市で『出戻り』が発生する原因。


「本来の1%程度とはいえ、この鏡にはすでに百五十年間、『鬼詛』が蓄積され続けている。その影響の一つが『出戻り』の出現だ。ここ半年の間に、さらなる影響の結果として『人外の出戻り』なんかも現れ始めているみたいでね……」


 ――『人外の出戻り』。カイト・ドラッケン。


「モンスターの出現までには、まだ時間はあるだろう。でも、それまでにどんな影響が出るかもわからない。もしかしたら、思いがけない危険が生じるかもしれない」

「この鏡を壊すのは、ダメなんですか?」


 ミフユが尋ねると、親父はニッコリ笑って、かぶりを振った。

 すごく綺麗な、諦観の笑みだった。


「百五十年の間に、宙船坂の一族も何度となく試したんだ、それ。でも、今ここに鏡は健在だ。つまりは、そういうことなんだよ……」

「いや、わからん。やってみよう」


 俺はドアに金属符を貼って、地下室を『異階化』させる。


「え、ちょっと、アキラ?」


 呆ける親父の横で、ミフユが不敵に笑って見えた。


「そうね、試せることは試しましょう。みんな、壊すわよ!」

「う~っす、ちょっと全力いってみますか~!」


「余の異面体はこういう場合、とんと役に立てませぬが、微力は尽くしましょうぞ」

「あの、皆さん……?」


 まばたきを繰り返す親父を無視し、俺達四人は中に浮かぶクソ鏡を見据える。


「出ろ、マガツラ。こんな危ねぇ鏡、俺がブッ壊したらァァァァァ――――ッ!」

「や、やめなさい! アキラァァァァァァァ――――ッ!?」


 地下室に、宙船坂集の悲鳴がこだました。

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