第68話 中学生、郷塚賢人の幸福すぎる悩み:後

 デート。

 または逢引き。

 はたまた、逢瀬。など。


 言い方は様々だが、つまりは互いに好意を持った男女が共に遊ぶことだ。

 うん、つまりはそういうことだ。そういうことなんだが――、


「……あの、お嬢?」

「なぁにぃ~、ケントしゃん?」


「う、腕……」

「腕? 腕がどうした~?」


 ――いや、何で腕組んでるんすか、俺ら?


 と、言い出そうにも密着してるタマキがいい匂い過ぎて、黙りこむケントである。

 何だこれ。何なんだこれ。何だこれ。

 ケント・ラガルク、混乱による渾身の五七五であった。


 今は、空色市の繁華街に向かって歩いている。

 住宅地からバスに乗り、最寄りのバス停で降りて駅ビルへと向かっている。

 小生意気にも、目的地の映画館はその駅ビルの中にあった。


 空は、ちょっと雲が厚くなっている。

 今日はこれから雨が降るという天気予報は、実はついさっき知った。

 梅雨だから仕方がないとはいえ、やはり晴れている方が気分はいいんだけど。


「ンフ~、ケントしゃんと映画、映画~♪」


 タマキは、非常にご機嫌だった。

 まぁ、実に何年ぶりの再会になるのか、それもわからないくらいだ。

 ケントとしても、我が子のように思っていたタマキと会えたのは本当に嬉しい。


 ――で、何で腕組んでるんすかね、俺ら?


 思考がグルッと一周して、そこに立ち戻ってくるケント。

 何で腕を組んでるのと問われれば、タマキが組んできたから、と答えるしかない。


 それにケントとしても、わざわざ拒む理由は見当たらない。

 いや、あるよ。本当はある。

 すごく恥ずかしくて今にも死にそうっていう、立派な理由が。


 でもそれを言って、今の嬉しそうなタマキの顔が曇ってしまったら。

 と、そう考えるだけで、無理。もう無理。言い出せるワケがねぇってヤツである。


 それにだ、そ、れ、に、だ。

 この、腕を組んでいるという状況、他にも無視できない大きなメリットがあった。


 二人は互いに隣り合っており、しかも密着している。

 そのため、ケントの腕にモロに当たっているのだ。タマキの胸の、大きなものが。


 ふよん、ふよよん。

 そんな感じで、腕に! タマキの! 胸がッ! モロにッッ!


「――心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却」


 ものすごい真顔で、ケントはブツブツとそれを呟く。

 意識の九割を腕に当たる感触を味わうことに費やしつつも、残り一割で、それ。


「ケントしゃん、何ブツブツ言ってんだ~?」

「あ~、いや、何でもないっすよ。つか、その呼び方、ちょっとハズいっす」


「そ~お?」

「そぉっすよ……。呼び捨てでいいじゃないすか」

「ヤダよ~、それはオレが恥ずかしいモン」


 タマキが、プゥッと頬を膨らませる。

 その様子すら、もう可愛い。何だこの生き物、可愛いか。とか思ってしまう。

 それくらい、タマキの容姿はケントの好みに絶HITなワケで。


 ヤバイて、これはいかんて。いかん、いかんよ。これは。

 心揺れる自分を感じ、ケントの中に超絶ヤベェ危機感がドバっと溢れ出る。


 自分には菅谷真理恵という心に決めた人がいるだろう、しっかりしろ郷塚賢人。

 己にそう言い聞かせ、彼は何回か深呼吸をする。


 駅ビルまではもう少し。

 気分転換として、あるいは間を持たせる意味でも、少しタマキを話をしよう。

 今まで、彼女がどう過ごしていたかも気になってはいるし。


「お嬢は今、高校生っすよね?」

「そ~だぜ~。私立の高天原たかまがはら高校ってトコ。一年なんだ、今!」

「げ、マガコーっすか……」


 私立高天原高校といえば、宙色市・天月市でもブッチギリの底辺高だ。

 両市の境目辺りにあって極道予備校との異名を持つ、ワル共の吹きだまり。


 しかも、最近そのマガコーでは、とびっきりのワルが暴れているとも聞く。

 さすがにタマキのことが心配になって、ケントは尋ねた。


「今、マガコーでやばいヤツいるらしいじゃないですか。大丈夫なんすか?」

「え~? そんなヤツいたっけ~?」


「俺の中学でも時々ですけど話題になってますよ。喧嘩屋ガルシアとかいうヤツ」

「えっ!」


 何故か、そこでタマキがすっとんきょうな声をあげる。


「マジで? マジで喧嘩屋ガルシア、話題になってるの!?」

「え? はい。何でも入学早々ムチャクチャやって停学食らった、とかで……」


「そっかぁ~、話題になっちゃってるのか~、喧嘩屋ガルシア。そっかぁ~!」

「いやいや、何でお嬢が嬉しそうに――、って、まさか……?」


 ここでケント、ピンときちゃう。


「うん、実はオレ様こそがその喧嘩屋ガルシアなんだぜー!」

「…………マジかよ」


 もう、絶句するしかなかった。ケントにとっては、ただただ衝撃。

 タマキは、中学生のケントより背が低く、線も細い。とても強そうには見えない。


 それに、このとき彼は、まだアキラやミフユから聞いていなかった。

 自分の死後、タマキがバーンズ家最強のバカとして成長してしまった事実を。


「大丈夫なんすか? そんな喧嘩とか。お嬢は女の子なのに、大丈夫なんすか?」

「ん~? 何々、もしかしてオレのこと、心配してくれてるのか?」

「当たり前じゃないすか。そりゃ心配もしますよ! だって、お嬢なんですから!」


 ケントの中で、まだまだタマキは小さな女の子だった。

 その認識のままでいたから、つい語気を強めて言ってしまう。そしてそれは――、


「……え、そんな、ケントしゃん」


 結果的に、タマキの顔を真っ赤にさせてしまうのであった。

 ケントが『あれ?』と思ったときにはもう遅い。タマキがさらに身を寄せてくる。


「そんなに心配してくれるなんて、ケントしゃん、優しいんだ……」


 ふよよん。ふよよん。

 ケントの腕にッ、ますますッ、タマキのッ、胸の感触がッ!


「……し、心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却ゥ~ッ!」


 エロ猿な中学生にとっては、試練としか呼びようのない時間であった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 駅ビルに着いた。

 が、次の映画の開始時間まで、あと一時間半もありやがった。


「……雨め」


 映画館の時間表を前に、呪詛を吐くケント。

 歩いている途中で雨が降り出して、そのせいで少し遅れてしまったのが災いした。


「いいじゃん、駅ビルも広いし、適当に中を見て回ろうぜ」

「それでいいんですか、お嬢。ヒマじゃありません? つか、先にメシ食います?」


「あ、食べた~い。おなかすいた!」

「んじゃ、どっか入りますか~。雨で人もいないし、どこでも空いてるでしょ」


 二人は適当に選んだファストフードの店へ。

 予想通り、昼時近くなのに中はガラガラで余裕で席も取れたし、注文もできた。


「ふぐもぐ……」

「いやいや、一口デケェって、お嬢」


 運ばれてきたハンバーガーにがっつくタマキを見て、ケントは苦笑する。


「うめぇ!」

「そりゃよかった。けど、ほら、口の周り、汚れてますよ」

「ンだよ、わかってるよぅ」


 プイと顔を背けるタマキに、ケントは懐かしさを覚える。

 しかし、話し始めれば話題は今どき流行りの漫画がどうだ、ゲームがどうだと。


「女の子らしい話題、皆無っすね、お嬢」

「いいじゃん。オレなんだし。女らしさよりオレらしさだよ!」


 ニカッと笑うタマキの、この竹を割ったような性格よ。などと思うケント。

 だが、それはそれとして思うところもないではない。


「勿体ないっすね」

「ん~? 何が~?」


「お嬢、そんな可愛いんすから、もうちょっとオシャレしてもバチ当たらんでしょ」

「え……」


 今の、さっぱりした格好のタマキももちろんいい。実に好みだ。

 しかし、もう少し着飾った彼女も見てみたい。そんな風にも思うケントだった。


「オレ、可愛い……?」

「え、そりゃ可愛いでしょ。誰がどう見たって」


 尋ねられ、ケントは素直に答える。

 しかしそこに小さな齟齬が発生していることに、彼自身、気づいていない。


 未だ、ケントの中でのタマキは、異世界で相手をしてた小さな子供のままなのだ。

 そんな認識だからこそ、目の前の少女に平気で可愛いなどと言えてしまう。


 極論、今現在の彼はタマキは異性として見ていない、ということだ。

 ということなのだが、しかし――、


「…………そっか。オレ、可愛いんだ」


 頬を染めて俯き、消え入るような声でそう呟くタマキに、ケントはドキッとした。


「何だ、今の……?」


 不意に覚えた心臓の高鳴りに、ケント自身、何が何やらわからない。

 そして、結局はそれ以上は会話が進展することもなく、二人は昼食を終えた。

 そこからは、残り十数分を駅ビルの中で潰すことにする。


「ケントしゃん、ケントしゃ~ん! ねぇ、映画のあとどうする? どこ行く~?」

「いや、お嬢。呼び方、その呼び方はさすがに恥ずかしいっす。勘弁っすよ」


 占いの館などがある階は、映画館がある階のすぐ下だ。

 そこで時間を潰していたところで、タマキがそんなことを言ってくる。


「映画のあと、か。どうしましょうかね。何か買うものとかあります?」

「え~っと、教科書?」

「いや、おかしいおかしい。それ買うものにあげたらダメな時期でしょ、今」


 この子の学校生活、本気で大丈夫なんか?

 このとき初めて、ケントはタマキに対してそんな危惧を覚えた。


「あ、もうすぐ映画始まっちゃうよ、行こうぜ、ケントしゃん!」

「やっとかぁ~。それじゃあ、行きましょうかね~」


 そうして、二人は上の階にある映画館へと向かった。

 裏で安堵している一般庶民占い師もいたりするのだが、それはまた別の話だ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 二人で見た映画は、クソ面白かった。


「ヤッベ、原作全巻揃えるの確定だわ……」


 今回見た映画は、数年前に完結した漫画を原作としたものだ。

 テレビで放映したアニメは見ていたが、原作までは手を出していなかった。


 しかし、映画のクオリティがガチのガチだった。

 どれだけカネと手間をかけたんだよ、と、ちょっと斜に見てしまうほどの出来。

 満足感は凄まじく、これはもう、原作も読まざるを得ない。


「スゥゲ~面白かったね~!」


 タマキも、ご満悦ってな感じである。


「お嬢は、どこが面白かったっすか?」


 気になって、そんなことを尋ねてみる。

 今回の作品は異世界ファンタジーで、バトルと恋愛が軸になっている。


 タマキはきっとバトル部分をを楽しんだんじゃないか。

 今日一日の付き合いからそんな風に考えていたケントだが、全く違った。


「主人公とヒロインが最後に結ばれたところ、本当に感動しちゃった!」


 え、そこなんだ。

 少々、意外な返答だった。確かに恋愛ドラマとして見ても、十分に面白かったが。


「敵のさ、ライバルの将軍もヒロインを好きになって、だから苦くて切ない三角関係になっちゃったけど、それがあったからヒロインが自分の想いに素直になれたときの場面が、すごく映えたんだ。っていうのがわかってさ、不覚にも泣いちゃった……」

「――楽しめたようで、何よりっすよ」


 自分が誘った映画をこんなにもしっかりと楽しんでくれた。

 それがはっきり伝わり、ケントも悪い気はしなかった。誘ってよかったと思えた。

 そこに、胸ポケットに入れていたスマホが震え出す。


「……っと、電話だ。すいません」

「は~い、いってらっしゃ~い」


 笑顔で手を振るタマキから離れ、ケントはスマホの画面を見る。

 そこに書かれている名前に、ちょっとびっくりした。


「菅谷さんからだ……」


 ちょっと、何となく出るのが躊躇われた。

 いや、自分は悪いことなんて何もしちゃいないんだが。


「……え~、もしもし」


 意を決して、出る。


『もしもし、賢人君?』

「あ、はい。お疲れ様です、菅谷さん。どうしたんですか?」


『今、ちょっと休憩中なんだけど、一言謝りたくて』

「へ、謝る、ですか……?」


『うん。映画、せっかく誘ってくれたのに、行けなくてごめんなさい』

「い、いえいえ! 大丈夫ですよ、ダチと一緒に行ったんで!」


 正確にはダチの娘の自分より年上の女子高生だが、言えるワケがなかった。


『そう? それならよかったけど、でも、埋め合わせはさせてほしいの』

「埋め合わせ、ですか……?」


 え? え? え? それって、まさか……?


『うん。今度、都合があったら一緒にどこかに遊びに行きましょう』

「マ――」


 マジっすかァァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!? と、内心。

 ケント自身は、完全に硬直して二の句を継げられずにいた。


『休憩時間終わっちゃうから、本当に用件だけだけど、また連絡するわね!』

「あ、はい。お、お疲れ様です……」


 そして電話は切れた。

 あとに残ったのは、幾度もまばたきを繰り返す、中学生が一人。

 わざわざ頬をつねって夢じゃないか確認する辺り、相当な動揺が見受けられた。


「ケントしゃ~ん、誰だったの~?」

「え、あ~。知り合いから、今度遊び行こうぜ、って……」

「ふ~ん?」


 首をコテンとかしげるタマキに、ケントは何故か気まずいものを感じる。

 いや、言い訳はしていない。はず。なんだけどなぁ……。


 その後、結局、特にどこに寄ることもなく、二人は帰路についた。

 時刻はそろそろ夕刻近く。空の色はまだまだ青いが、日の当たり方が変わる頃。


 二人はタマキのアパート近く、分かれ道に差し掛かる。

 片方はアパートへ、片方はケントの家の方へ続いており、一緒なのはここまでだ。


「じゃ、俺はこっちなんで、お嬢」

「ケントしゃん、今日は楽しかったぜ。また誘ってくれよな!」

「え~、そ、そうっすね~……」


 と、朗らかに笑うタマキに、ケントは煮え切らない返事。

 その頭には、当然というべきか、菅谷真理恵の顔が浮かんでいたりして。


「ねぇねぇ、ケントしゃん」


 そこに、タマキが何やら笑顔のまま近寄ってくる。


「え、どうかしました、お嬢?」


 何事かと思って待っていると、タマキはその唇を彼の耳に寄せ、そっと一言。


「オレ、『あの約束』のこと、まだ覚えてるからね?」

「え……」


 驚いたところに、頬に押しつけられる、小さく柔らかい感触。

 あれ、待って、今のってもしかして、タマキのくちび……ッ!?


「じゃあな~! ケントしゃん、まったな~!」


 頬に手を当てて唖然となるケントに、タマキはブンブンと手を振って走り去った。

 分かれ道で一人残された彼は、感触の余韻が残る頬をしばしさすった。


「……『あの約束』って、あの約束のこと、か?」


 ――あたち、おとなになったらケントしゃんのおよめしゃんになるの~!


 耳の奥に蘇る、異世界での幼いあの子からの、あのプロポーズ。


「嘘だろ、お嬢……」


 立ち尽くす彼の口から、そんな虚ろな声が漏れた。

 その日、郷塚賢人が一睡もできなかったのは、当然すぎる話だった。

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