第42話 郷塚健司の懺悔
血の匂いがする。火薬の匂いがする。土ぼこりの匂いがする。
全てが入り交じり、虚空に漂うのは戦場の匂い。同時にそれは死の匂いでもある。
「来たぜ、親父」
賢人が言う。
その手に握るダガーの刃には、何重にも塗りたくられた乾いた血。
「賢人、てめぇぇぇ~……」
芦井の組員を全て失って、今は郷塚健司の手札は、その手の中の拳銃だけ。
それも、賢人を怖がらせるにはまるで足らず、気圧されているのは健司の方だ。
「息巻いてたんだろ、俺に目のもの見せてやる。って」
「ンだとォ……」
「わかるよ、あんたはそういう人だ。葬式を台無しにした俺を殺したいんだろ」
凄味を利かせているのは、一体どちらなのか。
人を殺した数ならば、もはや父親は息子にはどうあがいても勝つことはできない。
自らが用意した戦力は、結局賢人に戦いを経験させる場にしかならなかった。
それを、健司も頭ではなく肌で理解しているのかもしれない。
「親父、どうした」
「く、ぅう……、ぐっ!」
銃を突きつけているの健司の方が、有利なはずなのに後ずさる。
それを見て、賢人はわざとらしくため息をついた。
「情けないな、あんた」
「何、だとォ……」
「誰が見たって情けないだろ? 銃持った大人が、中学生にビビってんだぜ」
賢人が挑発しても、健司は動こうとはしない。
動きたくても動けないのだろう。本能が、賢人との対峙を忌避している。
「お、俺に勝てると思ってんのか、賢人ォ! この、ガキ風情がァ!」
などと、健司は脅しはするものの、震える声を隠し切れない時点で、もうね。
「終わりにしたらどうだい、郷塚さん」
見ていられずに、俺は健司にそう声をかける。
「完全に、勝負がついちまってるじゃねえか。あんた、体が震えてるぜ?」
「う、ぅるせぇ、うるせぇ! 俺は、郷塚健司だぞ、郷塚の家の当主だぞォ!」
声を大にして、今さら俺に銃を向けようとする健司。
すると、賢人が「わかったよ」と言って、持ってたダガーを放り捨てた。
「あんたがそうやって郷塚の家に固執するなら、今から俺が、それを叩き潰してやる。来いよ、親父。あんたも当主なら、聞き分けのない俺にわからせてみろ」
「賢人、てめぇ……」
健司が自分の息子をきつく睨みつける。
「郷塚の家は、大したモンなんだろ?」
「てめぇぇぇぇぇぇぇ、ガキが、郷塚をナメるなァァァ――――ッ!」
そして、軽く嘲る賢人に、健司は銃を放り捨てて殴りかかった。
父親の怒りのツボはきっちり押さえていたようだ。親子の殴り合いが始まる。
「賢人ォ!」
健司の右ストレートが、賢人の顔面を打ちつける。
「この、クソガキがァ!」
さらにそこから左フックが賢人の頬をバチンと叩き、
「いつもいつも、俺の邪魔ばっかりしやがってェ!」
腹に前蹴り。
そしてまた右拳で、賢人を横に殴りつける。
「てめぇに、てめぇなんぞに、郷塚の家を背負う重みが、わかるかぁ! あァ、コラァ! たかが中坊のガキが、イキがってんじゃねぇぞ、オラァ!」
殴って、蹴って、殴って、蹴って、健司が息子を滅多打ちにする。
散々溜め込んできた鬱憤を発散しているためか、健司は全く気づいていない。
どれだけ打たれ続けも、賢人が一歩も退いていないことに。
「俺は、姉ちゃんを賢く育てるための養分だったんだよな、親父」
「ああそうだよ、てめぇは生まれついての養分だ! 小絵と郷塚のために生きて、小絵と郷塚の迷惑のかからない場所で野垂れ死ぬだけの、ただの家畜なんだよォ!」
健司の攻勢が、激しさを増す。
肉を打つ音、固いものがぶつかる音が幾重にも重なって、だが賢人は倒れない。
「くたばれよ、ガキが! てめぇなんぞくたばれよ! 餌が、養分の分際で、搾取されることでしか役割を果たせない無能が、郷塚に楯突くんじゃねェ――――!」
「親父……」
はじめて、賢人が健司の拳を受け止めた。
そして、顔面を血だらけにした少年は、静かな声で父に告げる。
「姉ちゃんは、俺が殺した」
郷塚健司の動きが、そのとき、止まった。
「うぉぉぉぉおッ!」
その高慢な鼻っ面に、固く握りしめられた賢人の拳が突き刺さる。
「がっ、ぶばッ!?」
一発で鼻血を噴き出して、健司は思い切り上体をのけぞらせた。
「何だよ、一発でそれかよ。やっぱ大したことないんだな、郷塚家って」
「ぅ、がァ……、賢人、賢人ォ~……!」
足をフラつかせ、健司は憎々しげなまなざしを賢人に向ける。
「てめぇ、てめぇが小絵を……ッ!」
「ああ、殺したよ。この手で殺してやった。郷塚の家のしきたりに従ってあんたが育てあげた次世代の『郷塚』を、俺が殺してやった。郷塚の未来を、壊してやったよ」
「うぉぉぉぉああああああああああああああああああああああああッ!」
完全に逆上した健司が、絶叫と共に躍りかかる。
しかし、そこまで全て賢人の計算。
見え見えのテレフォンパンチを避けて、カウンターの一発が健司の顔面を捉える。
ゴギンッ、と、これまでで最も大きな、殴打の音。
郷塚健司の小さくない体が、その一撃で派手に吹き飛ばされていった。
「うぐぅ、あ、ぁぁぁぁあ……!」
地面に崩れ、両手で顔を押さえてのたうち回る父を、息子は醒めた目で見下ろす。
「あんたの誇りは、郷塚家を壊されたことへの怒りはこの程度なのかよ、親父」
「ぅおおぉ、ぁぁあ、ぁ……、ああ、あぁぁぁぁぁ……」
低い声でそうきいても、返されるのはうめき声だけ。
無表情だった賢人の顔が、一瞬激しく歪み、すぐに戻って拳を開かれていく。
「やっぱり、こんなモンか」
その声に溢れているのは、絶望にも近しいものだった。
「俺、今までこんなモンに翻弄されながら生きてきたのか。こんなモンに……」
そして浮かぶ、乾いた笑い。
江戸時代から続く名家、宙色市を長らく牛耳った、大地主の家系。郷塚。
「軽くて安いな、ウチ」
栄華を誇ったはずの名士の末裔は、たった今、己の家を見限った。
そこに、銃声。
「――――ッ!?」
不意打ちによって放たれた銃弾は、賢人の左肩に命中した。
「賢人ォ、賢人ッ、てめぇ~……!」
口からボタボタと血を流し、立った郷塚健司が賢人に銃を向けていた。
「親父、まだ持ってたのかよ、拳銃……」
「ヒヒッ、ヒヒヒヒ、万が一のための保険だぁ、大人をナメんじゃねぇぞォ!」
血走った目で吼え猛り、健司が銃を連射する。
弾丸は賢人の身を容赦なく貫き、大量の血がその身から溢れた。
「ヒハハハハハハハハハハ! ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
前のめりに倒れた賢人を見て、狂笑を響かせる郷塚健司。
「クソガキが! 大人に逆らうからこうなるんだ! 小絵を失ったのは痛かったが、俺がいればやりなおせる。俺が、俺こそが、郷塚だからなァ! ヒャハハハハ!」
「勝ったつもりのところ悪いけど、まだ終わってないぜ」
バカ笑いする健司に、俺は水を差した。
健司がこちらを向いて、俺へと突きつけられる、真っ黒い拳銃。
「もう一人、ガキがいたなぁ。賢人の次は、てめぇ――」
「終わってないって、言ったのにな」
「……あ?」
鈍い健司がやっと反応した、次の瞬間だった。
「
その声を、俺は久しぶりに聞く。
そして倒れ伏していた郷塚賢人が、ゆっくりと立ち上がった。
「……ああ、そうか。そうだったか」
声は同じ。だが、響きがすっかり変わっていた。
それは、さっきまでの中学生のものとは違う、強い意志を湛えた戦士の声。
動き一つからして、さっきまでなかったこなれた感がはっきりわかる。
俺の『友人にして恩人』ケント・ラガルクが、今このとき『出戻り』を果たした。
「団長、お久しぶりです」
「さっきまでタメ口だったヤツに急にかしこまられるの、慣れねぇ~」
律儀に頭を下げてくるケントに、俺は顔をしかめた。
「積もる話もありますが、今は――」
「ああ、しっかりケリをつけてきな。おまえ自身のくだらねぇ因縁にな」
そして、ケントが立ち尽くしている健司の方へと向き直る。
「郷塚健司」
「て、てめぇ、何で、生きて……? ぃ、いや、親を呼び捨てに……!」
「親を名乗るなら、親の務めをきちんと果たしてからにしてくれよ」
「く、だったらもう一回、殺してや――」
「おまえ、その銃で何回俺を撃った? 弾切れしてるって気づいてるか?」
銃を向けられながらも、ケントはいたって冷静に言う。
健司は目を見開き、慌てて自分の構えた銃を確認しようとするが、それ悪手。
「嘘だよ。拳銃の装弾数なんて、知らないよ」
静かな声音で言ったケントはそのとき、すでに健司の懐に飛び込んでいた。
「ぃ、え……?」
ポカンとなる健司。俺も、思わず目を瞠る。
「そうだったな。あいつの
ケントの両腕と両足、いつの間にか装着されているガントレットとレッグガード。
それこそはケント・ラガルクの異面体――、
「これから、さっきの百倍の苦しみを味わってもらうぜ」
「は……?」
と、声をあげたときには、健司の体はブレていた。
「ぐっ、がぁぁぁぁぁぁぁぁあ――――!?」
ケントの放った掌底によって、地面と水平に吹き飛んでいた。
そして、その直線上。
フッとケントの姿が現れる。ゲキテンロウの能力は、常軌を逸脱した超加速だ。
「郷塚健司、これからあんたの全身の骨を砕く。果たして、名家郷塚の誇りはあんたを支えてくれるかな。――楽しい実験の時間と行こうじゃないか!」
声と共に、ケントが残像を作る。
さっきの健司のものとは次元の違う滅多打ちが、そこから開始された。
殴る。健司が吹き飛ぶ。その先にすでにいるケント。
蹴る。健司が吹き飛ぶ。その先にすでにいるケント。
これが続く。ひたすら続く。
しかも一発一発に、大の大人を宙に浮かせる威力がある。
骨だけで済むものか。
健司の全身、肉も筋も内臓も、メチャクチャのグチャグチャだ。
「や、ゃ、やめてくれ……、も、もう勘弁してくれェェェェェ――――ッ!」
一分も経たず、四肢をあり得ない方向に曲がらせた健司に泣きが入った。
滅多打ちをやめたケントが、その健司の横っ面を上から踏みつける。
「ぅ、ぎっ、ひ、ひぐ……、ぅ、ぅ、ぁ、あ。痛ェ、痛ェ~……」
健司は、涙と鼻水を垂れ流して泣いていた。
自分の父親のそんな情けない姿を、何とも無感情な顔つきで見下ろしている。
「郷塚健司」
「ひっ、や、やめろ。これ以上は、ほ、本当にやめてくれ……、死ぬ、死ぬだろ、俺が死んじゃう、死んじゃうからやめ、俺が悪かった。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! だからこれ以上は、やめてください! お願いしますぅ~……!」
泣いて、泣いての命乞い。
あられもない現郷塚家当主の懇願に、ケントは眉一つ動かさない。
「親父。郷塚家は、大事かい?」
「ぃ、いや、大事じゃないです! ご、郷塚家なんて、全然、何も大切じゃないです! あんな家、なくなっちまえばいい! あんな酷い家、あんな……!」
「ああ、そうだな。俺もそう思うよ」
ケントが口元をほころばせると、健司もまた歪んだ笑みを浮かべる。
バカだな、自分で言ったことをもう忘れてる。ケントの顔から表情が消え失せる。
「だから親父、あんたは死ね」
「なッ!? な、何で、な、あ、頭、ふ、踏み、力! 入れなぃ、ぃぎぎ……!」
「あんたが言ったことじゃないか。自分こそが、郷塚家だって」
「や、やめっ、ぎぃぃぃやあああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!?」
「終わっちまえよ、郷塚家」
ケントの足が、そのまま郷塚健司の頭を踏み潰した。
それは、郷塚賢人の当主就任を祝福する、何とも汚ェ花火であった。
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