第35話 郷塚理恵の懺悔:前

 場所を八重垣探偵事務所に移した。

 スダレは、犯人の情報をバラされたショックで自室に引きこもってしまった。


「…………」


 賢人は、椅子に座ってずっとうなだれている。

 貫満にやられた分が、まだ回復しきっていないのだろう。


 賢人。

 郷塚賢人。


 異世界での俺の家族に、ケントという名前はない。

 だから『出戻り』だとしても、こいつはバーンズ家ではない。だが――、


「……郷塚賢人」

「何だよ」


 名を呼ぶと、賢人は小さい声ながらも反応を示す。


「ケント・ラガルクって名前に、聞き覚えはあるか?」


 俺がその名を出すと、真っ先に表情を変えたのは賢人本人ではなく、ミフユ。


「ケント、ラガルクって……、アキラ、もしかして……」


 呟くその顔は、驚きに染まっていた。

 俺は、賢人の反応を待つ。


「そんな名前、聞いたことない。……でも、変だな、何か懐かしい気がする」


 完全に表情を失っていた賢人の口元が、わずかながら綻んだ。


「そうか。わかった……」


 間違いない。こいつはケント・ラガルクだ。

 まだ、異世界で蘇生用のアイテムが開発される前に死んだ、俺の傭兵団の団員。

 俺を庇って、俺の命を救って死んだ、異世界で最も勇敢な男。


「賢人、俺にとっておまえは『友人にして恩人』だった」

「何のことか、全然わかんないよ……」

「今はそれでいい。だけど、俺は恩を返さなくちゃいけなくなった。だから」


 賢人の前に、スダレが作った報告書を投げ置く。


「報いよう。おまえが一番欲しいものを、俺がくれてやるよ」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 そして、話は宙色銀河商店街に戻る。


「今夜、郷塚理恵と郷塚小絵に仕返しをする」

「え……」


 探偵事務所内の応接スペース。

 そこで向かい合って座りながら、俺は賢人にそれを告げた。

 なお、ミフユはスダレを慰めに行っている。


「俺はあいつらに恨みがある。賢人、おまえがいてもいなくても、俺は今夜、俺が受けた恨みを億倍にしてあの連中に返しに行く。……おまえはどうする?」

「ど、どうする、って……?」


 狼狽する賢人へ、俺は指を三本立ててみせた。


「今の時点で、おまえには三つの道が残されてる。選べるのは一つだけだ」

「三つ、……って、どんな?」


 俺は、薬指を折った。


「一つ、貫満隆一の言葉に従って、自力で今の現状をどうにかする道」

「……貫満」


 俺がその名を出すと、賢人は途端にその表情を沈ませる。

 やりこめられたのが今さっきだ。受けたダメージは、早々治らないか。


「自分の環境、自分の能力、全てを諦めて、弱者であることを認めて、日本の仕組みに従って、自分を助けてくれる場所に逃げ込む選択だ。三つの道の中では一番真っ当だろう。だが同時に、三つの道の中で、おまえが最も惨めな思いをするのがこれだ」


 要は、尻尾を巻いて逃げるってことだからな、この選択肢は。


「……二つ目は?」


 予想通り、賢人は次を促してきた。第一の選択は論外。まるで興味を示さない。

 そりゃあそうだ。怯えて逃げろなんて選択肢、選ぶわけねぇよなぁ。


 だって賢人は中学生だ。

 若かろうが義務教育真っ最中だろうが、十数年も人間やってりゃ芽生えるモンさ。

 自己のプライド、ってヤツがな。


「二つ目は、おまえの話を聞いてくれたっていう女刑事、菅谷真理恵を頼る道だ」


 俺は、中指を折る。


「貫満の言葉に従うのと違うのは、きっとその女刑事は、親身になっておまえを助けてくれる。って点だ。おまえが独力で頑張るのと、頼れる大人が一人いるのとじゃ、話が全く違ってくる。彼女はおまえに配慮をしてくれるだろう。そして、色々と教えてくれるはずだ。おまえ自身のことを思うなら、一番ベターな選択だ」

「菅谷さん……」


 賢人は、そこで考え込み始める。

 その反応から見るに、菅谷真理恵って刑事は、かなり善性の人間っぽいな。

 もしかしたら、今の賢人ならこの道を選ぶ可能性も十分にある。


「三つ目だ」


 賢人に催促される前に、俺から話を進めた。


「三つ目の道は、すでに示したな。俺と一緒に来る道だ」

「おまえと一緒に……」


 繰り返す賢人に、俺はうなずく。


「賢人、これはおまえにとって、最悪の道であり、そして最高にスカッとする道だ。これを選んだら、真っ当な道には戻れなくなる可能性が高い。……だが、おまえの中に滾る恨みを、沸騰し続けている怒りを、最高の形で晴らさせてやる。約束しよう」

「…………」


 言うと、賢人はしばし黙り込んだ。

 そこに俺は、一つの補足を加えてやる。


「おまえがどの道を選んでも、俺はそれをサポートしてやる。一人で逃げるにしろ、菅谷真理恵に頼るにしろ、俺と一緒に来るにしろ、な。そこまではやってやるよ」

「何で、ほとんど初対面の俺なんかに……」

「ちょっとした因縁さ。因果応報って言葉は、悪い意味だけじゃないんだぜ」


 まぁ、今の賢人にそう言っても、全然伝わらないんだろうけどな。

 いいさ、別に。こっちが好きでやってることだ。


「それとな、傭兵は依頼人をたばからない。契約は全ての条件と情報を明らかにした上でフェアに、厳しく、しっかり取り交わす。それが次の依頼に繋げるコツさ」

「……変だな」


 ここで、賢人が再びその顔を緩く綻ばせた。


「おまえの言ってること、普通なら何言ってるんだって思うはずなのに、妙に耳に馴染むっていうか、本当のことっぽく聞こえてくる。何だろう、これ。変な感じだ」

「そうかよ。きっと、おまえの前世の記憶だろうさ」

「何だよ、それ」


 賢人がやっと笑った。そのタイミングで、俺は最後の決断を問う。


「――どうする?」


 俺の問いに、賢人は間を置かずに答えた。


「おまえと行くよ」

「いいんだな? そっちを選べば、本当に後戻りできなくなるぞ?」

「いいよ、今さらだよ。どうせ俺は、ずっと前から八方塞がりだからさ」


 賢人の顔に浮かぶ笑みが、変質する。

 諦念、絶望、怯えと恐怖、隠し切れない憤怒に憎悪。負念が渦を巻いている。

 十五年も生きてないこいつに、これだけのモノを抱かせたのは、郷塚家。


「わかった」


 俺は賢人に右手を差し出した。


「もう一度名乗るぜ。俺は金鐘崎アキラ。傭兵として、おまえに雇われてやるよ」

「俺は、郷塚賢人。頼む、あの家を、郷塚をブッ潰してくれ……!」


 賢人が俺の手を握り返し、ここに契約は成立した。

 さぁ、仕返しの時間と行こうじゃないか、郷塚家の皆々様。――笑うわ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 宙色銀河商店街は、郷塚家の遊び場だ。

 まず、商店街がある敷地全域が郷塚家の土地で、そこに並ぶ店舗全てが借家。


 しかも、各店舗のオーナーが、健司と理恵と小絵、三人のいずれかっていうね。

 つまり商店街の店長全員が雇われってワケだ。

 商店街で開催される企画も、全て郷塚家の気分一つで決まるらしい。


 さらには毎月、三人の保有店舗の売上を競ってるんだとか。

 最下位になったヤツが、自分の保有してる店の連中にどんな仕打ちをするのやら。

 まぁ、想像するのは簡単だよな。


「なので、火をつけましょうね~」


 午後十時、商店街のほとんどの店のシャッターが降りている時間帯。

 商店街の一角に立っている、小さな雑貨屋。

 そこもシャッターは降りているが、二階の窓からはしっかり明かりが漏れている。


 ここに、郷塚理恵がいる。

 ついでに言うと、理恵の愛人と、理恵が愛する本当の息子もな!


 どうなってんのさ、令和の日本。

 今のところ、まともな家族に出会った試しがないんですが?


「郷塚理恵をブチ殺すための第一~、まずは油を撒きま~す」


 雑貨屋の裏手で収納空間から取り出した革袋を開けて、中の油をブチまけた。


「うわぁ、え、そんな大量に……!?」


 同道している賢人が、油の量に戦慄する。

 ちなみにこちら、異世界で精製される油で、ななななな、何とォ~!


「着火」


 ボンッ!


「うおぉぉぉぉ、一気に燃え広がったァ~!?」


 石材もコンクリも関係なく、燃えます。


「そして『異階化』」


 金属符をペタリして、火がついた雑貨屋を空間的に隔離する。


「よ~し、行くぞ~」


 熱に晒されてひびが入った箇所に蹴りを入れ、壁に穴を開けて俺達は中へと入る。

 念のため、賢人には耐火用の腕輪をはめさせている。

 腕に装着するだけで、火属性攻撃と煙への耐性を得られる便利アイテムだ。


「ここに、溜め込んだ理恵の財産もある。そうだな、賢人」

「ああ、ここは母さんの聖地なんだ。好きな人と愛する子供と、大事な財産と……」

「なるほどね」


 大地主の家に嫁いだ身ともなれば、自由になる金も多かろう。

 それに理恵は金にうるさいタイプだから、溜め込めるだけ溜め込んでるだろうな。


「ま、全部関係なく灰燼に帰すんだがな! フハハハハハハハハハ――――ッ!」

「楽しそうだなぁ、おまえ……」


 ウンッ、ちょーたのしーっす。


「な、何だ、今の笑い声は誰だ!?」


 火が燃え広がり、煙が充満する一階の奥から、中年らしき男の声が聞こえる。

 俺は賢人に目配せすると、彼は小さく、だがしっかりとうなずいた。


「こんばんは、雑貨屋のおじさん」

「お、おまえは、賢人……!?」


 現れた雑貨屋の店主が、賢人を見るなり驚きに固まる。

 そして煙に巻かれて咳き込んだ。


「母さんは、二階ですか? もうすぐ降りてきますか?」

「何だ、まさかおまえが火をつけたのか、賢人! な、どうして……!?」

「どうしてじゃねぇよ、平気な顔して、人から母親を奪っておいてよ!」


 その顔を一気に怒りに歪めて、賢人が右手に持っていたものを店主に向ける。

 それは、拳銃だった。

 俺が北村のアジトから回収しておいたモノだ。


「おまッ、そ、それは……、やめ……ッ!」

「おまえの話なんか、何にも聞きたくねぇんだよ! 死ねよ!」


 怨嗟に満ちた叫びと共に、銃弾が雑貨屋店主の胸を貫く。

 俺と郷塚賢人による仕返し。その第一章が、今ここに開幕を告げた。

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