第29話 今は亡き豚も国籍は日本でしたね

 学校から帰って、風呂洗いを頼まれた。


「見た目、きったねーんだよなー、ウチの風呂……」


 あの豚が生きてた頃は、風呂掃除なんてロクにやってなかったからなー。

 こびりついた汚れは、こすってもなかなか落ちない。やれやれ。


 たわしに洗剤をつけて泡立て、風呂桶をこすっていく。

 異世界じゃこの辺りは魔法で軽く終わらせてたので、これはこれで新鮮な体験。


 こすっているうちにいつのまにか鼻歌を始めていた。

 しかし、それもほんの一分足らず、突然の電話のベルが俺の鼻歌を中断する。


「お袋~、出てくれ~。俺今、むーりー!」

「わかったよ~」


 返事があって、俺は中断した風呂洗いを再開しようとする。

 そこに、お袋が電話で話す声が聞こえてくる。


「はい、はい。……はい。…………はい」


 その、微妙に空く間がどんどん長くなるの、やめてくれませんかね。

 別に気にすることじゃないんだけど、どうにも気になっちまうってゆーかさー。


 ンギギ、このよごれなかなか落ちないな……。

 もう魔法使ってスパーッ、と一気にやっちまおうかなぁ。


 しかしあれだな、本当に豚がいなくなってから俺達の生活って人間らしくなった。

 悪貨は良貨を駆逐するっつーけど、汚点ってやつは周りも汚していくんだな。


 やっぱり、お袋の方を生かしておいて正解だったぜ。

 グッジョブ、あのときの俺。

 世のため人のため、俺のため、豚を消してよかったぜー。


「ちょっと、アキラ~?」

「ん?」


 俺が自画自賛していたところに、お袋がヒョコッと顔を出す。


「何だよお袋。誰からの電話だったんだ?」

「……それがねぇ」


 と、お袋は何やら煮え切らない返答。

 あ~、これなんかめんどくさいヤツだ。俺の直感が即座にそう判断する。


「いいから言え、命令」

「う、わかったよ。……それじゃあ、言うけどねぇ」


「おう、何だよ」

「これからちょっと、お葬式に行かなきゃいけなくなったよ」


 …………あ?



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 電話は、郷塚ごうつか家からのものだった。

 いや、誰だよ、郷塚って。


「……豚の実家だよ」


 喪服に着替えたお袋が、葬式会場に向かうさなか、教えてくれた。

 えー、豚って名前あったんだ! そっか、あいつも生物学上は人類だもんなー!


「じゃあ、何で俺らの苗字は金鐘崎のままなん?」


 喪服なんぞ持ってるはずもない俺が、普段着のままお袋に問う。

 金鐘崎は、お袋の旧姓だ。

 離婚した実の親父も婿入りで金鐘崎姓を名乗っていたそうな。


「豚は素行が悪くて実家から絶縁されてねぇ、あたしの苗字を名乗ってたんだよ」

「うわ~、本当に全方位に『生きててすいません』だったんだな、あの豚」


 夜に差し掛かった住宅街を歩きながら、ふと俺は思った。


「で、何で俺らはあの豚の実家の葬式に出ようとしてるの? 関係なくない?」


 もう豚との離婚は成立してますよねぇ? ねぇ、お袋?


「い、いや、そのね……」


 途端に、お袋の目が泳ぎ出す。


「また断り切れなかったんだな、あんた……」

「ごめんねぇ……」


 そんな消え入りそうな声で言うな。もういいよ、あんたはそういうキャラだよ。


「無視して行かないでいると、またあっちに何言われるかもわからないしねぇ」

「そういうことを言ってくるような連中なのね、郷塚家は……」

「だって、あの豚の実家だよ?」


 何たる凄まじい説得力。納得しかできねぇじゃねぇか。

 歩いているうちに、お袋と同じく喪服を着ている人の姿がちらほら増えてきた。


「……何か、多くね?」

「郷塚家の先代のお葬式だからだよ。あの家は昔からこの辺の大地主でね」


 そんないいとこの出だったのか、あの豚。

 まぁ、名家だからこそ、あの豚野郎じゃ絶縁されて然るべき、ってところかね。


 だがそれがこうして葬式に呼ばれた。

 う~ん、またぞろめんどくせぇ匂いしかしねーぞー。


「着いたよ、あそこがお葬式の会場だね」


 そこは、この辺りでも特に大きな斎場だった。

 すでにそこには多数の人間が集まっているようで、視界に黒がいっぱいだァ。


「言っておくけど、軽く挨拶したらすぐ帰るからな?」


 俺は、お袋に釘をさしておく。


「わかってるよ。あたしだって長居したくはないよ」

「なら、いいけどよ」


 そして、俺達が葬式の受付に向かおうとしたときだった。


「あ、見つけましたよ! こいつらじゃないですか、健司けんじさん!」


 いきなり現れたガラの悪い二十歳程の男が、俺達の前でそんなことを叫ぶ。


「大声を出すな、宮原」


 そう言って嗜めたのは、そこにやってきたもう一人の男。

 黒い男性用の喪服をしっかり着こなした、銀縁眼鏡のビジネスマン然とした男だ。


 年齢は、五十代前半といったところか。

 目つきが鋭く、人に優しくする気など一切なさそうな冷たさを感じさせる。

 そこに立っているだけで、周囲に圧を感じさせるたぐいの人間か。


「……健司さん」


 と、呟くお袋の声が聞こえて、ああ、こいつが電話の相手かと俺はすぐに察した。


「久しぶりだな、美沙子さん。その子は君の息子さんかね」

「は、はい。息子のアキラです……」


 あ~ぁ、お袋ったらオドオドしちゃって、まぁ。

 こういう、高圧的な手合いには本当に弱いんだからさぁ……。


「で、美沙子さん、源三げんぞうのやつはどこに?」


 健司とか呼ばれた男が、キョロキョロと周りを見る。つか、源三って誰よ?


「あの人の居場所は、知りません。あたしはもう、あの人とは別れましたから」

「別れました、だぁ~?」


 と、お袋の言葉に反応したのは健司ではなく、宮原とかいう若い方だった。


「おい、こら、ババア。源三さんと別れたなら、何でここにいるんだよ、テメェ。まさか郷塚の家の遺産狙いじゃねぇだろうな~? あぁ?」


 ああ、源三って豚の名前かぁ!

 すげぇ、やっぱあの豚、日本国籍だったんだな。ちゃんと名前があったんだ!

 なんて思ってちょっと感動していたら、いきなり蹴りが飛んできた。


「オラァ!」

「ア、アキラァ!?」


 蹴ってきたのは宮原だった。

 吹き飛ぶ俺を見てお袋が悲鳴をあげるが、いや、何ていうか、困る。

 こんなチャチィ蹴りで何をしたいのかわからなくて、困る。


「オイ、見たか、ババア。てめぇ、変な気起こしたらこんなモンじゃすまねぇぞ」

「宮原、それくらいにしておけ」


 健司が小さく言うが、おまえ、あのチンピラが蹴る前に止められたよな。


「すまないね、美沙子さん。彼は宮原浩二みやはら こうじといってね、私の部下なんだが少々気性が激しくてね、申し訳ない。この通り、謝るよ」


 言いつつも、健司はこっちには一瞥もくれないし、実際には頭も下げない。

 ただ、オドオドすることしかできないお袋に、建前でそう述べているだけだった。


「そうか、源三とはすでに別れたのか。それなのに今日はうちの父の葬儀に来てくれたことには感謝するよ。是非、お焼香をしてやってって――」

「冗談じゃないわよ、何言ってるのよ、あなた!」


 だが、そこにさらなる介入者。

 ヒステリックな声をあげて駆け寄ってきたのは、和装の喪服姿の中年の女。

 雰囲気から見るに、健司の妻か妹辺りだろうか。


「……おやぁ?」


 俺は、その女に見覚えがあった。

 怒りに歪んでいるその顔を見た瞬間に、俺の中にグルグルと記憶が巡り始める。

 そんな俺をよそに、健司とやって来た女が言い争いを始める。


「そいつは源三と一緒になった女よ、何をしでかすかわかったもんじゃないわ!」

「やめないか、理恵りえ。美沙子さんはもう別れたと言っているぞ」


「どうだか。うちに帰ってこれない源三の代わりに偵察に来ただけなんじゃなの?」

「そ、そんなことは……」

「そんなことないなら、何でそんなビクビクしてるのかしら。怪しいもんだわ」


 そんなこと、あってもなくてもビクビクするのがウチのお袋なモンでして。


「私はそんな女を葬儀に参加させるなんて反対ですからね!」

「バカを言うな。この家は郷塚家の先代当主の葬式なんだぞ。せっかく来てくれた弔問客に難癖をつけて追い返したら、郷塚の家の名前に傷がつくだろうが」


 なるほどね、健司とかいうのは喪主らしいが、家の名前を大事にしてるタイプか。


「お父さん、お母さん、ここにいたのね!」

「そんなに慌ててどうしたんだ、小絵さえ


 今度は、宮原と同じくらいの年齢に思える若い女が走ってきた。

 しかもその女もまた、見覚えのある顔だった。


「……ああ、覚えてる。覚えてるぜ」


 俺は小さく呟く。

 郷塚理恵に郷塚小絵。この二人はあのときの――、


 浮かびそうになる笑みを押さえている俺の前で、小絵が健司に耳打ちをする。

 そして、次に健司が漏らした一言が、事件の始まりを告げる合図だった。


「――親父の死体が、消えた?」

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