第4話 楽しい『僕』の日常風景

 その日は、特に何ということはないごくごく普通な一日だった。

 つまり、いつも通りに『僕』はいじめられてたってことだ。


 ――ホームルーム。


「アキラはなー、本当にどうしようもないなー」


 担任の『まーくん』こと真嶋誠司がそう言うと、教室中に笑いが起こった。


「まーくん、俺見たぜ、こいつ本当に自分で落書きしてたぜ!」


 おもむろに立ち上がった『リッキー』こと三木島力也があり得ない証言をする。


「わたしも見ましたー! 金鐘崎君はいけないことをした悪い人です!」


 三木島に追従する『ふゆちゃん』こと女子の佐村美芙柚。

 クラスの中心人物である三人が意見を同じくしたことで、場の空気は固まった。


「ちょっと、待ってください! そんなのおかしいです!」


 と、唯一、枡間井未来だけが反発を示すが、それに取り合うやつはいない。


「アキラ、悪いことをしたんだからキチンと謝るんだ」


 真嶋が俺に謝罪を要求してくる。

 さてさて、俺は一体、誰に向かって何について謝ればいいんだろうな。


「そうだそうだー!」

「悪いことしたんだから謝れー!」


 クラス中から、そんな声が上がる。

 生徒のプライバシーの保持のためとかいう名目で、この学校の壁は防音仕様だ。

 おかげで、どれだけ騒いでも隣のクラスにその声が伝わることはない。


 っていうか、いじめって普通、隠れてこそこそやるモンじゃねーの?

 担任まで加わって、こんな堂々とやらかすのかー。いやー、令和の日本怖いなー。


 と、周りに起きる『謝れコール』を聞きながら、俺は他人事のように思っていた。

 だが、そろそろ鬱陶しくなったので、俺は椅子から立ち上がる。


 途端に、クラスが静まり返った。

 俺の謝るところを聞き逃すまいとする、下卑た期待を感じる。

 そこへ俺は言ってやった。


「落書き? どこに?」


 肩を竦めてやると、沈黙の質が期待から疑問のそれへと変わった。

 俺は、自分の机を指先でコツコツと叩いてやった。

 何も描かれていない、綺麗さっぱりツルリとした表面を見せている、机を。


「あ、あれ……?」


 力也がアホみたいな声を出して、俺の机を見る。

 美芙柚も真島も、他のクラスメイト連中も、未来すらも、俺の机に注目した。


「真嶋先生。僕がした悪いことっていうのは、一体何ですか? わかりかねます」

「ぇ、……あ、あ~、ぇぇと」


 わざと大人びた言い方をしてやると、真嶋は思考停止した様子で声を漏らす。

 バカだなぁ、こいつら。笑うわ。

 こういう流れになるってわかってるんだから、対処するに決まってるだろ。


 ガキの落書きなんぞ、早々に魔法で消したわ。

 こっちをよく観察してりゃその様子も目撃できたのかもしれないのになぁ。

 いかに普段から『僕』をナメ腐ってるかってのがよくわかる。


「三木島君。佐村さん」


 俺は、棒立ちになったままの『リッキー』と『ふゆちゃん』へと目配せする。


「……二人とも何を見たって? 幻? 頭、大丈夫?」


 ハンッ、と、これ見よがしに鼻で笑ってやった。


「な、この野郎……!」


 力也は目をいっぱいに見開いて拳を握り締め、美芙柚は顔を赤くして俯いた。

 こうして、ホームルームは平和に終わった。授業が始まる。


 ――算数の授業中。


 俺が使う教科書はボロボロだ。

 表紙はグチャグチャにマジックで落書きされ、中のページも破られている。


 当然、やったのはこのクラスの連中。

 ただどこかに隠すのではなく、わざわざボロボロにして置いておく。

 そうすることで、それを使う俺にみじめさを味わわせようって魂胆なのだろう。


 これを指示したのも『まーくん』だろうな。

 あの野郎はウチの家庭事情を詳しく把握している数少ない人間の一人だ。


 だから、教科書がこんなことになっても買い換えるワケがないと理解している。

 ま、それも今朝までの話なんですけどね、真嶋先生。


「よし、この問題がわかるヤツ、いるかー?」


 真嶋が黒板に問題文を書いて生徒側の方を振り返る。

 そこに書かれているのは、高学年になって初めて習うような難しい問題だ。


 ああ、はいはい、つまり俺用ですね。

 と、理解した瞬間、真嶋と目が合った。口角上げてんじゃねぇよ。


「よし、それじゃあアキラ。答えてみろ。これくらいなら、簡単だろう?」


 よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。

 周りを見れば、またしても俺に視線を集めてくるクラスメイト達。

 特に何も喋っちゃいないが、こっちに向けた『恥かけ』オーラがやたら色濃い。


「先生、そんな問題、教科書に載ってません! 全然、簡単じゃないと思います!」


 ここでも、未来が立ち上がって真嶋に抗議してくれる。

 しかし、真嶋はそれをやんわりと受け止めながら、


「未来、おまえは知らないかもしれないけどな、実はアキラは算数が得意なんだ」

「そんなの、聞いたことないです!」

「おまえが知らないだけだよ。なぁ、アキラ。この程度、答えられるだろ?」


 真嶋は噛み付く未来にはまともに取り合おうとはせず、俺に重ねて言ってくる。

 俺は立ち上がると、一応問題文を見て確認し、軽く正解してやった。


「――ですよね?」

「え……」


 真嶋が固まる。

 俺はもう一度同じ答えを言ってやると、硬直から脱した真嶋が問題文を見た。


「合ってますよね?」

「あ、ぁ、ああ。うん、正解、だな……」


 愕然としつつうなずく真嶋に、クラスメイト達も完全にポカンとなっている。

 俺は椅子に座って、小さくため息をついた。幼稚なことをしてくるモンだ。


 こちとら一回天寿全うしてるっての。

 いかに異世界の教育レベルが低かろうと、このくらいはわかるわ。


「すごい、金鐘崎君、本当に算数得意だったんだね!」


 と、瞳を輝かせてる未来が一服の清涼剤だった。


 ――休み時間。


 楽しい楽しい休み時間。

 小学生にとっては、先生の目も気にせず自由を謳歌できる貴重な時間だ。


 要するに、俺への直接攻撃が一気に表面化する時間帯ってことだ。

 チャイムが鳴って真嶋が教室を出て行ってすぐ、力也が俺の席へとやってきた。


「おい、アキラ。ちょっとツラ貸せよ」


 取り巻き数人を従えて、力也はクイとあごをしゃくって俺に言ってくる。

 何だ、その誘い方。ヤンキーマンガの影響でも受けたのか、おまえ。


「ちょっと……!」


 未来が割って入ろうとするが、力也の取り巻きが壁を作って寄せ付けなかった。

 俺も周りを囲まれ、ひとまず大人しく従うフリをして力也についていく。


 校舎を出て、着いた先はグラウンドの端っこにある体育館倉庫の裏側。

 ちょっとした広場になっているそこは校舎からは見事に死角になってる場所だ。

 外側にも防犯用の高い塀があって、何かあってもまず見つからない。


 そこには、すでに先に来ていたらしい美芙柚とその取り巻きの女子数名もいた。

 到着した俺を見るなり、美芙柚は不快げに目つきを険しくする。


「来たわね、ビンボー人」


 美芙柚が言うと、俺を中心にして力也の取り巻きがザッと俺を囲んだ。

 逃げ場をなくしたつもり、何だろうなあ。この子らからすると。


「おまえよぉ、朝のあれはどういうつもりだ? あ?」


 力也が俺の胸倉を掴んで凄んでくる。

 ここで「あ?」を使ってくる辺り、本気でヤンキー漫画の影響を受けてそうだな。


「どういうつもり、ってきかれ――」


 ゴッ、という鈍い音と共に、俺の顔に衝撃が来た。

 俺が答えるより早く、力也が顔面を殴りつけてきたのだ。


 それを皮切りに、力也の取り巻き達もよってたかって俺に暴力を振るい始める。

 顔、肩、腹、手足、背中と、まぁ、ムチャクチャに殴る蹴るですわ。


「アキラのクセに生意気なんだよ!」

「ビンボー人のクセしやがって!」

「親がクズなんだから、おまえもクズなんだよ!」


 自制心なんてものが未発達だからこそ、一旦火がつくと子供の方が徹底する。

 容赦もないし、急所を外すようなこともしないし、何なら――、


「死んじまえよ、ビンボー人!」


 と、近くにあった石で殴りかかってきたりもする。

 さすがにそいつは調子乗りすぎってモンだろ。俺はそれをするりと避ける。

 避けて、そのままダメージで倒れたフリをしておく。


「ヘッ、思い知ったかよ!」


 俺が倒れたことで、自分の勝利が確定したと思い込んだ力也がせせら笑った。

 そして、力也のはいたツバが、俺の頬にピチャリとついた。


「俺達に逆らうからこうなるんだぜ。ヒハハハ!」

「そうだそうだ! アキラのクセに!」


 腕を組んでふんぞり返る力也の周りで、取り巻きが一緒になって笑う。

 美芙柚は倒れた俺へと近づき、苦虫を噛み潰したような顔をして見下ろしてくる。


「ビンボー人が、わたしに恥をかかせた罰を与えてやるわ」


 そう言って、今度は美芙柚の取り巻きが俺の服を脱がせ始めた。


「お、おい……?」


 これは力也も予想外だったらしく、ちょっと臆した声を出す。

 だが女子連中は完全にワルノリしていて、クスクス笑いながら服を剥いでいった。


「こんな汚くて臭い服、着てくる方が悪いのよ。どこかに捨ててきて」

「は~い」


 命じたのち、パンツ一丁にされた俺を見て、美芙柚の顔がますます歪む。

 それは、目的を達成した人間がするものとは違う、憎々しげな顔つきだった。


 ……ふむ。


「そろそろチャイムが鳴るわ。教室に行くわよ」

「え、マジか。おい、みんな行くぜ!」


 バタバタと、せわしないガキ共の足音がして、それはすぐ遠ざかっていった。

 よし、そろそろいいかな。


「よ、っと」


 軽く指を打ち鳴らすと、俺の体が服を纏う。

 あらかじめ、アイテムボックスに収納しておいたものだ。


 裸にされる程度は想定済みだよ。

 パンツを残したのは肩透かしだったがな。やるなら全裸にしろよ。甘ったるい。


「金鐘崎君!」


 俺も教室に戻るか、と思っていたところ、未来が駆けつけてきた。


「あれ、枡間井さん」

「金鐘崎君、だいじょ……、え?」


 急いで走ってきたとおぼしき未来は、俺を見るなりキョトンとなる。


「あれ、ふ、服……」

「この通り着てるけど、何か?」


 俺はすっとぼけるが、美芙柚辺りから服のことを聞かされたっぽいな。

 あの連中、未来のことも煙たがってるみたいだし。


「あ、ううん。何でもない。それよりも、大丈夫?」

「うん。ちょっとお話しただけだよ」


 そう返し、俺は教室へと歩き出す。

 未来もすぐに「待ってよ!」と追いかけてきた。


 いやぁ、今日もいっぱいいじめられたなー。

 これはもう、本当に由々しい事態だ。何とかしなくちゃいけないなー。


 でも俺は臆病だから、親に言ったりすることもできないなー。

 だから自力で何とかしなくちゃいけないなー。自力で。


 なんちゃってね。笑うわ。


 ――あ~、誰から地獄に墜とそうかな~。

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