4:怪盗のルールと、ルールの管理者と

「左手はどうだい?」

「ご覧の通り、ティーカップを支える程度には役に立っていますよ」


 会長室の応接ソファに腰を下ろして、二人は向かい合う。

 コーヒーの香りを楽しみながら、穏やかな面持ちで。


「さっちゃんがいなくなって、界隈は寂しいばかりだよ」

「だから戻って来いって?」

「無理強いはせんさ」

「なら、何も知らない女の子を唆す真似なんてしないでくださいよ」

「心外だな。同じ学校同士仲良くなれば、なんて老婆心だよ?」

「目論見通り、仲良く協会にデートとなりましたよ」


 言葉に棘を生やすものの、声音は柔らかく。

 信頼ある相手への、挨拶のような嫌味だ。


「想定外だよ。彼女……伊井楽さんを『怪盗登録』しに来るなんて」

「なるほど。僕でも成し得なかった、会長の虚をつけたと。有望な新人ですね」

「本人の希望かい?」

「もちろん。取り返したい、とはっきりと言っていましたし」

「リスクは?」

「警察、マスコミ、財界政界が敵になるよ、とは」

「なるほど。確かに将来有望だ」


 秋が、驚きを口に、納得を頬に浮かべる。

 まったく、と咲華は肩を落とすしかない。


 怪盗協会の主たる田正・秋は、少年の目から信頼に足る人物である。

 公正であり公平であり、直面する問題に解決手段を講じるに躊躇いを見せず。

 かといって現実との折り合いを無視するでもなく、以て、対外組織の信用を勝ち得ている。


「そんな折り合いのために、僕の退会届が処理されていないんでしょう?」

「ふふ、まさか。私の怠慢と慙愧のためさ」

「さほどの価値なんか、僕にはありませんよ?」

「それこそまさか、さ。こうして、新人を引き連れて戻って来てくれただろう?」

「期待の新人を?」

「そう。無事に署名をしてくれるものか、不安で一杯さ」


 心変わりなんかされちゃあ叶わない、と冗談げに笑う。


 言葉の通り、伊井楽・桃奈は下階事務所で入会手続きを踏んでいる。ひなたが同行してサポートをお願いしてある。

 かくして、的屋・咲華は事態の真意を探るべく、協会長を真正面に据えているのだ。


      ※


 咲華は、正直なところ老人が意図するところを汲みかねていた。


 どうして怪我で身を引いた自分を、形式上だけでも引き止めるのか。

 そんな人間に、協会が持て余したであろう少女の処遇を任せたのか。


 そうして、


「けどね、さっちゃん。どうして、あの子の『お願い』を聞くことにしたんだい?」


 あれやこれやの布石で以て、自分に何を求めるものか、と。

 問いに答えるに、疑問の解答を引き出す言葉を作らなければならない。


「必死、だったからですかね」

「必死?」

「そう。なりふり構わない、掴み縋れるものなら藁にだって掴みかかる。そんな覚悟が見えたから」

「覚悟ねえ。誰しも、大なり小なり持ち合わせてはいるものだろう」

「そうですね。僕の胸にも、もちろん」

「なら?」

「必死さが似ていた、かなと」


 昨年を駆け抜けた、自身が猛らせた激情に。


「似ているからこそ、危うさもわかっている」

「なれば捨て置けはできない、か」

「ええ。どんな結論が出たとしたって、夢見が悪くなるでしょう?」


 だから、


「背を、しっかりと押して支えてあげますよ」


 熱を、燻りを、再び灯して貰えた。

 握った左の拳が、弱く、けれど震える。


 温かな視線に気付き顔を上げると、秋が微笑み見つめていた。

 咲華は納得を得る。


 つまり、この胸の再点火こそが老人の目論見であったか。


「ま、入れ込み過ぎると、この左手みたいになっちゃいますからね」

「そうだね。加減をお願いしたいところだ」


 おどけて逃げ道を仮設すると、コーヒーのおかわりをねだる。

 目的は終えた。

 あとは、新たな相棒の手続きが終わるまで、心地良い時間に身を委ねるだけなのだ。


      ※


 老人と少年の談笑は、二杯目のコーヒーが半分を費やされたところで、


「的屋さん! なんですか、あれ! ちょっと、的屋さん!」


 新人怪盗志望者が、血相を変えてドアを押し開けたことで終わりを告げた。


「ふふ、新人さんはやはり元気が良い」

「田正会長、お久しぶりっす」

「うん。ひなちゃんも元気そうでなによりだ」

「で、何事かい?」


 ボルテージを上げている新人怪盗の後ろから、もう一人の少女が顔を覗かせる。

 彼女は、眼鏡を疲れたようにかけなおすと、御覧の通りだ、と肩をすくめた。


「借りたペン、突然爆発したと思ったら万国旗を撒き散らしましたよ⁉」

「あ、上手くいった? びっくりしたでしょ?」

「当たり前ですよ! そのうえ!」

「放り投げた途端に白い煙吐き出して、職員さんたち恐慌状態だった」

「さっちゃん、火災報知器が鳴るような真似は勘弁してくれないか?」

「水蒸気でしかもペンに仕込める程度の量なんで、平気平気」

「ほんとう相変わらずだ」


 満面笑顔の愉快犯は、さて、と腰を上げる。

 怒り心頭な桃奈に向きなおると、


「書類のサインは全部終わった?」

「ええ! だからこうして……!」

「よぉし。じゃあ、さっそく準備をしなきゃね」

「え? あ、はい、そうですね。だけど、そんな急にですか?」

「時間なんかあるわけないよ。なんせ」


 幾枚もある書類『全て』にサインをした、と確認したのだ。

 共犯者であるひなたも、間違いないと頷きで応えてもいるし。


「あの中には『予告状』の送付依頼もあったんだから」

「え?」

「デビューの日取りが決まったってわけさ! おめでとう!」

「ちなみに、諸々の手続きが終わるのが明後日。その三日後だから」

「時間なんか、いくらあっても足りない位だ!」

「……ええっ! ちょ、ちょっと待ってください!」


 秋は、少年少女らの賑々しさを茶請けに、コーヒーを口へ。


「本当に、相変わらずだ」


 騒々しさに、年甲斐もなくはしゃぐ胸を面白く思いながら。

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