2:望むべくを掴み取るに、足らぬは正気か狂気か

 怪盗。

 それは、十八世紀アメリカで発生した、エンターテイメント興行の一つである。


 官憲隊の完全包囲を欺き。

 難攻不落の金庫ドアを軽く押し開け。

 華麗な身捌きで観衆を熱狂させる。


 時に当世の英雄の如く、銀幕のスタァの如くだ。


 人々の耳目を集めるに足れば、そのおこぼれを狙うスポンサードが群がる。

 金銭が動き出せば、夢見る若者たちという裾野が広がる。

 業界にぶら下がる人口が増せば、仕事道具や専門教育機関など、外郭も大きくなる。


「そんな虚業の末席に弟子入りしたいなんて、どんな事情があるんだい?」

「エンタメ性を除けば、派手なコソ泥じゃん? ロクなもんじゃないよ」


 怪盗スプリングテイルは、相棒と共に言葉を重ねる。

 部室の長テーブルにて、三人は顔を突き合わせていた。咲華とひなたが、桃奈と名乗った転校生と向かい合う。


「確かに、怪盗に憧れる子は多いよ」

「専門学校が主要都市ごとにあるくらいにはね」

「だからこそ、ただ『怪盗になりたい』なんて人は学校に行くわけね」

「いまどき、徒弟でどうこうなんて面倒事、流行んないっしょ?」

「じゃあ事情があるんでしょ、って思うわけ」


 こちらの、いくつかある懸念のうちから、大きなものを開示。

 気弱そうな面持ちの少女は、息を一つ。

 言葉を、感情を整理するように。


「父の『形見』を取り戻したいんです……!」


 崩れてしまいそうな声をどうにか押しとどめながら、呟くのだった。


      ※


 伊井楽・桃奈の父親は、大手出版社の記者であった。


 記者としての能力は平凡だったが、人となりが温厚かつ誠実であったために政界の一部から信頼が厚かった人物だったという。


「実際、私も一緒に自宅へ招かれたことがありますし」

「すごくない、それ? え? 偉い人の家って何食べるの? やっぱり鯛の頭?」

「咲華の頭ってさ、金持ちと野生児が一緒なん?」


 一人親であったが関係は良好であった。

 であるが、三か月前の一月に急逝。


「轢き逃げだそうです」


 突然の訃報に、親戚や近所、職場の関係者らが支えてくれて葬儀を果たすことはできた。

 であるが、数日後に警察が訪れたことで事態が一転。


「実は、事故ではなく故意……殺人の可能性があると」

「政治家と関係が深い記者……ま、想像はよくよく膨らむとこね」

「はい……詳しい事は教えてもらえませんでしたけど」

「じゃ、さ。その形見も、その時にってこと?」


 ひなたの疑問に、小さく頷く。


「クリスマスプレゼントだったんです。お守りだから、って」


 小さな輝石を嵌め込んだ、ペンダントだった。

 けれども、それも捜査に必要だからと持ち去られたという。


「葬儀直後で混乱もしていたし、捜査の助けになればと思ってお渡ししたんです」

「だけど、取り戻しくなった? 流石にアナーキー過ぎるじゃん」

「ち、違います!」


 桃奈は慌てて否定し、実を示せば、


「そのあと、進展があったか訪ねた折に、警察ではそんなペンダントは預かっていない、って……!」

「所在不明ってこと?」

「担当の刑事さんも異動でいなくなってしまって、どうしたらいいか……」


 不穏が、陰の濃さが強まっていく。


      ※


 ひなたは、普段から『機嫌悪い?』とか『お腹痛い?』とか言われる口元のへの字を、真実不機嫌に歪めていた。


 気弱そうな彼女が持ち込んだ想像以上の劇物だったせいだ。

 まさか政界とマスメディア、警察まで絡んでいるとは。

 どれ一つを取っても、強大な力を有する。

 まずもって、さまざまな『利権』の巣窟となっている怪盗業界においては尚のこと。


 自分の手には余る話だ。

 そう判じたひなたは、相棒であり表役者であり幼馴染の横顔を盗みる。


 黙り込んでいた彼は果たして、厳しい眉根を見せていた。

 口元こそ、常の笑みを絶やさずにいるものの、難事を察している。


 断ろう。聞かなかったことにしよう。

 そう決し、喉に力を込めると、


「ちょっと、待っていてくれるかな」


 真剣な声音で、ゆらりと腰を上げる。


「え? あ、はい……でも、えっと……」

「すぐ戻るから。ちょっと、大切なことがさ」


 言い草に首を傾げてしまうが、稀に見る真剣な眼差しを遮りはできない。

 来客を置いて、件で席を立つとは。

 部屋から出ていく背中を見送れば、残されたもう一人は不安げに。


「……的屋さん、怒ってしまったんですか?」


 え、と噴き出してしまった。

 彼の奇行に慣れていなければそう見えるのか、と。


「さあねえ。気まぐれなうえ、頑固なところがあるからね」

「そうですか……」

「約束は違えないヤツだからさ、すぐに戻ってくるんじゃない?」


 などと安心させる言葉を探していると、ほどなく、


『マイテスマイテス! 事件ですよ!

 例の転校生、喋るたびに『ぶるんぶるん』で話が一切頭に入ってこないんです! 助けて! こんなの精神的殺人ですよ⁉ ついでに社会的にも!

 どうだ、バスケ部の諸君! あの子のドリブル姿に僕の心はトラベリングですよ! ぜひダブルドリブルを……おやおや皆さん、いったい何の御用で! よかろう、スクリーンアウトで勝負……え、違う? センターサークル? 人間は輪になれませんよ?」


 今日一な映像の気配が濃厚に立ち込めたために、ひなたは桃奈の腕を引っ掴んで駆け出すのだった。


      ※


「それじゃあ、弟子入りを認めるよ」


 センターサークルとしてジャンプボール練習につきあった最年少MVP怪盗は、体中に靴底痕をつけながら、あっさりと言ってのけた。


 その反応は、両極端である。


「あ、ありがとうございます!」

「ちょっと! 意味がわかって口走ってる⁉」


 泣きそうな顔での感謝と。

 噴くほどの怒りの形相に。


 少年は当然、と相棒に笑う。


「現場の警官にはともかく、警察機構にケンカを売るなんて正気じゃない」

「ええ」

「マスコミは怪盗の味方であって、そこに手を突っ込むなんて気が狂っている」

「そう」

「政界は法律を通して、僕らの存在を保証してくれている後ろ盾。闇を暴くなんてもってのほか」

「その通りよ。だから」

「だから、じゃないか? ひなちゃん」


 咲華は、笑みを浮かべなおす。

 強く、深く。


「取り返してくれ、じゃないんだよ。取り返したい、なんだ」

「え?」


 確かに、少女はプロに渡りを付けたのだ。自身は待つだけで十分である。

 だというのに、弟子入りということは難事を自らの手で成さんと志した。


 咲華は、さらに笑う。

 もはや満面に、剣呑に。


「狂っているよ」


 だからこそ。


「面白いんだ」


 消沈に向かう燻りが、火の粉を爆ぜさせる。

 引退を決めていた若き怪盗は、笑みに焔を灯してしまったのだ。


「僕は君を」


 灯した当人は、感謝はあるが彼の物腰に当惑する。

 咲華は意に介さず、その柔らかな温かい手を取れば、


「伊井楽・桃奈を、万難排して『形見』へ届かせてみせるよ」


 笑い、


「約束だ」

 

 契りを押し付けるのだった。

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