怪盗は仮面の奥を焔で焦がして

ごろん

怪盗は仮面の奥を焔で焦がして

第一章:春らしく、明るい笑顔が好ましいから

1:『彼』と『彼女』と『握力グリッパー』と

 夜天を衝く摩天楼。

 地にひしめく多重ハイウェイ。

 闇を焦がさんばかりのネオンライトの海を。

 目を焼かんばかりのヘッドライトの群れを。

 飛び。

 走り。

 翻り。

 その眼光鋭く、掴み取る。

 狙い定めた、煌びやかに列する獲物たちを。

 宵闇の挑戦者。

 一夜の支配者。

 夜ごと主演を配する彼らを、人は『怪盗』と呼ぶ。


      ※


『今日は、そんな怪盗たちの実像に迫っていきましょう!』


 古めかしいブラウン管テレビが、昼下がりの下世話なワイドショーを垂れ流していた。

 棚上の老骨は、少しばかりノイズを混ぜこんでくるものの未だ健在。この、区立東的高校奇術クラブ部室における最年長である。

 けれども、そんな長老のご高説に、割り入る音がある。


 ハサミの、紙を切り刻む音だ。

 規則正しい、高い刃の擦れ合い繊維を断つ歌声。


「そっかあ、そういう時期でもあるもんなあ」


 ハサミの歌を止めず、少年は笑うようにテレビへ言葉を溢す。

 懐かしむような、陽気な春の昼下がりには似つかわしくない湿り気のある声で。


 手元は歌い続ける。

 粗末な長テーブルの上には、細切れになっていく新聞の切り抜きたちの山。

 愉快気に擦れるリポーターの言葉へ耳を傾けながら。


 山がほどなく大きくなったところで、


「あれ、咲華さっか。早いじゃんか?」


 不意に、部室の引き戸が開けられた。

 咲華と名を呼ばれ、手を止めれば柔らかな笑顔のまま、


「ひなちゃんさあ」


 風圧で撒き散らされた、紙吹雪の残骸を指し示すのだった。


      ※


 的屋・咲華まとや・さっか

 東的ひがしまと高校二年の少年は、同時に奇術クラブの代表になる。

 なので、


「紙吹雪で新入生をお祝いしようかと思ってね」

「あわよくば、入部希望者を?」

「下心は隠しておくものだよ?」

「汚れ澱みが溜まってるからねえ」


 部長らしく腐心の最中だったのだ。

 副部長である闖入者。はせ・ひなたと共に、撒き散らされた下心を搔き集めていく。


 茶けたショートカットを揺らし、ズレる眼鏡を直しながら、彼女は不機嫌に口元を歪めると、


「悪趣味な番組を見てるじゃん」


 棚上の老骨を睨みながら、立ち上がる。

 手の紙切れを机に戻せば、がたつく椅子に腰を。


「怪盗特集? じゃあなんで、昨年MVPに取材がこないんさ」

「まあま、ひなちゃん。よくも悪くも、エンターテイメントってことさ。それに」


 咲華も、搔き集めた紙吹雪を山に戻して、作業を再開しようとハサミに手を。

 刃を入れるのは、積み上げられた新聞の切り抜きたち。


「引退宣言した鼻つまみ者なんか、協会が取材許可出さないでしょ」

「……それ、二人で集めたスクラップじゃん」


 いくつもの紙面に踊るのは、数多の賛辞だ。


『若き俊英』

『伝説の申し子』

『花咲き誇る魔法使い』


 そして、付き従うのは彼の名前。


「新人怪盗のスプリングテイルは、怪我で引退したんだ」

「……リハビリは?」

「順調だよ」

「手を結んで開いて……それだけで汗だくになるくらいには、ってことね」


 ぎこちなく左手を握り開けば、ひなたがため息を溢す。

 それから薄い口の端を、悪戯気に持ち上げると、


「ご褒美があれば、もっと回復するかな?」

「ご褒美?」

「そ。ほら、女の子の柔らかいとこ、しっかり握りたくない?」


 冗談げに提案を示しやる。


      ※


 支・ひなたにとって、的屋・咲華は幼馴染になる。


 親の仕事の関係から小さな頃から一緒で、ここまでもずっと一緒。

 様々な都合のために進学も一緒になってしまったし、気心が知れた兄弟分だ。

 端的に言えば『相棒』になる。

 これが『パートナー』では意味合いが変わるし、その意味合いの関係性をひなた自身は求めていないから『相棒』だ。


 そんな彼が、今は左手が利かず『夢』を挫かれ折られてしまった。

 だからまあ、慰めを込めて胸を突き出せば、


「……ひなちゃん。ちょっと……」

「ありゃ? 嫌だった?」

「違うよ。すごく嬉しくて、だから……ちょっと待ってて」

「え? どこ行くのさ?」


 常の笑顔を真剣な色にして立ち上がり、部室の外へ。

 残された少女は、


「からかいすぎたかな?」


 傷ついた風に唇を尖らせた。


 一人残された部室は、静かだ。

 興味ないテレビの音を背に、遠くに野球部の怒号と金属音が響く。


「入学式が終われば、もう少し賑やかになるかな」


 冷めた目で、夕暮れ迫る窓を見つめる。

 熱は、もはや持ち合わせていないのだ。

 彼と共に、彼女もまた挫け折れたのだから。

 スプリングテイルの後衛、背を支えた少女の『夢』も。


 そんな夢の残骸と成り果てた、紙吹雪を指でつつき遊んでいると、放送のチャイムが響いた。

 興味なく、しかし暇を慰めればと耳を傾けていると、


『マイテスマイテス。重大発表があります』

「……咲華?」


 幼馴染のマイクチェックが始まった。

 何事かと身を起こしてスピーカーへ藪にらみを向けた直後、


『今さっき、ひなちゃんがおっぱいを握力グリッパーにしろって迫ってきましたよ!

 まじかよBカップで無茶しやがって……! 僕の握力が弾道急上昇です!

 お、なんだなんだプロレス同好会の皆さん、放送室に乱入ですか! ヤロウ、相手になってやる! どこからでもかかって……え? 戦わない? 赤コーナーにしてやるって?』


 大変面白い事態に発展したため、スマホのカメラを起動しながら駆け出すことと相成った。


      ※


「ほんと、その病的な派手好きは治らないの?」

「腕を拝み渡りされているのを、爆笑で撮影していた人間の言い草かな、それ」


 額にシューズ底の痕をつけた咲華が、朗らかに苦言を呈する。

 相手せず、不機嫌な口元で人気のない廊下を並んで部室への帰路につく。

 歴史の浅い学校故に、汚れも痛みも少ない小奇麗な廊下だ。


「けどまあ、ひなちゃんの笑顔が見れて良かったよ」

「……こっちもよ。引退決めてから、なんだか暗かったじゃん、咲華も」

「そう? 自覚はないけど」

「吹っ切れてきたのかもね」

「桜の舞う季節だからかな」


 新たな生活を迎えるのだ。

 煌びやかな夜の夢を忘れるには、この上なくて。


 けれども、


「あれ? 部室の前」

「……誰かいるわね」

「入部希望者かな?」

「入学式まだじゃん」

「そっか、けど……あれ? 転校生じゃないかな? あの、例の」

「ああ……あの『高強度握力グリッパーズ(複数形)』は間違いないね」


 輝かしいかつての日々は、


「あ、気付いた。こっち走ってくるよ」

「すご……右と左がカメレオンアイじゃん……?」

「ひなちゃん! めっ! 無許可撮影はNGだよ……!」


 悪戯めいた手を伸ばし、


「……的屋・咲華くん、ですか……?」

「うん、はい。そうですよ。ええっと……」

伊井楽・桃奈いいがく・ももなです……私を……」


 迫りくる。


「私を弟子にしてください!」


 まるで、彼を逃しはすまいと。


      ※


『マイテスマイテス! 緊急事態です!

 今話題の転校生なあの子が僕にお願いがあるんですって!

 参ったなあ! お礼はなにかなあ!

 握力! 握力グリッパーでどうですか! 僕の握力が弾道反り返りですよ!

 あ、マネージャーに狙ってた野球部の皆さんじゃないですか! ははあん、嫉妬に狂って殴り込みですね! よかろう、受けてたと……え、違う? ピッチャーマウンドが壊れた?

 はあ、それが何か……あれ? どうして僕の手を引くんです? あれあれ? どうして僕の手を離さないんです?』


 その後、ピッチャー返しの的にされた咲華を、駆けつけたひなたがこの上ない爆笑で連射撮影しながら、連れてこられた桃奈が青褪めながら、見守ることと相成る。


 少年と少女らの、新たな季節に迎えた出会いは、概ねこのようなものであった。

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