第六話 酔いの代償
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アイーシャは逸る気持ちを抑えながら暴れ狼の声のする方へと急ぐ。他の魔物や動物が潜んでいることもあるから周辺に注意をはらい、足音も極力立てずに森の中を進んでいく。
小川の音が聞こえ、木々の合間から光が差している場所が見えた。黒っぽいいくつかの影が動いている。吠声と唸り声、そして肉を裂き食らう湿った音が聞こえていた。
食われているのは鹿で、親鹿と子鹿のようだった。どちらも事切れており、腹に顔を突っ込まれている。まだ死んだばかりらしく、湯気が立ち上っているのが見えた。
「やっぱり。暴れ狼ね……」
アイーシャはゆっくりと屈み込み藪に自分の体を隠した。後方のブレンも同じ様に身を隠す。風はほとんど無いから、匂いで気づかれる心配もなさそうだった。
「何頭いるんだ? いっぱいいるように見える」
「えーと……十……ちょうど十頭ね。思っていたより多いけど……そんなにでかくはない。何とかなるんじゃないかしら?」
魔物にも通常の獣と同じ様に標準的な大きさがある。より多く魔力を帯びているものほど大型になる傾向があるが、今アイーシャたちが見ているのは標準的な大きさの暴れ狼だった。
十頭の暴れ狼。普通であれば、十人程の武装した人間でなければ無傷で仕留めるのは難しい。魔法が使えるのであれば数人でもなんとかなるが、二人となると少々厳しい。熟練の戦士でなければ困難だろう。だがアイーシャはなんとかなると踏んでいた。
ブレンは人間と違い多少噛まれてもびくともしない。その体を利用して、たくさんの暴れ狼を一箇所に集めてから魔法で一掃するのだ。効率的であり、アイーシャ自身の危険も少ない。
ブレンにとってはいい迷惑でしか無いが、残念ながらアイーシャはそんな事を気にする主人ではなかった。
「というわけで、あんたは突っ込んで狼と戦いなさい。適当な所で私が援護する」
「このまま帰るという選択はないのか?」
ブレンは少し呆れたように言う。
「勝ち目がないわけじゃない。あんたなら噛まれたって平気でしょ? 剣で倒せるならそれに越したことはないけど、無理でも私の魔法がある。幸い魔力はたっぷりだから何発でも撃てる」
アイーシャは左手の甲をブレンに向けた。甲に浮かぶ瞳のような模様は、アイーシャの意思に反応してかほのかな光を放っていた。
「君の案だと、僕まで魔法の巻き添えになる」
「直撃しないから平気でしょ? あんたは頑丈だから大丈夫よ! つべこべ言ってないで行きなさいよ!」
そう言い、アイーシャはブレンのおでこを突っつく。是非も無いようだった。
「やれやれ。僕がばらばらになったら、ちゃんと直してくれよ」
「はいはい、分かったわよ」
アイーシャの気のない返事を聞きながら、ブレンはまずアイーシャから離れるように横に移動する。仮に狼に途中で発見されてもアイーシャに危機が及ばないようにだ。
十分にアイーシャから離れた所で一旦止まる。
ブレンは暴れ狼達の様子をうかがうが、まだこちらに気付いている様子はなかった。狼達は半分が食事をし、もう半分はその周辺をウロウロしている。異常がないか見張っているようだった。
飛び出せば見張りたちは一斉に気づき、食事中の狼達も反応するだろう。暴れ狼たちの体は節くれだち背骨や手足が奇妙に曲がっていた。強すぎる魔力により体が変成し、その苦痛により凶暴化していると言われていた。常に苦痛が伴い、その生に安らぎはないという。
ブレンはその事を知らなかったが、なんとも歪な生き物だと感じ取っていた。この戦力差で戦う事には抵抗があったが、こうしてよく見てみると、早く楽にしてやらねばならないという使命感のようなものが湧いてきていた。
ブレンは呼吸を必要としないが、まるで大きく深呼吸をしたような気持ちで覚悟を決めた。ゆっくりと剣を鞘から抜く。
剣から魔力を噴出させるパーティクル剣の使い方は分からない。しかし、戦っていれば思い出すかも知れない。思い出せなくても、今ならお化け茸やさっきの刃鴉や火炎蜂との戦いの時ほどには無様をさらさなくて済むだろう。
少ない実戦経験だが、それは確実にブレンの中の戦闘勘とでも言うべきものを目覚めさせていた。
ブレンは知っているのだ。戦い方を。自分の過去と共に、身に備わった戦う術が眠っている。それを目覚めさせなければならない。
ブレンは立ち上がり、一足飛びに小川を越えて暴れ狼達へと襲いかかった。
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