第5話:泣きつかれました

 ゲーム『Magieマジー d'amourダムール』ではフレーバーとしてオリジナルの架空文字が使われていた。オリジナルと言ってもアルファベットを崩しただけの簡単なもので、有志により解読もされている。確か攻略wikiには背景やグッズに使われた文字の翻訳一覧みたいなページも有ったはずだ。

 文字はアルファベットだが記述方法は固有名詞以外ローマ字で、文章としては日本語だった。タイトルはフランス語なのに……。まあ、作ったのは日本人なんだしいちいち訳すのが面倒だったのでしょう。

 ゲーム中の文章がそうであったためか、この世界は中世ヨーロッパ風であるにも関わらず、普通に日本語が話されている。

 前世の認識からするとめちゃくちゃだが、そのおかげで日本人だった記憶を思い出しても混乱せずに済んだ。『Magie d'amour』制作陣が適当で助かったわ。


 そんなわけで、この世界は日本語が話されているが、文字はアルファベット風文字だけになっている。ひらがなも漢字も存在しないはず。それを書いた人間が居るとするならそれは、


「わたしと同じ前世の記憶持ち……」


「エリザベット様?」


「あぁ、えっと、何でもないの、サラ。今夜9時、メアリーがわたしの部屋に来るそうだから準備をお願い。簡単なお茶とお菓子だけでいいけど、高価な物にしてちょうだい。格の違いを見せつければこんな手紙1枚で押しかける無礼さが彼女にも分かるでしょう」


「かしこまりました」


 サラのことは信頼しているけど、前世の話を人に話すのは避けたい。今夜の話をして誤魔化す。


 因みに、この世界でも1日は当然のように24時間である。文字や暦もだが、さして重要でないものは現実──今のわたしにとっては前世か──そのままにするのが制作陣の方針だったらしい。独自のものを使われてもわかりにくいだけだしね。

 ただし、この世界では高精度の時計はまだ普及していないので、正確な時間を知るのは少し難しい。

 そこで役立つのが、学園のシンボルでもある神授遺宝アーティファクト“時計塔”。

 “時計塔”は絶対に時間のずれない優れもので、平民の彼女でも時間単位の待ち合わせが出来るのはこれのおかげだ。この国ではこの時計を基準に時間を定めている。あまりにもズレないので『世界の時間に合わせて時計が動いてるのではなく、あの時計の動きに合わせて時が流れている』という説すらある。

 ただの珍説だと思っていたけれど、ゲーム内の時間表示が“時計塔”のイラストでされていたことを思うと笑えないわね……。


 ────────────────


 メアリーが来るまで自室で適当に時間を潰していた。

 気がつくと窓の外はすっかり暗くなっていて、サラはそろそろ9時になるからとドアの前に様子を見に行った。少しの間1人になる。

 メアリーの話とはなんなのだろう? 前世の記憶持ち同士であり、主人公と悪役でもある。もう帰れないだろう日本のこと、ゲームのこと、ゲームそっくりなこの世界のこと、考えられる話題は無数にあって、ありすぎて何が正解なのかさっぱり分からない。

 そんなやくたいもないことを考えていると、メアリーが来たのだろう、サラの呼ぶ声がした。わたしも寝室から応接室へ移り、気を引き締める。

 しばらくしてメアリーがサラに連れられてきた。緊張しているのか不安でいっぱいといった様子で表情も硬い。

 サラの前で前世の話をするわけにも行かないので、彼女を下がらせ二人きりになる。

 二人とも立ったまま向き合う形になる。背はあまり変わらないが、ヒール分こちらの方が高い。自然に見下す構図になるのが、我ながら実に悪役らしい。


「待っていたわよ、平民。素敵なお手紙をどうもありがとうね」


 声には嘲笑の色をのせている。メアリーの前では自然と悪役ムーブをとってしまう。自重しなくては。


「待っていて下さったということは、やっぱりエリザベット様も──」


 む、皮肉はスルーか。どうやら彼女にこの手の回りくどい攻撃は効かないらしい。


「ええ、わたしにも前世の、日本の記憶があるわ。貴女と同じくね」


 肯定の返事をすると、予想が合っていたことに安堵したのかメアリーの身体から目に見えて力が抜けた。

 そのままチワワみたいにうるんだ瞳でこちらを見つめてくる。やや上目遣いなのが実にあざとい。絆されないわよ、という意思を込めてにらみ返す。

 無言でにらめっこをしていると、段々メアリーの目の潤みが強くなってきた、というか涙目になってきた。鼻もヒクヒクさせて、もう決壊寸前といった感じだ。

 決壊した。


「エリザベット様ぁ~!」


 叫びながら飛び込んでくる、避けられない。

 いやまあ流石に泣きじゃくる少女を無碍にするほど鬼でもないので元から避ける気もなかったけど、本当よ?


「私、もう限界で、」「助けて、下さい」「こうかん、ど、がおかしくて」「フラグもわかんなくて」「もう、限界で」


 そんなことを考えている間にも、メアリーはわたしの胸に顔をうずめて嗚咽交じりに何やら訴えている。いまいち要領を得ないが限界だったらしいことは伝わった。落ち着くまでまともに話すのは無理そうね。仕方がないので子供をあやすように背をポンポンと叩いてやる。


「あーほら、落ち着きなさい。大丈夫よー、わたしが居るわよー」


「エリ、ザ、さまぁ」


 人の名前を略すな、という言葉を飲み込んで泣き止むよう声をかけ続ける。泣きじゃくる主人公とそれをぎこちなくなだめ続ける悪役令嬢……なんだろうこの混沌カオス

 なだめ続けること数分、メアリーが静かになった。やっと落ち着いてくれたか、と彼女の顔を覗き込む。


「寝てる……」


 それはもうスッキリした顔ですやすやと彼女は眠っていた、人の胸を枕にして。言いたいことは山ほどあるが、安心しきった寝顔を見ると起こすのも悪い気がしくる。起こさないようにやさしく抱き上げ、ソファの上に寝かせてやり、サラを呼びに行く。わたしの部屋の隣にある使用人用の部屋に控えているはずだ。メアリーの涙で濡れた胸元を隠しながらドアをノックする。よだれや鼻水ではないと思いたい。


「サラ、ちょっと来てちょうだい」


「思っていたよりも早かったですね。いいお話は出来ましたか?」


「それがね……」


 説明するより見せたが早いだろうと応接室へ。


「これはこれは」


「貴女が居なくなってすぐにわたしに泣きついてきてね。見てよこれ、ベタベタ。このままにもしておけないし、彼女付きのメイドを呼んできてくれる?」


 身一つで学園に飛び込まされた貴族の常識を何も知らないメアリーには世話係兼教育係として学園からメイドが派遣されている。ゲームでは自室のホーム画面や各種ヘルプ、チュートリアルの説明をしてくれるお助けキャラだった。名前は確か……


「ポート・メイドル」


 サポートのメイドでポート・メイドルだ。


「サラ、もしかして、貴女の親戚?」


「はい、ポートは私の妹です。彼女の名前をよくご存じで」


 言外に「私の名前も知らなかったのに」というニュアンスを感じる、ごめんなさいね……。


「ま、その、ちょっと、ね。とにかくそれなら話が早いわ。ポートを呼んできてちょうだい」


 サラは誤魔化すわたしに一瞬半目になったものの、かしこまりましたとポートを呼びに部屋を出た。

 取り残されたわたしは「ポートと姉妹だったからサラが手紙を持ってきたのね」なんて今更なことに納得していた。


 待っている間することもないのでメアリーの寝顔を観察する。間近でみないと気が付かなかったけれど、彼女の目にはうっすらと隈が出来ていた。肌もやや荒れて見えるし追い込まれていたのは本当の様だ。セレストとミリアを無用に煽ったり、部屋に押しかけて泣き出したりといった奇行は疲労で弱っていたのが原因だったのかもしれない。


 サラがポートを連れて戻ってきた。並んでみれば顔立ちはよく似ているが無表情なサラとニコニコしたポートでは受ける印象が大きく異なる。ゲームの知識がなかったら姉妹だと気が付かなかったかも。

 2人は手際よくメアリーをポートの背に乗せ、運び出した。余程疲れていたのか、その間も彼女は起きる気配を一向に見せない。結局彼女は眠ったまま、ポートの背に乗って帰っていった。


「一体あの子は何がしたかったのかしら……」


 嵐が過ぎ去った後にはサラとわたしと手つかずのティーセットが残されていた。


「すっかり冷めてしまったけど、少し付き合ってくれる?」


「喜んで」


 サラと一緒にお茶とお菓子を片付ける。思えば今日は彼女に迷惑をかけ通しだった。お茶はぬるくなっても高価だけあって美味しくて、これで少しは今日のことを許してくれないかしら、とそんなことを考えながら、2人の小さなお茶会を楽しんだ


 ────────────────


 翌朝。

 昨夜は何も聞けなかったので、事情を聴くべくメアリーを捕まえに行く。今日はローランに剣を見てもらうと言っていたから修練場にいるはずだ。


 貴族とは統治職でもあるが戦闘職でもある。

 食料や生活必需品を生み出す農民、職人とは違い何も生み出さないが、その分犯罪者を取り締まり、魔獣などの外敵を退け、領民の安寧を護る力が期待される。

 もっとも、それは軍を用意し、動かす財力と知識があればよく、貴族本人が強い必要は必ずしもない。しかし、イメージや面子の問題か身体を鍛える貴族は多く、魔法という超常の力を持った者ともなれば尚更だ。そういう者たちのために白兵戦の授業や修練場が用意されている。大した魔力もないか弱いわたしには縁遠い話だけれどね。

 ゲームの記憶を頼りにイベントで使われていた修練場に向かうと、そこには予想通りメアリーとローランがいた。彼には悪いがメアリーは貰っていこう。


「ごきげんよう」


「あ、おはようございます!」


「おはよう。君がここに来るのは珍しいな」


「家は武系ではありませんし、才能もありませんから。今日もここではなくその子に用があるのです。お二人の用が急ぎでないのなら彼女を譲って下さりませんか?」


 ローランは無言でメアリーを庇うように前に出た。わたしがまた彼女をいじめようとしていると思ったのだろう、前科があるので疑われても仕方ない。だが、今はそうでないことはメアリーが証言してくれるはずだ。


「その、ローラン様、申し訳ないのですがエリザベット様について行ってもいいですか?」


「君がそう言うのなら。しかし、大丈夫か?」


「はい! エリザベット様は優しいですから!」


 曇りない笑顔のメアリーに折れたのか、怪訝な顔をしながらもローランが引く。遠回しにわたしがメアリーに優しくしなければいけなくなった気がする。


「それでは、失礼します」


「申し訳ありませんローラン様。この埋め合わせは必ず致しますので!」


「気にしなくていい。それよりも気を付けて」


 未だわたしを警戒するローランを残してわたし達は修練場を後にした。




「さて、今度こそ貴女の話を聞かせてもらおうかしら」


 サラの用意してくれたお茶を挟んでメアリーと相対する。場所は昨日と同じくわたしの部屋の応接室だ。


「はい。エリザベット様、どうか私をお助けください!」


「いや、昨日も言っていたけど、どういうことよ、それ? ちゃんとわたしにも分かるように説明しなさい」


「あ、っはい。そうですね。では……少し長くなりますが私が記憶を思い出した時からでいいですか?」


 いいですかと言われても、あんたがいつ記憶を思い出したのかなんてわたしが知るわけないんだから、それじゃあ判断の基準にならない。


「まあいいわ。今日は暇だし、付き合ってあげる」


「ありがとうございます。では。

 私が前世の記憶を思い出したのは四月の初め、入学式前日のことでした──」

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