第2話:Q.やるべきことはなんでしょう?

 公爵令嬢であるわたしは唐突に前世の記憶を思い出した。

 さて、前世のわたしはいかなる人物だったか。


 Q.国籍は?

 A.日本


 Q.性別は?

 A.女


 Q.歳は?

 A.大学生、19歳だったかな?


 Q.名前は?

 A.………思い出せない。


 うーん、どうにも細かいことが思い出せない。

 転生したからには前世のわたしは死んだはずなのだが、その死因もわからない。


(事故にでも遭ったのかしら……)


 そんな感じで死んで転生したのが今のわたしなのだろう、多分。

 今ひとつ実感はわかないけれど、エリザベットとしてこの世界で生まれ育った記憶もあるし、鏡に映る姿は前世とは似ても似つかない。


(前世の顔は思い出せないのに似てないことはわかるのね……?)


 まあ生粋の日本人だったわたしが金髪縦ロールで鼻も高いヨーロッパ顔なわけはないから当然か。茶髪にしたことはあるけどブリーチかけなきゃいけないほどの金髪にしたことはない。こういうどうでもいいことはすらすら出てくるんだから不思議なものね。


 どうでもいいことはすらすら思い出せる。

 そう、例えば最後に……最期にプレイしたゲーム『Magieマジー d'amourダムール』のこととか。

『Magie d'amour』通称マジダムは中世ヨーロッパ風貴族世界を舞台にした女性向け恋愛シミュレーションゲーム、いわゆる乙女ゲーだ。貴族の子息令嬢が集う王立魔法学園エメラルドに平民ながら高い魔力を持つ主人公メアリー・メーンが飛び込み、慣れない貴族社会に困惑しながらも高貴なイケメン達と仲を深めていく、というのが大筋だった。


 そして、この世界は明かに『Magie d'amour』の世界そのものだった。


 死ぬ直前にプレイしていたゲームの世界に転生する。そんなことあるのだろうか?

 もしかしたら本当の自分は昏倒してて、今は長い長い夢を見ているにすぎないのかもしれない。


「だとしたら、わたしの想像力も大した物ね」


 ネガティブな妄想を即座に棄却する。

 現代日本で普通に生きてきたわたしに16年分の中世ヨーロッパ風貴族with魔法の生活が想像出来るとはとても思えない。日夜開かれる宴会、雉や鳩、鹿に兎の肉を使った料理の味。魔狼の剥製の毛並み、なんだかよくわからない魔法理論。どれもわたしの頭からは出てこないものだ。


 この世界がなんなのか、なんで転生なんかしたのか。

 それは全くわからないけど、なんにせよ今のわたしは今の世界で生きていくしかない。

 せっかく思い出した前世の記憶、有効に使わせてもらいましょう。まずは、忘れないように記録しなくては。

 微妙に手触りの悪い紙と羽根ペンを持って机に向かう。これでもこの世界では高級品なのだけれど、ボールペンとコピー紙の書き心地を思いだした後だと書きにくいわね……。

 まあ、文句を言っていても仕方ない、記憶が薄れないうちに『Magie d'amour』について書き残しておかないと。

 改めて考えるとこの世界の歴史が「貴族の通う学園に平民の主人公が入り恋愛する」という舞台のために出来ているのが分かってしまう。なんとまあこの国の成り立ちからゲームに繫がっている。


(まずはそこから、ね)


 ~レアニア王国の建国~


 むかしむかし、世界に凶悪な魔獣たちが現れ、か弱い人間は絶滅の危機にまで陥っていました。それを哀れに思われたのが慈愛の神レアノ様です。レアノ様は数人の人間に不思議な力を授けました。それが“魔法”です。魔法を授かった人々は何とか魔獣を山の向こうまで追い返し、平和になった土地に自分たちの国を作りました。魔法使いたちは人々を導くリーダーとなり王様と貴族になりました。そして、作った国に“レアニア”と名付けました。魔法を授けてくれたレアノ様を讃える名前です。


 この国の人間なら子供でも知っているお話である。

 そんなわけで、この世界では魔法はレアノ様に選ばれし魔法使いの子孫である王侯貴族しか使えない。

 また、貴族も全員が使える訳ではなく先天的な適性が必要であり、魔力持ちは貴重な人材だ。

 そして、その貴重な魔法使いの卵を育成するための機関が魔法学園だ。魔法学園に入るためには当然魔力を持つことが必須である。なので学園には貴族しかいない。

 しかし、極希に平民にも魔力持ちが現れ、中でも特に高い素質を持つモノは国一番の魔法学校であるここ、王立魔法学園エメラルドへの入学を許される。


 これで「貴族の通う学園に入る平民の主人公」の図が出来上がる。


 次の設定……風習として、この世界ではが推奨されている。

 なぜなら、この世界に魔法をもたらしたレアノ様が愛の神様だからだ。

 というか“レアノ”という名前自体“恋愛脳”から来ているとインタビューで言っていた。信仰している神様の名前がこんなアホな由来だったなんて……。信仰が揺らぐわ。元から信仰心が薄くてよかった。信心深かったら卒倒してたかも。

 ともかく、レアノ様は愛を尊び、愛に祝福を与えると言われている。実際、魔力は強いが冷めているカップルの子供と、魔力はそこそこだがラブラブなカップルの子供では後者の方が魔力の発現率が高く、質も強い傾向にあるらしい。


 これで「貴族の通う学園に平民の主人公が入り恋愛する」という舞台が出来るわけだ。


「うーーーん」


 なんて都合の良い……。

 当たり前だと思っていた常識がメアリーのために作られている事実にめまいがしてくる……。だがまあ仕方ない。どんなに文句を言っても世界が変わることはないのだ。

 もっと直接わたしに関わること……そうね、エメラルド学園の人間関係について考えよう。


 メアリーと恋仲になる攻略対象は全部で5人

 ・隣国イータからの留学生、テオフィロ・キアーラ

 ・寡黙で真面目な騎士、ローラン・シュバリエ

 ・ショタな見た目で魔法の天才、ノエル・アンファン

 ・理想のキラキラ王子様、カルバン・アーサー様

 ・孤高の俺様王子、ロミニド・アーサー


 一方でエリザベットはどのルートでも元気に主人公をいじめ、結果大小ざまざまな報いを受けることになる。中でもカルバン様のルートでは思い人を取られたエリザベットの嫌がらせが過激化し、クライマックスで行き過ぎたいじめの報いを受け、東の果て、辺境の幽閉塔に監禁されてしまう。

 しかも、ゲームの続編にあたる外伝小説『竜の鼓動ドラゴン♡ハート』の冒頭で、幽閉されたエリザベットは哀れドラゴンに食べられてしまう……らしい。


「外伝小説までは読んでなかったのよね……」


 こんなことになるならしっかりと読んでおけばよかった。でも仕方ないじゃない、ゲームクリアしたばっかりのときに死んだんだもの。

 思い出した最期の朝はマジダムを全クリした次の日だった。タイミングが良すぎて運命すら感じる。それにしても享年19歳。死んだ実感がないので意識していなかったが、思えば両親や友人には申し訳ないことをしてしまった……。

 それとも思い出せないだけで、実は天寿を全うしていたりするのかしら?

 最期の記憶がないのでなんとも言えない。思い出せればとも思うけど、思い出してしまうのもそれはそれで怖い。事故だったら痛いだろうな……それ以外でも気持ちのいいものではないでしょう。だったらこのままうやむやにしておいた方がいいかも……。


 うん、これについて考えるのはやめましょう。

 とにかく、竜の餌には成りたくないので幽閉は回避しなければならない。残念なことに、ゲームではカルバン様のルート以外でも上手くフラグを立てれば断罪イベントを起こし、エリザベットを辺境送りにすることが出来る。つまり、この世界でメアリーが誰と付き合ってもわたしが竜の餌になる可能性はあるということだ。早急に手を打たねば。

 これを回避するためには……


「………………何もしなければいいんじゃない?」


 わたしは公爵令嬢。この世界で王族の次に偉い立場なのだ。普通にしていれば辺境送りなんてあり得ない。いやまあ、イジャール公爵家失脚からの一族郎党処刑ってこともないではないが、お父様の手腕ならきっと大丈夫。

 ゲームではメアリーの行動次第で断罪イベントを起こせたが、この世界ではわたしが手を出さなければどうと言うこともない。仮に断罪イベントが起きても重罪を犯してはいないのなら精々自宅謹慎くらいだろう。


 ただ、それは彼女の恋路を邪魔しないということで、場合によってはカルバン様を諦めることになる。


 ああ、愛しのカルバン様!

 さらさらとした金の髪、優しげな柔和な笑み、澄んだ青い瞳、そしてその奥に隠されたマグマのように燃えたぎる熱い意思。彼のことを想うだけで胸が高鳴る!


 頬が熱くなるのを自覚しながら、カルバン様への想いが消えてないことに少し安堵する。

 前世の記憶と今の自分。

 二つの自己を持ってしまったわたしにとって、自分の"軸"をどこに置くかは大問題だ。

 だけど、魂とか転生とか、理屈は全然分からないけれど、この恋心が消えていないという一点でわたしはエリザベット・イジャールわたしのままだと信じられる。約十年分の恋心を舐めるなと言いたい。

 自己認識が強化できたのは喜ばしいけれど、恋心に思いを馳せると、彼を諦めなければならない……かもしれない、現実を思い出して胸が締め付けられるようだわ……。


 いえ、脈がないことくらい、本当はとうに分かっていたの。


 レアニアの貴族は自由恋愛を尊ぶ。しかし、やはり貴族として結婚によって良家とパイプを作りたいという思惑はある。その折衷案として、貴族の子供は幼い頃から結婚相手候補と顔合わせをすることになる。お見合いというほどでもないたわいないものだが、そこで好き合えば、恋人や事実上の婚約者となることも少なくない。もちろん、わたしも何度もカルバン様と交流している。しかしその結果は……芳しくないと言わざるを得ない。

 そう、10年近くアタックして駄目だったのだ。学園の3年間で何かが変わるはずもない、というのが道理だろう。それでもわたしは諦めきれない、この健気な乙女心を責める権利が誰にあろう!


(そのせいで八つ当たりされてるメアリーにはあるわね)


 そんなわけでいじらしくカルバン様に近づく悪い虫を排除してきたわけだが、いくらなんでも落ち着いた。ゲームの記憶で自分を客観視出来たおかげね。ゲームでエリザベットとカルバン様がくっつくルートがなかったのも大きい。他の攻略対象は攻略失敗すると勝手にライバルと結ばれるのにわたしだけほったらかしなのは酷いと思う。そんなに脈なしなの……。


 だから、まあ、うん、癪だけれど、メアリーがカルバン様のルートに入っても邪魔しないようにしようと思う。第一まだカルバン様のルートだと決まったわけじゃない。今はまだ五月、ゲームでいえば序章だし、夕方の場面も共通ルートで見られるスチルだったはずだ。

 単純に考えて五分の一、二割のはずれさえ引かなければ、目障りな小娘を無視するだけで、わたしは変わらぬ日々を過ごせる。なんだ、結構確率低いじゃない。

 わたしは少し軽くなった心で、それでももしもの時のために思い出せる限りのマジダム情報を書き連ねていった。



 このときのわたしは知らなかったのだ。

 あの小娘があんな面倒なことになってるなんて……。

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