第12話 真夜中の出陣
ピュウリリリイイイィィィィィィィィ・・・・
夜も更け、ほとんどの人が眠りに就いていた頃である。
信号弾が火薬の尾を引きながら空に撃ち出され、けたたましい音が街中に響き渡る。同時に出陣を告げる鐘の音が中央広場に鳴り響いた。
眠りに落ちていた街は強制的に覚醒され、広場や大通りに用意された篝火に火が灯される。固く閉ざされていた城門が開かれ、街の外からも男たちが着の身着のまま駆け付けてくる。
広場に集まってきた男たちは、兵装を整えた士官の指示に従って、槍や鎖帷子を支給され、装備を調えた者から整然と整列していく。
ユーリが少年の手を取ってからひと月が経っていた。
サザンの街では、数日前から敵対するドーグラス・ストールの軍勢が、境界にあるエン砦に兵を進めていたのだ。
守備を固める砦の兵三〇〇名に対し、ストール軍は一〇〇〇名と圧倒的な兵力を有し盛んに挑発を繰り返していた。
エン砦に近いカモフ第二の街ネアンを治めるオイヴァは、ひとまず援兵として二〇〇名を送っていたが、更なる対応策を検討していた矢先、攻勢に出たストール軍に砦は持ち堪えられずに陥落したのだった。
砦を落としたストール軍は領内へと侵入する様子を見せながら、オイヴァ隊と睨み合っていた。
斥候の報告によれば、跡地に新たな砦の構築をおこなっているという。本格的な侵攻に備えて橋頭堡確保が狙いのようだった。
「おおぉい! 頑張ってこいよ!」
「ドーグラス公の軍勢なんざ蹴散らしちまえ!」
「しっかり戦ってこいよ!」
「今回領主様が一緒だから負ける訳ねぇや!」
叩き起こされた筈の住民達だが、怒ることなく眠い目を擦りながらも、多くの人が広場に駆け付け、集合していく兵達に声援を送っていた。
暗い中での行軍は辛かろうと、路地に松明を持った子供が集合していく兵の足下を照らしている。広場の入口付近で眠気覚ましに炊き出しのスープを振る舞う女たち。今回が初陣になるのか、緊張で硬い表情を貼り付けた、若者の背中を叩いて元気づけている老人たち。そんな住民の声援を受け、集合していく兵の士気は高まっていく。
「出発だ! 第一陣進め!」
やがて装備を整えた軍勢の隊列が整うと、西門へと続く港通りに向けて吐き出されていく。
第一陣となる鉄砲と弓兵の混成部隊三〇〇名、第二陣のパイク兵部隊五〇〇名が三列縦隊となり一糸乱れず行軍していく。
沿道の声援は続く騎馬部隊が行軍して来ると一際大きくなった。
部隊の先頭を行くのは、黒い馬鎧を着けた馬に跨がる黒ずくめの騎士だ。
騎士は黒いサーコートと鎖帷子の上に、目の覚めるような銀色のマントを羽織り、五メートルほどの、黒い柄のハルバートを手にしていた。
現在のカモフ領主であるザオラル・トルスターその人である。
威風堂々という言葉が、これほどしっくりとくる騎士はそうはいまい。既に五十路を超えているが、三十代と言っても通用するほどの若々しさを保ち、額から頭頂を覆うように付けられた銀色に輝く額当てと、そこから覗く黒髪を肩に靡かせていた。彫りの深い目鼻立ちと、良く日焼けした褐色の肌、篝火を受け青紫に輝く瞳が、より一層精悍さを際だたせている。
彼の左右後方には、カモフ領主を示す白地に朱色の船と交差する櫂の図案の紋章が刺繍された軍旗を掲げた従者が、誇らしげな表情で続きザオラルの存在を誇示していた。
彼は今でこそ住民から絶大な支持を得ているが、元々騎士ではなくサザンで衛兵を務めていたに過ぎなかった。だが若き日に賊の討伐で功を上げ、当時の領主であるタイト・トルスターに見出されて騎士に叙任された。
その後も目覚ましい活躍を見せ、やがて王都アルテで騎士の最高位であるミラーの称号を得るまでになった人物である。
彼はミラーの騎士として七年間在籍した後、サザンに帰還を果たした。
その際にタイトの娘テオドーラの婿となり、トルスター家へと入ったのだ。
前領主のタイトは凡庸な人物と評価され、ギルドの犬とまで言われた人物だったが、当時大半を占めていた反対意見に耳を貸すことなくザオラルを後継としたことだけは評価に値する。
軍事面ではタイト時代は、寡兵且つ弱兵として侮られていたカモフ兵を鍛え直し、周囲に一目置かれる軍勢へと変貌させた。財政面でも時間は掛かったものの、ギルドを廃すことに成功し、カモフの財政を立て直したことでも評価は高い。
トルスター家の直系でないことに猜疑の目を向けていた住民も、目に見える結果を残したことで絶大なる信頼を寄せるに至ったのだった。
彼の後ろには、同じように黒い軍装で統一された八〇〇騎の騎馬の隊列が粛々と続く。
領主自ら鍛えた騎馬隊は、戦場では機動力を活かした一撃離脱戦法を駆使し、相手を翻弄し打撃を与えていくカモフ軍の主力を担う部隊だ。
異変は丁度カモフ軍主力の騎馬部隊が過ぎた後だった。
『おおおっ!?』
軍勢を見送っていた住民にざわめきが走った。
これまでは騎馬部隊の後は歩兵が続くのが常だった。だが、続いてきたのは彼らが見たことのない部隊だった。見慣れない部隊の登場に住民の目は釘付けとなっていた。
それはわずか二〇〇騎と数こそ少ないものの、ザオラルの騎馬隊と同様に全員が騎乗している。さらに黒い騎馬部隊と対を成すかのように全騎緋色のマントに身を包んでいたのだ。
目を引くのは色だけではない。この辺りでは珍しく全騎が鉄砲を携えた竜騎兵の部隊だったのだ。
さらにその部隊を見慣れない若い騎士が率いている。
騎馬共に深紅の軍装に身を包み、ザオラルと同様に銀色のマントを纏っている。
その騎士の後方には、ひと周り小さな紋章を掲げた従者が、誇らしげな表情で続いていることから、トルスター家の者であることは間違いない。
頭には頭巾を被り、ザオラルと同じ銀色の額当てを目深に付けているため、表情を窺うことができない。その身体付きからまだ年若い少年のように見えるが、それを感じさせないほど堂々とした行進だった。
マントとサーコートの隙間から見える鎖帷子も緋色に染められ、マントの背中部分に刺繍が施された赤い紋章は、篝火を反射してマントから浮き上がるようだった。
「あれは誰だ?」
沿道を見守る住民に動揺が広がる。
「さぁ・・・・」
「見たことない騎士様だなぁ・・・・」
「オイヴァ様? ではないよな?」
ざわざわと囁き合う住民たち。
その騎士がトルスター家の紋章を身に着けていることから、トルスター家の者であることだけははっきりしている。だが肝心のトルスター家に、該当するような若い騎士が見当たらないのだ。
住民達は行軍していく軍勢そっちのけで、口々にその騎士の正体について推理を披露していた。
「テオドーラ様? いやエステル姫様、じゃないよな?」
「姫様はまだ十歳になられたばかりだ。それにあれはどう見ても男だろ?」
「じゃあ誰なんだよ? 誰かトルスター家に養子に入ったのか?」
「いや、それは聞いてないぞ」
「まさか!?」
そんな中、住民のひとりが急に大声を上げる。
「なんだお前! 急にでっかい声出すんじゃねぇ! 吃驚するじゃぁねぇか!」
「なんだ? 何か分かったのか?」
「成人したてでトルスター家の男子っていやぁ、一人だけいるじゃねぇか」
「そんな方いたか?」
「まさか、あの、トゥーレ様なのか!?」
「トゥーレ様だって!? ありゃ都市伝説じゃねぇのか!」
「まさか、トゥーレ様は本当に実在したのか!?」
「そうだぞ、誰も見たことないって話じゃないか!」
「でもよ、トゥーレ様ならあの騎士様と年齢も合うじゃねぇか」
見知らぬ騎士の正体について詮索する者の中に、トゥーレではないかと言う者が現れ、住人たちは一層騒然となる。
トゥーレとは、ザオラルとテオドーラの間に生まれた
今まで一度として公の場に登場したことがなく、実在するかどうかすら不明なため、都市伝説の如くサザンのみならずカモフ中で噂されている謎の人物だ。
『人目を避けて塩坑の奥で人知れず育てられている』、『領主様の隠し子である』、『昼間は人目を避け、皆が寝静まった夜に街を徘徊している』といった生存説や『幼い頃に毒を飲まされた』、『ギルドに暗殺された』など死亡説など枚挙にいとまがない。中には『フォレスで姫様を救った』などという、嘘か誠かすら怪しい噂すら流れていた。
なぜそういう噂が広まったのかというと、ザオラルとギルドとの間で十五年もの間続いた確執が原因だ。
領主への就任当時、ギルドへの規制を強化しようとするザオラルは、ギルドにとっては邪魔な存在でしかなかった。
そのためテオドーラ諸共、常に暗殺の危険に晒され、実際に襲われたことも一度や二度ではないといわれている。その状態が十五年間もの間続き、三年前ようやく決着が付いたばかりだ。
それ以降は命を脅かすような危機は去っていたが、酷いときにはザオラルですら死亡説がまことしやかに流れたほどだったのだ。
そのためテオドーラの懐妊や出産の情報については、徹底的に情報を遮断していた。そして先のような情報だけが一人歩きすることになったのだった。
「
隊列を見送っていた住民の中から、祖父に肩車された幼い男の子が、その騎士に声援を送った。
するとそれに応えるように額当てを上げ、男の子に向かって笑顔を見せて手を振り返したのだ。
額当てを上げても頭はフードに覆われ、表情がはっきりと見えた訳ではないが、フードから僅かに覗く金髪と、男の子に向けた笑顔からは、若く見えるものの噂どおり十五歳前後であると感じさせた。
『トゥーレ様!!』
その騎士が笑顔で応えたことで住民はトゥーレだと確信し、口々に彼の名を呼び始めた。トゥーレと呼ばれた若い騎士も、声援に応えるように右腕を突き上げた。
今まで正式に発表されたこともなく、胡散臭い都市伝説として噂話が一人歩きしていた人物だったが、ザオラルの性格からすれば今後あらためて正式に発表される可能性は低く、これがトゥーレのお披露目代わりになる可能性が高かった。
港通りに詰めかけた人々は、この若い騎士の勇姿を目に焼き付けようといつまでも声援を送り続けるのだった。
時にアルテミラ王国歴三三〇年。
この年トゥーレ・トルスター十五歳。
後に大陸中にその名を轟かすことになる騎士の初陣であった。
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