92話 真冬の海のあたたかさ

 窓の外から聞こえる鳥の声で目を覚ます。

 見慣れた木の天井が目に入った。

 ベッドから体を起こし視線を動かす。

 質素な木造りの家具と置かれた防具や手入れ道具の数々。

 壁に貼られた古ぼけた地図と、まだ新しい何かの賞状。

 この飾り気のない部屋は慣れ親しんだ俺の自室だ。


「……夢、か?」


 そう呻くように口にする。 

 朝の穏やかで希望に満ちた空気と、家に戻ってきた安堵感。

 それはとても心地良くて偽物だと認定するのが辛い。

 けれど今居る空間は真実ではない。

 俺の肉体は女魔族キルケーの謀略で洞窟内に捕らわれている。

 そして彼女の仕組んだ悪夢から抜け出した精神は知の竜エレクトラと先程まで一緒に居た。

 一人だけ水晶に閉じ込められていたクロノを見て、彼女が男性になっていることに驚いたことを覚えている。

 エレクトラが教えてくれた女性用の悪夢はえげつない内容だった。

 クロノがその苦痛から逃避する為男性に変化したかもしれないと彼女は言っていた。

 少女から少年になったクロノは俺の作品の主人公そのものの姿で。

 だけどそれは違うと俺が否定した途端クロノを包んだ水晶が強烈な光を放ったのだ。

 そこまでがこの場所で目覚める前の俺の記憶だ。


「……だとしたらこの夢はクロノの見ているものかもしれないな」


 そう結論付けてベッドから抜け出す。服は既に身に着けていたので着替える必要はなかった。

 髭も生えていないし起きたばかりなのに髪も梳かす必要がない程度には整っている。

 そのことで改めて夢だという実感がわいた。

 取り合えず部屋から出てリビングに行ってみよう。そこにクロノが居るかもしれない。

 恐らく男性の姿で。

 そんなことを考えて少し憂鬱な気持ちになっていると外側からドアが激しく叩かれる。

 

「な、なんだ?」


 驚いて出た言葉を入室の許可だと受け取ったのか勢い良く扉が開かれた。

 

「ちょっといつまでだらだら寝てるのよ、馬鹿アルヴァ!」

「ミ、ミアン?」

「あんたが食べ終わらないと朝食の後片付けが出来ないのよ!」

「朝食?」

「そうよ、起きているならさっさと来なさいよね。このグズ!」


 三十秒以内に来なければ後片付けは全部あんたがやりなさいよ。

 そう言い捨てて扉を閉めるエプロン姿のミアンを俺は茫然と見送った。


「あのミアンが朝起きてるとか……いや夢だったなこれ」


 貴族を自称する彼女は家事をやりたがらない上に朝は弱い。

 早起きするぐらいなら徹夜するタイプだ。

 だからクロノも朝食は彼女の分は抜いて作っていた。


「……早起きして飯を作るミアンもクロノの願望か?」


 食事当番に関しては現実のアジトに帰還したら改めて団員たちと話し合おう。

 そんなことを考えながら階段を下りてダイニングに行く。


「あら、おはようございますアルヴァ」 

「おっせーぞアルヴァちゃんよ」

「……」


 エストとカースが俺を見つけて声をかけてる。

 ブロックは無言で会釈をしてきた。

 三人は大きな机を囲んで食後のお茶を楽しんでいるようだった。


「本当に遅いわね、片づけはあんたに決定」


 にやにやと笑いながらミアンが食事を乗せたトレイを運んでくる。

 オムレツとベーコンと少しの野菜。そしてパンとスープ。

 シンプルだが間違いなく美味しいだろうそれに腹の音がみっともなく鳴った。

 お腹が減ってるならさっさと来なさいと叱りつつミアンは俺の前に料理を配膳する。

 

「三十秒以内は飛び降りても無理だろ……」

「うるさいわね、余りのベーコン全部くれてやるから大人しく皿洗いしなさいよ」


 そう言いながら指から炎を出してベーコンを軽く焙ってくれる。

 肉の油が焼ける香ばしい匂いが朝のダイニングに漂った。

 それに誘われたかのように快活な声が空間に入り込んでくる。


「わあ、美味しそうですねミアンさん!」 

「あんたはさっきこの倍の量食べたでしょ、新進気鋭の金級冒険者さま?」


 ミアンに軽く睨まれて声の主は照れたように笑う。

 艶やかな黒い髪は短く切り揃えられ、宝石のような赤い瞳は溌剌と輝いている。

 まだ成長しきっていない体は薄いがそれでも肩や腕に筋肉の存在を感じられた。


「仕方ねえよ、この年頃の野郎にとって肉は幾ら食っても食い足りないからな」

「はい、だからさっき山に行って猪を狩ってきちゃいました!」


 カースがおどけるように助け舟を出す。

 それに元気良く黒髪の少年は答えた。 


「血抜きと解体はしてきたので昼に皆で食べましょう!」

「やだ、どうりでなんか臭うと思ったら……風呂に入って着替えてきなさいよ!」


 その間にベーコン焼いといてあげるから。

 エプロン姿のミアンに言われ笑顔を浮かべたままクロノはダイニングから退出する。


「全く、あんなガサツなのがこの街最年少の金級冒険者なんて信じられないわ」


 そう呆れたように溜息を吐く彼女を同姓であるエストがおっとりと宥める。


「食べ盛りの男の子ですからね、それに彼が魔法剣士の才に目覚めてから前衛を任せきりですし」 


 逞しい体づくりの為にも沢山食事をとっているのでしょう。

 治癒を担当するエストの言葉に炎術師であるミアンも渋々同意を返す。


「確かに、強敵相手の依頼を二手に分かれて受けやすくはなったけど?」

「で、依頼難易度と解決数が認められて灰色の鷹団もめでたく金級パーティに昇格っと」


 めでたいこと続きだね。そうおどけるカースはいつのまにかティーカップではなく酒瓶を握っていた。


「あんた朝から酒なんて飲んでるんじゃないわよ!」

「いや昇格祝いだよ、アルヴァだって日が変わるまで飲んでただろ。最後あたりは嬉し泣きながらさ」

「俺が?」


 突然話題に出されてぎょっとする。しかもそんな記憶はない。

 だがカースはそうだよと平然と返す。ミアンがこちらを呆れたように見た。


「酔っ払って覚えてないんでしょ、最近のあんた泥酔する度クロノを拾って良かったって言ってるわよ」

「そうそう、そんで必ず泣いてこう言うんだよな」 


 あの時クロノをパーティーから追い出さなくてよかったって。

 

 ああ、やっぱりこの世界はクロノの夢で、そして願望だ。

 笑顔の仲間たちを前に俺は真冬の海に落とされたように凍てついていた。

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