サボテンより

宿木 柊花

第1話 発覚

 夜の住宅地に沈むそれを見たとき、内臓を得体のしれない何かにもてあそばれているような感覚に襲われた。

 この先に進んではいけないと地面に足を捕まれ、急げ進めと全身が叫ぶ。

 俺は確認しなければならない。彼女が何に怯えてなぜあんなにも慌てて走り去っていったのかを。

 彼女を守らなければ。その気持ちだけで重い足を持ち上げる。


 高く長い塀が終わり、部長の家が現れる。

 純和風の木造の平屋。隙のないきっちりとした印象は立方体を思わせた。

 しかし、その立方体から一筋の光が漏れている。

 玄関の引き戸がだらしなく開いていた。

 誰よりも細かく中途半端が大嫌いで、換気に少しだけ開けた窓を全開にする部長が玄関を半開きにすることがあるか?


 おかしい。

 うるさいほど頭の中に警告音が響く。

 念のためハンカチを挟み、ガタガタと曇りガラスを鳴かせて隙間を大きくする。

関原せきはら部長いらっしゃいますか?」

 返事どころか物音一つ返ってこない。

 覚悟を決めて顔を覗かせ、窺う。以前来たときとそこまで変わりはないように思う。

「部長? 鳥井とりいです」

 声を掛けながら玄関に一歩踏み入れた瞬間、甘い香りが鼻先を通りすぎていった。

 玄関に飾られた百合の香りではない。

 どんなに注意深く探してもその香りはもうしなかった。

 どこか馴染みのある安らぐような淡い香り。

 その時脳裏で彼女が笑う。

「……そうか」

 彼女の香りだ。彼女はここに来ていたんだ。

 唇を噛みしめ覗きこんだ廊下の奥、居間の辺りから指先が見えた。

 全身の血が一気に抜け落ちる。



 気づけば土足のまま居間に立っていた。

 広い居間の壁はほとんどが鉢で埋められている。生活スペースは四畳半の我が家よりもずっと狭そうだ。

 部長はそこに倒れていた。

 盆栽やぷっくりとした葉の植物に囲われるようにして床にうつ伏せになっている。後頭部の薄い毛はベットリと頭皮に張り付き安物のカツラのようだった。手は助けを求めたのか犯人を捕まえようとしたのか廊下に向けて伸ばされたまま。

 視線の先にあった小さなそれを俺はハンカチで回収する。

 ……気持ち悪い。

 他に異常はないようだ。だが後頭部に傷を負わせた何かが見当たらない。


 居間に背を向けると庭が見えた。料亭のような日本庭園だ。

 薄手のレースが引かれていたが月を反射する池や怪しい灯籠、増やしているという蛍が鬼火のように漂っている様がよく見える。たまに月が揺れるのは鯉の仕業だろう。

 一息吐いて周りをよく見れば突き当たりに小さな机と小さな鉢がある。放射線状に広がった葉はぷっくりとして幾重いくえにも連なり月明かりで淡く銀色に光る。


 銀の花を見て心が決まった。

 俺はオトコになる。

 丸まりがちな背筋を伸ばし、酸素をいっぱいに吸い込むとスマホを手に取る。

 三桁の番号を押し、呼び出し音に耳を傾ける。


 これから俺の人生は転がる。

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