the sustainable Institution
原野光源
繋がり
わたしが恐れるのは、自身のプライバシーの保全だ。
通信デバイスを通じてインターネットと接続されている我々は、常にどこかへ紐付けされている。例えどれだけ認証プロトコルで階層分けしようと、どれだけセキュリティを張り巡らせても、どこかに連鎖し、どこかと接続され、誰とも知らぬひとと相互に繋がりができている。
電子的な
しかも、完全に個人から。個人の興味や関心が起点となり、わたしの人生を覗き見ることも、その逆も可能となる。
なら集団であれば、背を向けていてもわたしがどんな顔をしているのかなんて丸分かりで。
国家であれば、産まれてから死ぬまで何を食べ、何を生業とし、何で死んだかも分かってしまう。
日々、いや時間毎に成長を続ける相互監視社会は、同時に相互不干渉社会を形成した。というのも、繋がりを認知できているからだと思う。
わたしは彼が何をしているか知っている。彼女はわたしが何処にいるか知っている。父が、叔母が、上司が、わたしがどんな人間か知っている。
何十年と会っていなくても、顔を見たことがなくても、わたしの情報はネットの海に浮遊している。手にしたデバイスに表示される
若い人々ほど自分をネットに曝け出す。何を食べたか、誰と飲んでいたのか。
まるで、公衆の前でわたしは無罪です、なんの罪も犯してません、と声高に叫ぶかのように。誰も彼もがそうなのだから、拡張現実なんかが世に出回ったら、きっと肉眼で見える今の世界はさぞ簡素で落ち着いたものに見えるだろう。
わたしは恐い。皮肉にも、書き連ねたこれらに依存しなければ、わたしは自分を繋ぎ止めることができないのではないかと思えてしまう。
全くの自由があったところで、いまを生きるひとは、教会の中でわたしは無神論者である、などと語らない。自由の国で神は偉大なり《アッラーフアクバル》なんて叫ばない。欧州で右手を高らかに掲げたりなんて、できるものか。
どれほどに無意味で、無価値で、無意識なものであったとしても、絆を失うのは酷く恐ろしいことなのだ。
だから、わたしは今日もデバイスを片手に、広大なネットの海に自分を刻む。わたしはここにいると。わたしは無実であると。わたしはあなたと繋がっていると、証明し続けるために。
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