第19話 魔王、お風呂に入る

 十分後、私は牛歩並みの足取りで自宅に向かっていた。


『空白空間』から引き上げられた私は、事情を簡単に説明した。


 女神は私と話をするために引きずり込んだこと。部室で魔理沙が話した予測の大部分は的中していたことなど。女神が取り引きを持ち掛けてきたことは伏せて、詳しい内容は明日に説明すると言って一方的に解散を促したのだ。


 魔理沙は素直に承諾してくれたが、龍之介はあまり納得いっていないような顔をしていた。


 まあ当然だな。正直、魔理沙が説明は明日と言った時は私も不満に思っていた。しかし今なら、その心境も多少は理解できる。


 私自身、混乱しているのだ。頭の中に渦巻いている情報をまとめたいのだ。

 そして何より、今は一人になりたかった。


「ただいまー」


 だが結局は上の空のまま家に到着してしまった。考えは何もまとまっていない。

 まあいいや。時間ならたくさんある。


 諦め混じりの嘆息を漏らしながら靴を脱ぐ。するとリビングから猪でも侵入してきたのかと思わせるほどの荒い足音が轟いた。


「真央ちゃ~ん!」


 ママだった。玄関から廊下へと一歩踏み入れた私に向けて、ママが突進してくる。

 そのまま私の身体をがっちりホールドだ。


「え、なにママ。どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、真央ちゃんこそ大丈夫だった?」


 あ、そっか。今朝、地球が消滅してしまうのが嫌で号泣したんだった。それで今日は休んだらと勧める両親を振り切って登校したんだから、そりゃ不安にもなるさ。いろいろあってすっかり忘れてたよ。


 涙目になっているママを、私は優しく抱き返した。


「大丈夫だよ、ママ。今朝はちょっと嫌なことを思い出しちゃっただけだからさ」

「そうなの? 学校で虐められてるとかじゃない?」

「そんなことないよ。私はボランティア部の部長なんだ。むしろみんなからは崇められてるくらいなんだから」


 いや、崇められてるは言いすぎだが。


「それならいいんだけど……もし何かあったら、すぐにママに相談するのよ」

「うん。ありがと、ママ」


 まったく過保護だなぁ。っていうか、この調子だとおそらくパパも……。


 と思ってたら予想が的中した。リビングでテレビを見ながらくつろいでいると、仕事から帰ってきたパパが一目散に抱き着いてママと同じことを言うのだ。ぶっちゃけパパに抱きしめられること自体は嫌悪感とかないんだけどさぁ、こっちが相手を認識してからやってくれ。仮に見知らぬおっさんとかだったら一生もののトラウマだぞ?


 すると夕飯の支度をしていたママも合流。二人して私に縋りつき、しかも何故か泣き出す始末。まるで朝の続きを見ているみたいだ。


 ただ今朝とは立場がまるっきり逆で、今度は私が二人を宥める構図になっていた。






「ふー……」


 湯船に浸かってリラックス。体温が高まり、血行が良くなったことで頭の方も冴えてくる。結局さっきまでは両親関連でいろいろあって、じっくり考え事ができなかったからな。


 目を閉じて、『空白空間』で女神と交わした会話を回顧する。


 奴は取り引きを持ち掛けてきた。数ヶ月以内に死に、概念体へと還って各世界の勇者を手助けするよう進言しろ。そうすれば地球に魔力を持ち込んだこともチャラにしてやる、と。


 女神だって、できるだけリスクのある行為は避けたいはずだ。ならば絶対服従している間は約束を守ってくれるだろう。ただし地球上で《勇者》候補を確保することは止めないが。


 そして逆に私が取り引きを蹴った場合、女神は確実に地球を滅ぼしてくる。女神が見せたイメージ映像は、これは脅しではなく自分が本気であると主張している何よりの証拠だった。


 これらを統合すると、一つの事実が浮かび上がってくる。

 どちらにせよ私は死ぬということ。自死か女神に殺されるかの違いくらいだ。


 なら地球を延命させるためにも、とりあえず要求を呑んだ方が賢い選択か? でもなぁ、概念体が承諾するとは限らないし……というか、拒否する可能性の方が圧倒的に高い。概念体としては地球なんてちっぽけな世界が無くなろうと関係ないし、女神に従うくらいなら放っておけと言うに違いない。


「うーん……」


 ダメだ。完全な詰みだな。解決策が何も浮かばない。


 勇者を倒すヒントを得るために地球へ来たのに、逆に勇者に協力しろと女神から脅されてしまうのは皮肉なものだ。と、鼻で笑ってしまった。


「真央ちゃーん。入るわよぉ」

「ブハッ!」


 突然ドアが開いて吹き出してしまった。素っ裸のママが浴室に入ってきたのだ。


「な、な、なになになに!? なんで裸なの!?」

「お風呂なんだから当たり前でしょ?」

「そうだけどさ! どないして入って来よるん!?」

「聞いたこともないような方言が出るほど混乱してるのね……。まあまあ、たまにはいいじゃないの。親子水入らずでお風呂に入ったって。女同士なんだし」


 そりゃパパが勝手に入ってきたら通報ものだけどさ!


「それにちゃんと声も掛けたわよ。すりガラスだから脱衣所も見えるでしょ?」

「瞑想してたんだよ」


 話ながらも、ママは自然な動作で身体を洗い始める。

 最後にママとお風呂に入ったのっていつだったかな。あ、確か先月辺りに銭湯行ったわ。


 そうだった。他の客の注目の的だったのを思い出した。


 それもそのはず。とてもじゃないが、ママは二人も子供を産んだアラフォーの身体には見えないのだ。ナイスバディの体現。某怪盗漫画の紅一点が、そのまま現実に出てきたようなスタイルを維持している。事実、私が物心つく前は、それに似たキャラの配役を演じていたとかいないとか。


 マジで女神や魔理沙にも引け劣らない……いや、身内の贔屓目を抜いても、年齢以外はすべて勝っていると言っても過言ではないだろう。


 それなのに、なんで私はこんな貧相な身体つきに育ってしまったのだろうか。……ああ、あっちパパの遺伝だったか。


「ほら、詰めて詰めて」

「ほわっ!?」


 羨望や嫉妬の眼差しで観察していると、いつの間にか身体を洗い終えたママが私を押し退けて浴槽に足を突っ込んできた。


 一般的な家庭よりかは比較的広めの浴槽だとは思うが、決して二人が浸かってなおも余裕があるほどではない。なので自然と身体の一部が密着してしまう……というより、ママはぬいぐるみでも扱うような優しさで私の身体を抱きしめてきた。


 柔らかくも弾力のある二つの感触が背中に当たる。ついさっきも女神に同じようなことをされたが、今度は肌と肌で直に触れ合っているのだ。親子なのに、なんだか緊張してしまった。


 そして親子だからこそ、伝わってくる感覚も女神とは真逆だった。

 安心感。高揚感。物理的な体温と愛情による温もりが私を包み込む。


 適度な温度のお湯も含めて、まるで胎児に戻ったような感覚に陥っていた。ついつい眠ってしまいたくなる。


「ごめんね、真央ちゃん」

「え? えっと……」


 うとうとしていると、急に謝られた。

 理由が分からず、困惑してしまう。


「真央ちゃんが悩んでることに、気づいてあげられなくってさ」


 ああ、なんだ。そんなことか。


「ううん。それは仕方ないよ。だって私が何も言わなかったんだもん。気づかない方が普通だよ」

「違うよ。ママは真央ちゃんのママだから、なんの相談が無くても気づいてあげなくちゃいけないの。気づけないのはママ失格だわ」


 母親とはそういうものなのだろうか。だとしても、最後の言葉は明確に否定できる。


「ママ失格だなんてことは絶対にない。だって私はママを必要としてるんだから」


 抱きしめられるだけで不安が和らいでいくのは、それは私が愛したママだからだ。


 ああ、まるで天国にいる気分だ。女神に汚された身体が浄化されていくよう。《魔王》の概念体があらゆる魔王の拠り所というのなら、瀬良真央という少女が最も安息できる場所はここなんだと実感できた。


「真央ちゃん。本当に学校で何もなかったの?」


 しつこいくらいに心配してくるが、今はそのしつこさが心地良かった。


「うん、大丈夫だよ。大丈夫だから……」


 ただそれだけに、嘘を付いてしまった罪悪感は重くのしかかってくる。

 大丈夫なわけがない。完全な強がりだ。でも……説明するわけにはいかなかった。


「ねえ、ママ。一つ訊いていい?」

「んー? なあに?」

「ママはさ、私がいなくなったら悲しい?」

「悲しい、どころの話じゃないよ」


 私を抱きしめる力がより一層強くなった。


「真央ちゃんと真人はね、ママにとって世界で一番大切な宝物だもの。二人の幸せが何よりも大事。そんな真央ちゃんに何かあったら、ママ……立ち直れなくなっちゃうかもしれない」

「……そっか」

「真央ちゃん、どこにも行かないでね」

「うん。私はどこにも行かないよ」


 行かない。行くわけがない。私は両親を置いて先に死んだりはしない。

 たった今、私の優先順位が決まった。私の命を投げ打って地球を救う選択肢は消えた。


 私は生きる。死ぬ時は地球もろともだ。悪いね、地球さん。

 ならば今後やるべき行動は一つ。最後の最後まで抗ってやろうじゃないか。

 私はまだ死ぬわけにはいかないのだから。

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