第15話 魔王、泣く
寧々子ちゃんを家に送り届けてから、私も足早に自宅へと向かう。
夜道、少々長めの距離を一人で歩いたが、ついぞ女神が現れる気配はなかった。
なんか魔理沙が大丈夫だと言った理由が分かった気がする。
一つに、奴が神界のルールを犯してまで須野さんの身体を乗っ取っていたことだ。
女神の外見で地上を闊歩するのは目立ってしまうからという理由なのだろうが、それにしてはあまりにもリスクが大きすぎる。おそらく奴は、人間の身体を借りることでしか私たちを監視する方法が無かったのだろう。透明になったり、物体を透過したり、さらに千里眼など遠くを見渡せる能力も持っていないと推測できる。
つまり空になった『空白空間』を覗くか、外を出歩いている私たちを偶然目撃でもしない限り、脱出したことが女神に知れることはない。
二つ目に、私たちをわざわざ『空白空間』に閉じ込めたこと。
本物の女神なら、ノートに名前を書くまでもなく念じるだけで人を殺せるはずだ。なのにそれをしなかったのは、私たちに世界が滅ぶ様を見せつけたかったわけではない。ただ単純にできなかったのだ。
亜空間に閉じ込めたのは、自分が逃げるための時間稼ぎ。私たちが脱出できなければ良し、脱出したとしても最低限の目的は果たせたわけだ。
この二つから導き出せる結論。あの女神は現在、何らかの理由で能力が制限されている状態であり、ちょっと特殊な魔法が使える一般人と変わりがないということだ。
ならば、明日も普通に学校へ登校して問題ないと思う。
復讐に燃える心はあれど、私たちに対して何もできないことが判明した。魔理沙の言では、地球を滅ぼすこと自体は可能らしいが……ま、なってしまったものは致し方あるまい。あとは野となれ山となれだ。
腹いせに滅ぼされることになった地球に同情しつつ、私は無事に自宅へ到着した。
「ずいぶんと遅かったじゃないか。パパ、心配しちゃったぞ」
「ごめんごめん。部室の掃除に手間取ってたの」
先に帰宅していたパパがリビングでくつろいでいた。
私がボランティアをしていることは、すでに知っている。部室をもらったこと、部活として認められることを話すと、パパは興味津々に耳を傾けてくれた。まあ、地球が滅ぼされるまでのわずかな間だけだが、頑張ろうとは思う。
「あら、真央ちゃん。すごく嬉しそうな顔してるけど、何か良いことでもあったの?」
「そう見える?」
ママに指摘されて、自分の顔に触れてみる。
頬が緩んでしまうのも仕方がない。今日は思いがけないところから、素晴らしい情報を手に入れることができたんだから。
女神が異世界から《勇者》を召喚する場合、魔力が無い方がより強い《勇者》を製造することができる。つまり魔力が存在しない世界を探し回って、片っ端から《魔王》の分裂体を送り込めば、《魔王》が一方的に討伐される今の状況も多少はマシになるはずだ。
私の死後、この情報を持ち帰れば、概念体も多いに喜んでくれることだろう。
もちろんママに説明できるわけもなく、パパと同じく部活の話でお茶を濁した。
夕食後はいつも通りに過ごし、少し早めに床に就く。
今日はいい夢を見れそうだ。
表現できないくらいの倦怠感で目を覚ました。
耳をすませば目覚まし時計のアラームが鳴っている。どうやら起床時間らしい。
学校に行かなくちゃ。
ベッドから這い起きる。身体が妙に重い。めっちゃ疲れてる。なんでだろ。ああ、そっか。昨日は女神と対峙して、いろいろあったもんなぁ。
寝起き数秒で頭をフル回転させ、昨日のことを思い出す。
ふと、異様なものが目に入った。
「……なんだこれ?」
枕がぐっしょりと濡れていたのだ。
ま、まさか高校生にもなっておねしょを!? ……ではない。いくら何でも枕でおねしょとかないわ。別に布団も濡れてなさそうだし。
じゃあ汗か。昨夜、そんなに暑かったかなぁ。
不思議に思いつつも、朝食を取るため一階へと降りる。
キッチンではすでにみんな揃っていた。
「おはよー」
「ああ、おは……」
欠伸をしながら席に着く。するとまたも異様な光景を目の当たりにした。
パパとママ、そして弟の真人までもが、唖然としたまま私の顔を見つめていたのだ。
「真央ちゃん……どうしたの?」
「へ?」
私が食べるはずのトーストを手にしたまま、ママが驚いたように声を上げた。
「どうしたのって?」
「姉貴、すごい顔してんぞ」
真人も朝食の手を止めて私を覗き込んでくる。
「顔?」
「目が腫れぼったくなってるが……」
パパの指摘で、私は自分の両目に触れた。本当だ。確かにむくんでいる。
どうしたんだろう?
いや……原因は分かっている。私が今まで気づこうとしなかっただけだ。
私は眠っている最中、ずっと泣いていたのだ。
じゃあ、どうして泣いていたんだろう。
それも……知っている。
自覚した途端、自然と涙がこぼれ落ちた。
「私……イヤだ……」
さらに涙が溢れてくる。声には嗚咽が混じっている。
止まらない。悲しい感情が洪水のように押し寄せてくる。
「地球が無くなっちゃうなんて、私……イヤだ」
そう、イヤだった。地球が無くなることが。みんないなくなってしまうことが。
私は《魔王》。冷酷無比な魔族の王。地球へ転生したのだって、単に調査を行うためだ。
死ねば《魔王》の概念体へ還るだけだし、私自身、いつどこで死のうが構わないと思っている。心残りがあるとすれば、寿命ギリギリまで勇者を倒す方法を模索したかったなという無念くらいだ。
地球に未練などない。この世界がどうなろうが、私には関係ない。
……本当に? 本当にスパッと諦められる?
そんなわけない。ただの調査だからって、割り切れるわけがない。
私は《魔王》である以前に、瀬良真央という一人の少女でもあるのだ。そこには十五年分生きた軌跡があり、思い出があり、人間関係がある。それらは簡単に投げ出せられるほど軽くはない。
私の中の瀬良真央が訴えかけてくる。
ボランティアで出会った人たち。クラスメイト。友達。同志。そして家族。
みんな死んでしまうなんて、絶対にイヤだった。
「真央ちゃん……」
「真央……」
朝っぱらから泣きじゃくる私に、両親は理由を聞くこともなく優しく抱きしめてくれる。
ああ。やっぱりこの温かさを失いたくはないと、私は再確認した。
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