プロローグ2

 肉体から離れた魔王の魂が、人知れず天へと昇っていく。

 魂はやがて世界の端へと到達し、この世の《実》と《虚》の境界を越える。

 そこは何もない空間だった。

 灯りも、温度も、時間すらも存在しない、宇宙の果てのような場所。

 魔王シャドウグールの魂は自然の流れに身を任せ、ゆっくりと暗闇の中を漂っていく。

 永い漂流の末、魂はようやく己が本来あるべき場所を見つけることができた。

 魂の大きさに比べれば、あまりに巨大な発光体。

 まるで広大な砂漠に一つしかないオアシスを発見した旅人のように、魔王シャドウグールの魂は巨大な発光体の中へと吸い込まれていった。


「ぬう?」


 すると突然、発光体が声を上げた。高くもなく、低くもない、振動を介さない発音だ。

 シャドウグールの魂が融合したことを認識した発光体が、ため息混じりに呟いた。


「また、どこかの世界のどこかの魔王が勇者に敗れたようだな」


 発光体はまるで我が事のように悔やんでいる様子だった。


 それもそのはず。発光体の正体は、あらゆる世界のあらゆる《魔王》の集合体なのだから。否、《魔王》という存在そのものの概念体とでも言った方が正しいかもしれない。


 ここはどこの世界にも属さない、すべての《存在》が集う生命の根源だった。


「何故、魔王は負ける? どうして魔王は勇者に勝つことができない?」


 魔王シャドウグールの遺志を継ぐように、《魔王》の概念体が嘆いた。


 もちろん、すべての魔王が志半ばで落命するわけではない。その野望の元、魔王が人間を滅ぼし天下を統一した世界も存在するにはする。


 だがそれも、勇者が舞い降りるまでの話である。

 いくら強大な力を持とうとも、勇者が登場した世界では必ず魔王は敗北の運命を辿ってしまう。まるでそれが世界の理だとでも言わんばかりに。


「我は《魔王》と呼ばれる存在の概念体なり。故に、勇者に敗れた魔王たちの怨嗟が常に聞こえてくる。もう負けたくはない。恨みを晴らしたい。勇者に敵わない絶対的なルールを覆したい、とな。そのため我は魔王が必ず敗北する原理を解き明かしたいと考えている。貴様らの意見が聞きたい。我と同じく、人間に煮え湯を飲まされ続けている同志たちよ」


 虚空へ呼びかけると、《魔王》の他に四つの発光体が現れた。

 それぞれ《魔王》と同じく、《魔女》《ドラゴン》《鬼》《狼》の概念体である。

 いずれも、あらゆる世界で人間から理不尽な虐げを受けている種族だった。

《魔王》の問いかけに、まずは《ドラゴン》が口を開いた。


「俺様の場合、人間の敵と味方になる世界は半々くらいだからなぁ。つっても、人間の味方をしなきゃ敵と見做されることがほとんどだし、たとえ争いごとに無関心でも邪竜認定されて討伐されちまう。そこは納得できねえな」


《ドラゴン》の意見には、《狼》が同意した。


「右に同じ。どの世界でも犬は人間の友として同じ道を歩んでいるが、どうしてか狼は敵視されることが多い。わしはその理由を知りたい」


《狼》の疑問に、《鬼》が答える。


「人間は力が弱く、知能が高い。加えて妙に臆病である。故に力ある者は悪と見做され、先んじて排除しようという習性があるのだ。たとえその者が人間に害をもたらさずともな」

「なるほど。魔族と人間が共存できない理由に通ずるものがあるな。人間の習性を理解することこそが、勇者に勝利するための第一歩なのかもしれない」


《鬼》の言葉に、《魔王》が納得した。


「して、《魔女》よ。この場で最も多くの知識を持つ汝の意見を聞きたいのだが」


《魔王》が《魔女》へと問う。

 外見はただの発光体だが、肉体があれば露骨に肩を竦めるような声音で《魔女》が言った。


「ここで私たちが知恵を出し合っても意味はありません。何も解決しませんよ」

「では、我々はどうするべきだろうか?」

「私が個人的に興味を持っている世界があります。《地球》という名の世界です」

「ふむ」


 その世界が今の議題とどうかかわりがあるのか、《魔王》は《魔女》の言葉を待った。


「珍しいことに、すべての生物が魔力を持たない世界なのです。なのに中世という時代には、ただの人間を魔女と認定して魔女狩りを行っていたと記録されています。何故そんなことをするのか不思議に思って、以前から少しずつ観察しておりました」

「《鬼》の分析の裏付けにもなるな」


 人間は力ある者を先回りして排除する習性がある。


 つまり魔女と認定された者たちは、人間の脅威になるかもしれないという疑惑だけで殺されたのだ。それが同族であるにもかかわらず、だ。


「その《地球》という世界を調べていくうちに、面白い物を発見しました。どうやら《日本》という名の国には、非常に多くのおとぎ話があるみたいなのです。人間が魔王に勝利する物語はもちろん、中には魔王が人間を蹂躙する物語も多数存在しているそうです。たとえ作中に勇者が登場していたとしても」

「それらの書物を紐解くことが、我々の勝利に繋がるというわけか」


 わずかな希望が見え、《魔王》は唸った。

 しかし深く思考を巡らさずとも、それが不可能であることは明らかである。


「魔力が存在しない、すなわち《地球》には《魔王》や《魔女》が実在しないのだろう? ならば我ら概念体が実体を持って降臨することはできないはずだ。《狼》なら可能かもしれないが、魔力が無ければ文字や言葉を理解する知能を得ることも難しいだろう。どのようにして書物を読み漁るつもりだ?」

「簡単です。人間として転生すればよいのです」

「なんと!」


《魔女》の他四名の概念体から、ざわめきが起こった。


 通常、《魔王》の概念体は魔族としてしか世界に降り立つことができない。しかし魔族の生命維持には魔力が必要不可欠。魔力の存在しない《地球》においては、《魔王》は水を失った魚も同然なのだ。


 だが《魔女》は事もなげに言ってみせた。ならば人間に転生すればいい、と。


「そんなことが……可能なのか?」

「はい。胎児に新たな魂が宿る前に、我ら概念体の一部を植え付けるだけです。母体からの反発も、世界からの干渉もありません。魔力が存在しない世界だからこそできる芸当ですね。ただ人間として転生するわけですから、能力は格段に落ちますが……」

「何も戦いに行くわけではない。読み書きができる程度、および人間の心を理解できる知能があれば十分だ」

「ならば問題ありません。《魔王》様が人間への転生を行うというのであれば、私も同行いたします。個人的に《地球》で調べたいことがありますので」


《魔王》と《魔女》の意見は一致した。

 残る三名にも意思を求める。


「なんだか面白そうだな。俺様も参加するぜ」

「うむ。わしも同行するぞい」

「荒事の際は任せよ」


《ドラゴン》《狼》《鬼》も快諾してくれたようだ。


「決まったな。ではこれより我々概念体の一部を《地球》へ送り込み、人間に転生させる。任務内容は打倒勇者に向けての調査、および人間の心や行動原理を学ぶこと。調査期間はその人生を終えるまでだが……いや、一度人間の姿で落ち合うとしよう」

「いつ頃にしますか?」

「十五年だ。母体より生れ落ちてから十五年後、一堂に集まり、それまでの人生経験と調査内容を含めた中間報告会を開こうではないか。よいな?」


 各発光体が承諾したように身体を震わせる。どうやら異論はないようだ。

 かくして、人間に復讐を誓うアベンジャーズがここに誕生したのだった。

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