4_それだって、結局のところ日常である。


「ミケちゃん」

「うす」


 それに目を細めつつ、立ち位置を千蔭さんと入れ替える。刃渡りは、ざっと見たところ十五センチメートル程度。銃刀法違反には、余裕で違反する大きさだ。

 

 リーダーらしき男がナイフを振りかぶった。それに合わせて、周りの男達もこちらに向かって殴りかかってこようとする。合わせて五人。向こうの戦闘力次第だが、まあどんなにかかっても五分あれば制圧可能だろう。考えながら足を持ち上げる。

 ナイフの切っ先がこちらに届くよりも、俺が蹴り上げた足がナイフを叩き落すほうが早かった。カラン、音を立ててナイフがコンクリートの地面に落ちる。

 ナイフが飛ばされたからだろう、呆然とする男に向かって、もう一発蹴りを入れた。狙うは鳩尾、気絶させることを目的に放ったそれは、避けられることもなく目標に当たる。かは、音を立てて唾液を吐き出した男は、それを最後に意識を失った。

 力の抜けた体を、できる限りダメージを与えないよう意識して地面に転がす。その最中、男のうちまた一人が殴りかかってきた。

 上体を倒して、殴りかかってきた男のこぶしを避ける。俺が避けたことによって標的を失いぐらついた男の背後に回って、その首筋に向かってまた一つ蹴りを叩き込んだ。倒れていく体の前に腕を回して最初の男と同じように地面に転がす。そうしながら、視線をまだこちらに襲い掛かってきていない男達に向ける。男が二人、呆然としながらこちらを見ていた。戦意を失った、と見ていいだろう。と、そこで気づく。地面に転がっているのが二人、戦意喪失しているのが二人、もう一人は?

 

 慌てて千蔭さんと女性たちの方へ振り返る。男が一人、千蔭さんとその背に庇われている女性たちに向かって殴りかかっていた。まさか、いつから? そちらに向かって大幅で近づいて、今まさに千蔭さんたちに殴りかかろうとしていた男の服の襟をひっつかんだ。こちらに向かってバランスを崩したところに体重をかけて、地面に押し付つける。しかし、俺の体重では男を完全に抑え込むことは出来ず、尚暴れようとしていた。それに、思わずため息をひとつ。


「動いたら腕折るぞ」


 男の耳元に口を寄せて、男にしか聞こえない声量で囁いた。

 

 脅しは効いたらしく、男は無事大人しくなった。それを確認してから再び戦意喪失している男達へ視線を向ける。そちらも相変わらずで、さっきまでの威勢はどこへやら、仲間を見捨てて逃げることもできないのだろう。おろおろと視線を彷徨わせていた。

 気絶して地面に転がっているのが二人、戦意喪失しているのが二人、今俺の下に居るのが一人。合わせて五人。制圧完了だ。

 乗せた体重はそのままに、首だけで千蔭さんの方へ振り返った。


「千蔭さん」

「うん、お疲れミケちゃん」


 名前を呼べば、労いの言葉が振ってくる。その顔は、さっきの険しい顔ではなく、いつも通りの温和な笑顔だった。


「ミケちゃんが相手してくれてる間に通報はしておいたから、そろそろ誰かしら来るんじゃないかな」

「うす、ありがとうございます」


 言いつつ乗っていた男の背から立ち上がった。もう暴れる意思はないだろうと判断してのことだ。それでも念のため、男全員が視界に入る場所に立って様子を見る。


「あのー……」


 背後から声を掛けられて、体の向きを少し変えてそちらを見る。声を掛けてきたのは、保護してきた女性のうち一人だった。


「どうかしました?」


 対応は千蔭さんに任せよう、そう思って再び視線を男達に向けようとした、その時だった。

 

「本当に、ありがとうございました!!」

「あ、ありがとうございました……!」


 女性が二人そろって、深々と頭を下げた。それに思わずそちらに視線を戻す。礼を言われているのにそちらに視線を向けないのは、あまりにも不誠実に思えたからだ。


「ほんと、なんてお礼を言えばいいのか」

「そんな、頭上げてください」

「そうそう、気にしないでください」


 頭を下げたまま言う女性に向かって、慌てて声を掛ける。対して千蔭さんはいつも通りの声色で、それがまたなんだか悔しかった。

 俺の言葉を受けてか、そろそろと頭を上げる女性二人にほっとする。それを見てか、そう言えば被害状況を確認していなかったことに思い至った。


「そう言えば、お怪我とか大丈夫ですか? 俺たちが来る前とか」

「あ、おかげ様で! ぜんぜん大丈夫です!」


 聞けば、女性は溌溂と答える。良かった、思ったよりも元気そうだ。

 しかし、それにほっとしたのも束の間、女性が少し俯いて言った。


「……いやまあ、ふざけんなぶっ殺すぞ、とかは言われましたけど。でも、実際手は出されてないので」


 そう言うその女性の体は、少し震えていた。さっきまでの元気の良さは、作っていたらしい。それに思わずため息をつきそうになったのを、ぐっとこらえる。しっかり傷を負っているじゃないか。


「怖かったときは怖かったって、言っていいんですよ」

「……え?」


 だから、気づいたらそう言っていた。言ったあとに自分で驚く。こういうことを言うのは、千蔭さんの方が向いているのに。続く言葉が思いつかなくて、口を噤んだままどうしようと内心焦る。

 

 すると、「ミケちゃんの言うとおりだね」と隣に立つ千蔭さんが言った。助け舟を出してくれたのだろうか。つい縋るようにそちらを見る。


「そうだね、どう言うと分かりやすいかな」


 言いつつ少し逡巡する千蔭さん。少ししてから、ゆっくりと話し始めた。


「今回、君たちは被害者なわけだけど。大抵の犯罪って、被害者が声を上げてくれないと気付けないんだよね、情けないことに。だから、被害者が泣き寝入りしちゃうと加害者は同じことを繰り返すかもしれないんだ。

 だからね。次の被害者を出さないためにも、怖かったですって、言っていいんだよ」


 まるで言い聞かせるような、それで居て安心させるような口調だった。女性たちが、堪え切れなくなったのか、目に涙を浮かべ始める。

 ちょうどそのタイミングで、耳に馴染みのある音が聞こえた。パトカーのサイレンだ。


「来たみたいだね」

「ですね」


 すぐそこの通りに止めたのだろう、バタバタと扉の開閉音が聞こえて、それから足音が近づいてくる。


「お待たせしました、お怪我はありませんか!?」


 来たのは制服を着た警察官だった。おそらく近所の交番勤務の警官だろう。それに敬礼で返す。


「偶然居合わせた一課の者です。恐喝まがいのナンパをしていたので仲裁に入ったところ、向こうが刃物を持って殴りかかって来たので応戦しました。我々も被害者二名にも外傷はありません」

「通報の際にお伝えいただいたので、ある程度状況は把握しております。ご協力、感謝します」


 なるほど、通報の時点である程度千蔭さんが状況説明をしてくれていたらしい。


「それでは、現場はこちらで預かります。参考人として、事情聴取のためにお時間頂きたいのですが、構いませんでしょうか?」

「あー……そうですね」


 言いつつ腕時計を確認すれば、現在時刻は午後二時半頃だった。


「どうします?」


 時計の盤面を千蔭さんに見せて問いかける。


「うーん、ちょっと厳しいかもね」

「ですよね」


 短いやり取りを終えてから、「実は」と事情を説明した。


「四時から会議がありまして……明日以降なら都合がつくのですが」

「了解しました。では後日、よろしくお願いいたします」

「はい、今連絡先渡しますね」


 言いつつメモ帳を取り出して、俺と千蔭さんのフルネームと、それぞれの連絡先をさらさらと書く。こういう時、名刺があったら便利なんだろうかとか思うけれど、結局今まで一度も作ったことは無い。

 書き終えたそれを渡したところで、千蔭さんが口を開いた。


「それじゃあ、僕たちはこれで」

「はい! 改めて、ご協力ありがとうございました!」

「お疲れ様です」


 言いつつその場を立ち去ろうとしたところで、「あの!」と呼び止められた。被害者の女性の声だ。

 二人そろって足を止めて、そちらに振り返る。


「お名前とか、教えていただけませんか……?」


 掛けられた言葉が余りにも想定外で、俺は思わず首を傾げた。


「助けていただいたので、お礼をしたくて」


 その言葉に、千蔭さんと顔を合わせた。それからどちらともなく少し笑って、女性たちに向かって言う。


「大丈夫ですよ、気にしないでください」

「……仕事ですから」


 それを最後に、署に向かって歩き出した。

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