ちいさな噓

日々人

ちいさな嘘


「誰にもいえない秘密を持たなくして死ぬひとなんているのかな。

 自分だって。

 ねぇ。

 きっと、弟だってそうだったはず」



 ー ー ー ー



長期休暇、まだ日が昇る前の登山道をひとり、汗をかきながらたらたらと登り歩いていた。

幼いころ、近郊の山への登山は家族にとっては恒例のイベントだった。

登山をするのは決まって長期休暇の終わりごろ。

遠出せずに近場で家族サービスを済ませたがる父親の習慣を、社会に出た自分が今や鈍ってしまった体を起こすという名目で、引き継いでいるだけのこと。

頂上を前にして、いつものように幼き頃を思い出す。


「姉ちゃん、やっぱり朝焼けが一番きれいだよね」


それは弟が、10歳のころの弟がまだ元気だったころの姿。

その登山が家族そろって出かけられた最後の思い出となった。


翌年に弟は体調を崩し、病院へ入退院を繰り返すようになった。

そして自分が中学を卒業する年にこの世を去った。

見舞いには度々行った。

親と一緒の時もあれば、学校の帰りにひとりで顔を見せることもあった。

弟は自分よりも成績が良かった。

病気が酷くなってからは学校に通えなくなったが、それでも勉強を病室で続けていたそうだ。自分がその部屋でみる弟は絵ばかり描いていたが。

弟は絵を描くことが何よりも好きだった。


中学生になると夏休みの課題で絵を提出しなければならなかった。

その中学1年、2年目に提出した絵。

それはどちらも、実は弟が病室で描いてくれたものを自分のものとして提出した。

弟は体の具合もあり免除されていたのだが、本人が残念がっていたのでこれ幸いと自分の課題をバレないようにするから描いてみなよ、と仕向けたのだった。

その絵は地域欄の新聞に載り、賞を得た。

1年目の時に描いた絵があまりにも上手すぎて、2年目は周囲の期待がこわくて弟に助けを求めるほかはなかった。翌年も当然のようにして受賞した。


そして3年目。

弟は息はしているものの、もう言葉を交わすことはできなかった。

絵は毎年、学年ごとにテーマがあり、3年目は自画像と決まっていた。

今年は自分の力で何とかするしかない。とはいえ本気で描いてみても、弟が描いた絵のようにはいかなかった。

自分の絵からは、実体を捉えた輪郭も見据えた色彩も微塵も感じ取れなかった。

すんなりと諦めてしまってもよかった。

今年はどうしても絵が描けなかったと、担当教師に言ってしまおうかという迷いも起きたが、なによりこの課題の絵を描くことを楽しみにしていた弟のことを思うと珍しく我慢強い自分がいたのだった。


結果として自分は自画像を描くことができなかった。

ただ、弟の顔を描くことは苦にならなかった。

夏休みは病室に通い、目を閉じて眠る弟の顔を、何度も描いた。

描いても描いても納得いかず、用紙をこっそり弟の顔に当てがって軽くかたどったりなんてこともした。

だって、色々なものが終わり始めていた。焦りがあった。

夏休みが終わりに差し掛かったころ、ふと自分で描いたものと思えないような弟の顔が四つ切り画用紙に浮かび上がっていた。

弟が描くものとは構成も色使いも違うだろう。

でも、これなら弟も頷いてくれるんじゃないかという気がした。


自分たちは双子の姉弟。顔はそっくりだった。

寝たきりで伸びた弟の髪の毛。絵はそこから幾分伸ばし、自分に似せてから提出した。

すると、なぜかその絵も入賞した。

でも、そのことを弟に知らせることはできなかった。

弟はもう、この世界のどこにもいなくなっていた。

審査員の一人が授賞式の時に傍に寄ってきて、自分にこう言った。


「今年もあなたの描く絵を楽しみにしていましたが、今年はまた違った印象で。

 何かありましたか?」


それに対して、なんと言って返したのかを今はもう覚えていない。

ただ、この人はなにか勘付いているということだけは分かっていた。

その絵を最後に、自分は絵を描くのをやめた。


自分たち姉弟は双子。ほくろの位置まで同じだった。

幼い二人がならんでいると、本当にそっくりだと言われ喜んだのだが。

今はもう、そんなことを指摘される理由がない。

時は仕方なく流れた。

ただ、それでいいと思えるようになった。

あれは自分のものではない、弟の自画像。

これは若くして、絵を描くことをやめた自分たちの話。








 ー ー ー ー

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ちいさな噓 日々人 @fudepen

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