これから

第124話「冬休みの訪れ」

 夏海ちゃんの期末テストも終わり、もうすぐ冬休みだ。


 予想通り数学のテストの平均点はいつもより下がっていた。

 夏海ちゃんも例外ではなく、いつもよりも出来が悪い。


「やっぱ水野先生のテスト、めっちゃ難しいんだけど」


 同意しかなかった。

 ざっくりと数学の問題用紙に目を通したが、正直言って中学生の定期考査に出すようなものではない。

 それに問題数自体が少ないため、1問ごとの配点がとんでもなく高い。

 おそらくそれも今回の点数が悪かった原因だろう。


「それでも夏海ちゃん、平均点以上は取れてるじゃん。すごいよ」

「そんなことないよ。もっと頑張ればいい点数取れてたかもしれないし」


 彼女は口をとんがらせた。

 最近はやけに点数を気にしているような気がする。

 夏海ちゃんの成績はすこぶるいいし、そこまで問題にするようなものでもない。

 それに、今頑張りすぎたら後々反動が大きくなってしまう。


「頑張るのはいいけど、焦っちゃダメだよ」

「わかってる。けど、今回はちょっと悔しい」


 何かの勝負でもしているのだろうか、なんて思いながら、この日も俺はいつものように夏海ちゃんに授業を行った。


 もうすぐ授業も終わる、という時間に、再び夏海ちゃんが口を開く。


「そういえば先生は冬休みは何をする予定なの?」

「ええ?」


 唐突に予定を尋ねられ、少し面食らってしまった。

 とはいえ彼女たちの冬休みの期間は塾の冬期講習で忙しい。

 普段はフリーである土曜日も仕事で埋まっていて、彼女たちと一緒にどこかに出かけよう、となるとやはり年末年始以外は少し調整するのが難しい。

 クリスマスが平日にあるので、亜弥とのクリスマスデートは厳しそうだ。


「仕事だよ。夏海ちゃんも部活あるでしょ?」

「あるけど、午前中だけだったり、午後だけだったり。意外と時間あるんだ」

「じゃあその分勉強しなきゃだな」


 うげえ、と夏海ちゃんは下を出す。彼女の拒否反応の一例だ。

 最近はあまり見なくなったと思ったのだけど、久しぶりに見た。


「はしたないよ」


 俺が注意すると、彼女は顔を染めてプイッとそっぽを向いた。

 この癖が外でも出ていなければいいのだけれど。


 ガチャリと、今度は亜弥が扉を開ける。


「休憩しましょうか」


 ニコッと彼女は微笑みながら、甘い香りを漂わせる。

 今日はお得意のクッキーでも焼いたのだろう。


 その予想通り、リビングのテーブルには亜弥お手製のクッキーと、色とりどりのマカロンが並べられていた。

 おそらくマカロンは市販で買ったものだろう。


 夏海ちゃんはクッキーよりもマカロンの方に夢中だ。

 ひょいっとつかんでは、パクパクと食べていき、皿にあったマカロンがどんどん消えていく。


「食べ過ぎよ。そんなんじゃあなた、太るわよ」

「私は別に運動するからいいもん。それよりお母さんの方こそどうなの? 最近太ったって言ってなかったっけ?」

「その話はやめなさい」


 途端に亜弥の声にドスが入る。

 びくり、とその覇気に夏海ちゃんはやられてしまったようで、マカロンを取るのをやめてしまった。


「の、残り全部差し上げます」

「そんなにいらないわよ」


 面倒臭い奴だ、という言葉は胸の内に留めておこう。

 もし口にしてしまおうものなら、きっと今の夏海ちゃんのように石にされてしまうかもしれないから。


「ところであなた、さっき数学の点数が悪かったって言ってた気がするのだけれど、本当かしら」


 亜弥は夏海ちゃんに屈託のない笑顔を向けた。

 その満面の笑みが逆に不気味さを漂わせ、夏海ちゃんは怯えて目も合わせられないでいた。


「いや、今回は難しかったんだ。平均点もかなり下がっていたし、でも夏海ちゃんの点数は平均よりずっと上だったから大したものだよ」

「ならいいわ。仮にこれ以上成績が悪化することがあればあなたの塾に預けようと思うのだけれど」


 ……今、なんと?


 亜弥は確かに言った。成績が悪くなれば夏海ちゃんを俺の塾に入会させると。

 しかし夏海ちゃんの成績は全体的に見ると右肩上がりだ。

 平均点より下を取ったことは1年生の中間テスト以外なく、ずっと成績上位をキープし続けている。


 いきなりの申し出に夏海ちゃんもさすがに反発するだろうと思っていたが、意外と彼女も乗り気だった。


「私、先生の塾で勉強したいかも」

「ええ……」


 困惑する。だって今のままでも彼女の成績は十分なのだから。

 今まではボランティアとしてやっていたが、塾で教えるとなると金銭問題が発生する。

 これはビジネスとして展開するなら仕方のないことだが、いくら直接自分の懐に入らないとはいえ、知り合いに金を要求するのはなんだか気が引ける。


「なんでそこまで成績にこだわるの? 夏海ちゃん、今のままでも十分いい高校に入れそうだけど」

「勝負してるんだ。次の学年末でどっちがいい点数取れるか」

「誰と?」

「友達と」


 正直勉強であまり競ってほしくはない。

 テストにおける順位が出るのと個人間との競合はまた別の話だろう。

 学問とは本来自分を高めるための行為であり、それを他者と比較するために行うのは少し違う気がする。


 こんなことを言うと夏海ちゃんから「古臭い」と言われそうだからやめておこう。


「まあ、止めはしないけど。まずは冬期講習だけでも受けてよ。今なら期間中は無料で受けられるから」

「本当?」

「ああ。体験入会って言って、実際に授業を受けてもらって入会するかどうか決めてもらうんだ」


 無料、と聞いて亜弥の目が輝く。

 しかしこれはあくまで仮だ。本契約すれば当然お金は発生する。


「でも夏海ちゃんの場合だと、多分学校が終わってから塾になると思うんだ。結構遠いと思うけど、足はどうするつもりなの?」

「あぅ」


 情けない声を亜弥が放つ。

 そこまで考えが足りていなかったのだろう。みるみるうちに肩がしゅんとすぼんでいく。


「……これを機に車を買うのもいいかもしれないわ」


 亜弥はめげなかった。

 これはもう俺の方が腹を括るしかなさそうだ。

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