第121話「若さ」
ラーメン店を出て、聖良さんはポンと腹を叩く。
その行動を大人の女性がやるのははしたない気がしてならない。
「で、次どこに行きます?」
「まだ行くんですか」
「冗談ですよ」
ふふふ、と聖良さんは口端を上げるが、なんだか冗談に聞こえない。
彼女の胃袋に限界はあるのだろうか。
「それで、この後はどうしますか? 私は見るものは見たので帰ろうかと思いますが」
「私は残るわ。洋介はどうするの?」
「じゃあ俺も残ろうかな」
正直俺も見るものは見たので帰ってしまいたい気持ちはあるのだが、亜弥が残るそうなので俺も一緒に残ることにする。
「あ、そうそう」
去り際に聖良さんは白々しくポンと手を叩く。
「私、ちゃんと試験に受かってました」
「あ、ああ、おめでとうございます……」
リアクションに困ってしまった。
内容はとても重大なものだ。それをこんなあっさりと告げてしまっていいのだろうか。
しかし当の本人は褒めて褒めてと言わんばかりに胸を張る。
亜弥も「おめでとう」と言って聖良さんに祝福の拍手を贈っていた。
「ま、まあ、無事に合格して何よりです」
「でもここからスタートですから」
フンス、と聖良さんは両手で小さくガッツポーズを見せる。
やる気満々だ。
「あと半年後ですか。楽しみですね」
「私も楽しみです」
では、と彼女はスタスタと去っていった。
本当に、マイペースで嵐のような人だ。
塾講師時代に抱いていた、清楚でおしとやかというイメージは微塵も感じられない。
「なんだか慌ただしい先生になりそうね」
亜弥が聖良さんの背中を見ながらポツリと呟く。
俺は彼女の教師姿を一応知っているので、多分今のような感じにはならないとは思うけれど、まあ、おっちょこちょいでよくドジをする彼女も容易に想像できる。
「でもいい先生になるよ。俺が保証する」
「さすがね。でもちょっと嫉妬しちゃうわ」
そう言うと亜弥はピッタリと俺の腕を掴む。
人前だというのに、彼女はそれを気にすることなく歩いていく。
「さ、行きましょう」
「いや、こんな格好で学校なんか行けないって」
「あら、私たちは何も悪いことなんかしてないわよ?」
「そうかもしれないけど、なんか、ほら、公序良俗に違反しているというか、多分、教育に悪い」
「ふむ、それもそうね」
やけに納得した様子で、亜弥はパッと俺の腕を離す。
公の場で平然といちゃつくのもどうかと思うが、こんな感じで急にドライになるのも少し寂しい。
学校に戻り、午後の部の演目を見る。
まあ、1年生の合唱と自分史新聞の発表、そして3年生の合唱だ。
1年生の合唱は、やはり2年生のものと比べると少しレベルが落ちているようにも思える。
が、去年も夏海ちゃんはこんな感じで一生懸命頑張っていたんだなあと思うと少し微笑ましくも感じた。
そして3年生は、やはり最高学年ということもあって2年生よりも上手だった。
来年は夏海ちゃんも、と思うと期待しかない。
文化祭ということで、当然文化部がスポットライトを浴びる。
と言っても中学校の文化部というのは数える程度しかなく、美術部は入口前に作品を展示する程度で、ステージ発表で輝くのはやはり吹奏楽部だ。
人数は少ないが、上手いと思う。
俺が音楽に対してそこまで明るくないので詳しくは評価できないけれど。
しかしやっている曲は、聴いたことのあるようなないような、そんな曲だ。どこかで耳にしたことがある気がするけれど、思い出せない。
何かのクラシック曲だと思うが、こんなのを聴かされても眠たくなるだけだろう。
実際、生徒席の至る所で船を漕いでいるのが後ろからでも確認できる。
「この曲知ってる?」
「さあ」
亜弥も知らないらしい。だが、いい曲であることに変わりはない。
曲が終わり、会場から拍手が響き渡った。
すると楽器を持った生徒が前に出てきて、ペコリと頭を下げる。
その少女に俺は見覚えがあった。
「あ、江上さん」
俺の塾の生徒である江上さんが司会をしていた。
そういえばここの学校で吹奏楽部をやっている、と以前本人から聞いたことがある。
「知ってるの?」
「ああ、うちの塾の生徒でね。すごく成績がいいんだ」
「そうなの。夏海もあの子にはとてもお世話になってるみたいだから」
「へえ」
夏海ちゃんとも繋がりがあるなんて初耳だ。
江上さんは、夏海ちゃんが午前中に行ったスピーチと同じくらい堂々と曲紹介を行う。
先程披露された曲は、グリーンスリーブスという曲らしい。
曲名を聴いたからと言って、それでさっきのわだかまりが解消されはしないが。
続いて演奏された曲は、俺でも知っている、最近流行った楽曲だ。
確かアニメの主題歌にもなって、社会現象にもなっていた。
うちの塾でも生徒の何人かはよく口ずさんでいる。
「この曲、楽しいわね」
「そうだな」
隣で、亜弥は手拍子を叩きながら口元を緩ませる。
俺も聴いていたらだんだん楽しくなってきた。
流行りの曲ということもあって、先程のグリーンスリーブスとは違い、多くの生徒が盛り上がっていた。
生徒のソロパートでは、その生徒の名前をコールしていたり、挙句には指揮者である先生の名前を呼んだり、カオスとも呼べる光景が目の前に広がっていた。
でも、こんな風にバカ騒ぎできるのも今のうちだけかもしれない。
大人になるとそんな風に騒ぎたくてもできないことの方が圧倒的に多い。
だから俺は彼らが時折羨ましくなるのだ。
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